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第13話 ジョバンナのお役目

 王都デネボラ。

 ロザリアが城を出ていったあの日から、ヘスティはさらに大動きをみせていた。大勢の騎士たちが、一人、また一人と、底石もない城の地下室に連れていかれる。そして、一度そこに歩んだ者は、何事もなかったかのように消えていった。

 ロメオはその様子を隔た場所から眺めるしかできなかった。無意味な事ではない。心当たりはあった。なぜなら、城の地下室といえば、ヘスティの実験室。あの悲剣の記憶が留められた場所だった。

 何が行われているかは想像できる。ろくでもないことだ。避けようのない悪感が胃の中で曳んだ。誰かが死んでいる。あるいは、その他のものに変えられているのだろう。

 一旦は大事に至らないように見守っていたが、そんな日々が長く続くはずもなかった。その日、英雄試練でロザリアの相手をしてくれたエルギンまで、城の地下室に呼ばれた。そして、その日を境に、姿を消した。

 このままではいけない。ロメオはジョバンナを呼び出し、ヘスティが地下室で何をしているのか探るよう依頼した。しかし、その日の夜、ジョバンナも消えた。

 心にあるものを押さえ、ロメオは数年ぶりに城の地下室へ向かった。私自身、ここに歩んだのはいつぶりだろうか。いや、前に入った時、騎士王ではなく、なんの権利も力もないただのヘスティの連れ子だった。あのときは、ロザリアが違うものに変わるようなことがないよう、ただ顕眼で眺めることしかできなかった。

 しかし、こんどは違う。ロザリアはもういない。あの日、一人で出ていった。これから我がままを言い、守るべき妹の影を求めるわけにはいかない。もう気にするべき存在はこの城にいる。

 古びた大扉の向こう。そこに待つのは、禁忌の領域――ロメオは静かに息を吐き、重厚な木製の扉に手をかけた。長年の使用で歪んだ蝶番が、触れた瞬間に微かに軋む。闇に包まれた地下室。その先に待つものを想像し、胸に鈍い不安が広がる。

 ヘスティの研究室――。

 聞き耳を立てる。しかし、中からは何の物音もしない。魔力探知を試みても、反応は皆無だった。あまりにも静かすぎる。まるで、この奥に存在するすべてが、生きていることを拒絶しているかのように。

