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第12話 マタダムの目録

 日も差し込まない密林の中を、アウラ一行は黙々と進んでいた。樹々が生い茂り、枝葉が絡み合って空を覆い隠している。湿った土の匂いが鼻をつき、時折、獣の遠吠えが木々の間に響いた。

 アウラは迷うことなく足を進めている。その姿を訝しげに見たロザリアが、眉をひそめながら問いかけた。


「……どこに向かってんのよ?」

「エレイン王国の跡地」


 アウラは短く答える。

 ロザリアは首をかしげたが、やがて何かを思い出したように目を見開いた。


「そういえば、聞いたことあるわ! 『マタダムの目録』に記載されていた名前よね。確か、勇者レペンスの話……」

「勇者? 聞いたことないなー……私が生きてた時はいなかったのかな?」


 ユラが浮遊しながらアウラの肩の横に寄り添い、不思議そうな顔をする。その言葉にアウラは思案げに目を細めた。もしユラの言うことが真実なら、彼女はアウラが思っている以上に遥か昔の時代を生きていたのかもしれない。もしかすると、アウラが死ねなくなったよりも前、世界の記憶がまだ新しかった頃に。


「ロザリア、ユラは知らないみたいだ」


 そうアウラが伝えると、ロザリアは得意げに胸を張った。


「ふふん! じゃあ、私が教えてあげるわ!」

「ふむふむ!」


 人差し指を立てて意気込むロザリアに、ユラは両手を握りしめて期待に満ちた瞳を向ける。そのやりとりを見ていたアウラは、ふと疑問を覚えた。

 本当にロザリアにはユラの姿が見えていないのか? 本当に声が届いていないのか?時折、二人の掛け合いがあまりにも自然に噛み合っているように思えてしまう。

 ロザリアは気を取り直し、堂々と語り始めた。


「むかしむかし、魔王が誕生しました。魔王の誕生を警戒していた当時最強の王国、エレイン王国。だけど、魔王は力を見せつけるように、一夜にしてエレイン王国を滅ぼしたの。そして、そんな強大な魔王を倒せるのは勇者だけ……人々は新たな勇者が生まれるのを待ったわ。そしてある日、東の国リントブルムで、勇者だけが引き抜けるとされる伝説の剣、聖剣エクスカリバーを引き抜いた一人の勇者が現れたの。その名は勇者レペンス! 彼は魔王討伐に名乗りを上げ、数多の試練を乗り越えて魔王を討伐したの!」

「そんな話があるんだー」


 ユラは感嘆の声を漏らす。


「ええ、勇者レペンスはすごいのよ。魔王を倒し、本物の英雄となった。そしてその後、王都デネボラで『騎士王レペンス』と名乗って、今も英雄試練が続いている……。でも、その後の彼の行方は、誰も知らないのよね」

「……勇者レペンスは独りで戦ったんだ」


 ユラが静かに呟いた。彼女の言葉には、どこか寂しさが滲んでいる。


「いや、勇者レペンスは仲間と一緒に魔王討伐に向かった」


 アウラが否定する。


「そーなの? なら、なぜ勇者レペンスの仲間の記載がないの?」


 ロザリアが首をかしげながら尋ねる。


「いらないと思ったからだよ」


 アウラの言葉と同時に、鬱蒼とした森を抜け、視界が一気に開けた。

 強烈な陽光が降り注ぎ、三人を包み込む。眼前に広がるのは、一面に咲き乱れる色とりどりの花々だった。風に揺れる花びらは、まるで生き物のように踊り、草原一帯に甘い香りを漂わせている。


「何これ、すごい……!」

「きれぇー!」


 二人の声が弾む。

 ロザリアは興奮した様子で駆け出し、ユラはまるで蝶のようにふわふわと宙を舞いながら草花の間を飛び回る。その光景は、どこか幻想的だった。

 一方で、アウラは二人をよそに黙々と歩を進める。次第に、花の彩りが途切れ、その先に広がる異質な景色が目に入った。

 草原の終わりにぽっかりと口を開けた丘。だが、そこには緑の息吹はなく、まるで命を吸い取られたかのように黒ずんでいる。焦げたような大地が、歪な模様を描きながら広がり、その先には崩れた建物の残骸がぽつぽつと残っていた。


「……何これ、どーなってんの」


 ロザリアが足を止め、不思議そうに呟く。

 一方で、ユラはただじっと黒い大地を見つめていた。まるで、その場に満ちる何かを感じ取っているようだった。

 風が吹く。

 花畑の上を舞っていた白い花びらが、ひらひらと舞い落ちる。そのうちの一枚が、黒ずんだ地へと吸い込まれるように入り込んだ瞬間――粉々に砕け、跡形もなく消滅した。


「っ……!」


 ロザリアが息を呑む。

 アウラは彼女の肩に手をかけ、静かに制した。


「やめておけ」


 ロザリアは再び黒い大地に目をやる。見れば、そこには何も生えていない。ただ、死の気配だけが支配していた。


「ここって、もしかして……」


 問いかけるロザリアに、アウラは無言で頷く。


「ああ、エレイン王国の跡地だ」


 そこは、生きとし生けるものすべてを崩壊させる“無の大地”。


「ねえ、アウラ。この魔法で……一夜にしてエレイン王国は滅んだってことよね?」

「ああ」


 ロザリアの表情が険しくなる。


「でも……マタダムの目録によると、魔王が勇者レペンスに倒されたのは二百年も前じゃない? なら、なぜ今もこの魔法の魔力は残っているの? 魔王が死んだと同時に消えているはずじゃない?」


