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第14話 虹色の空の先で

「お兄ちゃん、元気にやってるかな」

「大丈夫だろう。その名を立派に受け継いでいってるさ」


 アウラたちはエレイン王国の跡地に静かに黙祷を捧げた。無の大地を吹き抜ける冷たい風が、過去の罪と記憶をなぞるように頬をかすめる。だが、そこに留まる理由はない。アウラたちはまた歩き出した。自分の過去を償うために、そして、死ぬために。

 それからどれほどの時が経ったのか。

 幾つもの村や街を越え、砂嵐に埋もれた廃墟を歩き、雨に打たれながら夜を明かし——。道中で出会った人々を助け、時には盗賊に絡まれながら、それでもただ前へ、前へと進んできた。

 旅の長さに比例するように、ユラの好奇心は尽きることがなかった。


「ねえねえ、死の国シェオールってどんなところなの?」


 ユラが興味津々で身を寄せる。彼女にとっては、自分の行く末の道しるべになるかもしれない場所。興味を持つのは当然だった。だが、だからこそアウラは申し訳なさを覚えた。シェオールが本当にユラの安らぎの地になるのか、それすらも分からない。


「死の国シェオールは……」


 言いかけたその瞬間、ロザリアの声が割り込んだ。


「あ! 着いたわよ! 英雄が生まれし土地、リントブルム!」


 アウラとユラが顔を上げる。

 目の前に広がるのは、水と光が交錯する壮麗な都市——リントブルム。

 ついに、辿り着いたのだ。

 何度も何度も地図を眺め、ここまでの道のりを数え、いつか視界に入ることを願ってきた都市。その名は、交易の要にして人界最大の都市。そして、英雄レペンスが聖剣エクスカリバーを引き抜いた地——。


