サイドK No.5
あの日、気が付いたら病院のベットの上だった。
傍には加奈ちゃんが付き添っていた。加奈ちゃんからストーカー対策にここしばらく彼女の彼氏役をしていたと聞いた。そしてトラブルからストーカーに襲われそうになった加奈ちゃんをかばって刺され、その拍子に転倒し頭を打ったと。
刺された傷自体は浅かったので、すぐ退院できた。問題は記憶喪失だった、約4年分の記憶が抜け落ちている。何か大事なこと忘れている?そんな焦燥感だけがあった。
何も思い出せないまま、時は過ぎ焦燥感だけが日々募った。
とても大事にしていたこと、大切な誰かのこと、切なさが胸を締め付ける。目を閉じると思い出せそうで思い出せない誰か探し求めていた。
記憶について医者に言わせると戻るも戻らないも5分5分らしい。
爺さんを失ったことも思い出せず。
店に行く一歩も踏み出せない、でも爺さんの残してくれた『甘雨』は存続させたかった。
そして再開へ問題は、もう一つあった。爺さんの珈琲と味が違うのだ。
同じクオリティの珈琲が淹れられなければ店は再開できない。
そして、命日が訪れた、俺は久し振りに『甘雨』へ行った。
店を再開するきっかけ、思い出すきっかけが欲しくて、一歩を踏み出したのだ。
店内は俺の記憶と少し異なるところもあったが、雰囲気は当時のままだった。
ただ、時が止まったように全てが静止し、俺は時の狭間に落ちたような気分になっていた。
ふと、カウンターにある爺さんの写真が目にはいり、現実に引き戻された。
俺は爺さんに珈琲を供えようと淹れていた。
『カランコロン』驚いてドアを見ると、女性が立っていた。俺より少し年上だろうか?
何故だろう、この女性を見た時のこの胸が締め付けらるような感覚。
誰なんだ?こんな女性知らない、知らないのに波立つ心。「誰?」思わず口を出た。
気が付くと帰ろうとする彼女を引き留めていた。
「良ければ珈琲を飲んで行かれませんか?」
彼女に着席を促すと迷うこと無く窓際のテーブル席に座った。その彼女の佇まいに見覚えがあった。
何者にも混じらないような、それでいて周りと調和が取れている不思議な感じ。
なんて美しのだろう。俺は眼を離せなかった。
近づくと窓の外を見つめていた彼女の顔は涙で濡れていた。
大丈夫ですか?と聞くと「懐かしかったから」と悲しそうに微笑んだ。
そして俺の珈琲を飲んで『美味しい』と言い、爺さんと同じ味が出せないと悩む俺の背中を押してくれた。「同じ味じゃんなくて良いと思います。想いが同じであれば。」
この人は何故俺の心のうちを理解してくれるのだろうか?
この人にこの場所を懐かしむ時間を持って欲しくて
「ゆっくりしていって下さい。」と口にしていた。
倉庫で焙煎機が動くか確認し、店に戻ると加奈ちゃんがいた。
彼女は加奈ちゃんからうちの学生の佐田君のお母さんだと聞いた。
彼女が帰ったあと加奈ちゃんに彼女のことを聞いたが、俺との接点はあまり無く、あくまで爺さんの常連客だっと言った。しかし、心が本能が俺の全てが否定している、俺にとって特別な人だったのではないかと。
俺には妹のようにしか感じられないが、加奈ちゃんからは俺に対する好意がうかがえる。
だから、加奈ちゃんの言うことを全て鵜吞みにするのは危険だ。
加奈ちゃんは俺には決まった彼女はいなかったと言う。
周りの友達にも聞いたが、同じだった。
なのに何故かあの日、あのテーブルに座った彼女のことが忘れられなかった。
最後までお付き合いありがとうございます。
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