愉悦の王 【前編】
epi.3不意挽歌を投稿してから半年以上経ってしまいましたが、AAは消滅していなかった!(笑)
epi.4掲載にあたりepi.3不意挽歌の後書きを一部修正させていただきました。
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私達の住む地球と似て非なるこの世界の物語。世界は流転しその色を変えていく。
神様達は、不思議なパレットと絵の具を使って新しい色を作り出そうと、次々と絵の具を出しては伸ばし混ぜ合わせていたの。最初はどんなに混ぜても混ぜても溶けなくて、反発しあっていた絵の具の色は、やがてゆっくり混ざりあうと、更に深く鮮やかに変色していくわ。何度も何度も繰り返しては、新しい色を作ろうと、一生懸命に絵の具を増やして混ぜていく。そんなパレットは一つだけじゃなく幾つも幾つもそこにはあって。競い合うかのように新しい色を求めていたの。そうしてやっと出来た絵の具の色は、不思議で綺麗な色をしていたわ。すると、パレットの上は絵の具で溢れてしまったのね。神様はそっとパレットを傾けると、光輝く色の粒がキラキラと零れ落ちてゆく‥‥そうして光の粒は夜空に瞬く星になったのよ。
----記憶の底の、母から聞いた不思議な物語
さてさて、
ここから先の本編では少し長い話となりますが、あなたと一緒にepi.4「愉悦の王」を楽しめれば幸いです。是非最後まで楽しみながらお読み下さいませ。
―西暦1945年 天皇自らラジオを通じ日本国民に向けて第二次世界大戦の終戦が告げられる。日本は連合国側の戦後処理の方針を示した「ポツダム宣言」を受託し以後数年復興に向けて日本国民は心血を注ぐ事になる。戦後の暮らしは貧しく辛く厳しいものであったが高度成長に向けて国民が一致団結し力強く生き抜くそんな時代でもあった。人々が平和という希望を夢に抱きごった返していた中で日本各地に異能と呼ばれる不思議な能力を持った子供達が稀に誕生していた。巷では神の子、悪魔の子、超能力など様々な反応はあったけれど持たざる者達は自分と違う異物を本能的に排除しようとし彼等を完全に受け入れる事が出来ないでいた。よって異能者達がその能力を使って生活をしていくのは難しく大半の異能者はその能力を隠し生活をしていくようになる。それから20年が経ち世間は彼らを受け入れたかに思えたが…
―ふと私は思った。この世界の何処かが狂っていると。その原因は不明であるが何か歯車がズレた気がした。危険を察知した私は世界の記憶を全て巻き戻し原因を追求し修正しなければならない。世界が滅びの道を加速させる前に。
―私は小さな異物に気付く。その瞬間からこの世界に歪が生じている事を。
『西暦2014年に起きた世界が狂いだす起点となったとある事件』この記録を辿ってみる事にした。
……………………………………………………
1945年8月15日終戦を宣言した日本の各地には不思議な能力を持った子供達が誕生していたが、その存在が世間に認知される迄には数年という期間を有する事になる。何故なら永く続いた戦争は土地や人を疲弊させ、その爪痕を日本国内の至る所へ深く刻みこんでいたからであろう。しかし国民は皆、苦しく貧しい生活を余儀無くされてはいたけれど生き抜くために必死でもがき逞しく生活していた。かように厳しい時代の中では、通常持ち得ない不思議な能力を生まれながらに備えた人間が身近に居たとしても、然程の事では見過ごされてしまい世間に認識されるまでに数年という年月が経過されたのは至極当然であったのだろう。
―――しかし、普通に暮らす異能者達を影から監視し続ける者達が確かに存在していた―――
広島、長崎に原爆が投下され日本の敗戦が色濃くなると、身柄の拘束を察知し素早くその存在を消し去った数名の軍人と科学者達がいた事を知る者は殆どいないだろう。
その者達は初代神武天皇の時代から代々天皇家を裏から支えてきた【八咫烏】と呼ばれる一族の末裔である。彼らは素性を隠し、表向きには社務の管理を行いながら神官として祭事を執り行い、祝詞を奏上し、神饌を捧げるなどの儀式を行ってきた。しかしその真の素性は現在に至るも公にはされておらず、都市伝説の類として語り継がれている。
初代神武天皇が即位したのは紀元前660年とされ、2024年現在まで二千年以上もの長い年月にわたり、陰陽五行の技を用いて天皇家を補佐し続けて来た一族、それが八咫烏である。彼らの存在は秘密のベールに包まれ、国家レベルに秘匿され続けて来た。その理由は当然のことながら、誰にも明かされてはいない。
八咫烏の存在を噂で知る者は居ても、その多くは天皇家で代々行われてきた神仏や祖先を祀る祭事を取り仕切っている程度の認識しか持っていないだろう。しかしそれらはあくまでも表の八咫烏の職務に過ぎず、八咫烏には裏の顔もあった。政から諜報活道、そして暗殺に至るまで、天皇家に禍いをもたらす全ての事柄に対して、実力行使で排除を行う特殊部隊が存在していた。寧ろ、そちらが彼等の本職であったと言っても過言ではない。
八咫烏の一族は大きく三つに分かれており、祭事などを行う神官達で構成された【八咫烏・日輪】、一族の正当後継者はここに属しており、陰陽道に精通し、神託を天皇へ伝えるとともに、身辺警護も行っている。
主に政や諜報活動を行う者達で構成された【八咫烏・月下】。現在彼等は政治の中枢に入り込み影から政界をコントロールしている。
そして先祖代々各里の優秀な忍者と時代の寵児と呼ばれる一握りの天才によって構成された者達を【闇黒羽】と呼び、諜報活動から時には暗殺まで、天皇家に仇名す敵を影で排除してきた。闇黒羽の存在は、八咫烏の中でも極秘扱いとされていた。その存在を知る者は、日輪と月下の長と、および信頼された幹部数名のみである。
日本の敗戦と同時に姿を消した集団は、闇黒羽の構成員であった。その後の消息はそれぞれの長ですら把握できず、現在に至るまで謎のままである。しかし、闇黒羽は組織を社会の中に巧妙に紛れ込ませる事に成功すると、天皇家直属だった八咫烏から完全に独立し、大日本帝国再建へ向けて自ら活動を行うようになっていた。
しかし、生き残った数名の闇黒羽のメンバーだけでは、打倒アメリカどころか帝国の再建など夢物語に過ぎなかった。彼らはただ身を潜め、GHQの言いなりになるしかなかったのである。そんな闇黒羽のメンバーにとって、突如として日本国内に誕生した異能者達の能力は、彼等の切り札と成り得る可能性を秘めていた。当時、弱冠14歳という若さで既に闇黒羽の幹部メンバーであった天才「上代葱沙狗」は、異能の顕現を神からの信託と捉え、複数の異能者が国内で報告された時には狂喜乱舞したほどである。
異能者達は奇しくも八咫烏・闇黒羽の天才、上代葱沙狗の野望を叶える為の研究対象として、その人生を翻弄されていく事になるのであった。
闇黒羽の頭脳、上代葱沙狗は、異能が初めて確認された者達を第一世代と称した。彼らがどのように成長するのか、周囲に危害を加える危険があるのか、そしてその利用価値は如何ほどなのか、本人や周囲の者らに悟られないように極秘裏に監視を続けていた。
異能者が上代達によって初めて認知されたのは1947年生まれの第一世代であり、それ以降、20年毎に世代を区切り管理するようになった。闇黒羽のメンバーは、GHQに勘づかれ利用されない様に、能力者達の存在と異能の力を敢えて霞ませる努力を40年以上も続けてきた。
どのような些細な事でも、時には異能者が引きおこした事件を揉み消す為に、不都合な人間を攫い口封じも実行した。不可解な神隠しの事件や大規模なテロ組織の壊滅の背後には、必ず闇黒羽の影があった。その痕跡を一切残さない徹底した仕事ぶりで、闇黒羽の存在は完全に闇に紛れていた。
余談になるが、前代未聞のテロ事件で国家転覆を目論んだ教祖・葦原の宗教団体、Z教の壊滅には闇黒羽が関わっていた。表沙汰にはされていないが、警官隊が山梨の施設に突入した頃には、闇黒羽の暗躍により、既に教団の武装集団は壊滅していたそうだ。(関係筋の間では武装集団の仲間割れとされている。)
しかし、40年という歳月の間に、日本国内の政治や国民の生活はアメリカの影響を強く受け続けていた。闇黒羽の上代達の努力など意に介さず、民主主義を基調とした平和な国へと政治は転換していった。そして、日本経済は朝鮮戦争の特需により目まぐるしく成長すると、高度成長を遂げ、1987年にもなると国民の生活は大きく改善され、もはや戦後とは言えない程に経済復興を成し遂げていた。
第一世代と呼ばれる異能者が誕生してから20年が経ち、第二世代が現れ始めた頃には、既に日本国内で百を超える異能者達が確認されていた。優秀な闇黒羽のメンバーも、異能者の存在と能力を、もはや世間から隠し切る事は不可能となっていた。
異能者達は徐々に世間へと浸透していったが、その存在が大々的に新聞やテレビで取り上げられてからは、一気に世界中に知れ渡るようになった。しかし、幸か不幸か、彼等の異能が実用に程遠い能力ばかりだった事もあり、世間の反応は異能を精々特技の一つ程度と判断されていた。他人に危害を加えることもなく、己の利になることも殆ど無い『個性の無駄遣い』と認識されていた。(実際には、情報を隠す事から操作することにシフトし、世間を惑わすように活動していた闇黒羽の影響が大きかった。しかし、それに気付ける者はいなかった。)
1994年8月7日、福岡のとある地方に位置する英彦山と呼ばれる霊峰がある。その自然豊かな麓の町の、ごく一般的な夫婦の家庭に第二世代の異能者「山崎敬之助」が誕生した。元気な男の子である敬之助は、周囲の子供達と一緒に幼少期を過ごし、地元の小学校、中学校、高校と進学しながら、特に大きな問題もなく静かに暮らしていた。
敬之助が異能を使用出来るに関わらず普通に暮らしていけたのは、その能力にほぼ利用価値がなかった事もあるが、日本経済の高度成長の荒波に埋もれてしまった背景が大きいだろう。しばらく間、日本各地で少数ではあるが異能を持って誕生する赤子がしばしば確認されており、それほど珍しい現象では無くなっていた。しかし、大半の異能者達は周囲からの視線を恐れ、自らその能力を封印し平凡に暮らす道を選択していた。敬之助もその一人であり、中学生になる頃には異能の力を封印し、それ以来人前では一切発動をしなくなっていた。
敬之助は、決して裕福とは言えない家庭で育った。高校を卒業するやいなや、両親への負担を少しでも軽減しようと、内定を得ていた福岡市の運送会社へと就職する。彼は住み慣れた地元を後にすると、単身での住込み生活をスタートさせた。優しく気さくな青年である敬之助は、新しい環境と旅立ちに夢と希望を抱きつつ、国内のあらゆる場所へ荷物を配送する長距離トラックの運転手となり、今でも日夜活躍をしている。(しかし彼の周囲には、幼少期から現在まで常に影の監視が付きまとっている事を、本人は気付いていなかった。)
山崎敬之助の異能は『思念発火』であった。条件を満たせば集中するだけで火源を必要とせずに物質を燃焼させることができた。その能力だけ切り取ると秀逸に聞こえるかも知れないが、実際にその異能を発動させる為には特定の条件を満たした状態で、限界まで集中力を高める必要があり、相応以上の時間を要してしまうという致命的な欠点を抱えていた。天から授かった特異な才能も、結局のところ実際に役立つレベルには達していなかった。
敬之助に生まれ持って備わっていた思念発火の能力は、当時の子供達の間で流行っていた遊びに似ていたため、小学生時代は常に友達に揶揄われ、嫌な思いをしたものだ。(虫眼鏡の凸レンズを利用し、太陽の光を一点に集中させて黒い紙を発火させる実験を行った事はあるだろう?)そのため、小学生時代は「敬之助」と仇名で呼ばれ、過ごす事になってしまった。啓之助にとって異能は瘤の様なものであり、使えても何のメリットも感じられず、寧ろ無い方が嬉しいくらいだ。
それでも人目を気にしながら平凡な生活を過ごしていた啓之助は、高校を卒業してから福岡市内の運送会社へ就職し、あっと言う間に2年が過ぎて、20歳の誕生日を迎えようとしていた。その間、仕事も順調で異能を使用する事は一切無く、周囲の人達は勿論、本人ですらその能力の存在を忘れかけていた。
そんな折、懐かしいかつての中学時代の友人から、同郷の仲間だけで集まる同窓会に参加するか否かを記す便りが啓之助の自宅へと届く。机の引きだしの中から取り出したペーパーナイフで白い封筒の中身を傷つけないように丁寧に開封すると、中には一枚のレターと切手が貼られた返信用の葉書が入っていた。小さな花のイラストが描かれたレターを開くとそこには中学時代の同級生でクラスのマドンナ的な存在だった「浅井美代子」の達筆な文字がいきいきと綴られていた。
書かれていた内容は簡単な挨拶と同窓会の日時、開催場所など基本的な事柄であったが、啓之助自身に宛てた一言も添えられており、浅井美代子の人柄が手に取るように伝わってきた。偶然にも開催場所は敬之助の働く運送会社のある福岡市内の有名な料亭で、車で数十分の距離と割と近いのも良かった。親元を離れ田舎町から福岡へと単身引っ越した啓之助は懐かしさから当時の思い出に感傷に浸りつつ、嬉々として同窓会への参加を申し込んでいた。
……「敬之助君お元気ですか?あの頃から私達もお互いに成長し、大人になりましたね。この度の同窓会で懐かしい話や現在の敬くんのご活躍などお聞き出来る事を楽しみにしております。」……
浅井美代子より
……………………………………………………
2014年5月17日 日曜日 am9:44
同窓会当日、朝までぐっすり寝ていた啓之助は、突然の携帯電話の着信音で叩き起された。寝ぼけながらも慌ててベットから飛び起き電話に出ると、まさかの相手は啓之助が働く運送会社の社長からであった。突発的な仕事が入ったので、社長直々に仕事の依頼をしてきたらしい。寝起きに突然言われても解答に困る啓之助であったが、どうやら大事な取引先らしく、積荷の輸送と荷卸しを今日中に間に合わせたいとの事だ。
この仕事をしていれば、そういった事態もしばしば起きる。しかし、腑に落ちないのは、この仕事の担当だった先輩が、出勤途上に事故に遭い、まともに連絡が取れていないらしい。社長は「どうしても君に頼むしかない。」と言っていたが、その声は普段の堂々とした感じではなく、何かに怯えたように震えていた。もちろん事故にあった先輩も心配だったが、お世話になっている社長自ら、何度も頭を下げられ頼まれては、断る事も出来ない。啓之助はしぶしぶ休日を返上し出勤する羽目になってしまった。
社長から掛かってきた電話を切った後、敬之助は慌てて着替えを済ませ、早めの昼食を摂るため冷蔵庫をあさった。中には昨晩食べ残したピザとチキンが少しだけ残っていた。愚痴をこぼしながらも、レンジで温め直す。コーヒーを飲むためにヤカンに水を注ぐと、グリルに乗せて火を付ける。彼はコーヒーカップを用意するため部屋へと戻っていった。
簡単に食事を済ませた敬之助は、急いで仕事場の運送会社へと向かった。敷地には、既に45歳の専務「宮脇」と、最近結婚したばかりの若い女性事務員「さくら」が今か今かと到着を待っており、専務の宮脇が早く支度しろと急かしてきた。そこには先輩が輸送する予定だった大型の4トントラックが既に用意されており、エンジンも温まっているようだった。何か腑に落ちない敬之助が専務たちに質問をするも、先方の要求には従うしかないの一点張りで取り付く島もない。仕方がなく、言われるがままに積荷の受取り先の情報と対応などを一通り聞くと、既に時刻は午前10時半を過ぎていた。
(まずい、このままでは同窓会を欠席するはめになりそうだ。)
それだけはどうしても避けねばと話半分に敬之助は急いでトラックに乗込むと、事務所に逃げる様に戻る専務たちを後目に出発を果たすのであった。
博多港に向けて順調にトラックを走らせる敬之助は、運転席で独り思索にふけっていた。今回の件には何か違和感を感じていたからだ。この仕事の目的地は、長崎県の離島、九州と対馬の間に位置する壱峻島であり、その島内には有限会社(Ltd.)として運営されている篠田製薬という中小企業の研究施設がある。そこまで行くには、博多港からフェリーで渡るしかない。専務の話では、フェリーは自分のトラックが到着するまで待っており、到着次第出航すると言っていたが、本当にその様な事があるのだろうか?しかも帰りも啓之助の到着待ちとなっている。ただの運送会社のトラック一台の為に巡航フェリーがタクシーのように利用されているのだ。
(こん荷物ばよっぽど重要な物に違いなかね…。)
直で純朴な青年は心の中で呟きながら、ハンドルを握る手に力を込めた。
「何か特別な理由があるっちゃろう。」無事に荷物を届ければボーナスもアップするかもしれない。敬之助の胸の内は期待と不安で交錯していた。
啓之助が運転しているトラックは4トンの平車だが、ロングタイプなので全長が長く、積荷もそれなりに量を積めるようになっている。荷台には、大きい木箱が頑丈に梱包され、綺麗に山積みされていた。搭乗する前に荷物の状態は確認したが、中身が何なのかまでは啓之助には知らされていない。たまにゴトゴトと箱の中で動く気配もあり、研究用の動物か何かが入れられている可能性もあるなと敬之助は思っていた。
今朝の社長や専務達の対応も、何か様子がおかしかった気がするし、事故にあった先輩の家族に何度連絡しても繋がる事はなかった。敬之助が博多港に到着すると、約束通り待機していたフェリーに積荷ごとトラックを積載した。出航後は順調で、三時間後に壱岐の島の港に無事到着した。
青空が広がる素晴らしい天気の中、海から流れてくる潮風は肌にベタ付いていた。敬之助は船旅に酔ってしまい、船員から酔い止め薬をもらい飲む羽目になっていた。気分がすぐれないまま、敬之助は配達先の篠田製薬研究所までトラックを走らせた。
古びた外観の研究所は、小さい港町を抜けた先の小高い丘の上にひっそりと佇んでいた。そこまでの道は複雑に枝分かれし、敬之助は経路が書かれた地図を頼りに何とか辿り着いた。そこは木々に囲まれた場所にあり、遠目だと建物があることすらわからない。
