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第18話 ニルタリアス

 ロザリアは、ただ無心で走り続けた。夜の風が頬を切るように冷たく、遠くに見える波打つ海がぼんやりと揺らめいている。

 アウラのためにやったことなのに——怒られた。優しいアウラに初めて責められた。

 その事実が、胸の奥でじくじくと疼く。

 足を止めると同時に、膝が力なく崩れ落ちる。ロザリアはしゃがみ込み、胸ポケットをまさぐった。指先に触れたのは、小さな銀色のイヤリング。

 リントブルムで買ったもの。アウラとお揃いにしようと、ずっと持っていた。渡すタイミングを逃し続け、今もまだポケットの奥で眠ったまま。

 ロザリアはそれを掌に乗せ、そっと親指で撫でた。


「……余計に渡せないじゃん」


 苦笑混じりの独り言。

 だが、次の瞬間——。

 背後に、ざわりと空気が揺れた。

 何かがいる。

 反射的に跳び退ると、そこには暗色のローブを纏った異形の魔物が立っていた。闇の中にぼんやりと光る二つの赤い眼孔。まるで月光をも吸い込むような、どす黒い魔力が立ち込めている。


「——チッ」


 ロザリアは手にしたイヤリングを乱暴にポケットへ突っ込み、剣を抜く。

 魔物が魔法を放つ。

 鋭く放たれた闇の刃を、ロザリアは軽やかに跳躍して回避する。宙を舞う身体が風を切り、月光を背に煌めく双剣が軌道を描いた。

 一閃。

 魔物の身体が、地に伏した。


「……そんなもん?」


 淡々と呟いたロザリアの前に、次々と現れる魔族たち。

 影が揺らめくように姿を現し、空気が重く澱む。


「なによ、アンタたちが私の相手になるつもり?」


 ロザリアの唇が吊り上がる。

 苛立ちをぶつけるように、剣を握る手に力を込めた。アンデット系の魔物の群れに向かって、一気に駆ける。

 怒りと、悔しさと、どうしようもない焦燥感を剣に込め、切り裂いていく。

 重なる刃音、響く断末魔。

 闇を引き裂く光の軌跡が、一閃ごとに鮮やかに描かれていく。

 しかし——。

 開けた場所に出た瞬間、足が止まる。

 背筋が凍るような嫌な魔力が、正面からぶつかってきた。

 圧倒的な存在感。

 次の瞬間——地面が揺れる。地の底から、膨大な魔力を纏った影がせり上がるように現れた。

 巨大な魔族。

 その姿は輪郭すら曖昧で、まるで雲のように淡く揺らめいている。魔力だけで形を成しているかのようだった。


「なんだお前、人間か? いや……ただの人間ではなさそうだな」


 嗤うような声が響く。


「いい魂を持っている。うまそうだ」


 その言葉に、ロザリアは冷たい笑みを返す。


「まだ半分は人間よ」


 双剣を構え、一気に踏み込む。

 高速の斬撃が、魔族の身体を捕らえ——。

 ……すり抜けた。


「——は?」


 ロザリアは、切り裂いたはずの敵が無傷のままそこに佇んでいるのを見て、眉を顰める。

 まるで斬撃そのものが無かったかのように、何の反応もない。


「ぎゃっはっはっは!!!」


 嘲笑うような声が響いた。


「相性が悪かったなぁ! 物理攻撃など我には一切効かんのだ!!」


 雲のような体が揺れながら、声だけが響く。


「この第四魔族、ニルタリアス様には、そんな剣は無意味なのだ!!」


 ロザリアの目が細まる。

 ……アウラみたいな奴に当たった。

 一瞬、そんな考えが頭をよぎる。

 いや、あいつは魔法まで無効にするから、もっと性質が悪いか。

 それよりも、こいつをどう倒すか——。

 咄嗟に魔法の一つでも覚えておけばよかったと思ったが、すぐにその考えを振り払う。

 そんなこと、今さら考えたって仕方がない。


「……ま、いいわ」


 剣を握る手に、再び力を込める。


「私の攻撃を食らわない?……それはアンタも一緒じゃない?」


 ロザリアの冷淡な言葉に、ニルタリアスの表情が歪む。


「あ? いきがりやがって!」


 咆哮と共に、霧のような体から無数の腕が伸びる。闇が蠢くように広がり、獲物を絡め取るようにロザリアへと襲いかかった。

 だが——。

 ロザリアの姿が、音もなく消えた。


「……何?」


 次の瞬間、ニルタリアスの背後で鋭い声が響く。