 疑問をぶつけるロザリアに、アウラは静かに答える。


「マタダムの目録には偽りの歴史も書かれている。騎士王レペンスが英雄試練を作ったのは、半分が真実で、半分が嘘だ」

「じゃあ、本当の事実は?」


 彼女は真実を知りたがっていた。彼女の視線がアウラに突き刺さる。

 彼は遠く、黒ずんだ王国跡を眺めながら、どこか寂しげに答えた


「それを確認するために、ここまで来たんだ」


 アウラは、目の前に広がる黒ずんだ大地を見つめた。


「……それと、ここで死んでいった者たちに追悼するためにな」


 そう呟くと、アウラはゆっくりと“無の大地”へと足を踏み入れた。

 黒く淀んだ空間が、アウラの全身を包み込む。空気は澱み、肌を刺すような魔力の濁流が、周囲を飲み込んでいた。

 しかし、アウラは歩みを止めない――固有スキル《魔法無効》。それが、この空間のあらゆる影響を無力化していた。

 かつて王都だったこの地の中心、朽ち果てた城の瓦礫の中。そこにひっそりと佇む祭壇。その中央には、禍々しい黒い星が、不気味な光を放ちながら浮かんでいた。

 アウラは祭壇に近づき、じっと黒い星を見つめる。

 ――これが……この“無の大地”の核。

 アウラの瞳が淡い青の輝きを放つ。賢者の力を解放し、魔法の構造を解析する。しかし――。……やはり、読めないか。

 黒い星を形成する魔力は、あまりにも異質だった。知識の領域にすら届かない、圧倒的な“無”。

 アウラは試しに魔法を発動しようとするが、術式が形成される前に魔力ごと飲み込まれ、消滅する。まるで存在そのものが否定されるような感覚。それでも、無表情のまま拳を握りしめ、力を込めて黒い星を殴る――だが、破壊できない。

 魔法も、力も、この核には通用しない。

 やはり、これは――。

 破壊を諦め、祭壇の隣に目をやる。そこに、一冊の書物がぽつりと置かれていた。

 ――『マタダムの目録』

 アウラはそれを手に取り、指で表紙をなぞる。この空間ですら、その書物だけは無傷だった。

 ――そうか……この本は、壊れないか。

 ゆっくりとページをめくる。指先に伝わる紙の感触。書かれた文字を目で追う――アウラの記憶が、甦る。

 祈りを捧げるように、アウラは跪き、静かに瞼を閉じた。この地で死んだ人々に、哀悼を――。

 風が吹いた。焼け焦げた大地の上を、わずかに舞う灰。そして、アウラはゆっくりと立ち上がり、ロザリアたちの元へと戻る。

 ロザリアは、アウラの手に握られた書物を見て、目を細めた。

 何か言いたそうな表情。

 そんな彼女に、アウラは無言で『マタダムの目録』を差し出した。


「……これって、マタダムの目録?」


 ロザリアは驚いたように書物を受け取る。


「なんでこんな場所に……それに、どうしてこれは崩壊していないの?」


 問いかけるロザリアに、アウラは静かに答えた。


「――マタダムが、この国を滅ぼしたからだ」


 その言葉に、ロザリアの表情が凍りつく。

 黙ったまま、彼女はゆっくりと書物を開き、ページをめくり始めた。そこに書かれていたのは、隠されていた歴史――この国を滅ぼした者の記録だった。

 エレイン王国を滅ぼしたのは、魔王ではない。マタダムが、この地に“無”をもたらした。

 人々はそれを魔王の仕業と断じた。そうして、人間と魔族の戦争が始まった。

 戦火の中で、マタダムは“勇者”に誘われた。勇者レペンスとして、魔王討伐に参加するために。

 ――しかし、魔王は討伐されなかった。

 マタダムは、“勇者”の名を借りた。騎士王レペンスと名乗り、英雄試練を作った。

 そして、最後のページには――この魔法の核を破壊するために、あらゆる手段を試した記録が記されていた。

 ロザリアは、言葉を失ったままページを閉じた。しばらくの沈黙。彼女は、書物からアウラへと視線を移す。

 そして、低い声で問いかけた。


「……アウラ、マタダムの目録って……貴方が書いていたのね?」


 アウラは、ほんの一瞬だけ目を伏せ――淡々と、静かに頷いた。


「――ああ」


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