苦労しながらも研究所の前に到着した敬之助は、守衛に挨拶を済ませると、施設のフォークリフトを借りて荷卸しを行った。空になったトラックには新たに荷積みをし、再び福岡に戻る準備を行う。だが、同窓会は午後17時からで、どんなに急いでも料亭に着くのは18時を過ぎてしまうだろう。
運の悪い敬之助は、仕事で遅くなるから途中参加すると開催場所の料亭に電話で言付けを済ませると、再びトラックに乗込み、フェリーの元へと急ぐのであった。
運送を終え福岡の事務所へと戻った敬之助は、慌ただしく仕事場を出た。歩いて10分程の距離にあるアパートに一度戻り、シャワーを浴びて汗を流した。同窓会は既に始まっているだろうが、今から自家用車で直接向かえば19時30分頃には間に合うだろう。昔の友人達に久しぶりに会える嬉しさと浅井美代子がどれ程素敵な大人の女性へと変貌しているのかへの期待が膨らむ。敬之助は長距離を運転した後でかなり疲れていたが、逸る気持ちを抑えられずその顔からは笑顔が零れていた。
「おい、啓之助!|酒さ飲んどるばい?オメェ全っ然飲んどらんけん、わしが注いどうけん、さっさと飲めっちゃ!」
総勢25名が集う同窓会の席へと遅れて到着した山崎啓之助は軽く自己紹介を済ませると空いていた隅の席へと案内された。席に着き暫くすると声を荒げた大男が絡んで来た。その男は、小学生時代からのクラスメートでガキ大将だった「塩崎辰巳」だ。既に相当酔っている様子で日に焼けた浅黒い顔でも判別出来る程に顔を赤らめている。塩崎は座敷の隅で静かに飲んでいた啓之助に近寄ると、隣に座る。馴れ馴れしく肩に手を回す塩崎は、素早く敬之助の手からグラスを奪い取り、入っていたビールを目の前にある鍋へとぶちまけ大きな声でまくし立てた。
「ガハハハ何じゃぁ文句あっかぁ敬之助がよ!鍋はなぁビールで煮込むとばってんが1番うまかとね、わしの味付けはぁ日本一ばい!よか飲めやぁ!」ベロベロに酔った塩崎は酒臭く、態度も大きい。敬之助は眉間に皺を寄せ明らかに迷惑そうな態度をとる。
敬之助の事を何度も「ルーペ」と呼ぶのは、この同窓会に参加している者達でも少数派だ。小学生時代から腐れ縁である塩崎辰巳と、その他数人くらいしかいない。塩崎は思い出したくない事を平気で口に出すデリカシーの欠片もない野郎である。品のない塩崎のダミ声が席中に響き渡り、一抹の不安が残る。しかし、そんな中でも懐かしい友人たちとの再会の喜びが勝り、笑顔を絶やさないように努めていた。彼にとって宴はまだ始まったばかりなのだから。
しかし、敬之助の肩に腕を回し、いつまでも離れない塩崎の品の無い言動に、いい加減嫌気がさした啓之助。ギロリと塩崎を睨むが、酔ったその男は構わずに持ったビンビールで空になったグラスへと手酌する。塩崎が酔って震える手でビールを注いだので、あっという間に溢れてしまい啓之助のズボンが濡れてしまった。慌てて拭き取ろうと立ちあがろうとする啓之助を、塩崎は抑えつけてなおも「そんなんよかけん、飲め、飲め」と捲し立てた。
「ルーペ何しよっと?遅れて来たんじゃけん、そんな事ば気にせんといいけん、飲めばい。そうやろイッキに飲めばい!」ガハハと耳元で大声を上げて笑う塩崎。
塩崎の騒ぎに乗じて、周りの女子達も面白がりながら「イッキ、イッキ」と手拍子で囃し立て始めた。啓之助は、自分を少し離れた場所から心配そうに見守る委員長の方へと目をやった。
「わかっとるちゃんね!飲むけん、手放しときんしゃい!」
そう言って塩崎の腕を振り払うと、啓之助はその場で一気にビールを吞み干した。
「いいね、いいねぇ啓之助いけるじゃねぇかよぉ!もう一杯いっちゃいましょー!」
塩崎は懲りずに何度もグラスにビールを注いでくる。敬之助は、塩崎の勢いに押されながらも、懐かしい友人達の再開を楽しんでいた。(美貌に磨きをかけた委員長の視線も熱いぜ。)
同級生達も盛り上がっていて、啓之助もかなり気分が良くなっていた。彼はその場で立ち上がると、グラスの酒を一気に呑み干した。ウォーやキャーなど歓声が飛び交った。
「啓之助君今度はウチが注ぐから飲んで〜」
「あたしも、あたしもサービスしちゃう^^」
こうして宴はますます賑やかになり、敬之助もその楽しさに酔いしれていた。同級だったクラスの女達が俺に酒を注いでくる。昔はションベン臭え芋女だった奴等も、今じゃ出るとこ出ててメスじゃねぇかよぉ!啓之助が持て囃され調子に乗って来たので、クラスの女達は寄ってたかってビールを注いでくる。(^_^;)
「ちょ、ちょっと待て、飲むけん二人同時に注ぐとはやめちゃりぃ。飲むけん…あっ」∑(゜Д゜)
女達も面白がって酒を注ぐので、またビールが溢れてズボンが濡れてしまった。まるで漏らしたかの様になっていたが、俺は構わずに立ち上がると、注がれたビールを一気で飲み干し続けていた。
それからどれだけ飲んでも酔い潰れ無い啓之助を塩崎は呆れ顔でこう言った。
「おい誰か醤油ば持って来い、ルーペには酒はもったいなかけん、醤油飲ませりゃええ!」
塩崎の冗談に、周りの同級生達も笑い声をあげた。敬之助も苦笑いで返していると、クラスの馬鹿女が本当に醤油を持って来た。啓之助はムカついたので醤油のビンをひったくると、醬油の蓋を開けてビールが混じった鍋に全部残らず入れた。敬之助は両手で鍋を抱えながら、一気にゴクゴクと飲み干した。
塩崎やクラスメート共がギャーギャー騒いでやがる。散々俺に酒を飲め飲めと注いでたくせによぉ、塩崎なんて真っ青な顔で止めているぞ。(*´Д`)
俺は鍋の汁を全部飲み干すと「ゲッェッェエプ」と臭いゲップをし、空になった鍋で塩崎の頭をかち割った。
気の弱い俺がそんな事をする筈もなく、敬之助はそのまま白目をむいて仰向けに倒れてしまった…。(;*Д*;)
その場は一瞬静まり返ると、その後大騒ぎになった。啓之助の最後の記憶は、遠くから微かに聞こえて来るサイレンの音と、憧れだったマドンナ浅井美代子が俺の名を呼ぶ必死な叫び声だった。
鍋を大事そうに抱えたまま倒れ込み、昏睡状態となった啓之助を見た浅井美代子は、泣きながら料亭従業員に事態を告げると、店の女将は直ぐに救急車を手配してくれた。
元々酒には弱い啓之助が短時間でアルコールを多量に摂取したのが原因である事は明白で、急性アルコール中毒となり呼吸不全を引き起こしたのだろう。
時間にして数分、到着した救急隊員達の素早い対応により圭之介が担架で運ばれると、付き添いとして浅井美代子も来るように言われ、緊急車両へ乗り込んだ。そのまま敬之助は救急ベッドに寝かされると、落ち着き払った隊員により素早く呼吸器を取り付けられた。不安そうな同級生達と店の従業員が見守る中、後部ドアはあっという間に閉じられ、隊員達が全員車両に乗込むと同時に救急車はサイレンを鳴らさずに静かに走り出した。
啓之助は夢を見ていた。
物心が着いた頃には異能を使えた啓之助は、それが原因でクラス中からからかわれていた。敬之助の異能は【自然発火】だが、火を起こすには研ぎ澄まされた集中力と火を付ける為の条件が整っている必要があったため、虫眼鏡で太陽の光を収束し火を付ける以上に時間がかかった。そのせいでクラスの塩崎達に虫眼鏡と呼ばれ、毎日からかわれ、いじめられていた。
夢の中で漫画や映画のカッコいいヒーロー達が炎を操りながら異形の悪者達を退治していた。その夢の中でいつの間にか敬之助がそのヒーローになっていて、クラスのいじめっ子達を校舎の隅まで追い詰めると、許しを請い泣き叫ぶいじめっ子達を灰になるまで燃やし尽くし、満足気に大人になったマドンナ浅井美代子を抱きしめ、恍惚と勝利に酔いしれる啓之助であった。
……………………………………………………
我々が住んでいる地球とは場所も時代も世界線も異なる、全く別の世界が存在する。人はそれを異世界と呼ぶ。無数に存在する異世界だが、相互に認識することは難しい。しかし、高次元の存在はそれらを俯瞰する事が可能であり、我々がその存在を神や悪魔と称して畏敬の念を抱き、崇める理由も至極当然と言えるだろう。
異世界同士は宇宙規模でのエネルギー交換をし、絶え間なく干渉をし合っている。しかし、宇宙の中に住む存在が相互にその存在を認識する事は極めて難しい。例えば、二次元の紙に描かれたイラストのキャラクターが意思を持ったとしても、平面上の紙に描かれた他のキャラクターとしか交流出来ない。何故なら、彼らは決して二次元の紙の中から抜け出す事が出来ないからだ。例え世界が束ねた新聞紙のように上下に重なり合っていても、自力で上下に存在する異世界へ移動することは叶わない。幾ら平面の世界でもがいても、平面からは抜け出せない。二次元のキャラクターは上下の世界に踏み入れる事は決して不可能なのだ。それは我々人間達にとっても同じ理であり、自身の力で三次元空間の宇宙を越えて外側に辿り着く事は絶対にありえない。しかも、宇宙は無限に拡がり続け、その境界に人類が辿り着くことすら不可能であろう。
しかしいつの時代もどの世界にも異世界と異世界を行き来する存在がいた。その者達は我々が住む次元より遥か上の高次元より来訪しており、その目的や理由は未知でいつ現れどこの世界にどう影響を与えるのか我々には理解が及ぶ筈はなかった。人々はその大いなる存在を畏敬の念を込めて神と崇めていた。
冥歴703548年
闇夜に浮かぶ双子の月が妖しく輝き世界を照らす。紅蓮に輝く巨大な月とその背後から薄緑に煌めく月が見えている。まるで手を伸ばせば届きそうに錯覚するほど近くに在り、その様は肉眼でクレーター内部まで視認できてしまうくらいだ。その迫力から受ける圧力は地上へと覆い被さり全てを飲み込まんとすら感じさせていた。地上は月の反射の光で眩しく、漆黒の闇の中ですら昼間のように視界を十分に確保する事ができた。
怪しく輝く月明かりの中、大地を見渡せば切り立つ岩肌が続く道の先に、一際天高く聳える岩山が見える。その頂きには永久の歴史を感じさせる古城が禍々しくも聳え立ち月の光を遮っている。城から伸びるその影は荒れ果てた平原へと続く道へと重なり、まるで訪れる者をこばむが如く暗く地表へとその影を伸ばしていた。
荒れ果てた広大な大地には大小無数の異形な魔獣が我が物顔で徘徊し、空には巨大なドラゴンが羽ばたきと旋回を繰り返しながら翼竜の群れを牽制している。絶え間なく聴こえる魔獣の咆哮はこの世界の絶対的な支配を誇示するかに轟き渡り、その音は数キロ先の大気をも震わせていた。一晩中響き渡る魔獣達の雄叫びに通常の生物では恐怖で身が竦みこの地へ近寄る事すら叶わないだろう。
月光を背後から浴び禍々しさがより際立つ古城へと、途切れることなく続く朽ち果てた道の先に、数万からなる騎士団の列が威厳を放ち進軍してくる。騎士達が纏う白銀の鎧が月光を照り返し神秘的な威厳を放つ。進軍する騎士団の軍勢は魔獣が徘徊するこの地への侵入にも怯む事はなく、馬の蹄が大地を響かせ軍旗が風に翻る様は、まるで古の神々達が蘇えり騎士を奮い立たせているかに感じさせ、一糸乱れず進む様はまさに混乱を払拭し秩序をもたらす鉄壁の軍勢であろうか、彼らが踏み歩むその一歩一歩が戦場を支配する音楽を奏でていた。
騎士団は淡く明滅を繰り返す不思議な光に包まれている。騎士達の纏う不思議な幾何学模様が描かれた銀白色の装備がその光を吸収すると、白銀の武具や鎧が時折強い煌めきを放った。それは月光の反射と合いまると幻想的で荘厳なる神の軍隊を想起させた。
騎士は人類最後の都市『神聖ヴィヴァリス王国』の法と秩序を守る立場であり、騎士団は王国の平和を永遠に護る盾となる。騎士団は日々襲い来る魔物から民を護るべく幾度となく命を賭して戦いに挑み、生き抜いてきた歴戦の強者達により結成されている。
騎士団を見渡すと魔法を使う魔術師とされる者や、魔穿杖といった見慣れない武器を所持する若い女性の姿も少数ではあるが確認できた。
魔穿杖とは、魔王軍に対抗するために人類が製造した最終兵器である。この武器は1メートル弱の細い管状の筒が特徴で、フォアグリップ側面の光る箇所に指で触れると青白い光が走り、所有者が認証される。「シルツ」と呼ばれる白銀の針が魔法付与された状態で杖身先端の多穿孔から目標対象に向け高速射出される仕組みである。
白銀の針弾はグリップに最大三千本装填され、グリップ背面のダイヤルを親指で操作すれば連射と単発の切替、出力の調整などが行える。魔穿杖の特徴として、グリップとバレルを繋ぐフレーム部分には回転式シリンダーが取り付けられており、最大八個の魔法カプセルを装填できる。魔法カプセルには神聖嵐翔魔法や天燐雷撃魔法といった超強力な高位魔法が魔術師達によって属性毎に分けて封入されている。使用者のスキルによって、相手の属性に合わせて魔法を選択出来るのがこの武器の魅力なのだ。
更にカプセルの魔力を抑えて使用すれば三千本の白銀の針弾が尽きるまで連射したり、白銀の針弾一本にカプセル内の魔法すべてを付与し撃ち出すなど、破壊力を重視した単発射撃も可能である。状況によって切り替える必要はあるが、魔法付与率を指先一つで調整し瞬時に威力を増減できるので、魔法を節約しながら敵の足止めをしたり、威力を上げて素早く敵を倒すといった使い分けも可能になる。ここまでの説明だけでも魔穿杖の有用性は計り知れない。
相手の苦手な魔法属性を付与して戦えば、効果は何倍にも跳ね上がる。例えカプセル内の魔法や白銀の針弾が尽きても、瞬時に交換装填出来るため、補充が続く限り魔力を帯びた白銀の針弾を射出し続ける事が理論上可能だ。そして、極め付けはシリンダー内の八つの魔法カプセル内の全魔法を一発の白銀の針弾に付与し最高出力で解き放つ究極射 撃である。その一撃は、不死身で屈強な魔人の身体にさえ簡単に大穴を穿つほどの威力を発揮するだろう。まさに人類最強の武器といえるのだ。
魔穿杖が戦の主流となったことで、魔術師達による魔法攻撃は禁止された。高位魔法ほど詠唱に時間が掛かるため、魔穿杖の発動速度には敵わないからだ。カプセルに魔力を込めるのは魔術師達の役目となり、戦場でのサポートが彼ら魔術師の主な職務となったのは皮肉なことだ。
魔穿杖にはもう一つ秘密がある。不思議な幾何学模様がバレル先端からグリップに至るまで細かく彫刻されている。この幾何学模様には古代の技術が応用されており、所有者がトリガーに触れると指紋認証され使えるようになるのだが、幾何学模様に青白い光が走ると、妖精人形が起動する。妖精人形は所有者の意思を先読みし、常に魔穿杖の機能をアシストする。初心者ならば、トリガーとダイヤルに触れ構えて居るだけで、妖精人形が場面ごとに状況を判断し、最適な組み合わせで射出まで行ってくれる。妖精人形は白銀の針弾に補正を掛け、動く標的にも追尾させるため、狙われた相手は回避に専念せざるを得ないのだ。
魔穿い所有者と妖精には相性があり魔穿杖の熟練の使い手となるのは若い女性が多く、男ばかりの騎士団の中で彼女たちは目立つ存在だ。しかし、戦場での活躍ぶりは凄まじく、目を見張るものがあり、「閃光の部隊」と呼ばれるまでになった。
魔穿杖を身体の一部のように使い熟す天才少女がいた。彼女の名は『シエラ・ハンコック』。幼少期から練習用の魔穿杖を使い始め、18歳になる頃には王国最強とされる英雄と名を並べるほどの活躍を見せていた。その圧倒的強さに敬意を表し、王は彼女に特別な称号「魔穿者」を与えた。
数年前に帝国で開発された魔穿杖は、たったひとりの男が設計から制作に至るまで全ての工程を行った。その人物は、「ジョン・ハンコック」という名の背の高い変わり者で、王国内の技術開発部顧問を務めている。男は整った顔立ちの紳士で、この世界では珍しい青色の瞳を持ち、鋭い眼差しをしている。茶褐色の豊かな髪と口髭をきちんと整え、貴族の執事のような風変わりな服装をしている。どうやら彼は異世界からの転生者らしく、過去の知識を応用し、技術と魔法を組み合せる事で新しい武器の開発をしている。ハンコックの居た世界には魔法の概念は無く、主に機械がその役割を果たしていた。
魔穿杖が戦場で使用されてから、人類と魔族の勢力図が大きく塗り替えられた。既にナディリア大陸に蔓延こっていた魔獣や魔物達はたった数年の期間で駆逐されている。魔族によって滅ぼされた他の五つの大陸にも「閃光の部隊」と「王国騎士団」を派兵する決定がなされている。彼らの活躍によりすべての大陸を人類の手中に収める日も近いだろう。
古城へと向かう軍勢の中では少数となる魔術師達も、騎士達と同様に不思議な幾何学模様が描かれた白銀の装備を身につけている。白銀は魔を浄化する効果のある材質であり、更に「天啓真言」から生み出される「真・聖魔法」を吸収できる性質がある。真・聖魔法は聖女だけが使用できる唯一無二の魔法で、その効果は受ける側で変わるという不思議な性質がある。通常の魔物や魔獣に使えば即死級の威力となり、瀕死の味方に使用すればその傷は一瞬で回復する。無傷の者が受ければその身に強力なバフ効果が得られるといった、まさにチート級の魔法なのだ。問題があるとすれば聖女のオーラが届く範囲ならば魔法の効果は高く永続するのだが、それ以上離れてしまうと上位魔法クラスの性能に落ちてしまうことか。それでもかなり強力な状態を維持できていることは間違いないのだが・・。
神のみが発声できる真言を唱える方法は、降臨した女神と同化し直接その身に神託を宿す事に成功した聖女だけである。残念ながら歴代聖女達にも天啓真言を唱えられた者は一度も現れなかった。しかし人類がその真・聖魔法の存在を疑うことなく信じ、希望を抱き戦い抜いてこれたのは、千年前に生存した奇跡の聖女「ハルディアナ=マリア」が女神より受けた神託を予言の書として後世に伝えていたからである。
「千年の時を超え、現れし聖女。その身には女神イリスの神託が刻まれ、神の言葉を操り魔王の闇を滅すだろう。」
