眼鏡教授
4月のある日、今夜は風が気持ち良い。
いつもはそんなに歩かないのに、頬に当たる風の心地よさに気が付くと見知らぬ風景だった。
ふと雨の匂いが鼻を掠めた。もうすぐ雨が降る、少し焦ってスマホを探したが、、、あぁ玄関に忘れてきた。
その時優しい光を放つカフェを見つけた。ポケットには少しばかりの小銭と千円札2枚、珈琲なら飲めるかな、と誘われるようにドアを開けた。カランコロンと懐かしい鈴の音。
「いらっしゃいませ、お好きな席にどうぞ。」マスターらしき初老の男性が声を掛けてくれた。
人が苦手な私は、くるりと見まわし人の少ない席を探した。
幸い時間も遅いからだろうか、人はまばらだった。中庭に面した窓際の席に腰かけ、ブレンドを頼んだ。
店内の開いた窓から雨の音が聴こえてきた。
葉や石など当たる物、雨粒の大きさで音が異なり幾重にも紡ぐ音色。
思わず目を閉じると辺りを漂う珈琲の良い香り。
「どうぞ。」アルトの心地良い声がした。あまりに自然で聞き流してしまっていた。
「お客様?」はっと我に返り、目を開けると。
あれ眼鏡教授だ、確か河村教授だっけ?(後の正確には准教授だったことが分かるが、それはもっと先のこと)
嗚呼、あの時何故あんなに心が波立ったのか分かった。この声だ!声に惹かれたのだ。
私は答えが解ったようで嬉しくて少し微笑んで、「ありがとうございます。」と答えた。
珈琲は私の好きな深煎りで、スモーキーで重厚感があった。
最後の一口までゆっくりと頂いた。
もう一杯飲みたかったが、少し物足りないくらいが丁度良いのだ。
さぁ雨も小雨になった。
今がチャンスとレジに向かった。
レジに立った教授は中指でズレた眼鏡を上げながらキーを叩いた。
レジシステムは古く昔と同じで『チン』っと良い音がした。
「すみません、〇〇駅にはどう行けばいいですか?」
教授は丁寧に地図を書いて説明してくれた、この人は字も綺麗。
このカフェをもっと楽しみたかったが、足りないくらいが丁度良い、また来よう。
後ろ髪を引かれながら出て、走ろうとパーカーのフードを被ったとこで腕を引かれた。
「ちょっと待って、傘お貸ししますから。」
そう言って店内に戻って、傘を持ってきてくれた。
「返さなくて良いですよ。気を付けてお帰り下さい。」
本当に音を奏でるように話す人だ、心が持っていかれる。
「ありがとうございます。また来ます。」
私は店を後にした。
最後までお付き合い下さり、ありがとうございます。