 ゆっくりと扉を押し開く。

 ギィィィ――。

 軋む音が地下に響く。濃密な空気が流れ込み、肌が粟立つ。

 歩みを進めると、突然、鼻腔を甘ったるい臭気が満たした。腐りかけた果実のような匂い。しかし、その奥には鉄錆びのような血の香りが混ざっている。

 嫌な予感が、骨の奥まで染み込んでいく。

 足音を忍ばせながら、暗闇の奥へ。薄暗い魔導灯がぼんやりと灯る研究室の中央に、水槽がいくつも並んでいた。

 その光景を目にした瞬間――呼吸が止まった。

 水槽の中には、裸の騎士たちが浸されていた。水は透明ではなく、どろりとした赤黒い液体に満たされ、まるで胎児のように漂う彼らの肉体をぼんやりと照らし出している。

 そして、その腹部――抉られた腹の裂け目から覗く、牙を持つ寄生獣。

 水槽の中で蠢くそれらは、まだ生きているのか、わずかに口を開閉し、泡を吐き出していた。騎士たちの顔は目を見開いたまま硬直し、もはや人間の生気を失っている。

 ロメオは無意識に剣の柄を握りしめた。

 背筋を這い上がる寒気。だが、その静寂を氷のような声が切り裂いた。


「勝手に入ってはいけない」


 ゾクリ、と背筋が凍る。

 すぐ背後。まるで死神の囁きのように、冷たい息が耳元を撫でた――。

 ロメオは反射的に剣の柄を握りしめ、振り返りながら間合いを取った。だが、その視線の先にいたのは――ふわりとしたピンク色の部屋着をまとった、小柄な少女だった。

 ヘスティ。

 王都デネボラの女王。この国の頂点に君臨する存在。

 だが、普段の気品に満ちたドレス姿とは違い、まるで幼い少女が着るような愛らしい服装だった。そのあまりにも場違いな姿に、ロメオは一瞬思考を奪われる。

 しかし――そんな迷いを打ち消すものがあった。

 赤い魔眼。

 ヘスティの瞳が、暗闇の中で鈍く光を放つ。その視線はどこまでも冷たく、無機質で、そこに人間らしい感情は微塵も宿っていない。

 見た目は白髪の幼い少女。だが、そこに“少女らしい可愛らしさ”などは存在しなかった。

 ――いや、そもそも“少女”ではない。

 この肉体は、元々別の誰かのものだった。生きたまま人間の皮を剥ぎ取り、魔族の本性を隠すために纏った擬態に過ぎない。

 倫理観の欠片もない魔族の手法。その邪悪さが、ロメオの胸に冷たい怒りを沸き上がらせた。


「ああ、この姿には理由がある」


 ヘスティは何かを続けようとしたが、その声を最後まで聞くつもりはなかった。

 ロメオは深く息を吸い込み、感情を押し殺す。

 ――目の前の水槽に沈められた騎士たち。奪われた命。

 彼らの無念を晴らすためにも、怒りに身を任せるわけにはいかない。

 歯を食いしばり、剣を強く握る。

 次の瞬間――ロメオは地を蹴った。

 一直線にヘスティへと飛び込む。

 だが、ヘスティは驚く様子もなく、淡々と手をかざし、体を黒い膜で覆った。

 魔法障壁――強固な黒き魔力の壁が、彼女の周囲を包み込む。

 ロメオの魔力を帯びた鋭い斬撃が、それに触れた瞬間、まるで霧に溶けるように消えた。まるで最初からそこには何もなかったかのように。

 同時に、もう一枚の魔法障壁が広がり、二人を閉じ込めるように包囲する。

 ロメオの眉がわずかにひそめられる。

 ――水槽を破壊されたくはない、か。

 周囲に並ぶ、寄生獣に侵された騎士たちの水槽。それを守るように展開された結界。

 ヘスティにとって彼らは、ただの実験体にすぎないはず。それでも守ろうとするのは、まだ利用価値があるからか、それとも単なる気まぐれか。

 しかし、ロメオにとっては好都合だった。

 余計な心配をせず、すべてを振り切って戦える。この場にいるのは、自分とヘスティだけ。“本気”で戦うには、これ以上ない状況だった。

 全身に魔力が巡り、ロメオの体が一気に加速する。目にも止まらぬ速度でヘスティへと迫る。

 だが、彼女はただ静かにロメオを見つめ、冷たく言い放った。


「今は練習に付き合えない」


 無機質な声色。ロメオの怒気を微塵も感じていない。まるで、目の前に立つ相手の感情すら認識していないかのように。

 ――練習?

 ロメオの胸が、苛立ちで燃え上がる。

 戦いの最中、ヘスティは一度も自分を“敵”と見なしていない。今もなお、この命を懸けた戦闘を、単なる「鍛錬」程度にしか考えていないのか。

 何年も前に終わったはずの、あの地獄の訓練を、いまだに継続しているつもりでいるのか。

 怒りを押し殺し、ロメオは黒き斬撃の奔流へと踏み込んだ。

 闇の斬撃が無数に宙を裂く。

 いたるところに現れる黒き刃。触れるだけで黒炎が燃え広がり、対象を根こそぎ消し去る。

 一撃でもかすれば、そこで終わり。

 剣士を愚弄するその魔法を、ロメオは何度も受け流し、打ち払い、最小限の動きで回避する。

 今までの鍛錬の成果が、すべてこの一瞬に凝縮される。

 ヘスティの動きに迷いはない。

 相変わらずの無表情。

 黒い刃が舞う中、ロメオは彼女の眼をじっと見据えた。

 だが、その瞬間。

 バチンッ、と何かが砕けるような音が響いた。

 次の瞬間、魔法障壁が崩壊する。ロメオの瞳が驚きに見開かれる。

 ヘスティが頭を押さえ、ぐらりと体勢を崩した。血の気のない指先がこめかみに触れ、わずかに表情が歪む。

 何が起こったのか。

 彼女の魔力に、何か異変が……?