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この世界は七つの大陸に分かれており、それぞれ別の種族によって統治されていた。人々が暮らす神聖ヴィヴァリス王国は、七大陸の一つ『ナディリア』の中心に位置する唯一の王国であり、数千万の民が協力し合いながら暮らしていた。
王国はその長い歴史の中で幾度となく好戦的な魔物の軍勢から襲撃を受けてきた。しかし三千年前の魔族侵攻で教訓を得て設立された「王国騎士団」と、歴代のヴィヴァリス王による公正な統治のもと、王国は魔族の脅威から人々を守り続け、撃退してきた。その結果、王国は繁栄と発展を遂げ、人口五百万を超える巨大要塞都市にまで成長したのである。
この世界には、数千万年も前から魔族が存在していた。かつてナディリア大陸も、魔族が徘徊する危険な地であった。今からおよそ三千年前、勇者パーティーが魔王軍との熾烈な戦いを繰り広げ、ついにはナディリア大陸から魔族を退ける事に成功した。この壮絶な出来事は現在に至るまで伝説として語り継がれている。ナディリアで暮らす者ならば、老人から赤子に至るまで誰もが知る史実であり、勇者達の物語を知らぬ者はいない。この壮大な伝説は、勇者達の勇気と犠牲、そして希望の象徴として永遠に人々の心に刻まれ続けている。
三千年前、魔王軍を退けた勇者達の中で、生き残った剣の勇者ヴィヴァリスが初代の王として即位し、その名を称えて神聖ヴィヴァリス王国が建国された。現ヴィヴァリス王104世に至るまで、人間達の王国は繁栄と発展を続けている。
この王国の歴史は人々の知恵と勇気、そして公正な統治によって築かれた。五百万を超える民がこの巨大な要塞都市に集い、その繁栄を享受している。
初代国王が地方の小さな村出身の勇者であったように、歴代の国王となる者も王族の血筋に拘らず、資質を求められた。現国王ヴィヴァリス104世も王家の血筋ではなかったが、王立学院を卒業後、王国騎士団に入隊し、聖騎士団長まで登り詰めた経歴を持っている。騎士団長になってからは数々の武勲を収め、その功績を認められ国王の座に就任された。
ナディリア大陸。その広大で肥沃な大地と海洋に恵まれた豊かな自然の中に、神聖ヴィヴァリス王国は三千年の繁栄を誇り続けた。そして今、予言の年が訪れ、新たな時代の幕開けが迫っているのである。
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かつて七つの大陸にはそれぞれエルフ、ドワーフ、亜人、巨人、天狗といった五種族が繁栄し、独自の文明を築いて生活していた。人間を含めた六種族は、お互いの大陸に対し不可侵条約を締結し、良好な関係を築きながら共存していた。
しかし「魔大陸」だけは違っていた・・。
この世界の均衡が崩れたのは、およそ三千年程前の出来事である。突如として「魔大陸」から空を覆い尽くす魔族の軍勢が六大陸に向けて同時侵攻を開始したのである。各大陸には、魔人が指揮する魔獣の群れが大挙となって襲い掛かり、千年の時を掛けて世界は徐々に蹂躙されていくこととなった。
魔族の手によって最初に滅ぼされたのは、四季折々の自然に彩られた美しい大地が魅力の「ケイネ=フィラシス大陸」に住んでいた亜人達であった。この種族は、動物と人間のハーフのような姿をしており、動物のような俊敏な身のこなしと鋭い牙や爪を持ち合わせていた。しかし争いを好まず、自然を愛する心優しい者達あり、その戦闘力は六種族の中で最も低かった。結果として、彼らはほぼ一方的に蹂躙されたと言われている。
亜人達は、隠密行動に特化したケットシー数名を闇に紛れさせ、他の大陸への使者として救援を求めた。しかし、魔人によって捕えられたケットシー達は、無残にも変わり果てた姿となって戻ってきたのだった。例えケットシー達が別の大陸に辿り着けたとしても、魔族による同時侵攻に苦しむ他の大陸から援軍を得ることは叶わなかったと言わざるを得ないだろう。
亜人達の抵抗も虚しく、魔族の圧倒的な物量と容赦のない攻撃により、国が滅ぼされようとする寸前に、彼らは自らの命を削って属性変化を行った。その結果、数倍に膨れ上がる戦闘力を得る代償として、姿は悪鬼のごとく醜くなり、理性を失ってしまった。属性変化した亜人は、敵を討ち倒した後も完全には元の姿には戻れず、ただ敵を殺すだけの悪鬼として生きていく事を余儀なくされる。それは、亜人達が戦ばかりしていた時代に使われた、愚かな力なのであった。
追い詰められた数千の亜人達の姿が次々と悪鬼へと変貌し、狂気に満ちた姿で魔族達に掴みかかっていく。これまで亜人達を食い契っていた魔獣の群れに突然襲い掛かった悪鬼の集団は、一瞬で魔獣の喉を食い破り、鋭い爪で細切れに切り刻んでいった。
変化したとはいえ、たかだか数千の亜人によって、形成が逆転し始めた状況を、上空から愉快そうに見下ろしていた魔人が、我々の知らない魔法の詠唱を始める。不穏な気配を察知した亜人達は放たれた矢の如く魔人に襲いかかるも、魔族の護衛が肉の壁となりことごとく防がれてしまい、その鋭い爪や牙が魔人に届く事は叶わなかった。
不快な笑みを浮かべていた魔人が詠唱を終えると、後はあっけないほど早かった。
空を覆い尽くす暗雲から数えきれない数の目玉が現れると、その目玉から大地を穿つほどの天雷が次々と放たれた。悪鬼と化した亜人達は四方八方へと散って回避を試みるも、間に合わずに次々と倒れていく。天雷を素早く避け続ける亜人達の足元には、いつの間にか臭いガスが淀み、そのガスは粘質となって脚に絡みついていた。思うように動けずに逃げ惑う亜人達の心臓を一撃で貫く天雷を受け、黒焦げとなった亜人は焼け焦げた大地へと無残に倒れていく。悪鬼と化した亜人の中には降り注ぐ無数の天雷を躱しきる者も幾名か居たが、逃げるだけの亜人に興味を失った魔人は、ケイネ=フィラシス侵攻に率いてきた魔族をそのまま残し、自らはどこかへと飛び去るのであった。たとえ天雷を躱し生き延びたとしても、属性変化した亜人は元の姿には決して戻らない。時間を掛け自滅していく運命なのだから・・・。
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魔族同時侵攻により、次に落とされたのはドワーフだった。「グリゴローグ」と呼ばれる大陸は、険しい山々に囲まれ生活するには厳しい環境が広がっている。代わりにその山からは希少な鉱物が豊富に採取され、ドワーフ達の生活の糧となっていた。ドワーフ達は、鉱山の中に無数に広がる蟻の巣のような洞窟で鉱石を採取し、それを加工して見事な装飾を施すと、他の大陸に住む種族へと輸出して生活費を稼いでいた。決して豊とは言えない環境ではあるが、贅沢な暮らしに元来興味のないドワーフ達にとっては十分な利益となり、皆幸せに暮らしていけたのだ。
ドワーフが暮らすグリゴロールへと、突如侵攻してきた魔人率いる魔族の軍勢は、ドワーフの女子供を問わず容赦なく皆殺しにしていった。当初こそ屈強なドワーフの戦士達が斧や剣で勇ましく応戦していたのだが、襲いくる魔物達は殺したドワーフを喰らっては力を増していく。津波のように次々と押し寄せる魔物の群れに押され、いよいよ敗戦が現実味を帯びて来たことを悟った歴戦の勇者であるドワーフの王は、地の利を活かした炭鉱内の奥深くへと魔族達を誘い込む作戦を決行した。
ドワーフ達は鉱山へと逃げる振りをし、魔物達を狭い炭鉱内部へと誘い込んだ。踵を返し逃げていくドワーフ達を見て、魔族達は高揚し、疑う事なく追いかけて狭い炭鉱内へと侵入していった。ドワーフ王の目論見は見事に成功する。迷路のように複雑な炭鉱内にまんまと誘い込まれた魔族は、暗く狭い炭鉱で道に迷い、自由に行動が出来なくなっていた。ドワーフ達は、単独行動になった魔獣や魔族を洞窟内で挟み込み、次々と各個撃破していったのだ。最期まで諦めないドワーフ達の執念が功を奏し活路は見出された。グリゴール大陸へ侵攻してきた魔族のうち、魔人を除く上級魔物を全て倒したからである。外に潜む魔人を倒す事は難しい。しかし、持久戦に持ち込めば、必ずや他の大陸から救援が駆けつけるだろう。それまではここで子供たちを守り抜くのみだ。ドワーフの戦士達は、全身に刻まれた傷など、一切意に介さず、決死の覚悟で戦い続けた。
一方その頃、今まで何もせず岩山の周りをグルグルと旋回していた魔人が、最も大きな炭鉱入口へと向かって飛来すると、配下の魔物達にその他の入口全てを破壊するよう指示を出すと、鉱山の至る箇所から轟音と共に粉塵が舞い上がった。魔人は、自らが待機している大きな入口だけを残して、全ての炭鉱の通路が封鎖された事を確認すると低い笑いを漏らし、指を鳴らして合図を送った。その瞬間、地中からジャイアント・ワームがうねりながら姿を現すと、風が谷を吹き抜けるような奇声を発した。その長さは30メートルに及び、太さは炭坑内部を塞ぐ程である。
通常のワームは、3~4メートルほどの大きさで比較的弱く、脅威とはならないのだが、村での虐殺や戦場で倒れたドワーフ達の死体を喰らい尽くし、凶悪なジャイアント・ワームへと進化し狂暴な姿へと変貌を遂げていた。
巨大な身体をくねらせ、大きな口から涎を滴らせているジャイアント・ワームを一瞥すると、魔人は愉快そうに「ククク」と鼻を鳴らして笑った。炭鉱入口へと降り立った魔人は、右手を軽く挙げると、炭鉱入口に向けて指を指した。それを合図にジャイアント・ワームは巨大な身体をうねらせながら吸い込まれるように炭鉱の中へと侵入していく。その胴体は入口より太く、洞窟内部では壁一面に密着して蟻一匹ですら逃げる隙間もないだろう。暫くすると、洞窟の奥深くからドワーフ達の叫び声や悲鳴がこだました。その阿鼻驚嘆する光景を想像しながら、魔人は響き渡る悲鳴を纏い、優雅に微笑むのであった。
突然炭坑内に出現したジャイアント・ワームは、逃げ惑うドワーフ達に追いつくと、口中に無数に生えた鋭利な歯で、屈強な兜や鎧ごと噛み砕き、その腹の奥へと飲み込んでいった。恐怖で戦意を失い洞窟の奥へと逃げるドワーフ達は、パニックになり折り重なって転倒してしまう。逃げ場のないドワーフ達は叫び声を上げながら、グチャグチャに殺戮されていった。
得意とする炭鉱内での戦闘が完全に裏目に出てしまった。炭鉱最深部にある広間で状況を窺っていたドワーフの王と戦士達は、広間へと逃げ込んで来るドワーフ達の姿を見て、こちらが戦術的に誘い込んだつもりが、実は魔人の巧妙な罠に嵌り、追い込まれていた事を悟った。
このまま何も行動しなければ、全滅は避けられない。ドワーフ王は、決死の覚悟で入口へ向かう決断を下した。そして、その作戦は至って単純だった。それはドワーフの戦士に伝わる最高難度の絶技、「阿修羅」を繰り出しながら、入口まで突き進むだけだ。ドワーフの一族に伝わる民族の舞踊には、三人一組で鉄槌を持ち踊る「八槌の舞」というものがあり、ドワーフであれば誰しも幼少の頃から踊りを教わっている。幼い頃から舞踊を続ける事でリズムや呼吸を自然と体得し、それを一流の戦士が闘いに昇華させることで真価が発揮される。但し、その舞を完璧に熟すには類まれなセンスに長年の努力が積み重なって初めて完成されるのだ。
座して死を待つよりも、ドワーフの誇りを掛け、両手に持つ白銀の戦斧で繰り出す超絶技、「阿修羅」を駆使して、入口まで一気に駆け抜ける事を選んだドワーフ王は、その決意を手練れの戦士ふたりに伝えた。そして、広間の奥で震える妻や子供達に力強く声を掛け、「時間を稼げば必ず他の大陸から救援が来る。外に居る敵も全て蹴散らす、信じて待て。」と、王として最後になるであろう指示を出した。
一流のドワーフによって鍛え抜かれた強固な戦斧は、決して砕ける事がなく、攻防ともにその威力を発揮する最強の武器なのだ。そして「阿修羅」とは、戦斧を戦いの中で最大限に活かすために練り上げられた戦法であり、ドワーフの歴史の集大成である。三人の屈強なドワーフ達が背中合わせに構え、両手に握る戦斧で戦うのが基本スタイルだ。その三位一体の動きには無駄や隙がなく、攻防を自在にこなす。正面に立つ戦士は、狂気じみた激しい攻撃と防御を絶え間なく繰り出し、タイミングを見計らって左右の戦士と瞬時に入れ替わる。この完璧な連携を、敵が力尽きるまで続けるのだ。流れるように交替を続けるその様は、戦場を舞う修羅という名のの獣となる。
最後に広場へと逃げ込んで来たドワーフが、叫び声を上げてジャイアントワームに食い殺されるのを合図に、ドワーフ王たち三人は猛然とジャイアント・ワームに向けて走り出すと、怒りの阿修羅が舞い降りた。目では追いつかない速度で交替を繰り返し、両手で振るう戦斧は岩をも砕くジャイアント・ワームの鋭い歯を粉々に砕いてゆく。その動きは嵐のように激しく、ワームを圧倒した。三人の屈強なドワーフ達は、戦場の化身と化し、その残像は千本の腕と三つの顔を持つ阿修羅へと変貌した。阿修羅は全てを打ち砕くドリルの如くジャイアント・ワームの口から進入すると、胴体の中を回転しながら突き進む。内部から破裂していくジャイアント・ワームは成す術がなく、肉の塊となって吹き飛んでいった。
阿修羅は、次々と洞窟の入口より侵入してくるジャイアント・ワームの群れを吹き飛ばしながら、一度も止まることなく出口を目指し突き進んだ。そして、ドワーフ王達が最後の一匹の腹を突き破ると、洞窟の外に飛び出した。
炭鉱から飛び出してきたドワーフ王達を見下ろしながら、空に浮かぶ魔人が薄い笑みを浮かべ、パチパチと拍手をしている。
「ククク、ククク・・・ククッ」
阿修羅の舞がどれ程凄くても、攻撃が届かなければ意味がない。それがわかっているのか、魔人はホバリングしながら余裕の笑みを浮かべている。
複雑に曲がりくねった炭鉱の最深部から入口までは距離にして二十数㎞はあるだろう。その距離を阿修羅を繰り出しながら休むことなく突き進んできた三人の戦士。彼らは既に限界に達していた。手に持つ斧が今にも落としてしまいそうなほどに。
ドワーフ王は、背中合わせの状態のまま戦士達に振り向く事なく声を掛ける。
「ドワーフの勇敢な戦士たちよ、よくぞここまで耐えてくれた。感謝痛み入る、これで最期だ、全力でいくぞ。」
ドワーフ王は背後の二人の戦士を激励した。
「わかってますよ、王。あの魔人に目にもの見せてやりましょう。」
「空中に居る事を後悔させてやるぜ。」
傷だらけの戦士達は疲れなど感じさせずに豪快に笑いながらそう言った。
「いくぞ、阿修羅旋風!!」
三人は戦斧を握る拳に力を込めると、高速回転を始めた。
ドワーフ達は再び阿修羅となると、空中の魔人目掛け白銀の斧を投げ放った。高速回転しながら迫る戦斧はヘタに受ければその腕ごと吹き飛ぶだろう。魔人は眉ひとつ動かさず、紙一重でこれを躱したが、地上の阿修羅からは次々と戦斧が飛んでくる。魔人が三つめの斧を避けた時、弧を描き戻ってきた戦斧が魔人の背後に迫るが、それすらも紙一重で躱した。
阿修羅はジャグリングのように斧を魔人目掛け投げ続けた。暫くの間、投げては避けるを繰り返していたが、阿修羅の目が赤く輝くと、斧を飛ばす速度が更に上昇した。阿修羅の回転速度は凄まじく、渦巻きとなりやがて小さな竜巻となった。竜巻の中で阿修羅は浮遊すると、魔人の元まで辿り着く。その間も戦斧は繰り返し投げ放たれていた。至近距離から放たれ続ける戦斧に流石の魔人も身体中に傷が発生していた。無数に行き交う戦斧の刃が魔人の羽を貫くと、たまらず魔人は地上へと移動する。すぐさま阿修羅は竜巻を解除し、地上へ逃げた魔人を追った。
地上へ戻った阿修羅は、尚も余裕を見せる魔人へ向かい突進する。魔人は瞬間移動をしながら鋭い爪で阿修羅の攻撃を受け流すと、距離を取って魔法の詠唱を始めた。魔人の背後に魔法陣が無数に浮かびあがり、そこから螺旋状の槍が次々と出現し、阿修羅目掛けて放たれた。ドワーフ王達が舞う阿修羅は、魔人の放つ槍を次々と打ち落としながら、突撃を繰り返す。ドワーフ王の雄叫びが響き渡ると、阿修羅の目は赤く輝きを増し、その動きは更に加速する。まるで千本の腕を持つ闘いの化身のように、阿修羅から無数の攻撃が繰り出された。その速度は神速となり、ついに魔人を捕えた。
「ドンッ」という衝撃が地面に突き刺さると、魔人の背後の地面が大きく抉られ、その裂け目は遥か先まで続くほどの威力を放っていた。魔人の上半身は斜めに裂かれ、その場に崩れ落ちていく。ドワーフ王達は確かな手ごたえを感じたが、倒れ込んだ魔人が粉となって消え去ると同時に、背後から無数の槍が降り注ぎ、戦いが再開される。阿修羅に死角は無く、全ての槍を叩き落とすも、槍が飛来した先には倒したはずの魔人が薄ら笑いを浮かべながら腕組みをし立っていた。更に槍が飛来する中、魔人は突如として突撃してきた。魔人は阿修羅の目前まで迫ると、阿修羅の戦斧以上の速度で攻撃してきた。ドワーフ王が戦斧を横に凪ぐと、魔人の残像が消し飛び、瞬時に魔人は後方へと飛びのいた。恐ろしいまでの攻防に一瞬でも気を緩めれば、どちらかの身体は吹き飛ぶだろう。緊迫した戦いの中、王の額から汗が流れ落ちる。地面にその汗が滴ると同時に、手に握られていた筈の戦斧が急に無に消え、王はバランスを崩して転倒してしまった。顔から地面に倒れ込んだドワーフ王は、無くなった戦斧を探して辺りを見渡すが、どこにも見当たらない。
仲間の戦士達が驚きの声を上げた。慌てて振り返ると、彼等もまた握っていた筈の戦斧が突如として消え、困惑していた。焦燥に駆られた三人はすぐに事態を察知し、魔人の方を確認すると、薄ら笑いを浮かべた魔人には新たに腕が四本生えており、六本の手にはしっかりと戦斧が握られていた。王達は深い絶望感と、背筋に走る冷たいものを感じていた。
魔人はトントントンとリズムよく飛び跳ねると、六本の戦斧を握りしめたまま高速回転を始めた。見様見真似で「阿修羅」を舞い始める。魔人の舞う阿修羅の目が狂気に赤く染まり、不気味な笑みを浮かべる。
「まだだ!」ドワーフ王が叫ぶと、魔人の足元に大きな魔法陣が二つ浮かび上がった。魔法陣から大きな戦斧が出現すると、魔人に襲い掛かる。ドワーフに伝わる「八槌の舞」が何故八個の槌であるのか、その名の由来が今ここに明かされた。彼らは先の闘いの最中、この地に魔法陣を描き込んでいたのだ。この究極の切り札が魔人を追い詰める。
