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第17話 ホメロン

 アウラから、ここが死の国シェオールであり、霊域であると聞いたユラは、何か発見があるかもしれないと森の中を漂っていた。

 夜の闇に紛れるように、淡く輝く小さな光が浮かんでいる。それはまるで呼吸をするかのように、かすかに明滅していた。

 そのうちの一つが、ユラの気配を察知したかのようにふわりと揺れ、誘うようにゆらゆらと漂い始める。

 ユラは不思議に思いながらも、まるで導かれるようにその光を追いかけた。深い木々の間をすり抜ける風が、静寂の中でわずかに葉を揺らす。

 やがて、森の奥にある泉のほとりへと辿り着く。

 その光はユラの存在に気づいたのか、泉の水面の上で静止した。そして、一瞬だけ強い光を放つと、まるで霧が晴れるように、淡い輝きを帯びた女性の姿へと変化した。

 ユラはその瞬間、顔面蒼白になり、心臓が跳ね上がるのを感じた。


「で、でたぁぁああああああ!!!」


 反射的に絶叫し、後ろの木の影へと飛び込むように隠れる。


「ちょっちひどいじゃないか!せっかく姿を現してやったというのに!」


 ツインお団子ヘアの背の低い少女が、腰に手を当て、頬をぷくりと膨らませながら怒っていた。光の粒子が彼女の体から舞い落ち、幻想的な輝きを放っている。

 ユラは慌てた様子で空中にぺたんと土下座をする。


「ご、ごめんなさい!まさか本当に幽霊が出るとは思わなくて!!」


 そう言いながら、土下座したままスーッと少女の元へと滑っていく。

 そして、おそるおそる目を開けると、目の前にはじっとユラを見下ろす少女の顔があった。


「土下座というのは、相手よりも頭を下げるためにするものなのだ!我より高い位置にいたら意味がないではないか!」


 少女の小さな手が、ぷるぷると震えていた。

 ユラは彼女の顔を見て、ふと呟く。


「あれ、思ったよりも小さい……?」

「小さい言うなぁぁぁ!!」


 瞬間、少女の顔が真っ赤になり、飛び跳ねるように拳を振り上げる。ユラは焦ったように両手で口を塞いだが、すでに時遅しだった。


「もうよい……それよりも、我の姿が見えるのか?名を何という?」

「はい!名前は忘れてしまって、今はユラという名前をもらったので、ユラと名乗っています!」


 敬礼するユラは、少女を見下ろすような形になっていた。


「……我はホメロンだ。なぜ浮けるのだ、というか、なぜ見下ろすのだ!」


 ホメロンは頭を抱えるように嘆いた。

 ユラは慌てて地面に突っ込み、顔だけ地面の中から覗かせた。


「これならどうですか!」


 地面からぬっと顔だけが生えている異様な光景。


「なぜ、埋まることができるのだ……」


 ホメロンは呆然としながら、ユラの奇行を見つめていた。

 呆れたようにため息をついたホメロンは、自分のことを語り始めた。彼女はカルクおじさんの孫であり、小さな頃にこの島で病に倒れ、そのまま命を落としたのだという。しかし、死してなおこの地に留まり、知り合いの前でのみ実体化することができた。だが、その姿は生者には見えず、声も届かない。それが、この世に未練を残す者の定めだった。


「それなのに……なぜお前には見えるのだ」


 不思議そうに問いかけるホメロンに、ユラは自信満々に胸を張り、両手を広げる。


「それはね! 私が幽霊の神だから!」


 まるで大発見をしたかのように言い放つが、ホメロンは眉をひそめ、冷ややかな視線を向けた。


「ふむ……お前、頭は大丈夫か?」

「えっ、信じないの!? いや、でも、考えてみて! 私、幽霊なのにアウラには触れるし、アウラにも見えてるし、それに——」

「まったく聞いておらん!」


 ばっさりと切り捨てられ、ユラはがっくりと肩を落とした。

 しかし、そのまま会話を続けていくうちに、ユラはある事実を知ることとなった。ホメロンは、イシアルにとってただの友人ではない。家族のように大切な存在だったのだ。

 昔、赤子が乗った小さな船がこの島へと流れ着いた。その幼子を拾い上げ、育てたのがカルクおじさんだった。そうして名付けられたのが、イシアル。

 一方、ホメロンもまた、幼い頃に両親をアンデッドに奪われ、孤独となったところをカルクおじさんに引き取られた。共に育った二人は、まるで本当の姉妹のように仲が良かった。


「イシアルが、マタダムの目録に興味を持った理由はな……」


 ホメロンは遠くを見つめるように、ぽつりと呟く。


「単なる好奇心じゃない。あれを読めば、私の病を治す方法が見つかるかもしれないと思ったのだ。そして……自分の烙印の意味を知るためでもあった」


 イシアルは、幼いながらに大きな覚悟を持っていた。けれど、封印を破り、目録を読んだことは禁忌を犯した者として島の人々に咎められることになった。しかし、皮肉なことにその禁忌を破るほどの魔法の才を見せつけたことで、一部の者からは認められたのも事実だった。