「これが……リントブルム」


 アウラはまばたきをする。目の前の景色が幻なのではないかと思うほど、まばゆく輝いて見えた。

 大河に浮かぶかのように佇む都市。流れる水は澄み渡り、白く輝く城壁がその周囲を囲んでいる。空を映したような鮮やかな青の屋根が、陽光を浴びてきらめいていた。

 長い旅路の疲れが、どっと押し寄せてくる。どれほどの時間、この瞬間を夢見てきたのだろう。


「あ。ごめんなさい、ユラはなんて言ってたの?」


 景色に見惚れていたロザリアが、ようやく思い出したようにアウラへ問いかける。


「死の国シェオールがどんな場所なのかって聞かれたんだ……」


 アウラの言葉を聞くと、ユラがそっと彼に顔を近づけ、柔らかく微笑んだ。


「答えづらかったら、答えなくてもいいんだよ」


 ユラの優しい言葉に、アウラは救われたような気がした。だが、その安堵も束の間——ユラの顔のすぐ後ろから、突然ロザリアが勢いよく飛び出してきた。


「って、そこはどんな国なのよ!? ってか、どこにあんの!?」


 アウラの襟元をがっしりと掴み、身を乗り出してくるロザリア。


「……忘れた」


 アウラが素っ気なく答えると、ユラがくすっと笑いをこぼした。


「まぁまぁ、ロザリアちゃん」


 しかし、ユラの宥める声も届かないほど、ロザリアの追及は止まらなかった——。


「アンタ、最後に死の国シェオールに行ったのいつなのよ」


 ロザリアの怒りのこもった声に、アウラは小さく答える。


「多分、二百年くらい前」

「はぁああ!?アンタどんだけ前なのよ!償う気あんの!?」


 ロザリアに怒られるアウラ。

 助けを求めるようにユラを見るが、ユラはもう二人のやりとりには興味を失ったようだ。目を輝かせながら、遠くにそびえる城壁を見つめている。

 アウラは軽くため息をつき、助けを求めるようにユラに視線を向けた。しかし——。


「建物の雰囲気も違うね~! じゃー私は見てまわってくるねー!!」


 ユラは目を輝かせながら町の方へとふわりと飛んでいった。まるで鳥が自由に大空を舞うように、嬉しそうに街並みを見下ろしながら消えていく。


「あ……」


 完全にこのやり取りには興味がないらしい。


「ちょっと! ユラに助けてもらおうとか思ってんじゃないでしょーね!」


 ロザリアがアウラの襟を掴み、じろりと睨む。


「いや、俺もさっきまでそう思ってたんだが。もうリントブルムの方に向かって飛んでった」

「案外薄情ね」

「まったく同感だ」


 呆れたように言いながらも、どこか可笑しそうにロザリアは笑った。


「あ、ちょうどいいわ。アウラ、お金をよこしなさい!」

「……恐喝?」

「それじゃあ、情報収集にお風呂行くからお金頂戴」

「それじゃあって何だ」

「アンタと違ってレディーなの! どうせアンタに使い道なんてないでしょ! 私が使ってあげるのよ!」


 あまりにも堂々とした要求に、アウラは苦笑しながら財布を取り出した。

 旅の間、慣れない移動や野宿に文句を言いつつも耐えていたのだから、少しは気を抜く時間を持たせてもいいだろう。


「……わかったよ」


 差し出した金貨を、ロザリアは素早くひったくるように奪い取った。


「ありがとー! じゃー宿にあとで!」


 アウラの手に取った金をぱっと奪い取ったロザリアは、捨て台詞を吐き、満面の笑みでそそくさとどこかへ行ってしまった。


「まぁ、俺相手だし」


 あの笑顔を見たら責める気にもなれない。アウラも最後に城壁へ向かい、門の前に立つ。

 だが——。


「あれ、宿の場所決めてなくないか」




 冒険者が集う酒場の一角。

 アウラは静かに座りながら、周囲の話に耳を傾けていた。木造の床は踏みしめるたびに軋み、酒の匂いが鼻をつく。荒くれ者たちの賑やかな喧騒が響き渡り、誰かが無遠慮に酒をあおる音が聞こえる。

 そんな中、不意に背後に"気配"を感じた。


「あー、いたいた!」


 軽やかな声が耳元で響く。まるで最初からここがわかっていたかのように、何の迷いもなくすっと現れるその姿。だが、彼女が歩いてきた足音は一切なかった。

 アウラは視線を上げる。そこには、いつものように嬉しそうに微笑むユラがいた。


「よく見つけたな」


 アウラが問いかけると、ユラは満面の笑みで胸を張った。


「なんかね、わかるんだよね~。感覚を研ぎ澄ませると引っ張られる感じがするの。それを追うと、アウラのところに来れるんだよ」


 不思議そうに語るユラに、アウラは微かに眉を寄せた。


「……そんなことができるのか」


 ユラは人差し指を口元に当て、考え込むように首を傾げる。


「まぁ、私の存在自体、不思議だし?」


 その無邪気な仕草に、アウラの口元がわずかに緩む。


「そうだな。お揃いだ」


 彼の頬に微かに浮かぶ笑みは、誰にも気づかれないほど小さなものだった。

 ——だが、次第に気づく。周囲の酒場の客たちが、アウラをじっと見ていることに。

 彼の周りには、誰もいない。誰とも話していないはずなのに。一人で宙に向かって微笑み、何かに語りかける異様な光景を、周囲の者たちは無言のまま遠巻きに見つめていた。

 酒場を出たあと、アウラは簡単に情報を整理し、ユラと共有する。


「私はね~、触れることで感覚を共有できるっぽい!」


 ユラは得意げに語る。


「……それで何を知った?」


 アウラは少し興味を持ったように問いかけた。


「えっとね、おいしいお店の場所と、すっごくいい香りの香水のこと!」


 ユラは満足げに頷く。情報収集とは何かを理解しているのか怪しいものだったが、本人は大真面目らしい。

 一方で、アウラの方は少し違った情報を得ていた。


「この国から北に外れた島に、死人が現れる"ユシカ島"ってのがあるらしい」


 その言葉に、ユラは目を瞬かせる。


「なんか……どこかで聞いたことあるような話だよね~」


 彼女は首を捻りながら、遠い記憶を探るように呟く。


「いや、お前のことだよ」


 アウラは冷静に指摘した。


「あっ……そっか!!」


 ハッとした表情を浮かべ、ユラは大きく笑った。

 アウラはそんな彼女を見ながら、ふと思い出す。

 以前、とある村でロザリアにぴったりとくっついていたユラ。ロザリアが美味しそうに食事を頬張るたびに、ユラも同じように幸せそうな表情を浮かべ、舌なめずりまでしていた。さらに、酒を飲んで赤ら顔になったロザリアにくっついたときには、ユラ自身もふわふわとした動きになり、まるで酔っ払っているようだった。

 ……酔えるのか?