「ドーン、ドーン」と大地を揺るがす音と共に、巨大な戦斧が魔人を叩き潰した。魔人は四本の腕と戦斧を落とし、背後の岩山まで吹き飛ばされた。派手に飛ばされた魔人の先の砂煙が徐々に晴れると、二本の腕で戦斧を握りしめた魔人が再び阿修羅を舞い始めていた。
ドワーフ王が見た最期の光景は、阿修羅と化した魔人が仲間のドワーフの戦士たちの首や腕を切り刻み、そのままの勢いで自分の首を跳ねる瞬間であった。
魔人が舞を止めると、静寂が訪れ、時折吹きすさぶ風の音だけが響いていた。恐怖に引きつり目を大きく見開いた戦士の首に満足げに足を乗せ、余韻に浸っていた魔人は、飽きたのか足元に転がるドワーフ王の首に斧を突き立てると、引き連れていた魔族をグレゴローグの大陸に残し、どこかへ飛び去ってしまった。
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巨人達が暮らす「ジャガスティック大陸」にも、魔人が率いる多くの魔族の軍勢が現れた。神の時代から存在する巨人族には、種族としての序列や法といった概念が無く、すべての巨人が等しく同列に扱われていた。元来、巨人はその巨大な体の為に食量不足が深刻で、空腹になると狂暴になり、自制が効かなくなるまで暴れまわる種族であった。しかし、このままでは全てを破壊し尽くしてしまうと憂いた大地の女神「イリス」は、数万年前に巨人たちを改心させ、彼らはようやく大人しくなったと伝えられている。
女神イリスから「ジャガスティック大陸」にもたらしたのは、「ジャガ・イモゥ」と呼ばれる植物で、その根茎部分は、岩の様に肥大し、非常に栄養価の高い食料源を提供した。このジャガ・イモゥには鎮静毒が含まれており、その毒は巨人の中枢神経に作用し、彼らを大人しくさせる効果があった。この恩恵により、巨人たちは改心し、その狂暴性は徐々に抑えられ、優しい種族となっていったのである。
ジャガスティック大陸へ侵攻した魔人は、まず最初に台地を覆い尽くす「ジャガ・イモゥ」をすべて焼き払うように命じた。手下の魔族達は魔人の指示に従い、全てのイモゥを焼き払うが、個として最強の巨人たちから反撃が始まると、魔族達は急激にその数を減らし始めた。巨人には魔法や通常の攻撃が通じ難く、どれほど狂暴な魔族であっても、巨人に握りつぶされ、踏みつけられて跡形もなく死んでいった。圧倒的な力を持つ巨人たちの前に魔族達は成す術もなかったのである。
やがてジャガスティック大陸に厳しい冬が訪れ、台地は一面白く雪で覆われた。例年であれば、巨人たちは冬の間、備蓄したジャガ・イモゥを食べながら静かに春の訪れを待つのが常だった。しかし、魔族によってジャガ・イモゥは全て焼き尽くされ、食料不足は深刻な問題となっていた。既に狂暴化し始めた巨人も出現し、動植物を手当たり次第に壊し喰らい始めていた。その暴走は止めようもなく、ジャガスティック大陸は再び混沌に包まれようとしていた。
空腹で怒り狂った巨人たちは、魔族を見つけると破壊し、その血や肉を腹いっぱいにたいらげた。一面に降り積もる雪で白く美しかった台地は、いつの頃からか魔族が流すモスグリーンの血で染められていった。その光景は、まるで地獄のようであり、巨人たちの狂気と飢えが大陸全体を覆い尽くしていた。
雪が解け、春を迎える頃、ジャガスティック大陸に侵攻してきたすべての魔族は、腹を空かした巨人たちにことごとく食い尽くされていた。背中を丸め台地へと伏し、冬を過ごしていた巨人たちは、春の暖かな陽光が差し込むと、ゆっくりと活動を再開した。彼らは台地の下に根を張るジャガ・イモゥを掘り出す事に決めた。地上の草木は全て焼き払われてしまったが、地下に残るイモゥの根には希望が残っている。巨人たちは慎重に地中からイモゥを掘り出し始めたのである。
その作業は再生と希望の象徴であり、ジャガスティック大陸は新たな始まりを迎えようとしていた。
掘り起こされたイモゥは、普段であれば綺麗な淡黄色をしており、その内側はクリーム色で、とても美味であった。しかし、空腹の巨人達が掘り出したイモゥは、大量の魔族の血で汚染された大地からそれらを吸収したのであろう、モスグリーンに変色しており、臭い匂いを放っていた。巨人たちは臭いジャガ・イモゥを食べるたびに、残念そうな表情を浮かべていた。しかし、ジャガ・イモゥの毒性が変質したのか、徐々に巨人達の視力に深刻な影響を与え始めた。巨人たちは失明するほどの視力障害に陥り、どうする事もできず、毎夜泣き叫ぶ声が大陸中に響き渡った。その悲壮な光景は、大地に刻まれた深い悲しみを象徴していた。
幾日が過ぎ、美しい月夜がジャガスティック大陸に訪れた。空腹で怒り狂う巨人の群れの中、夜の闇に紛れて女神・イシスが降臨した。目が潰れ、殆ど視力を失った巨人たちの眼にも、女神イシスの神々しい御姿はハッキリと映り込んだのだった。怒り狂っていた巨人たちは、女神の姿を確認すると、その神聖な光に打たれ、大人しくなり膝をついて恭しく頭を垂れた。彼等は女神イシスに、この酷い仕打ちをなんとか解決して欲しいと懇願した。すると女神イシスは優しく微笑み、彼等の願いを快く了承した。イシスが呪文を唱え始めると、暖かな光があふれ出し、優しく巨人達を包みこんでいく。光は巨人たちの飢えた心を癒していった。
女神は両手を広げながら美しい声で語りかけた。
「ふふ、皆さん安心してください。これでもう大丈夫ですよ。心優しい巨人たちよ、今宵はゆっくりとお休みなさい。明日の朝、目が覚めた時には、あなたたちの眼に光が戻り、見渡す限りのジャガ・イモゥがあなた達を迎えてくれることでしょう。」
巨人たちは、見えない目から大粒の涙を溢し、女神・イシスへと感謝の言葉を捧げ、喜びを伝えた。
太陽の光を浴びて巨人が目を覚ますと、そこには美しいジャガスティック大陸が広がっていた。澄み渡る青い空、台地一面に覆い茂るジャガ・イモゥの葉が、目に飛び込んできた。巨人は歓喜し、心からの感謝の言葉を女神イシスに捧げた。大地は再び希望と生命の息吹に満ちあふれていたのだ。
その時、突然視界の片隅で何かが動いた。驚くべきことに、それは巨大なジャガイモゥだった。正確に言えば、手足の生えたジャガイモゥ?である。手足の生えたジャガイモゥはとても美味しそうで、良い香りがした。空腹を抑えられなくなった巨人は、それを殴り飛ばし、羽交い絞めにして噛みついた。一口食べれば至福の喜びが広がり、口の中に溢れるジューシーな柔らかさと食欲のそそる香ばしい香りに巨人は無我夢中でジャガ・イモゥを貪り食った。小さくなったジャガ・イモゥは、こと切れる寸前に滑稽な悲鳴を上げた。これがまた刺激的で面白かった。
草木の合間から次々と別のジャガイモゥが次々と現れ、お互いに掴みかかって転がり合った。その光景はまるで芋同士が戯れているかのようだった。小さくなったジャガ・イモゥは、最後に滑稽な声を発していた。
まぁ、そんな事はどうでもよい。早く食べなければ、芋が小さくなってしまう。巨人は横たわるジャガ・イモゥに掴みかかり、噛みついては引きちぎり、その味を十分に堪能していた。すると突然、自身の足に鋭い痛みが走り、下を見ると、倒れていた別のジャガ・イモゥが足に噛みついていたのだった。
「芋の分際で我に噛みつくとは!」
巨人は噛みついていたジャガイモゥを振り払うと、踵で思いきり踏み抜いた。ジャガイモゥは悲鳴を上げながら砕け飛び散り、良い香りを撒き散らした。飛び散った芋の欠片を拾い集め口へとほおり込みながらふらふらと歩く巨人は、いつしかジャガ・イモゥに囲まれている事に気付いた。ふくらはぎを食い破られてしまい、思うように身動きが取れない巨人は、襲い来るジャガ・イモゥたちに食べて食べられを繰り返し、お互いが動かなくなるまで、腹いっぱいになるまで、死ぬまで食べ続けたのであった。
最期のひとりになった巨人が、他のジャガ・イモゥを食し終えた時、彼の身体は満身創痍であった。その巨人の前に、再び女神イシスが降臨した。その神々しい姿は自愛に満ち溢れていた。
「メ、メガミ、ィイ・ジスさまぁ・・あ、ありがぁとう」
喉を食い破られ、まともに発声できない巨人は口から血の塊を噴き出しながらも、振り絞って女神へ感謝の言葉を述べた。視力を治してもらい、これ程の恩恵を与えられ巨人は、心からの満足感に包まれていたのだ。
「そうですか。とても満足されていらっしゃる様子ですね。しかし残念ですが、あなたは死ぬ前に全てを悟らねばなりません。」
イシスの言葉に巨人は疑問の表情を浮かべた。
突如、目の前の美しかった女神イシスの姿がぐにゃりと変形を始め、その美麗な装いは瞬く間に憎き魔人へと変貌した。
「ゴワァッ」と、意味不明な声を発しながら、巨人が震えるように周囲を見渡すと、そこには肉片となった変わり果てた同族達の屍の山が築かれ、血まみれの大地が広がり、まるで地獄絵図のようであった。
今まで自分が食べていたのはジャガ・イモゥではなく、同族達だったのだろう。全てを悟った巨人の感情は怒りと哀しみが入り混じり、とてつもない吐き気に襲われていた。巨人はその場に蹲ると、口から食べた物を泣きながら嘔吐する。その心には恐怖と絶望が深く広がっていた。
巨人の様子を愉快そうに見つめていた魔人が、「ククッ」と笑った。地面に転がる別の頭を徐に拾い上げると、嘔吐を続ける巨人の髪をわし掴み、魔人の胴体より太そうな首を物凄い腕力で捻り上げた。巨人は苦しそうに何かを話そうと、反吐塗れの口をパクパクさせもがいていると、魔人はその口の中へ拾った頭を無理やり捩じり込んだ。巨人は暴れようとするも、押さえつけられて身動きが取れない。その口は裂け、頑丈であった歯も砕けていく。魔人は更に強引に頭を押し込み、巨人は苦しそうに手足をバタバタとさせのたうったが、やがてその動きは静かになり、ピクピクと痙攣してから巨人は息絶えた。
立ち上がった魔人は、喜びに満ちた身を一度ブルルッと震わせた。しかし、その喜びも一瞬で興味を失い、「ジャガスティック大陸」を後にして飛び去った。
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三千年前の六大陸魔族同時侵攻を受けた大陸の一つ、「スナリア大陸」その地には、古来よりエルフが繁栄する深い森が広がっていた。そこに住むエルフ達は、世界の果てに存在する魔大陸に対して常に警戒を怠らなかった。そのため魔族の不穏な動きにもいち早く察知しており、魔族の襲来に備え防衛の準備を万全に整えていたのである。
エルフの王「フェルオラ」は、エルフという種族に革命を起こす異端児であった。王となる以前、彼は過去の神聖魔法をすべてマスターし、更にオリジナルの神聖魔法をいくつも編み出していた。その功績を認められ、エルフの王に上り詰めたが、彼の魔道に対する探求心は決して尽きる事は無かった。エルフ種の繁栄のために尽力し続け、以降千年間その座を他に譲る事はなかった。
エルフの王「フェルオラ」は魔族襲来を逸早く察知すると独自に編み出した結界魔法「セラフィック・ウォール」をエルフの森全体に張り巡らせ、鉄壁の防御を敷いたのである。「セラフィック・ウォール」は森の墓地に眠る歴代のエルフ達の墓より気高い魂を呼び寄せ、そのエネルギーを媒介に魔法形成される結界膜で、千人の英霊達の魂を用い、千枚の結界膜が重ねられている。例え一枚が破らたとしても、残りの九九九枚全ての結界膜が崩れない限り、森への侵入は絶対に不可能である。更に、この結界の特質すべき点は、数枚破られても即座に新たな結界膜を追加出来る点にある。魔族どころか、どのような種族の如何なる攻撃であっても、この結界を突破することは決して叶わない。千年以上生きるエルフの王「フェルオラ」がこの日の為に築きあげた結界「セラフィック・ウォール」は、その名の通り完璧であった。唯一この結界を突破できる可能性があるのは「古の魔王」くらいのものだろう。知能の低い魔族ごときには決してこの結界を破ることが出来ないと、全てのエルフ達が高を括っていた。
かつてこの世には神々が存在し、エルフや巨人といった古来より生きる種族と共存していた時代があった。しかし、種族が増えるにつれ、醜い争いが増していった。神々は長く続く不毛な争いから次第に数を減らし、最期には天の彼方へと去ってしまったと伝えられている。魔族の王とされる「古の魔王」は、太古の神々によって創造さた神の末裔であり、唯一現存する神として恐れ敬われている存在である。
そして、今でもこの世界に唯一干渉し続けている神は、大地の女神「イシス」のみである。しかし、女神も既にこの世界に実体を持たないため、深く信仰する信者の祈りに対してのみ、深層意識の奥底で干渉することができるとされている。
魔族による六大陸同時侵攻において、「古の魔王」は自ら参戦せず、配下の魔人達が魔族を率いて進軍してきた。魔人達はその実力で、古の魔王と同等の力を秘める存在とまで言われているが、エルフの使用する神聖魔法との相性は最悪であった。フェルオラ自身も若き頃、魔人と対峙した経験がある。当時のエルフ達と協力し、神聖魔法を駆使してその魔人を打ち倒したのだ。あの頃より数倍も強く進化したフェルオラ王とエルフ達にとって、魔人とその軍勢は今や取るに足らない相手であった。
スナリア大陸へと向けて侵攻した魔族たちは、魔人の指示に従い、あらゆる手段を駆使してエルフ達が住む森へ攻撃を仕掛けていた。空からは無数の翼竜が巨大な岩を掴んで落とし、地上では火蜥蜴が口から炎を噴き、結界に向けて絶え間なく浴びせ続けている。地中からも同時に攻撃が仕掛けられ、土竜の鋭い爪が結界を破ろうと攻撃を加えている。圧倒的な物量を活かし、攻撃は苛烈を極めていた。
妖精王フェルオラが絶対の自信を持つ「セラフィック・ウォール」であったが、魔族達の物量による波状攻撃を受け、次々と結界に小さな綻びが生じ始めた。すると、魔物達の後方で待機していた黒づくめのローブに身を包み、大鎌を持った死神達が音も無くスッと動き出した。死神は天高く大鎌を振り上げ、魔法を詠唱すると、結界の小さな小さな綻びに向けて稲妻の光を放った。結界の綻びに強い衝撃が加わると、セラフィック・ウォールの最外層は弾けて消えてしまった。それはまるで死神が命を刈り取る瞬間のように無情であった。
エルフ達は森の中から魔物達の波状攻撃に不安を感じていた。その数は、エルフの悠久なる歴史の中でも聞いたことも無い規模で押し寄せており、セラフィック・ウォールの外は魔物で溢れかえっている。遠方の景色など完全に見えなくなっていた。これでは例え結界が破られなくとも、森の外へ出る事は叶わないであろう。不安そうに結界の中から外の様子を窺うエルフ達の心配は、ピークに達していた。堅牢である筈のセラフィック・ウォールの再外層が魔族襲来から数刻も経たない内に破られたのである。セラフィック・ウォールは魂を利用しているため、死神の攻撃との相性は最悪である。現在攻めてきている魔人は相当頭の切れる奴に違いない。フェルオラですら見逃していた攻撃方法に、彼の心にはわずかな苛立ちが芽生えていた。
報告を受けたフェルオラは、残りの結界九九九枚がすぐに破られる事はないと確信し、女子供達を抱きしめては優しい言葉で安心させた。エルフの子供達は、偉大なる王に優しく頭を撫でられ、笑顔を取り戻していた。エルフの王、フェルオラは、皆に勇気を与えると、要石の側で結界の修復を行うエルフと妖精達に的確な指示を出していった。砕けた結界が光の粒子となり、再形成されていくのを確認すると、フェルオラは決意の表情となり、森の中央に存在する巨大な神聖樹、そこにある「天上の耀晶殿」へと向かった。
天上の耀晶殿は、神聖樹の最上部に位置し、地上から100メートル以上の高さに設けられている。そのエリアは高位エルフや王族達の居住区となっていた。フェルオラは天上の耀晶殿を一瞥し、透明な羽を広げ飛翔魔法を唱えた。その身体は一瞬で空へと舞い上がると、たった数秒で耀晶殿の入口まで辿り着いてしまった。
神聖樹最上部は高位エルフの居住区となっており、その一画には「王の間」が存在する。この緊急事態に逐次対応するため、フェルオラ王はエルフ達へ的確な指示を出す必要があった。王は神聖樹最上部に位置する天上の耀晶殿に素早く進入し、王の間へと足早に辿り着いた。
その部屋はフェルオラが王になってから変わることなく、壁一面に上下までびっしりと魔道書や歴史書が並んでいた。長年にわたり魔法研究に没頭してきたフェルオラの部屋には、様々な魔具や実験器具が溢れかえっていた。その中でも一際美しく透き通る深い青色の水晶玉を手に取ると、彼は玉座にある洗練された美しいデザインの大理石で出来たテーブルの上にそっと置いた。
フェルオラ王は内ポケットより虹色の秘薬が入った小瓶を取り出し、その場で軽く二、三回シェイクした。小瓶の中の液体は虹色のまま混ざり合う事なく、ゆらめいては輝いている。フェルオラ王がガラスの蓋を少し捻って栓を外すと、小瓶の中から煙がふわっと溢れ出し、床へと広がっていった。彼は水晶の上で小瓶を少し傾け、虹色の液体を一滴垂らすと、静かに呪文を唱えた。すると、透き通っていた水晶の中に靄が発生し、徐々に結界の外で指揮をとっている男の影が映し出された。
水晶に映し出された影はエルフの王フェルオラの長い人生の中でも見た事のない魔人であった。確認されている魔人は現在三体のみで、その内の一体「悪夢のエルガイム」は四百年前の戦でフェルオラ達エルフが倒している。残りの2体「激震のガザダ」と「醜災のゴルモロ」もその眼で確認した事はあるが、どの魔人とも似てもいなかった。
その見た目は他の魔人と同様に人型をベースとしている。大きな翼と二本の角が特徴で、漆黒な体躯は鍛え抜かれた鋼の如く強靭で、黒い鱗で覆われている。手足には鋭い鉤爪があり、他種族との決定的な違いは、その身に纏う物が一切無い事か。残虐そうな瞳は赤く染まり、口元には薄らと不快な笑みを常に浮かべていた。
(やはり新参の魔人であろうか?)