「アンタ、遅すぎるのよ!」


 ロザリアは、まるで風のように疾駆し、すでに別の位置に移動していた。彼女の双剣が陽光を反射し、淡く煌めく。


「これが……限界ではないわ!」


 ニルタリアスが怒りに身を震わせ、地を揺るがすような咆哮を上げた。

 その瞬間、闇の中から次々と魔物が姿を現した。

 森の影から這い出すように現れたのは、黒い瞳の異形たち。歪んだ輪郭を持つ、アンデッドの群れ。

 さらに、ニルタリアスの身体から新たな腕が生え、遠くの手が魔法陣を展開する。火炎、雷撃、呪詛。次々と魔法が放たれ、ロザリアを包囲するように襲いかかる。


「アンタ……私をなめすぎ」


 ロザリアは不敵に笑う。

 次の瞬間——空気が弾けた。

 爆発的な速度で駆けるロザリア。

 地を蹴るたびに衝撃波が走り、風が彼女の後ろへと流れ込む。赤い髪が閃光のように翻り、目に映る全てを断ち切っていく。

 目の前に立ち塞がる魔物たちを、一瞬のうちに薙ぎ払った。

 しかし——。

 ロザリアの目の前に、不意に“それ”が現れた。

 父と母。

 今もなお記憶に残る、優しく、誇り高き両親の姿。


「……ほう」


 ニルタリアスの声が含み笑いに変わる。


「どうだ? 懐かしい顔だろう?」


 狙いは明白だった。

 ロザリアの動揺を誘うこと。

 記憶の底に沈めた感情を掘り起こし、躊躇を生じさせること。

 だが——。

 ロザリアの双剣は、微動だにしなかった。その瞳に揺らぎはない。まるで、目の前の幻影など最初から見えていないかのように——彼女は冷たく告げる。


「——両親は死んだ。アンタ、私にケンカ売ってんの?」


 その一言が、ニルタリアスの動きを止めた。

 この自分が、まさか“怯える”などと——。

 恐怖を覚えた経験は、これまで二度しかない。先代魔王と、勇者レペンス。

 それだけの存在しか、自分を脅かすことはなかったはず。

 それなのに——目の前の、この赤髪の少女に?


「……勘違いだ」


 自らにそう言い聞かせる。

 だが、その瞬間——。

 轟音と共に、周囲の魔物が消し飛んだ。空気を切り裂く衝撃波。飛び散る血と、破壊された肉片が、地に落ちることなく消滅していく。ロザリアの双剣が残した余波だけで、それらはすでに跡形もなかった。

 ——それでも。

 ロザリアの斬撃は、ニルタリアスには通じない。物理攻撃しか持たない彼女に、この戦いで勝ち目はない。そう、確信していたはずだった。

 だが、それでもニルタリアスは——ほんのわずかに、己の本能がざわつくのを感じていた。


「その力……気に入った」


 ニルタリアスは大きく口を開く。


「——貴様を、我の眷属にしてやろう」


 ニルタリアスの歪んだ笑いが辺りに響くと同時に、その巨大な身体が膨張する。黒く粘つく魔力が渦を巻き、その中から何かが這い出てきた。——人の形をしたもの、魔物の形をしたもの、そして、そのどちらともつかぬ異形。どれも腐臭を漂わせ、ねじれた骨と肉を組み合わせたおぞましい姿をしている。

 ロザリアは眉をひそめた。


「……汚らわしい」


 だが、彼女は微塵も恐れなかった。燃え盛る怒りを込め、足を踏み出す。

 刹那、赤い閃光が弾けた。

 ロザリアの双剣が一瞬にして魔物たちを両断する。四肢を飛ばされた魔物が断末魔の悲鳴を上げる間もなく、ロザリアの剣は次の標的を切り裂いていた。地を滑るように駆け、無駄のない動きで敵を捌いていく。

 しかし——。


「くくっ、いいぞ。面白い」


 ニルタリアスは嗤っていた。それどころか、何かを待っているかのように、じっとロザリアの様子を観察している。

 ——違和感。

 ロザリアの脳裏に警鐘が鳴る。何かがおかしい。その違和感が確信へと変わったのは、背後から響いたあまりにも聞き慣れた声だった。


「ロザリア」


 ——心臓が、一瞬、凍りついた。身体が勝手に反応する。背後を振り返り、目を凝らした。そこにいたのは——。


「……は?」


 声がかすれる。

 視界の先に立っていたのは、ロメオだった。しかし、彼の姿は淡い光に包まれ、実体がない。

 まるで、霊のように——。


「なんで……」


 ありえない。ロメオは生きている。王都デネボラで騎士王として健在なはず。なのに、どうして——?