 その後、島は徐々に衰退し、アンデッドの数が増え始めた。人々は恐れ、次第に島を去る者が増えていった。イシアルはその才能を活かして、アンデッドと戦い続けた。けれど、彼女一人の力ではどうにもならなかった。そして、島に残る人々の多くは古い因習に囚われた者ばかりとなり、イシアルはますます肩身の狭い思いをするようになった。

 そんな中——。


「私の病が……悪化した」


 ホメロンは俯き、拳をぎゅっと握りしめた。


「イシアルは、私にすべてを打ち明けた。……私のことが好きだと」


 小さな声で絞り出された言葉は、ひどく儚く、そして苦しげだった。

 ホメロンの病状は次第に悪化していった。イシアルは不安と焦りに押し潰されるような日々を過ごしていた。そんな中、彼女はとうとう胸の内に秘めていた想いをホメロンに告げた。

 ——好きだ、と。

 ずっと隠していた気持ち。けれど、それを言わずに後悔するのが怖かった。ホメロンがいつまで生きられるのかわからない。その恐怖に追い詰められ、彼女はついに告白した。

 だが、まだ子供だったホメロンは戸惑い、大人に相談してしまった。結果、噂はすぐに広まった。


「イシアルはおかしい」「そんな子は気持ち悪い」


 好奇の目と侮蔑の言葉が彼女を取り囲んだ。居場所を失い、イシアルは次第に人を避けるようになった。そして、引きこもるようになった。

 ——そして。

 ホメロンの病は、さらに悪化した。

 彼女はとうとう、その小さな命を終えた。


「……私は、ちゃんと返事をするべきだった」


 ホメロンは悔いていた。戸惑い、拒絶してしまったことを。イシアルを傷つけ、孤独にさせてしまったことを。


「本当は、怖かっただけなのに……」


 今もなお、イシアルはあの日の傷を引きずり続けている。


「だから、救いたいんだ」


 ユラは、静かにホメロンの瞳を見つめた。

 この島はアンデッドにとって住みやすい環境だった。だが、それは同時に、より邪悪な魔物を引き寄せるということでもある。

 イシアルは、それらがリントブルムへと渡らないよう、この島に留まり続けた。彼女は孤独の中で、ただひたすらに悪しき魔物を払い続けていた。

 だが、この島は地盤沈下が進んでいる。遠くない未来、沈んでしまうだろう。その影響か、近頃は以前にも増して強力な魔族が現れ始めたという。

 ホメロンは、それが何よりも心配だった。


「イシアルには、私の分まで生きてほしい」


 その言葉に、ユラはそっと微笑むと、小さな手を伸ばした。


「ホメロン、偉いね」


 ぽんぽん、と優しく頭を撫でる。

 ホメロンは最初、驚いたように目を瞬かせた。

 ——触れられる?