水晶に映る映像を見つめながら、フェルオラは思案にふけった。かつて見た事の無い強力なオーラを発するこの魔人から、得体のしれない不気味な何かを感じ取り、フェルオラの背筋に冷たい何かが走った。彼の経験豊富な直感が、この魔人が単なる脅威では無いことを告げていた。「古の魔王」は神の末裔であり、その力は絶大である。しかし、不死者の王であるがゆえ、他種族の事に関心を持たない。古の魔王にとって他者の命など気にする必要すらないのだ。ならば、どうしてこのような大規模な進軍を魔族達は決行したのだろうか・・。フェルオラの心に疑問が渦巻いていた。
思い当たる節があるとすれば、やはりこの魔人が原因であろう。この新参の魔人は、功績を欲するがあまり、魔族の軍勢を率いてこの大陸に攻め入ってきたに違いない。苦々しく唇を嚙みしめるフェルオラ王が水晶の中の魔人を見つめていると、外から若いエルフ達の叫び声が響いてきた。どうやらセラフィック・ウォールの結界膜が次々と破られているらしい。エルフ達も修復を続けているが、それよりも破壊される速度の方が圧倒的に早いのだ。
フェルオラが王の間で水晶を見つめながら思案に耽っていると、若き三人のエルフ達が息を切らしながら慌てて駆け込んできた。彼等は結界の修復を担当していた若者達であった。先頭の若い男のエルフは、フェルオラの前に膝をつき、大きな声で懇願した。
「偉大なる王フェルオラ様、この場への許可なき侵入と数々の非礼に対する処罰は、後程必ず承ります。しかし、今はどうか、下に降りて結界の修復にご尽力願えませんでしょうか?貴方様のご助力が必要なのです。」
他の二名の女エルフ達もフェルオラ王へ傅いたまま、搾りだすように「お願いします」と声を発した。
「気にするな、非常事態であるからな。」
若いエルフ達を見つめるフェルオラ王の眼差しは、柔らかく、優しさと自愛に満ちていた。
「そうだな、結界の現状を知りたい。詳しく教えてくれないか。」
フェルオラ王の問いに、若いエルフ達は一瞬見つめ合った後、髪の長い女エルフが一番に口を開いた。
「王様、セルフィック・ウォールですが、既に数十枚破られています。私達エルフが一枚修復する間に三枚以上破られてしまう速さです。」
続いて、髪の短い聡明そうな女エルフが続けて申し出た。
「僭越ながらエルザの報告に補足をさせていただきますと、魔族達の結界破壊速度と修復班による修復速度を加味して計算を行いました。千枚の結界を全て破るには、およそ330時間となります。」
若者達の報告を黙って聞いていたフェルオラ王が、その口を開いた。
「うむ。このまま何もせずにいれば、そなたの言う通り二週間後には全てのセラフィック・ウォールが破らてしまうだろう。そうなれば、エルフの森は焼かれ、四方から炎が迫り、退路を断たれた我々エルフは、滅ぶしかないのであろうな。」
フェルオラ王は冷静にそう告げると、リーダー格の男性エルフに追って指示を出すとし、彼には持ち場へ戻り全力で結界回復に努めるよう伝えた。残された二人の若い女性エルフ達が互いに顔を見合わせていると、フェルオラ王はこれから起こる戦いに備えてここに残り、助力して欲しいと頼んだ。
フェルオラ王は水晶に映る森を見ながら考え込んでいた。例え魔族達が数十万という大群で侵攻してきたとしても、千枚の結界膜で形成されるセラフィック・ウォールを打ち破る程の魔力を維持し続ける事など不可能ではないか?嫌な予感を覚えたフェルオラ王は、水晶に映る映像を森から魔族へと切替えると、そこには魔力を使い果たし崩れるように倒れた最前列の魔物を、後列の魔物達が喰らい力を増している映像が映し出されていた。フェルオラ王はその光景を見て背筋が凍る思いをした。
魔族の中には戦いの中で敗れた同族や敵を喰らい、己の能力を飛躍させる魔物がいる事は知っていた。しかし、今回のそれは違った。結界を破る為だけに同族を喰らうのだ。魔力を使い果たした魔物を取り込んでも、せいぜい多少強くなる程度であろう。にもかかわらず、その光景はあまりにも異様だった。今も尚、不可解な同族喰らいを続けながら魔族達は休む事なく結界破りを続けている。このままセラフィック・ウォールが全て破られたとしても、魔族達は大幅に数を減らし、エルフ達の一斉攻撃によって壊滅させることはたやすいだろう。この異常な状況は、ただの戦術では片付けられない、深い闇の存在を感じさせるものだった。
フェルオラは先程の魔人が気になり、映像を切り替え魔人の姿を水晶に映し出した。すると、水晶に映る魔人は既に戦線から離れ、遠くから魔物達を退屈そうに見つめているだけであった。ふと、魔人がこちらに顔だけ向けると、フェルオラ王と視線が合ってしまう。ギョッとしたフェルオラ王が水晶より一瞬視線を逸らすと、魔人がククッと笑ったように感じた。水晶を使った遠隔透視には魔法を一切使用しておらず、妖精だけが扱える自然エネルギー「ナチュラル・チャーム」を利用している。この不思議な力は、離れた場所の映像を映しだすことができるが、魔人を含め魔族達には扱えず、勿論、感知することも出来ないはずだ。
冷静を装うフェルオラが水晶に映る魔人へと視線を戻すと、魔人が何やらブツブツと口を動かしていた。チラリと魔人が水晶越しにフェルオラ王を見つめると、妖精王から譲り受けた貴重な水晶がピシッと音をたて真っ二つに割れ、床に落ちて粉々に砕け散った。一部始終を見ていた二人のエルフが、「キャッ」と小さな悲鳴を上げた。
エルフの王フェルオラは瞬時に全てを理解した。魔人の力が、彼らの結界と防御を打ち破るために、どれほど巧妙かつ強力なものであるのかを。そして、その背後に潜む意図がどれ程恐ろしいものであるのかを。
恐らくこの魔人は神と同等の力を秘めている。結界の中に干渉できるということは、いつでも結界内に入れる力を持つと証明した様なものであり、結界を超えられる者が神のみであれば、それは神に等しい存在であるという単純な話だ。要するに、フェルオラ達エルフは遊ばれているに等しかった。フェルオラ王自慢のセラフィック・ウォールなど、この魔人にとっては紙切れとさほど変わらないのだろう。
「ふふ、ふふふふ・・・。」
フェルオラ王は体の奥底からふつふつと沸き上がる感情を抑える事ができず、細かく震えながらも不思議と笑いが込みあげて来た。
「フェルオラ様・・?」「どうかなされたのですか?」
フェルオラの様子に違和感を感じた女エルフ達は、心配そうに声を掛けた。
「問題ない、案ずるな。」
フェルオラ王は意を決し、女エルフ達に力強く目配せをすると、王の間から全てのエルフと妖精達に向けて呼びかける事にした。
(神と闘うならば、神の力を使うまでだ。)
神聖樹の最上階にある王の間から外に姿を現したフェルオラ王。胸に付けていた花のブローチは、通信機となっており、花弁を軽くこすると、深く息を吸い込み、全てのエルフと妖精に向けてメッセージを送った。
「私はエルフの王フェルオラである。」
「今、森の守護者たる全てのエルフと妖精達へ、心からの敬意と共に告げる時が来た。」
「森の民が心から愛するスナリア大陸は、神聖樹を中心に広がる広大な森がとても美しく、そして壮大な世界である。我々エルフは、その優雅さと力強さを守り続け、未来の世代へと森の知識と伝統、そして暮らしを引き継ぐ責務を担っている。」
フェルオラ王は演説を続けた。
「偉大なるエルフの民と敬愛する妖精達よ、私フェルオラはあなた方の知恵と勇気を信じている。必ずこの地を護り抜き、先代の英霊に誓って最期まで戦い抜く事を約束しよう。」
森の各所へと散っていたエルフと妖精たちの耳に、澄み渡るフェルオラ王の声が送信された。このテレパシーと呼ばれる能力もまた、魔法ではなく妖精たちが使用する「ナチュナル・チャーム」を利用している。エルフ達は耳に小さな花をイヤリングとして付けており、そのイヤリングには妖精の持つ不思議な力が宿っている。この力を利用することで、遠く離れた場所にいるフェルオラ王の声を聴く事が可能となるのだ。
エルフ達は神聖樹の最上部を見上げ、その頂きに立つであろう王の言葉に静かに耳を傾けた。王の声はイヤリングを通じ全てのエルフと妖精たちに届けられ、森の守護者たちは一つになった。
「諸君、落ち着いて聞いて欲しい。これより魔族の掃討作戦を決行する。ゆえに、全エルフと妖精たちよ、速やかに神聖樹へと避難せよ。事は急を要する!もう一度言う、全員神聖樹の中へと避難せよ!これは戦略的撤退である!!」フェルオラは語尾を強めて言い放った。
普段は冷静で物静かなフェルオラ王が、ここまで必死に声を荒げる事態など、誰しも想定していなかった。王は全エルフと妖精に、神聖樹の内部へ避難するよう促しているが、絶対障壁セラフィック・シールドの修復を諦めて神聖樹へ撤退するのは、負けを認めることと同義ではないのか?結界修復班のエルフ達は困惑していた。その中には、さきほど王の間へ現れた男のエルフもおり、その時の「追って後から指示を出す」と言っていた言葉を思い出していた。
「迷うな、王を信じよ!」若いエルフはそう叫ぶと、
数千万のエルフと妖精が一斉に森の空へと飛翔し、神聖樹へと向かっていった。
全員が神聖樹の中へ避難した事を確認したフェルオラ王は、魔族達の攻撃が今も尚続く事には特に言及せず、神々の時代から受け継がれた最終兵器の発動を皆に伝えた。そして、それぞれの指示の通りに配置に着くよう命じた。
エルフの秘密として、代々の王だけに受け継がれてきた神々の兵器を起動するには、多くのエルフ達の命の灯が必要となる。伝承によれば、今や森の一部である神聖樹に魂を与え、命令通りに操る事が可能であるという。太古の戦いでは、百メートルを超える巨大な神聖樹が動き出し、襲い来る全ての敵を薙ぎ払ったと伝えられている。まぁこの巨大な神聖樹が意思を持ち動き出せば、如何なる敵であろうと問題なく倒せることだろう。(神々の兵器とは、まったくもってふざけたものだ。)フェルオラ王はその桁外れの兵器に辟易しつつも、今となっては心強さを感じていた。
エルフ達は何も知らされぬまま、神聖樹の壁にある窪みに身体を預け、祈りに集中し始めた。すると神聖樹はエルフ達に絡みつき、その自由と意識を奪っていった。暫くすると、神聖樹のあらゆる箇所からポツ、ポツと不思議な光が煌めき始め、その輝きは次第に強さを増していった。そして、スナリア大陸全土に地鳴りが響き渡り、台地は激しく揺れ、空気が震えた。ズズンと砂煙を上げながら、ついに神聖樹が動き出したのだ。
「オォーォォーーン・・ン・・」
神聖樹が発する地鳴りのような音が、森の奥底から空気を震わせ、全体に響き渡った。その音はまるで樹と樹がこすれ合うかのようで、聞く者の心臓を切り裂くナイフのように突き刺さる。
結界を破壊すべく攻撃を仕掛けていた魔族達は、森の異変に気付くと同時に、神聖樹の発した声の迫力に恐怖し、動けなくなっていた。そして、森の奥からズズン、ズズンと台地を鳴らす音と共に舞い上がる砂煙が、徐々に魔物達へと近づいていくのだった。
突然、魔物達の胴体が切り裂かれ、次々に飛び散ってゆく。空を飛ぶ翼竜達は、森から一瞬で伸びて来た無数の蔦に絡め取られ、数キロ上空からそのまま地面へ叩きつけられていく。魔族達は負けじと反撃を試みるが、刃のように鋭く鋼のように固い無数の蔦が、四方八方より襲い掛かり、一瞬で壊滅させていく。敵からの攻撃に戸惑う魔族達は、後方へと撤退を余儀なくされていた。
「オォーーォォーーン・・ン」
徐々に収まっていく土煙の中から、巨大な神聖樹の影が揺らめきながら現れてきた。その壮大な迫力に魔族たちは顔を見合わせると、これは勝てないと本能で悟った。その瞬間、全員が一目散に逃げだしたのだ。まるでクモの子を散らすように、数多の魔獣や魔物達が四方八方へと逃げていく光景を見て、魔人だけは「ククッ」と不敵な笑いを浮かべていた。
魔人がなにやらブツブツと唱え始めると、脇をすり抜けて逃げようとしていた魔獣の身体が粉々に切り刻まれ、吹きとんでいった。逃げていく魔物とは対照的に、魔人はスタスタと神聖樹へと近づいていく。魔人とすれ違う巨大な魔物もまた、粉々に吹き飛きとんでいった。両手を軽く横に広げると、そのまま魔人はふわりと宙に浮きあがる。再びブツブツと詠唱を始める。空には不穏な空気が流れ始め、澄み渡る青空は一転して暗雲が立ち込めてきた。
ピシッ!ピシッ!と空気を切り裂く音が響くと、地中と森のあらゆる方向から現れた蔦が、魔人目掛けて同時に突き刺していく。逃れるには更に高く飛ぶしかなさそうだが、魔人は相変わらずブツブツと詠唱を重ね、逃げる素振りは見せない。すべての蔦に魔人が貫かれたと思われた瞬間、魔人の周囲を円形に囲む見えない刃が、迫りくる鋼鉄の蔦を一瞬で斬り刻んでいった。その光景は刃の嵐のようで、鋼鉄の蔦ですらもやすやすと粉々にされ、周囲に飛び散っていく。
その後も蔦は無限に伸び、魔人を貫こうと攻撃し続けたが、魔人の周囲で回転を続ける見えない刃に阻まれ、繊維まで細かくなって消えていく。魔人は嘲るようにクククと笑い、詠唱を続けた。
(この魔人には、物理攻撃が効かないのだろうか?)
屑となり風に吹かれ拡散してゆく植物の繊維を一瞥した魔人は、遂に詠唱を終えた。空一面に広がった暗雲に突如として無数の目玉が現れると、逃げ惑う魔族達に向け、一斉に光の矢を放った。天から降り注ぐ光の矢は、数十万の魔族の軍勢を次々と焼き尽くしていく。光の矢に心臓を貫かれ、一瞬で燃えカスとなり地面に崩れてゆく魔族たち。魔人にとって彼等はただの駒に過ぎず、逃げるだけの無能ならば自ら殺戮して楽しむ事にしたのであろう。
一方、神聖樹の中でそれを見ていたエルフの王フェルオラは、こちらを無視し味方を殺戮している魔人を見て苛立ちを募らせていた。
(チッこの程度なのか神聖樹の力は・・まるで魔人に通じないではないか。神の時代の兵器が聞いて呆れる。)
フェルオラ王の内心には、失望と怒りが交錯していた。しかし、気を取り直し次なる手を模索し始めた。
「エルフの民よ!神聖樹の出力が足りぬ、これは命の灯の純度が高ければ高いほど性能が増すのだ、死んでも誠意を見せろ!」フェルオラは神聖樹の出力を上げるため、彼らの命の灯である、魂の吸収を更に強めた。
「忌々しい魔人めが、神聖なるエルフの土地を汚しおって、必ずその命で償いをさせてやるからな・・・」フェルオラ王は怒りに満ちた声で呟いた。
フェルオラ王は、神聖樹内側にある樹祠の中で両腕を穴に差し込んでいる。手から出る汗や細かい指の動きを察知し、神聖樹をコントロールしているのだ。脳裏には神聖樹を通じ外の景色がはっきりと映し出されている。まさに恐ろしいまでのロストテクノロジーである。
エルフ達の命の灯が吸収され、神聖樹の力が増したのを確認したフェルオラは、魔人に対し更に攻撃を強めるよう神聖樹に意思を送ると、魔人を突き射そうと直線的な攻撃を続けていた蔦が魔人を包むように絡みつく動きへと変化していった。無数の蔦は魔人の身体を覆い隠すほどの塊となり、絡みつこうと無限に伸び続けるが、相変わらず見えない刃によって次々と削り落とされていく。神聖樹と言えども所詮は植物なので、魔人の力の前では無力なのかと、落胆しかけたその時、魔人を捕えようと囲んでいた神聖樹の蔦で出来た塊の大きさは、ゆうに数十メートルを超え、その硬さと圧力は想像を絶するものとなっていた。遂に切り裂く速度を超えた蔦は、更に強く太く絡みつき、堅牢な牢獄へと変貌を遂げた。巨大な塊はギシギシと音をたてながら、未だ牢の中で魔人を護る刃の壁を潰そうとしている。削れば削るほど屑の逃げる場所がなく、内側に固着し続けていた。無限に伸び続ける蔦によって、塊の直径は二十メートルを超えようとしていた。
「オォォォォーン・・・ンン・・」神聖樹が吠える
「パッキィィィィィ・・・・ィィィィ・・・ィィィ」
ついに、魔人を護る真空の刃は、牢の圧力に耐えきれずに、空気を切り裂く破裂音と共に弾け飛んだ。勝負は一瞬にして決着がついた。魔人の身体を護る壁さえ破壊できれば、その肉体は細胞レベルまでグチャグチャに潰され、液体のジュースになっているだろう・・。まさに神聖樹の圧倒的な力とフェルオラ王の策略が見事に実を結んだ瞬間であった。
魔人が死に、澄み渡る青空が戻ってくると、球状となった蔦の塊が地上に落下してきた。ズドンと激しい地響きを立て落ちてきた木塊は、地面に三分の一ほど埋まり停止した。
フェルオラの身体は樹祠の中で身体中を神聖樹に絡まれ、樹液塗れとなっていたが、闘いが終わると中を掻き分けながら姿を現した。偉大なる王が樹液でベタベタになり、肩で息をしている。若き女エルフふたりは感涙し頬を紅ませながら、疲れ果てた様子のフェルオラ王を支え、喜びを分かち合っていた。
ズガーーーーーーーーーン!!!!!
喜びも束の間、突如として落雷が目の前に落ちたような凄まじい轟音が大気を突き破り、大地を震わせた。
フェルオラを支えていたエルザとミシェルの二人が悲鳴を上げると、冷静なフェルオラですら心臓がキュッと縮み上がった。三人が慌てて外を見ると、先ほどまで地中に埋まっていた巨大な木の塊が爆発し、粉々に吹き飛んでいた。クレーターとなった穴の底に燻るあの影は、死んだはずの魔人で間違いないだろう。フェルオラ王の心には再び緊張が走った。
「馬鹿な、あいつは不死身なのか・・・」
フェルオラが呟く。
「ウソでしょ、ありえないよ。」「ば、化け物・・・」
エルザとミシェルの二人は抱き合って震えを抑えている。
魔人は腕を下げた状態で両の掌を上に向けるとスゥーーと空に舞い上がった。その口元はブツブツと呪文を唱えている。その様子を見たフェルオラ王は、我に返ると、何か思いつめた表情で再び王の間の玉座へと戻っていく。
残されたエルザとミシェルのふたりが呆然と魔神を眺めていると、玉座裏の隠し扉がクルリと回り、見知らぬ少女が現れた。ピンクのドレスを着たその少女はトトトッとフェルオラに駆け寄って行く。
「ふぇるおらの王さま、マーシャ怖かったよぉ・・」
まだ羽も生え揃っていない少女のエルフは、フェルオラに抱き付くと幼い声で泣きついていた。
突然現れた少女に呆気に取られ少女と王を交互に見つめるエルザ達を他所に、フェルオラはマーシャと名乗った少女を優しく抱き上げると、少女の前髪をかき上げその額に優しくキスをし安心させるようにこう言った。
「マーシャ、外で怖いおじさんが暴れているんだ。決して部屋から出てはいけないと、あれほど注意したじゃないか。それに今は他のエルフもいるよ、また部屋に戻って隠れていなさい。」
マーシャはイヤイヤと首を振りながらフェルオラに抱き着いたままだ。
フェルオラ王は隠し扉の前でマーシャをそっと下ろすと、子ぐまのぬいぐるみを少女に渡し声をかける。
「あの悪いおじさんは、王様の名に懸けて絶対やっつけるから。だからマーシャはさっきの部屋でこのクマさんと隠れて居なさい。約束だよ。」
フェルオラは隠し扉を開けると、マーシャをそっと下ろし扉の中へ入る様に勧めた。
マーシャは「絶対迎えに来てね、」と言い残し隠し扉の奥へと戻っていった。
フェルオラが悠長にマーシャと会話をしている内に、詠唱を終えた魔人が、再び見えない刃をその身に纏った。魔人は神聖樹に対して高速突撃を何度も繰り返していた。
何度もなんども突撃を繰り返す・・・・・・
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度もも何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も高速突撃を繰り返していた。
魔人が通過した場所は円形に穴が開き、すっぽりと空間が抉り取られていた。虫食いの如く穴だらけになった神聖樹は、今にも崩れそうな状態だった。中にいたエルフ達も巻き込まれ、大勢が命を落としていた。これではもう、神聖樹が動き出す事はないだろう。
階下から聞こえてくる同族たちの悲鳴と混乱に耐え切れず、エルザがミシェルの静止を振り切り、未だに何もせず隠し扉の前で突っ立つフェルオラ王の背後に駆け寄った。彼女は焦りからフェルオラ王の衣を掴むと、震えながら悲痛な声で訴えた。
「フェルオラ様、悠長になにをしているのですか!そんな事してる場合じゃないと思われますが!このままだとエルフが、エルフが滅んでしまいます!!」
「!?」フェルオラ王の様子がおかしい?