 ロメオは息を飲む。

 これは、今まで一度も見たことのない隙。

 ――好機だ。

 この機会を逃せば、二度と勝てない。

 殺されるのは、こっちだ。

 今こそ——全身の魔力を一点に集める。

 ロザリアの宿願。

 今までの思いを、この剣に乗せ飛び出した。

『大丈夫』

 そんな冷たく感情がこもっていない声で頭を撫でてくれたヘスティのことを思い出す。風邪を引いたロメオをヘスティが看病してくれたこと。妹のロザリアの誕生日プレゼントを選ぶときに手伝ってくれたこと。ロザリアの遊び相手をしてくれたこと。

 なぜか、頭に蘇る思い出はそんなものばかりだった。

 果たしてこれも彼女の魔力によるものなのだろうか。

 握る剣の力が一瞬、緩む。

 それでも、迷いを断ち切るように両手に再び力を込め、最後の咆哮を上げる。


「はぁぁぁああああああああ!!!」


 ——この一撃で決める!

 ロメオの声に共鳴するように剣が輝きを増し、膨れ上がる魔力。

『お兄ちゃん嫌だよ』

 ——ロザリアの声が聞こえた。

 その瞬間、ロメオの動きが鈍った。

 目の前に立ちはだかったのはジョバンナだった。

 剣を両手で構え、ヘスティの前に立ちはだかる。幼い少女を守るかのように、その刃はロメオの剣を受け止めた。

 鋼が火花を散らし、激しく鍔迫り合う。


「どうして……!」


 ロメオの瞳が困惑に揺れる。

 それに対し、ジョバンナは静かに答えた。


「私の家系は代々、ヘスティ様を守るお役目を与えられてきました。これは第一頭首、ルピリア様がかの勇者一行のミラルフ様から託された、先祖代々伝わる大切なお役目です」


 ミラルフ。その名前にロメオは言葉を詰まらせる。ミラルフとは英雄伝説に記載された勇者一行、三人のうちの一人。幼い頃、ジョバンナから聞かされた話の中に、その名は確かに刻まれていた。

 ジョバンナの瞳に迷いはない。


「ジョバンナ。君も僕を騙していたのか」


 剣を握る手に、怒りが宿る。胸の奥で燃え盛る感情は、行き場を失い、刃の震えとなって現れる。

 ロメオの一撃を受け止めるジョバンナは、押し込まれながらも肘をつき、必死に言葉を紡いだ。


「騙していたわけでは……ありません。ロメオ様、ヘスティ様は悪人ではない。ヘスティ様からいただいたものが、確かにあるはずです。その胸のうちの怒りがあることは知っています。しかし、その行いを黙って見過ごすわけにはいきません。私は、ヘスティ様を死んでもお守りいたします」


 膝をつきながらも、その声には揺るぎない決意があった。

 その背後で、ヘスティが静かに立ち上がる。細い指がジョバンナの肩にそっと触れると、同時に黒い障壁が周囲を包み込んだ。


「もう大丈夫」


 冷たく感情のない声。


「はい、女王陛下」


 ジョバンナは剣を下ろし、鞘に収めた。

 ロメオは動けなかった。ヘスティの小さな黒い刃が、ジョバンナの剣と入れ替わるように彼の眼前に迫り、動きを封じていた。その刃がわずかに赤く煌めいた瞬間、衝撃が走る。爆発するように生じた衝撃波が、ロメオの体を吹き飛ばした。

 背中が障壁に叩きつけられ、肺から息が漏れる。喉の奥に熱い鉄の味が広がり、ロメオは唾を吐き出した。


「ロメオ、魔力制御が甘くなってる」


 ヘスティの言葉は、朦朧とする意識には届かない。

 次の瞬間、無数の黒い斬撃がロメオに襲いかかる。

 目の前が黒で染まる。

 鎧が砕け散り、空気を切り裂く音と共に無数の刃が肉を抉った。

 風船が破裂するかのように鎧が裂け、皮膚が開く。赤黒い飛沫が宙に舞い、ロメオの全身から血が噴き出した。


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