 その思考が完全に凍りついた刹那。

 ドンッ!!

 ロザリアの身体が、地面へと叩きつけられた。呼吸が詰まり、視界がぐらつく。


「やはり、いいなー! この魔法は」


 耳元で、嗤う声が響いた。


「一瞬の駆け引きが命取りとなるのに、簡単に呆けてくれる」


 ロザリアは歯を食いしばる。

 ——騙された。ニルタリアスの罠だったのだ。ロメオの姿に動揺した一瞬を突かれ、魔法の拘束を受けた。

 ロザリアの身体を押さえつけているのは、ニルタリアスの無数の腕。その表面には、不気味な魔法陣が刻まれていた。魔力が重くのしかかり、全身の自由を奪っていく。


「ちっ……!」


 力を込めるが、身体が思うように動かない。


「お前みたいなゴリラを止めるのには魔法が一番だ」


 ニルタリアスが嘲るように囁く。


「脳みそまで筋肉でできていて、魔法というものを何も理解できていないからな」


 ロザリアは、静かに息を吐いた。

 そして、ニルタリアスを睨みつける。


「……お前、今すぐその口を閉じないと、死ぬわよ」


 淡々とした言葉だった。だが、そこには確かな殺意が込められていた。

 ニルタリアスは一瞬、動きを止める。だがすぐに嗤った。


「威勢だけは良いな。だが、無駄だ」


 拘束をさらに強めるように、魔法陣がぎらつく。


「これはいい収穫ができた。魔王ヘルト様もお喜びになるだろう」





 王都デネボラ。

 夜の帳が城を包み、無音の闇が広がる王宮。

 その静寂を破るように——。

 ギィイイイイ……

 大扉が軋みを上げながら、ゆっくりと開かれた。

 まるで、何かが忍び込んでくるような、嫌な感覚が城内に満ちていく。

 そこに現れたのは、一人の騎士だった。

 だが、その足取りは不自然で、今にも崩れそうなほどに頼りない。


「……ヘス…ティ……様……」


 呻くような声。

 騎士の鎧は割れ、血に塗れ、手足は震えていた。

 それでも、最後の意志を振り絞るように、彼は玉座に座る女王へと手を伸ばす——。

 シュンッ

 次の瞬間、彼の首が宙を舞った。

 軽やかに、無慈悲に、転がるように。

 首のない肉体は数秒だけ立ち尽くし、そのまま音もなく崩れ落ちる。

 そして、大扉の向こう——。

 長い銀髪が夜風に揺れながら、静かに現れる影があった。

 その冷徹な眼差しは、まるで玉座を侵す者としての当然の権利を持つかのように、王宮の空間を支配していた。

 魔王——ヘルト。

 “王”が来た。

 城内に満ちていた静寂が、彼の存在そのものに圧殺される。


「玩具に見張らせるとはな……」


 魔王の声音は、冷たい蔑みを帯びていた。


「こんなもので時間を稼ぐくらいなら、元の人間をそのまま見張らせたほうがよかったんじゃないか?」


 だが、玉座の主は答えない。

 肘をつき、頬杖をついたまま、ただ冷えた瞳で彼を見下ろす。

 その視線には、微塵の動揺もない。

 まるで、すべてを見透かし、すべてを受け入れ、すべてを拒絶するような……そんな底の知れぬ冷酷さ。

 魔王ヘルトは、懐かしげに目を細める。


「ヘスティか……」


 彼は低く呟くと、玉座へとゆっくりと歩を進める。


「それにしても、ずいぶん久しぶりだな。……ざっと二百年ぶりか?」


 その言葉に、ヘスティの表情は微動だにしない。

 ヘルトは構わず続ける。


「初めて会ったのは——そう、魔王城だったな」


 あのとき を思い出す。

 彼は勇者だった。そして、彼女は魔王だった。

 かつて勇者として辿り着いた魔王城の最奥——彼女が魔王として勇者を出迎えた。


「私が勇者として、魔王の元へ辿り着いたとき。お前が魔王として、私の前に立ち塞がった」


 ヘルトは小さく笑みを浮かべる。

 そして、玉座に腰掛かるヘスティを見上げた。


「ちょうど今みたいにな」


 夜の帳に包まれた王宮の最奥で。

 過去と現在が交錯するかのように——。

 二つの瞳が、交わる。





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