エルザは、後ろを向いたままのフェルオラが引きつった笑いを口元に浮かべ、身体を震わせている事に気が付いた。その姿は、まるで内なる狂気が彼を蝕んでいるかのように見えた。
「ふふ、ふふふ、ふひひひ・・」
王の異変を察知したエルザは不安に駆られ、思わずその表情を除きこむと、フェルオラ王は見た事もない悪魔のような表情で笑いを堪えていた。
「ヒィッ!」エルザは小さく悲鳴を上げるが、その首に暖かい何かが溢れ出すのがわかる。彼女の目には涙が溢れ、自分の命が危機に瀕していることを直感的に理解していた。
振り向いたフェルオラは銀の短剣を握りしめていた。前のめりに倒れ込もうとしたエルザの髪を掴むと、フェルオラはその髪を引き上げる。エルザの首は持ち上げられ、真横に切られた傷口から鮮血がバシャバシャと床へ溢れ、血の飛沫が散った。フェルオラの目は暗く濁り、まるで悪魔のような表情に戦慄する。
「そんな事ダトォォォォォォー!!!」
目を見開いたフェルオラは気が狂ったのか、何度もエルザの頭を揺さぶった。エルザは口から真っ赤な鮮血を迸らせ、ゴフッゴフッと呼吸ができずにもがき苦しむ。白目を剥いた彼女は、そのまま琴切れた。フェルオラはエルザを血だまりの中へ叩きつけるように投げ捨てると、一歩、また一歩と腰が抜けて立てないミシェルに近づいていく。
「ヒヒッ、エルフが滅ぶだとぉ?私とマーシャが居ればそれでぇぜぇぇぇんぶ上手くいくんじゃぁないかぁ!?」
「マーシャと私が生きていれば、エルフの国なんて、すぅぐに再興できるよねぇ?」
淀んだ目を見開いたフェルオラの表情からは、既に理解が及ばない。声も出せずに震えるミシェルに顔を近づけると、狂気の笑みを浮かべたフェルオラが話し始めた。
「ハハハ、少々取り乱したようで、申し訳ないねぇ。マーシャを侮辱されて感情的になってしまったようだ。だが、これで本当にエルフの未来は私たちの手に委ねられるのさぁ。ヒヒッ・・・。」
ミシェルの目の前で、血が滴る短剣をチラつかせながら、フェルオラは話を続ける。
「面白い話があってね、ちょうど今から四百五十年前に大勢のエルフが殺された事件があったよねぇ、確か、テルミナ湖の奇人、低脳なミシェル君、この事件のこと覚えているかい?」
短剣の切っ先をミシェルの眼球近くで止め、フェルオラは饒舌に話を続けた。その事件は、エルフ達にとってまだ最近の出来事であり、忌まわしい過去の記憶でもある。当時、エルフ達の森へ紛れ込んだダーク・エルフがテルミナ湖周辺で百三十七人ものエルフを惨殺し、その後湖上の小舟の上で自害を果たす謎に満ちた事件であった。
「あの事件はねぇ、じ・つ・は、私がやったんだよ!このフェルオラ王がねぇ、ヒヒヒ。思い出したら・・ヒヒッ笑っちゃうよねぇー!!ヒヒ、ヒァッハハハハハァー!」
愉快そうに笑うフェルオラに、怒りに震えるミシェルは、振り絞って声を出した。
「狂ってる。こんな奴が王だなんて思っていなかった・・エルザぁ・・。」
ミシェルとエルザは同い年で、幼い頃からとても仲が良かった。ふたりはつらい時も楽しい時も、常に一緒にいたし、何でも相談し合える親友だった。時には同じ人を好きになったり、喧嘩もした。彼女との沢山の思い出が走馬灯のように思い出されていた・・・。
ミシェルがまだ何か言い終わらない内に、ピュッとフェルオラが短剣を横に凪ぐとミシェルの景色は上下半分にズレていく。両の眼球を真っ二つに切り裂かれミシェルはそのまま崩れ落ちた。
「うん、君達は死んで私の力になるといい。エルフの気高き魂は私の役に立つからね。」
銀の短剣を右手に握りしめたままフェルオラは階下へと続く階段を一歩づつ降りてゆく。魔人の仕業であろう、階段や壁、神聖樹のあちらこちらの空間が円形にくり抜かれており、それ以上先には進めなかった。フェルオラは羽を広げると飛翔魔法を唱えふわりと空に舞う。既にエルフ達の叫び声すら聞こえなくなっていた。
フェルオラが外に出ていくと、待ち構えていたように魔人が浮遊していた。その口元には相変わらず卑しい笑みが浮かび、こちらの出方をじっと窺っているかのようだった。
「ふん、神の力を使っても倒せない魔人なんて聞いたことも見た事もないな。貴様はいったい何者だ?」
フェルオラは短剣を握りしめたまま、魔神に問いかけた。
しかし、魔人はフェルオラの問いに対して「ククク・・」と薄ら笑いを浮かべるだけだった。(こいつは既に真空の刃を纏っている。この余裕は無敵状態だからだろう。)
「ちっ、口も聞けない魔獣程度の低知能が偉そうに。まあいい、エルフ史上至高の天才と呼ばれたこのフェルオラ様が全魔力をもって貴様を討ち滅ぼしてやる。せいぜい楽しませてくれよ。」
そう言って、フェルオラがブツブツと詠唱を始めた。この魔人には物理攻撃は一切通用しない。ならば魔法による攻撃で対抗するしかないであろう。天才である彼は、魔法詠唱を溜める技を編みだしていた。そして、フェルオラのみが可能な高速思考と事前詠唱の合わせ技を行えば、魔法の発動迄を無詠唱に近い速度で行う事ができるのだ。
(「エルフの王フェルオラの名において、天の氷神よ、その神聖なる力を我に授けたまえ。氷の鱗を纏う槍よ、全てを凍てつかせ、悪しき魂を貫け。神聖氷鱗槍魔法、発揮顕現!」)
恐ろしいまでの高速詠唱をフェルオラは思考のみで行った。超高位魔法である神聖魔法を1秒も掛けずに発動させたのだ。魔神は避ける事も出来ずに一瞬で分厚い氷柱の中に閉じ込められた。
(「エルフの王フェルオラの名において、天上の雷神よ、その怒りを我に貸し与えたまえ。天燐の稲妻よ、悪しき魂を貫きその業火で浄化せよ。閃光の雷撃!天燐雷撃魔法、発揮顕現!」)
高位神聖氷魔法のエフェクトが消える間もなく、高位神聖雷魔法を放っていく。凄まじい雷撃が渦を巻き氷柱を撃ち砕く。水分と雷が反応しスパークし、魔神の身体が弾け燃え上がった。
(「エルフの王フェルオラの名において、天上の炎神よ、その神聖なる焔を我に与えたまえ。聖なる炎よ、悪しき魂を包み込み、その渦で焼き尽くせ。神焔の咆哮!聖焔炎渦魔法、発揮顕現!」)
疾い、早い、速い!フェルオラの詠唱が早すぎるが故に、高位神聖魔法が同時に発動しているかのようだった。黒焦げの魔人に更なる熱波の龍が襲い掛かると、飲み込んで天高く火柱を上げた。
(「エルフの王フェルオラの名において、神聖なる天翔る風 よ、我が命令に従い、その力を解き放ち、清らかな風で悪しき魂を一掃せよ!神聖嵐翔魔法、発揮顕現!」)
魔人の周囲に幾筋もの風が吹き荒れる。風は渦を巻きながら激しく燃え上がると、魔人に向けて放たれた。火柱は荒れ狂う風を受け更に太さが増すと、その高さは神聖樹を遥かに越えて天高く立ち昇る。その光景は凄まじく、地獄の業火を思わせた。
立て続けに四つの高位神聖魔法を高速詠唱したフェルオラは、火柱に向かって尚も詠唱を続けた。
(「エルフの王フェルオラの名において、天の星々よ、その神聖なる力を我に授けたまえ。滅びの光星よ、震える地を貫き、悪しき魂を圧滅せよ。天星の堕撃!神聖星滅震魔法、発揮顕現!」)
空から無数の巨石が飛来し、焼かれている魔人目掛けて降り注ぐ。ここまで時間にして3.2秒ほど。如何なる魔人とて無事では済まないだろう。ドン、ドン、ドン、と音速で火柱へ向かって巨石が突入していく。数十発は落ちたであろうか、それはこの世の終わりを感じさせる光景だった。
「ヒャハハハ!馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿、バァーッカ!これは神の末裔、古の魔王を倒す為に私が編み出した最強の魔法ダァ!死ね死ね死ね死ね!テメェは死ねよ!ヒィーッヒッヒヒヒ!」狂王フェルオラが吠える。
魔人は最初の神聖氷魔法を避けようともせずその身で受けた。一瞬で魔神は氷柱に閉じ込められたが、魔人を護る真空の刃が氷魔法から防いでいた。真空の刃による防御壁は物理攻撃には強いが魔法にはそれほど耐性がなく、見えない刃には小さな綻びが生じていた。立て続けに神聖雷魔法が放たれると、水分と雷の相乗効果でその威力は跳ね上がり、魔人の防御壁に入った細かいヒビは拡がっていく。追い討ちをかける聖炎魔法はスパークし発火状態の周囲の空気を巻き込み加速させ全てを溶かす勢いだ。真空の刃ですら熱で焼かれヒビ割れた箇所からボロボロと溶けてしまった。即座に神聖風魔法が追い打ちをかけてくる。ボロボロと溶けゆく見えない刃は風魔法によって吹き飛ばされ、無防備となった魔人を切り裂いた。神聖樹の攻撃にも耐えきった魔人の皮膚には次々と襲い来る空気の刃により小さな傷が付く。魔人は怒涛の魔法攻撃に身動き出来ずにいると、そこへ空から無数の隕石が頭上へと降り注ぐ。全弾命中した魔人はたまらず地表へと吹き飛んでいった。
ドーンと派手な音をたて、地表に大きなクレーターが出来ていた。ハァハァと息を切らすフェルオラは、空中で飛翔しながら既に次の攻撃に備え魔法詠唱を始めていた。あれほどの攻撃を受けた魔人が、生きている事を想定しているのである。
地中に埋もれた魔人が嬉しそうにククッと笑うと、覇気だけで土砂を舞い上げた。魔人の強靭な鱗は剥がれ落ち、肉は焼かれている。その身体は見た事もないほど傷だらけとなっていた。クレーターの中から舞い上がる砂煙と共に魔人がスゥーッと浮かび上がってきた。漆黒の魔人からは大量の緑色の血が滴り流れ落ちていた。その様子を確認すると、フェルオラは武者震いし、心の底から笑いがこみ上げてくる。
「クハハハハハハッ神聖樹の攻撃ですら無傷だった貴様の身体に、この私が傷をつけてやったぞ!我は神に一歩近づいた!イヤイヤイヤ、神を越えたとも言えるな!クハハ、ハッハハァッアハッヒッヒィー!!!」
尚も高笑いを続けるフェルオラの前で、魔人が腰に生えている毛の中から何かペラペラした者を取出し、フェルオラに向かってヒラヒラと繰り返している。
「ん・・?何だよくわからないな・・・、もしや降伏の白旗のつもりなのか??」
フェルオラが訝しんでいると、魔人はそれを横に広げた。あぁエルフの頭皮のようだ・・目と鼻と口の穴がある・・・頭髪もついているな・・・・フン・・・趣味の悪い野郎だ・・。
魔人はその皮を被ると、「ククク」と笑い、幼い子供のように手足をパタパタ動かしている。
「!?」
(あの皮の正体は、隠し部屋に居るはずの・・・・)
全てを悟ったフェルオラは、絶望と怒りと哀しみと切なさから、全身の毛が逆立ち身体中に電気が走り抜けていた。 常に冷静で、聡明なエルフの王を演じ、内に潜む狂気を隠し続けていたフェルオラだが、今は感情剥きだしで涎を撒き散らし意味不明な言葉を叫んでいた。
「ホワッホワッホワッホワァ!」
怒りの形相で銀の短剣を取出したフェルオラは、真っすぐに魔人へと切りかかっていく。「ホワッホワァ!」
短剣を振りかざし、乱れた髪は振り乱し、怒りに任せ取り乱し、偉大なエルフの王であった男が奇声を発しながら襲い掛かる。魔人は余裕でヒラリ、ヒラリと躱し続ける。数度のフェルオラの攻撃を避けた魔人は、尚も奇声を発し襲い来るフェルオラを躱すと、被っていたその皮をすれ違い様にフェルオラの頭へスポッと被せた。
「ま、ま、ま、ままま‥‥まぁ・・」
マーシャの皮を被ってしまったフェルオラは、慌てて外そうとするが、滑稽なダンスを踊るように、空中で右往左往してしまう。焦りから飛翔を保てなくなり、そのまま地面へと落下していくフェルオラは、危うく地表に叩きつけられる瞬間に態勢を立て直し、なんとか着地する事ができた。皮を脱いだフェルオラは、絶望に打ちひしがれ鼻水を垂らし泣きじゃくりながら、かつてマーシャであったものにすがりついている。
「ククッ、クククッ」とフェルオラを眺め愉快そうに笑っていた魔人は、静かに地表に降りて来る。その身体の傷は既に回復し、元通りになっていた。魔人は静かに手の射し指をフェルオラに向けると、何かを狙うように構えを取った。
「ヒヒッヒヒヒヒ・・・ヒヒヒ・・・」
地面に蹲り肩を震わせていたフェルオラが突如笑い出す。
狂気に狂気を重ねた彼は、人生最速の詠唱で防御結界セラフィック・ウォールを発動させる。
(「我は至高なるエルフの王フェルオラなり!先代の英霊達よ!スナリア大陸で死に絶えた無念のエルフの全魂よ!我が集大成セラフィック・ウォールとなりて我を悪しき魂より守護せよ!究極防御障壁、セラフィック・ウォール!!!」)
ー0.28秒速い、私は遂に神の領域へと達したのだ。
見開いた両目と鼻から血を噴き出し狂喜するフェルオラ。
「キヒヒヒ、英霊千人どころではないぞ!今しがた貴様に殺された全エルフ達の無念の魂を媒介にした数百万のセラフィック・ウォールだ!低能クソ魔族になど破れるわけがないだろぉぉ!!無敵!無敵!無敵ィ!分かるかボケ!イヒッ・・結界さえ貼れば貴様の攻撃など無効化できるんだよ!イヒッやりたい放題でぇイヒッ切り刻んでから貴様の皮をイヒヒッ被ってやるわ!ウヒヒャヒャヒャ・・」
ーーーーパンッ
セラフィック・ウォールを超えて、突然フェルオラの心臓に大きな穴が開いた。
「ゴフッ」
口から血を吹き出しながら、胸に開く大穴を見て驚愕するフェルオラは、魔人の底知れぬ力に心底恐怖した。
(・結界は破れていない・・・奴は・・神の一撃を所持しているのか?・・・・・あぁ、死にたく・・な・い・イヤダ・)
フェルオラの薄れゆく意識の中で、魔人がその名を語った。我が名は「flow」そう言うと、愉快そうにクククと笑った。
……………………………………………………
一方、他大陸同様に魔族達から侵攻を受けていた「仙邦大陸」に住む天狗と呼ばれる種族は、魔人の強さにあっさりと敗北を認めると、生き残ったわずかな天狗だけで一族に伝わる秘術『宙変転・天狗翔還』を行った。彼等は種族を守るため、住み慣れた「仙邦大陸」を捨て、他の世界へと散り散りに消えてしまった。
三千年前、この世界に存在した七つの大陸は、多種多様な種族で賑わっていた。だが、暗黒大陸の魔族の襲撃により、その繁栄は次々と崩壊していった。魔族の猛攻に立ち向かい、生存を果たしたのはただ一つ、人間達だけであった。現在、生き残る彼らが暮らすナディリア大陸を除いて、他の五つの大陸は魔族によって完全に滅ぼされてしまったのだ。囚われたエルフやドワーフ、巨人や亜人といった多種族達は、魔物であるスライムに生きたまま食され、じっくりと溶かされる。溶かされた生物はスライムの体内で遺伝子や細胞の構造を再構築され、完成後は新たな魔族として誕生する。
エルフはダークエルフ、巨人はオーガに、ドワーフはトロルやゴブリン、亜人はサキュバスやドラキュラといった魔族へと変貌していった。溶かされる前の記憶と知性がその後の性格に影響を与え、知性が高ければ高い程、より強力で高位の魔族として生まれ変わるのだ。
魔獣は卵を産み繁殖を行うが、魔人やそれに近い人型の魔族は子孫を増やす事が出来ない。絶対的な力を持った古の魔王でさえ他種族を滅ぼさなかったのは、魔族自体の破滅を防ぐ、そういった理由があったのかもしれない・・・。
……………………………………………………
一糸乱れず行軍を続ける騎士団の先頭に煌びやかな装飾を誂えた三人の騎士が屈強な軍馬に跨り横一列に並び颯爽と先導している。彼等の風格は明らかに他の騎士達と一線を画しており、凛々しくもその毅然と振舞う姿は凄みに近い威厳となる。それは強者のみが持つオーラとなり周囲に放たれると他の騎士達の勇気を奮い立たせていた。
三人は『神聖ヴィヴァリス王国』の神聖騎士であり、英雄十傑としてその名を馳せている、名実ともに人間界最強の実力者達である。ヴィヴァリス王直属の騎士団が法と秩序を守る「盾」であるならば、神聖騎士は王国史上最強の「剣」と言えよう。英雄十傑に成ると、王から特別な寵愛を賜る事になる。それは『自由』であり文字通り何者にも縛られない存在となる。王国の英雄としてこれ以上の恩赦など存在しないであろう。どの様に生き何処へ旅をするも独自の判断に委ねられ全てを許されているからだ。
しかし神聖騎士として『聖女・ハルディアナ=フィリア』の護衛が何よりも優先されるべき重要な使命であり、それは己の命さえ上回る絶対事項、神聖騎士最高の誉であった。
要するに『王国最強の剣は聖女を護る最強の盾』でなければならないのだ。
⚔ヴィヴァリス王国最強の十騎士⚔
その強さに敬意を込め『英雄十傑』と称されし十名の英雄には強さの序列があり、「壱の英雄」から「弍の英雄」と順番に「拾の英雄」まで冠位十階が定められ、数の位が英雄としての強さの基準であり、より小さい数を冠する者が強者となっている。上位三名は人外の強さを誇り、その強さは伝説の英雄ドラゴンスレイヤーと同等かそれ以上と噂されている。
ドラゴンスレイヤーは竜殺しの剣を携えていたとはいえ単騎で竜王を討伐する程の英雄だったという。神聖騎士がそこまでの強さを秘めているのならば、これから行う魔王との決戦も間違いなく勝利へと導いてくれるだろう。
王国神聖騎士と成るにはいくつもの厳しい条件が求められのは当然であるが、最たるものとして『英雄十傑』に成り、冠位を取得しなければならないとある。ヴィヴァリス王国の国民であれば誰でも十傑へ挑戦する権利が与えられており、権利を得る方法は三通りあり、ヴィヴァリス国王陛下の推薦、老院の許可、五年に一度開催される王国最強を決める武闘会での優勝となっている。