 ユラの特性を考えれば、相手の感覚を共有するのはわかる。だが、幽霊であるはずの彼女が酔ったような反応を示したのは、どうにも解せない。

 アウラはちらりとユラを見た。彼女はにこにこと笑いながら、花の香りがするらしい手を自慢げに嗅いでいる。

 ……いや、考えるだけ無駄か。

 アウラはロザリアを探す。


「待ち合わせ場所決めてないのに見つかる?」

「俺も急いで決めないとと思ったんだけど。ロザリアはあの性格だから騒ぎでも起こして簡単に見つ——」

「きゃーー!」「逃げろ!」「魔族が現れたわ!」「人に扮していたの!」


 住民たちの叫び声が遠くから押し寄せる。嫌な予感がしたアウラはすぐに騒動の方へと走り出した。


「警衛軍はまだなのか」「なんでこんなところに……」「人の真似事をしてたわ」「あの鋭い瞳に赤い髪の女のフリをしてるやつだ」


 人混みをかき分け、状況を確かめると、耳慣れた怒声が飛び交っていた。


「ふざけないで!お金は払ったはずよ!文句を言われる筋合いはないわ! そもそも最初に喧嘩を売ってきたのはそっちでしょ!」

「私は見たの! 赤い肌を。それに、何か気持ち悪く変形してたわ!」

「ええ、私も見ました!」


 人々に取り囲まれたその中心にいたのは、まだ16歳になったばかりの少女だった。衣服には泥や埃がつき、暴言と悪意にまみれた視線を浴びていた。

 罵倒の声が響き、群衆がロザリアに向かって物を投げる。彼女は睨みつけながらも、必死に自分を守ろうとしていた。


「脱いでみろ! 腰にあるんだろ!」

「そうだそうだ、人間なんだろ?」「人の真似事なんかしやがって!」

「だから私は人間だって言ってるんでしょ! 見せられるわけないでしょ、こんな大勢の前で! どこを分かって言ってんの!」

「ほら、見せられない!」「警衛軍はまだなのか!」「早く殺せ!」「追い出してよ、こんな化け物!」


 人々は寄ってたかって、たった16歳の少女を責め立てていた。まるで獲物を囲う獣のように、冷酷に、無慈悲に。ロザリアは決して怯んではいなかったが、その強がりが余計に彼らの攻撃性を煽っていた。

 アウラはその光景を見て、つくづく思う。

 人間は優しいが魔族よりも醜いと。

 横にいるユラに小さく声をかけた。


「ユラ、一応目を閉じてて」

「うん」


 アウラは人混みをかき分けながらロザリアの前に出た。


「……アンタ」


 か細い声で言う。ロザリアは口を引き結び、目をにじませていた。必死に耐えて、堪えていた。指が白くなるほど手を握りしめ、震えている。怒りと屈辱を押し殺しながら、ただ耐えていた。まだ16歳になったばかりの少女が、大人たちに取り囲まれ、浴びせられる罵声に耐えているのだ。

 どんな気持ちだっただろう。どんなに悔しかっただろう。


「ロザリア。目を閉じて」


 アウラを信じるように、ロザリアは何も言わずに目を閉じる。

 その間も罵声は止むことがなかった。投げつけられる物が、次々とロザリアを汚していく。よく見れば、新しく仕立てた服が泥と食べ物で台無しになっていた。旅の疲れを癒し、新たな気持ちで身に着けたはずの服。それが、こんな形で汚されてしまった。

 アウラは右手を空に掲げる。


「ラート」


 刹那、右手が白く輝いた。突如放たれた光が、周囲を包み込む。


「うっ……」「まぶしい!」


 町全体を照らす光に、群衆の視界が一瞬奪われる。その隙にアウラはロザリアの耳元で囁いた。


「ごめん」


 そのまま彼女を抱え、飛び出す。


「うそ……浮いてる」

「秘密だぞ」


 魔族でも羽を持つ種族以外で空を飛べる者はいない。

 ロメオと共に魔界で生きたロザリアだからこそ、その異常性を理解し、驚愕したのだろう。


「言ったって誰も信じないし」

「ロメオがいるだろ」

「……それは、そうね」


 小さく呟くロザリア。珍しく素直な彼女に、アウラも正直に言葉を続ける。


「似合ってるよ、その服」

「……ありがとう。でも、もうこんなに汚れちゃったけどね」


 寂しげな声に、アウラはたまらなくなった。


「ちょっと体を離すぞ。右手を握ってたら、お前も飛べるから。こんな感じに」


 ロザリアの体をそっと離し、お互いの手を握り合う。そのまま、ゆっくりと高度を上げていく。


「ほんとだ……変な感覚ね」


 ロザリアの声には、少しだけ驚きと喜びが混じっていた。


「目に入ったら痛いだろうから、一瞬目をつぶって。いくよ」


 ロザリアの手を握ったまま、アウラは静かに魔力を練る。次の瞬間、全身に冷気が満ち、一瞬だけ肌にひやりとした感覚が走った。同時にロザリアの服を覆っていた汚れが、細かい水滴となって弾け飛ぶ。


「便利な魔法ね」

「無駄に長生きしてるからな」


 ロザリアの服の汚れを落とした無数の水滴が、沈みゆく夕日の光を受けてきらきらと輝く。その光が散らばり、アウラとロザリアの周りに淡い虹の輪を作り出した。


「……きれい」


 ロザリアの瞳が、まるで初めて美しいものを目にした子供のように大きく見開かれる。そして、頬を伝うものに気づくと、彼女は空いている手でそっと目元を拭った。しかし、涙は止まらない。

 歯を食いしばり、震える肩を抑えようとするが、それも無意味だった。込み上げる感情がこぼれ落ち、堪えることができない。

 アウラはロザリアの手を少し強く握り直した。


「堪えなくていいんだ。立派だったよ、よく頑張ったな」


 その言葉に、ロザリアの唇がわななく。次の瞬間、彼女はアウラの胸に顔を押し付け、声を荒げて泣き出した。

 今まで気丈に振る舞い続けた少女の姿は、そこにはなかった。

 ただ、ただ、幼い子供のように泣きじゃくる彼女の頭を、アウラは優しく撫で続けた。


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