 いつもは誰にも触れられない。だからこそ、ユラの手の温もりに驚き、そして……次第に、彼女は小さく笑った。


「……ふふっ、なんだか、嬉しいな」


 どうやらホメロンは、褒められることがとても嬉しいらしい。

 しかし、この姿を保てるのは、この魂の泉の上だけだった。


「……何とかして、イシアルに見せる」


 決意を秘め、ユラはそう宣言する。


「ありがとう、ユラ」


 ホメロンは穏やかに微笑むと、その姿を小さな光へと戻していく。


「またね」


 ユラは別れを告げ、光が静かに消えていくのを見届けると、勢いよく振り返った。


「アウラに伝えなきゃ!」


 彼女は、まるで風のように軽やかに、アウラのもとへと戻っていった。

 しかし、戻った先では何やら言い争いが起きているようだった。

 またロザリアのわがままだろうか——そう思いながら近づくと、彼女はすでに足を踏み出し、イシアルの家に向かって歩き出していた。

 その肩を、アウラが無言で掴む。


「待て」


 低く静かな声。


「どこに行く」

「どこって、イシアルの部屋よ。要するに、引きこもりを引きずり出せばいいんでしょ」

「……そのとおりなんだが、そのとおりじゃない」


 ロザリアは苛立たしげに振り返る。


「何よ!さっさと終わらせるわよ!時間を空けて何の意味があるのよ!」


 アウラは静かに目を伏せた。

 日本にいた頃、家に引きこもり、人生を終えた。どれほどの時間が経っても、その記憶は脳裏から消えない。

 あの閉ざされた部屋の暗闇。誰からも必要とされないと思い込んだ日々。窓の外の世界が遠すぎて、そこへ踏み出すことができなかった。

 ——そんなこと、簡単にできるはずがない。


「意味はある」


 ロザリアの怒りを正面から受け止めながら、アウラは静かに言った。


「物理的にできないんだ。心の傷はそんな簡単なものじゃない。もう少し待ってくれ」

「もう少しってどれだけよ!」


 ロザリアの声が、風に乗って夜の海へと消えていく。


「アンタの時間は無限でも、私の時間は有限なのよ!」


 彼女の拳が震えている。


「私だって苦しんだ!けど進まないと始まらないでしょ!止まったら終わりよ!」

「誰もがロザリアみたいに強くないんだ」

「何それ。私が強い?」


 ロザリアは眉をひそめた。


「私だって弱かったわよ!それでも強くならなきゃいけなかったの!」


 胸をかきむしるように叫ぶ。


「必死だった!ここまで……ここまで必死に戦ってきたの!」


 声が震えている。


「それでも止まれない!止まっちゃいけないの!」


 息を荒げながら、ロザリアはアウラを睨みつける。


「嫌われたっていい。強引だっていい。あの部屋から出さないと何も変わらないでしょ!」


 ユラは咄嗟に声を漏らした。


「ロザリア……」


 けれど、その声は届かない。

 ロザリアは必死だった。彼女なりに、どうにかしたくて。だけど、その苛立ちは、目の前のアウラにぶつけるにはあまりに鋭すぎた。

 ユラはアウラの表情を見た。

 そこにあるのは、静かに燃える怒り——感情の揺れ。

 アウラが、ロザリアに感情的になろうとしている——その瞬間、ユラの口から、無意識に叫び声が漏れた。


「アウラ!」

「分かってる!」


 鋭い怒鳴り声が、その場の空気を震わせる。

 ロザリアの足が止まった。

 初めて聞いたアウラの怒声に、彼女は目を見開く。

 ほんの一瞬、ロザリアの瞳が潤んだ。

 ロザリアは息を呑み、目を見開く。普段は冷淡で感情を見せないはずの彼が、今、確かに怒りを滲ませていた。

 ロザリアの喉が詰まる。怒りたいのに、怒れない。悔しいのに、涙が溢れそうになる。


「わかってるんだ……だが、それじゃダメなんだ」


 アウラは苦しげに言った。


「何がよ!好きにすれば!」


 ロザリアは震える声を隠すように、大声で怒鳴った。自分の感情が爆発しそうで、それを誤魔化すように。

 そして、そのまま背を向け、駆け出した。

 ユラは目の前を走り去るロザリアの後ろ姿を見つめながら、アウラになんて言葉をかければいいか考えていた。だが、その思考は突然の音によって遮られる。

 ドンッ——。

 アウラが地面に崩れ落ちた。そして、握りしめた拳を、力任せに地面へと叩きつける。


「くそ……!」


 低く、唸るような声。


「わかってるんだ!わかってるんだよ……!!」


 苦しげな叫びが夜の闇へと溶けていく。

 その姿を見て、ユラの胸が痛んだ。それはまるで、ずっと前にも見たことがある光景のような気がした。

 アウラは、自分を責めている。自分の言葉が間違っていたのではないか、ロザリアを傷つけたのではないか。そんな後悔が、彼を苛んでいるのがわかった。

 ユラは、そっと膝をつき、静かにアウラの頭を撫でた。その手は、彼にとって唯一感じることのできる温もり。

 優しく、静かに。


「……あの子は、まだ子供だから」


 囁くように、ユラは言う。


「アウラは間違ってないよ。その苦しみや悔しさは、彼女の気持ちがわかるからでしょ? だから、自分を責めないで」


 アウラの肩がわずかに震えた。


「正解なんて、ないの。……それをイシアルに、アウラの言葉で伝えてあげて」


 ユラは、柔らかく微笑んだ。


「あの子は、確かに一度心を開こうとした。だから、大丈夫だよ」


 静かな夜の中、ユラの言葉だけが穏やかに響く。

 やがて、アウラの拳から力が抜け、彼はゆっくりと立ち上がった。


「……ありがとう」


 短く、けれど確かに、アウラはユラに礼を言った。

 ユラはいつものように満面の笑みを浮かべる。


「大丈夫だよ~」


 そう言うと、ホメロンとの会話をアウラに伝えた。

 話を聞いたアウラは、しばらく考え込む。悩んだ末に、彼はロザリアの意見を尊重することにした。

 ——もう一度、イシアルの家へ向かう。

 そう決めると、ユラは小さく頷き、くるりと背を向けた。


「……私はロザリアを追いかけるね」


 何ができるかはわからない。けれど、あの子を一人にはしておけない気がした。

 そう言って、ユラは夜の道へと走り出した。

 だが、その直前——。


「ユラ」


 アウラの声が静かに響いた。

 ユラは立ち止まり、振り返る。


「……なんだか、ずっと昔にも同じようなことがあった気がするな」


 ぽつりと漏らされた言葉に、ユラの目が丸くなる。


「え……?」


 アウラはそれ以上何も言わず、ほんのわずかに目を細めた。

 それが、彼なりの微笑みだったと気づくまで、ユラは数秒の間、動けなかった。


「……ふふっ、そうだよ! 私は幽霊の神様だからね!」


 胸を張り、自信満々に笑ってみせるユラ。

 アウラは、かすかに口元を緩めたまま、その姿を見送った。


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