何れかの条件に当てはまる者のみが公正な場で国王陛下立会いの元に挑戦者と指名された十傑のひとりが1v.s1で冠位争奪を賭けて決闘を行う事が許可される。一年前に行われた冠位争奪戦にてSS級冒険者の「フェンリ=ルイ」が十傑のひとりである「九の英雄・エクス=ルモティ」を倒し新たな英雄十傑のひとり「九の英雄」として戴冠を果たしたのは記憶に新しい。それ以前に冠位争奪戦が執り行われたのが三十二年前となり、久しぶりのビックイベントに昨年は王国中が祭り状態で盛大に盛り上がった。
冠位争奪戦で勝利し、新たに英雄十傑のひとりと成った冒険者フェンリが、王国中の騎士が憧れる神聖騎士に成ると誰もが思っていた。しかし、フェンリは十傑のみが受ける事ができる国王陛下直々の恩赦『自由』を得ると、神聖騎士に成ることを選ばず、引き続き冒険者として強さの探求を続ける道を選んだのだ。
ナディリア大陸にヴィヴァリス王国が建国される以前には大きな国は存在せず、小さな国々や地域の領主が統治していた。人間達が住むナディリア大陸は自然が溢れる豊かな台地が続き、魔族と呼ばれる強力な魔物達も深い森や洞窟の奥に潜むだけで、魔族が持つ財宝欲しさに藪をつつくような事さえしなければ人々の生活に大きな影響はなかった。異常発生した魔族による襲撃によって街や村が大きな被害を被る事は稀にはあったが、それは自然の災厄に比べれば脅威と呼ばれる程では無く、人間達も自警を行い魔族と戦う術を進化させていた。しかし平和は長く続かなかった。
今から三千年前の魔王軍による六大陸一斉侵攻の際、ナディリア大陸にも魔人が最強の魔獣であるドラゴンと魔族の群れを率いて侵攻してきたのだ。
数万年もの間、魔族の真なる脅威を脅威と感じていなかった人間達は完全に油断していた。「古の魔王」の存在も伝承で伝え聞くのみで、その存在も恐怖も忘れてしまっていたのだろう。突如天から降りて来た魔物の軍勢は、瞬く間に空を覆い尽くし、豊かな大地は炎で焼き払われ、美しかった川には人々の死体と血で満たされたのである。一瞬でナディリアの大地は地獄と化してしまった。
いくつもあった小国は、必死の抵抗も虚しくドラゴンの王暗黒竜フェリムにより殆ど壊滅状態となっていた。ナディリア全土が魔族によって蹂躙され人々が絶望の中すべてを諦めかけた頃、どこからともなく現れた聖女と勇者のパーティーが、魔族との数年に及ぶ死闘の末ついに暗黒龍「フェリム」の討伐に成功した。
しかし安堵も束の間に魔族を統率していた魔人が彼等の前に姿を現す。全身は鋼のような筋肉質、全身は真っ黒で、冷たく光る赤い目が特徴であった。魔人特有の漆黒の羽と尻尾も生え、鋭い爪や牙を備えている。その口元には常に薄気味悪い笑いを浮かべており、その実力は計り知れないものであったという。
フェリムの討伐に疲労困憊していた勇者パーティーがそのまま魔人と連戦すれば、最悪刺し違えて全滅の危険もあった。しかし魔人は勇者パーティーと戦闘を行わず、ナディリア大陸への侵攻を諦めると暗黒大陸へすんなりと引き返していった。その際に勇者ヴィヴァリスに名を尋ねられた魔人は、自身を『flow』と名乗ったという。
この話の顛末こそが三千年前に活躍した伝説の勇者達の逸話であり、その時活躍した剣の勇者ヴィヴァリスが後に初代国王になったのは周知の事実である。人々は救世主と共に新たな時代の幕開けに希望を繋げる事ができたのだである。しかし魔人「flow」は率いて来たほぼ全ての魔物を大陸の随所に残したまま去ってしまい、神聖ヴィヴァリス王国の前途は多難な道程となるのであった。幾度も繰り返す魔物との戦に勝利を重ね王国は順調に発展し、以降三千年続く平和は守られていたのである。
ーーーそして予言の年を迎えることになる
「聖女」・『ハルディアナ=フィリア』が二十歳の誕生日を迎えると神官は通例に伴い女神降臨の儀を粛々と進めていた。二千年前の聖女「ハルディアナ=マリア」の予言が正しければ大地の女神『イリス』の加護によりフィリアの身に神託が宿るとされている。それが叶えば長い歴史の中で苦しめられてきた魔族との確執を全て取り除く事が叶うであろう。
中流貴族の家系に長女として誕生したフィリアは、十二歳になると王立魔法学院へ入学し、魔法に関する基礎から魔術の運用までを学ぶ。十六歳になる頃には、その類まれな才覚で学院を首席で卒業し、早くからフィリアに目を付けていた教会から熱心なスカウトを受ける。教会では年老いた聖女の交代が強く求められており、フィリアはあれよあれよという間に気付けば聖女となっていた。
聖女とはヴィヴァリス王国にとって国王よりも上の存在として、最優先で護られるべき人物とされている。大地の女神「イリス」から神託を受けることができるのは聖女のみであり、献身的な祈りによってその身に女神を降臨させる事が可能だからだ。聖女は国民の信仰の中心となり、その存在は王国の平和と繁栄を象徴している。その神聖な力は人々の心に希望をもたらしている。
フィリアは貴族の家に生まれた普通の娘でありながら、ヴィヴァリス王や神官たちから寄せられる期待の重圧に、内心どれほどのプレッシャーを感じていたであろうか。それでも彼女は人前では常に笑顔を絶やさず、気高く聖女としての役割を全うしてきた。
(それに対して疑問なんて無いけれど‥)
(女神降臨の儀で、もし女神様の神託が下りなければ・・それが叶わなかったら私はどうなるの?)
もしそうなれば、聖女としての価値なんて無いも同然。ここまで育ててくれた愛する父様や母様、かわいい弟たち、大切な家族。尊敬する王様、厳しい神官達、そして私にいつも優しく接してくれる騎士達、私を敬ってくださる全ての民ーーその全てを裏切る事になってしまう。
(皆は役立たずな私を許してくれるのでしょうか?)
フィリアはナディリア大陸全土の期待を一身に背負い、その美しくも華奢な身体はかすかに震えていた。
ヴィヴァリス王国内にある神殿は、広大な王宮の敷地内に建てられており、中央に位置する大地の女神イリスを象徴する像には見事な細工が至る所に施されている。
教会の聖女となる者は、二十歳の誕生日を迎えた年内に「女神降臨の儀」を執り行う義務がある。今年の女神降臨の儀には特別な意味があり、それは二千年前の聖女「ハルディアナ=マリア」の予言の年であり、教会が急いで年老いた聖女の交替を進めた理由がここにあった。
フィリアが聖女となってから四年が経過し、二十歳の誕生日を迎えると、すぐに女神降臨の儀が執り行われた。しかしフィリアは女神降臨の儀の最中に突如倒れ、昏睡状態のまま七日間深い眠りに落ちていた。彼女はその間、夢の中で幾度も女神イリスと対話し、世界の秘密と自らの役割を知ることとなる。フィリアは夢の中でイリスと約束を交わし、神託をその身に刻む事ができたのである。
深い眠りより目覚めた聖女フィリアは、マリアの予言通り「天啓真言」を操り、「真・聖魔法」を唱える力を得ていた。聖女が唱える「真・聖魔法」は神のみが行使できる真言魔法であり、たとえ『古の魔王・ゾルディク』の正体が「不死者の王」であっても、人間だけで討ち倒す事が可能となる。
この事実をフィリアから聞いたヴィヴァリス王は、真・聖魔法の威力を目の当たりにすると、歓喜のあまり議会の長老達の忠告も聞かず、神聖騎士たちへ直ちに魔王討伐へ向かうよう命じてしまったほどに女神の恩恵は素晴らしいものであった。
聖女が女神の神託を受けてから三ヶ月後の議会では、魔王討伐と五大陸への魔族討伐を同時に行う決議が採択された。騎士達は数千年掛けて準備を整えており、装備や城の防御は充分に備えられていた。神聖ヴィアリス王国では議会制度が導入されており、十二人委員会と呼ばれる十二名の長老達の過半数の賛成がなければ、法改正や軍事活動などの決定は行われない。十二人委員会で採択された事案も、最終的にはヴィヴァリス王の捺印が必要となる。このシステムは民の意見が国を動かし、国をより良くしていくために運用されている。また、王や委員への権力の一極集中による暴走を防ぐ目的もある。
このシステムにより、民の声が重要視され、国家運営において透明性と公平性が確保される。そして、王国全体が一致団結して強大な敵へと立ち向かうことができるのである。
長年にわたり万全の準備を整えてきたヴィヴァリス王国の神聖騎士団と王国騎士団の精鋭たちは、ついにその時を迎えた。六大陸同時の大規模魔族掃討作戦では、ナディリア大陸全土の兵力を結集させ、暗黒大陸へ向かう軍には神聖騎士であり、英雄十傑の上位三人である壱~参と聖女が同行する事になる。その他の大陸へは英雄十傑のうち四~八までが担当し数十万の兵を引き連れ魔族掃討へとそれぞれ向かう。ヴィヴァリス王国のあるナディリア大陸には万が一に備え、英雄十傑の九と拾が残り、国民とヴィヴァリス王の守護を任される事になっている。
暗黒大陸を含む六大陸への同時魔族掃討作戦が開始されのだ。これは二千年前の予言に基づく魔王討伐の決戦であり、人類の悲願達成でもある。そして、伝説の一頁がここに刻まれようとしている。
ーーー最果ての地 暗黒大陸
月光を背後から浴び禍々しさがより際立つ古城へと、途切れることなく続く朽ち果てた道の先に、数千からなる騎士団の列が威厳を放ち進軍してくる。騎士達が纏う白銀の鎧が月光を照り返し神秘的な威厳を放つ。進軍する騎士団の軍勢は魔獣が徘徊するこの地への侵入にも怯む事はなく、馬の蹄が大地を響かせ軍旗が風に翻る様は、まるで古の神々達が蘇えり騎士を奮い立たせているかに感じさせ、一糸乱れず進む様はまさに混乱を払拭し秩序をもたらす鉄壁の軍勢であろうか、彼らが踏み歩むその一歩一歩が戦場を支配する音楽を奏でていた。
騎士団は淡く明滅を繰り返す不思議な光に包まれている。騎士達の纏う不思議な幾何学模様が描かれた銀白色の装備がその光を吸収すると、白銀の武具や鎧が時折強い煌めきを放った。それは月光の反射と合いまると幻想的で荘厳なる神の軍隊を想起させた。
古城へと向かう軍勢は幾何学模様が描かれた白銀の装備を身につけている。白銀は魔を浄化する効果のある材質であり、更に「天啓真言」から生み出される「真・聖魔法」を吸収できる性質がある。真・聖魔法は聖女だけが使用できる唯一無二の魔法で、その効果は受ける側で変わるという不思議な性質がある。通常の魔物や魔獣に使えば即死級の威力となり、瀕死の味方に使用すればその傷は一瞬で回復する。無傷の者が受ければその身に強力なバフ効果が得られるといった、まさにチート級の魔法なのだ。問題があるとすれば聖女のオーラが届く範囲ならば魔法の効果は高く永続するが、それ以上離れてしまうと上位魔法クラスの性能に落ちてしまう。しかし、かなり強力な状態を維持できていることに変わりはない。それだけ強力な魔法による援護を受けている人間達の軍隊は、白銀に輝く大きな盾を背負った騎士が九割以上を占めている。そのため、魔王城に攻め入る立場にしては防御に傾倒し過ぎているように見えるが、それだけ暗黒大陸に棲む魔族が恐ろしい相手であることが窺える。
英雄十傑である「壱の英雄イクシス」、「弐の英雄ファルマ」、「参の英雄ザギル」を筆頭に、王国騎士団五千五百名の軍勢は、古の魔王が住む古城へと向かって暗黒大陸を縦断していた。騎士団が暗黒大陸へ上陸した当初こそ魔物の軍勢に襲われる事もあったが、聖女の真・聖魔法のチート能力を得た騎士団の前では、それもまるで犬や猫を相手にしているようであった。
十傑がひとり、弐の英雄ファルマはこの軍事作戦の最高司令として掃討軍の指揮をとっている。彼女は古城に向かうまでの道中で、雑魚との争いが戦力の分断に繋がる事を懸念し、敵との戦闘では深追いを避け、余計な戦いを回避するよう騎士団へ命令を出していた。しかし、上陸から古城に至るまでの間、聖女の真・聖魔法を恐れたのか、魔族からの攻撃はほぼ行われなかった。騎士達の間では、やや拍子抜けしたムードが広まりつつあった。兵たちには笑顔が見られ、鼻歌を歌う者まで現れ始める。そんな中、古の魔王が住む古城まであと数十キロという地点に差し掛かり、荒れ果てた荒野で騎士団は野営を行う事にした。
満月の夜には魔物が強化されると言われているが、明日には古城への攻撃が予定されており、古の魔王の討伐が決行される。その前にしっかりと身体を休め、明日へと備える必要があった。
二つの月が照らす明かりによって、切立った岩山の間に広がる荒地は夜でも驚くほど明るかった。荒地の中央に到着した騎士団は、神聖騎士ファルマの号令を受けて、聖女の乗った馬車を囲むように展開を開始した。大きな盾を持った騎士達は、訓練通りに素早く移動し、あっという間に防御陣形を組み上げてしまう。これが野営時の基本陣形であった。
陣形の中央にて、見張りの兵に囲まれた馬車のドアが開き、銀色のストレートが美しい女性が姿を現した。透き通るような白いドレスを纏った彼女は、騎士の一人に手を支えられながら馬車から降り、大きなテントへと向かう。そのテントは聖女の寝所として設営された特別なものであり、ここへ案内された女性は聖女フィリアその人であった。
フィリアは優しく微笑みながら騎士たちに言った。「お疲れ様です。私はもう大丈夫ですので、皆さんもどうぞご自身の疲れを癒して下さいね。」フィリアは労いの言葉を掛けると、慣れた様子でテントの中に入っていった。
テントの中には既に四人の女性が荷物を囲んで座り、談笑していた。年配の女性一人と、フィリアと同年代くらいの女性三人。彼女たちは教会の侍女で、今はフィリアの身の回りの世話を担当している。四人はすぐさま立ち上がり頭を下げた。
フィリアは彼女たちに屈託のない笑顔で声を掛ける。
「皆さん、かしこまらないで!明日の昼過ぎには戦いが本格的に始まるわ。今日はしっかりと休みましょう。」そう言うと、両手でイェィ!とVサインを出した。彼女の聖女らしからぬ砕けた態度に、若い侍女達はクスッと微笑む。自然と笑顔の戻った三人の若い侍女達は、「それでは食事の支度をしてきますね。」と楽しそうに言うと、足早にテントから出て行った。
一人残った年配の女性はテント入口付近まで移動すると、フィリアに奥へ座るように指示を出す。彼女の名はファサと言い、フィリアが聖女になる前から教会でお世話になっている、気心の許せる女性だった。二人の間には、長年の信頼が育まれている。
「フィリアさん?何がイェィ!ですか、もう少し聖女として振舞うようにといつも言っているでしょう?もしそんな態度を国王に見られたらどうするんですか?まったく・・」
ファサのいつもの小言が始まるがフィリアはまったく意に介さない。
「ここって魔大陸だし、国王様いないから。大丈ブィ。」
そう言って両手で作ったVサインを顔の前におくと、フィリアはクルリと回り、テントの奥へと進み言われた場所で腰を下ろした。
ファサはフィリアが腰を下ろすのを見届けると、入り口が閉じている事を再確認し、その場に座り直した。ファサは長年教会の侍女として働いており、フィリアが聖女候補として教会に連れてこられた時から、聖女としての教育、言動の指導、所作に至るまで、身の回りの世話を全てを担当してきた。ファサにとって娘の様な存在であるフィリアの立派な姿を見つめながら、十六歳で教会に連れてこられた時の出来事を思い出していた。
当時のフィリアは魔法学校を首席で卒業するほど魔法の扱いに秀でていた。性格は素直で非常に優しく、気配りも抜群だった。いつもにこやかに笑顔を絶やさず、とても優秀で、誰からも好かれる人柄を持っていた。容姿端麗で、美しい顔立ちにもかかわらず「可愛い」と言われることが多かった。貴族の娘として育ち、生まれながらに聖女となるべく運命付けられた存在であるとファサは心の底から感じていた。
多くの聖女候補たちと接してきたファサの目から見ても、フィリアは数年後には必ず聖女になると確信できる逸材であった。これ以上聖女に相応しい人物など、王国中を探しても見つからないと言い切れる程に、フィリアは完璧だった。彼女はファサの厳しい躾にも一度も泣き言を漏らさず、前向きに成長していった。頭脳明晰なフィリアが二年後に聖女交替のタイミングで満場一致で選ばれた時、ファサは誇らしさに胸を張り、まるで自分のことのように喜んで、フィリアと抱き合いながらお祝いをしたのだった。
ファサは知っている。誰から見ても優秀で、聖女にふさわしい生まれながらの才を持つ彼女が、女神降臨の儀の前夜に不安に押し潰され、独り眠れずに朝まで泣いていた事を。その小さな身体に抱えきれない程の悩みを抱え、ずっと震えていたことを。
ファサは、聖女としてではなく、一人の人間としてフィリアの成長を見守って来たからこそ、彼女を大切に思っていた。年配の侍女であるファサが、魔王討伐という危険な遠征に無理を承知で参加したのには、勿論理由がある。天啓真言を覚えた聖女は無敵に近い存在ではあるが、フィアナの弱さも脆さも知っているファサだからこそ、守らなければならないのだ。争いが終わるその最期の日まで。そして、聖女となったフィリアが心の底から自由に笑えるその時まで。ファサは、テントでくつろぐフィリアを見つめながら、改めて心に誓うのであった。
食事の支度をしに出ていた侍女達が、暖かいスープやパンを持ってテントへ戻ると、その香りに食欲を刺激されたフィリアは大喜びで夕食を摂った。彼女たちは、魔大陸に居る事を忘れるほど楽しく夕食を済ませると、明日からの本格的な戦いに備え、早めに就寝を取る事にした。フィリアは侍女達を安心させるために騎士団の強さを語り、「私の存在が勝利に貢献できるわ。」と勇気を与えた。ファサはゆっくり立ち上がり、入り口付近へ移動してそのまま正座した。彼女は目を閉じ、外に意識を集中し聞き耳を立てた。外では騎士達の動く音や遠くからの話声が微かに聞こえる。時折、魔獣の咆哮が夜風に混じって聞こえてくるも、特に問題はなかった。
暫く微動だにせず眠っているかのように座っていたファサは、何者かがテントの入口に立っている気配を察知した。(いつからそこに?)ファサの背筋に冷たい悪寒が走った。姿勢を崩さず正座を保ちながら、彼女はそっと懐に右手を差し込み、隠し持っていた短刀を握りしめた。
ファサは静かな口調で不審者に向かって告げた。
「外にいる者よ、何者か?気配を消す技術は見事ですが、ここに立ち入る事は許されないよ。速やかに立ち去るが良い。さもなくば兵を呼びますよ。」ファサの声は冷静だが、鋭い警戒心と緊張が滲んでいた。彼女の握る短剣に更に力が込もり、その刃がわずかに震えた。
ファサの様子に只事じゃないと感じた三人の若い侍女たちもフィアナを守り身構える。
するするとテントの入口が、外側からゆっくりと開けられていく。しかし、その姿は見えない。まるで見えざる力によって開かれているようだった。ファサは入り口の横で正座のまま、微動だにしない。ゆっくりと開いていた入口が一気に開くと、影が音も無く滑り込んで来た。
それは一瞬の出来事だった。
静かに座っていたファサが、電光石火の如きスピードで影の背後へ回り込むと、即座に短剣を突き付けていた。
「まいった、まいったぁ~。何者よ、このおばさん・・」
ファサに後ろを取られ、その喉元にナイフを寸止めされている侵入者は、そう言って両手を上げて降参した。その者はフードを深く被り、表情を見せないが、声から察するに若い女性である。ランタンに照らされた侵入者は、その背に身の丈以上の長さがある物を布で包んで背負っている。深くフードを被り、口元はスカーフで覆っているので表情はわかりにくいが、右目にはアイパッチをしていた。
侵入者の正体に気付いたファサは、その喉元からナイフを離すと、元の鞘に戻しながら、きつめの声色で声をかけた。
「おやおや、誰かと思えばシエラ嬢ちゃんかい。魔族と勘違いしてバッサリやってしまうところだったよ。まったく、閃光の部隊のリーダーとしての自覚が足りないんじゃないかい?」
シエラは、お説教が長くなりそうな気配を察知し、軽やかにファサを避けると、瞬く間にテントの奥へと移動し、侍女に囲まれたフィリアの側へ一瞬で詰め寄った。
「やぁ、フィリアちゃん。久しぶりだね。」
そう言いながら前に出した両手をフィアラが握り返してきた。シアラはその華奢な腕を引くと、フィアラが飛び込んできて、再開を喜び強く抱きしめた。
「わぁ、シエラさんお久しぶりです。魔大陸の遠征に参加してたんですね、会えて凄く嬉しいけど、どうしてここにいるんですか?確か作戦だとシエラさんは・・」
「おっと、それ以上はダメよ、フィアナ。」
シアラは抱き付いているフィアラを引き離すと、その言葉を制した。
シアラの表向きの作戦は、暗黒大陸以外の五大陸で苦戦している部隊への援助であった。その機動力を活かし、困難な戦場へ素早く移動し、活躍する事が求められていた。しかし彼女は秘密裏に聖女フィアラの護衛を優先する事を選んだ。
シエラの直感が、英雄十傑の中に裏切者がいるという疑念を抱いていた。シエラはその危険性を以前より感じ取っていたが、それが誰であるかはわからないまま、魔族討伐が始まってしまった。シエラは裏切り者の正体がわからない以上、聖女の護衛を最優先事項としたのである。しかも自分の存在を英雄達を含め誰にも気付かれることなく、聖女へ接触する事を目的としていた。結果としてファサを刺激し、フィリアを驚かす形にはなってしまった。
「今日はあたしも一緒に寝るよ、フィリア。よろしくね。」
シエラの言葉に、フィリアは微笑んで頷く。フィリアにとってシエラは王立魔法学園で尊敬する先輩であり、常に姉のように慕う存在だった。そしてシエラにとっても、フィリアは学院時代から妹のような存在で、聖女になった今でも手のかかる可愛い妹のままなのである。
シエラは二人のやり取りをポカンと見ていた侍女たちへ挨拶をしていく。彼女は魔穿杖の使い手としてエキスパートであり、王から「魔穿者」の称号を授かった唯一の凄腕である。王国の子供から大人まで、誰もが彼女の名を知っており、「シエラ=ハンコック」はヴィヴァリス王国でその名を知らぬ者はいない程の存在だ。キャッキャと嬉しそうに握手を求める侍女たちに挨拶を済ますと、入口で皆の様子を黙って見ていたファサの元へシエラは進んだ。そして、ファサの前で片膝をつき、先程の無礼を詫びた。
「ファサさん、先程は失礼致しました。私の立場上、聖女フィリアの護衛を他の者に悟られる訳にはいかず、やむを得ず隠密行動を取らせて頂きました。重ねて、驚かせてしまった事、先程の無礼な失言もお詫び申し上げます。どうかお許しくださいませ。」
シエラはファサに対して深々と謝罪を述べた。
「顔を上げてくださいシエラさん、気にしていませんよ。それより私の方こそ失礼をしたね。英雄十傑と肩を並べる程の勇者であるシエラ嬢に、一介の従者が刃を向けるなど、出過ぎた真似をしてしまいました。」
ファサはにこやかにそう言い、かしづいた状態のシエラに手を差し伸べた。ファサの手を取って顔を上げたシエラは、心の底からこの婦人の凛とした雰囲気と懐の深さに改めて敬意を抱いていた。
「それにしてもファサさん、先程の体捌きは見事でした。年齢に見合わないと言うか、私の隠密も見抜いていたみたいだし・・。さすが、聖女様の御付きの方ですね。正直驚きました。」
シエラが正直な感想を述べると、ずっと二人の会話に聞き耳を立てていたフィリアが口を挟む。
「シエラさんでも敵わないなんて、ヴィヴァリス王国で一番強いのはファサさんで決まりよね!」
フィリアは笑顔でそう言うと、目を輝かせた。
侍女達は思わず顔を見合わせ、吹き出すと「あはは」と声に出して笑い合った。勿論、シエラが本気であれば簡単に背後を取られるなどあり得ない。ファサも気恥ずかしさから「ゴホン」と咳払いをし、フィリアと侍女達に「静かにしなさい」と叱りつけた。
「いくら防御陣形の中心で野営をしているとはいえ、この寝所を守る兵が居ない時点で気付くべきでした。兵よりも優れた護衛が側に居る事に気付けなかったのは私の失態ですね。」
ファサが改めてシエラにそう言ったが、その洞察力と先程の反射神経を見る限り、並の暗殺者ではこの侍女から逃れる事は叶わないだろう。それほどの実力者である事にシエラだけは気付いていた。
「ふふ、ここへ安全に近づくために、食事の時間に見張りの兵が離れるよう、予めその深層意識へ働きかけておきました。それと、テントに入る寸前にサイレントの魔法を掛けたので、この会話が外に漏れる事はありません。安心してね。」
シエラは皆に伝えると、背負っていた長物をゴトリと床に降ろし、巻いてあった白い布をスルリと取り除いた。その中から現れたのは、白銀に精巧な彫刻が施された見事なマガツイだった。金と白銀を惜しみなく使用したマガツイは、それだけでかなりの重量があると思われたが、それを軽々と扱う彼女の筋力には目を見張るものがあった。
シエラは明日に備え、「もう寝るよ」と言うと、そのまま敷いてあった布団の上にゴロリと寝転び、目を閉じて寝てしまった。動きやすく短く整えた髪型は活発な彼女にとても似合っている。髪の色はとても綺麗な金色で、彼女の美しさを一層引き立てている。左の瞳は透き通るような碧眼であるが、右目はヴィヴァリス王国の紋様が入ったアイパッチで隠しているが、彼女の左目は宝石のような輝きを放つ金色で、髪の色も瞳もこの世界ではとても珍しい。これだけ特徴的なシエラはとても目立ち人目を引くが、この場に来るまでまったく騒ぎの一つにならなかったのは、彼女の隠密行動の成せる業であろう。何はともあれ、フィリア達にとってこれ以上ない味方の援護が現れ、内心ホッと安堵していた。
フィリアは暗黒大陸に来てから、魔獣の雄叫びが絶え間なく聞こえ、あまり眠れない日々を過ごしていた。敵の本拠地へ乗り込むには兵力があまりにも少ない。普通なら、到着と同時に全滅してもおかしくない人数での遠征だ。たとえ英雄十傑の上位三人がいても、神々の時代から存在する不死者の王が現れたなら、勝敗は揺らぐかもしれない。とは言え、それはあくまでも聖女の唱える真・聖魔法がなければの話だ。聖女フィリアの力が加わることで、この最低限の人数でも勝利を掴むことが可能であろう。
魔人や古の魔王であっても、聖女が天啓真言を操る事ができた時点で、人類の勝利はほぼ確定する。だからこそ、敵は聖女であるフィリアを狙ってくるだろうし、味方にとって彼女は絶対に必要不可欠なのだ。この戦さに於いて唯一の懸念点があるとすれば、それはフィアナの精神や体力が、決戦を迎えた時にどれだけ耐えられるかということである。
しかし、心から頼れる存在であるシエラの登場により、決戦前夜のフィリアにとって一抹の不安材料であったそれらを一気に拭い去る事ができた。明日の決戦を控えナーバスになっていたフィリアの心も、今ではとても落ち着きを取り戻し、晴れやかな気分になっていた。
(久しぶりにぐっすりと朝まで眠れそう・・)
暖かい布団の中で目を閉じたフィリアは、瞬く間に深い眠りへと誘われていった。
フィリアと侍女達が眠りにつき暫くすると、先に寝ているはずのシアラの瞼が薄く開き、ランタンが照らす光で周囲の様子を窺う。全員が寝息を立てているのを確認すると、シアラは音も立てずに起き上がる。その手にはマガツイが握られており、寝ているフィリアの側へと静かに近づいていった。むにゃむにゃと寝言を言うフィアナはあまりにも純粋で無防備な寝顔であった。その姿を静かに見つめるシアラは、彼女が明日には古の魔王と決着をつける最強の聖女だと思うと小さい溜息が漏れた。
「大丈夫、何もしませんよ、ファサさん。」
いつから起きていたのか、立ち上がったファサに小声でそう伝えると、シエラは更に言葉を続けた。
「ファサさん、お話しておくべき事があります。少しお時間頂けますか?」
深刻な表情で言うシエラに、ファサは黙って頷いた。
シエラは、四人の眠りを妨げないようにファサをテントの端へと誘い、フィリア達が静かに眠る中、二人は密やかに会話を始めた。
「ファサさん聞いて下さい。今や私達人間も、魔族と互角に戦えるほど強くなったけれど、三千年前の魔族同時侵攻では、その力の差を痛感させられたの。実際、エルフや巨人族といった神々の時代から続く種族さえ滅びてしまった・・。正直、なぜ人類だけが生き残ったのか不思議よね。」
シエラが慎重に言葉を選びながら話すのを見て、その真意を探ろうと表情をじっと見つめるファサ。シエラはファサと視線が交わるも構わずに言葉を続けた。
「そうね、勇者ヴィヴァリスと聖女たちの活躍で暗黒竜フェリムを倒してる。でも、それだけなの。一緒に来ていた魔人は倒していないのよ。・・・これは公にされていない事だけど、ナディリア以外の五大陸すべてが、たった一人の魔人、flowによって滅ぼされたのよ。」
シエラはそう言い切ると一息ついた。
「しかし、それだと魔人・flowが六大陸同時に現れた事になるね。」とファサは疑問を口にする。
驚きを隠せないファサの様子に気付きながら、シエラは軽く頷いた。
三千年前の魔族侵攻の際、各大陸がその被害を防ぎきれなかった最大の理由は、六大陸が同時に大規模な侵略を受けたためである。魔王と同等クラスの魔人に攻め込まれれば、戦力を分散させて他種族の応援に回すことは不可能だったからだ。結果として、どの大陸も他種族の支援を受ける事ができず全ての大陸が壊滅的な被害を被ったことが術師エキストラによって確認されている。
しかし、その五体の魔人たちがナディリア大陸に現れた魔人flowと同じだなんて、到底ありえない話だ。ファサが疑心に満ちた目でシエラを見つめるのも無理はない。
「ファサさんの言いたいことはわかるわ。私も老院の長老達からその証拠を見せられるまでは到底信じる事など出来なかったもの。魔族の同時侵攻以前、人類は他の大陸の種族とも交流があって、勇者パーティーの一員であった魔術師のエキストラが、当時の妖精王から遠視ができる貴重な水晶を授かっていたの。魔族の同時侵攻があった時も、彼は早いうちにそれに気づいて、勇者と聖女を探す旅に出たらしいわ。そのおかげで暗黒竜フェリムを倒すことができたのよ。」
「けれど魔人は倒していない。」ファサが付け足した。
「ええ、その闘いの中で、エキストラは水晶の不思議な力を使って他の大陸を遠視していたのよ。そこで彼が見たのは、魔人flowによって滅ぼされる他の種族たちだった、という話よ。その時のflowの姿は、聖書にしっかり描かれているわ。」
そこまで聴いても、信じがたい話に、ファサは重い口を開いた。
「その水晶は今でも存在しているのでしょうか?」とファサは尋ねる。
「残念だけど、初代ヴィヴァリス王国が完成した頃に、その水晶は割れてしまったと聞いているわ。」
「魔人flow・・いったい何者なのでしょうか?」ファサが呟く。
「あたしの推測だけど、flowの正体が古の魔王じゃないかなって思ってるの。六か所同時に現れた方法はわからないけれど、古の魔王ならそれくらいやりそうだし。」シエラは淡々と語った。
確かにあり得ない話ではないとファサも同意したが、それにしてはあまりにも桁違いの強さである。果たしてそんな強大な敵に、この騎士団だけで勝てるのだろうか。不安が過ぎるファサの顔を察したシエラが、優しく微笑み話しかける。
「心配しないで。人類は三千年前の教訓を踏まえて、勇者や聖女に頼らずとも、騎士団の力だけで魔族を倒せる力を追い求めたの。そして、ここからは一部の人間しか知らない話なんだけど・・・」
更に声のトーンを下げたシエラが、重要な話をファサの耳元でささやいた。
「当時、魔術師エキストラは禁忌の魔法を使って、三人の選ばれし強者に転生の秘術を施したの。それ以降、選ばれた三人の英雄は死ぬ度に転生を繰り返し、知識と技術を継承したまま人生を繰り返している。ただ古の魔王を倒す為だけに、三千年の間、強さを求め続けてきたのよ。」
「英雄十傑上位三人、壱の英雄イクシス、弐の英雄ファルマ、参の英雄ザギル。彼らの強さは既に古の魔王に匹敵するかもね。」
「本当に凄い話ばかりで・・もう驚きすぎて、何を聞いても驚かなくなってきたわね・・。」とファサがクスリと笑う。
シエラは「ふぅっ」と一息ついた。
「実は驚くのはこれからよ。」シエラが顔を近づけ、その左の蒼い瞳がキラキラと輝く。
「ファサさん、実はね、日の出を合図に魔王城へ侵攻を開始する事になっているけれど、もう既に壱と弐の英雄が先行して魔王の討伐に向かっているの。」いつの間にか、シエラは友達のようにファサに話かけている。
「えっ!?せ、聖女様の、フィリア様の警護はどうなっているの?」冷静なファサも驚きを隠せず、素っ頓狂な声を上げる。
「彼らの武具には聖女フィリアの真・聖魔法がエンチャントされてるし、既に彼らの強さは人間の域を超えている。古の魔王とだって一対一の勝負ができると思うわ。」
「そこまで・・」ファサは絶句した。
「ええ、参の英雄ザギルを聖女の護衛として残し、彼らは魔王城へと侵攻したの。あと2~3時間後には到着し、開戦する予定よ。」シエラがいたずらっぽく微笑んだ。
「参のザギルもさぞかし古の魔王の討伐に加わりたかったでしょうね。悔しがる顔が目に浮かぶわ。」ファサとシエラが目を見合わせてクスクスと笑う。
神聖騎士団の本懐は聖女の護衛にある。古の魔王討伐よりも聖女の護衛を全うすることが本懐であるが、英雄十傑の一人としては頂上決戦に参加できない事は悔しいのは想像に難くない。
「さて、ファサさんに質問です。ザギルが聖女の護衛に残っているのに、あたしがここにいるのは何故?どうしてここへ来たのかってこと。」シエラの表情が少し曇る。
ファサは黙ってシエラの話に耳を傾ける。
シエラは真剣な表情になり、静かに語り出した。
「ここが重要だからファサさんに話しているのよ。これは私の直感なんだけど、恐らく英雄十傑の中に裏切り者がいるわ。」シエラが口元に人差し指を立て、口元に当てながらそう言った。
シエラの唐突な言葉に、ファサは一瞬息をのんだが、
「そんな、それは絶対にありえないわよ。」と引きつった顔で否定した。
「いいえ、余りにも話がうますぎるわ。騎士団が魔大陸に上陸してから、殆ど魔族から攻撃を受けていないのよ。おかしいと思わない?それに、英雄十傑たちが見事に分断されているでしょう、まるで狙ったかのように。これってこちらの戦力を低下させていると考えても辻褄が合うでしょ。」
ずっと黙って話を聞いていたファサは、神妙な面持ちで彼女成りの解答を話し始める。
「例えシエラさんの考えが的を射ていたとしても、英雄十傑に裏切り者がいるとは限りません。内部に精通したスパイが他に紛れていると考えれば、そちらの方がよほど理にかなっています。」
残念そうにシエラは首を振った。
「いいえ、今回の魔大陸への侵攻は、王の決定が最大の要因だけれど、他の大陸への同時侵攻に殆ど利点がないのよ。これは議会で決定された案件で、老院の長老達やもちろん国王陛下も承認しているわ。でも、そのどちらにも影響を与え、納得させることができる人物が居るとしたら?それは英雄十傑の誰かに違いないの。」
「それと、閃光の部隊のリーダーで、魔穿者のシエラさんも対象になりそうね。」ファサの目には一抹の厳しさが宿る。
不穏な空気がテントに漂う中、お互いの目をじっと見つめ合った二人はクスクスと笑いだした。
「ファサさんも冗談を言うんですね。」とシエラが微笑んだ。
凛とした空気を纏うシエラはとても美しい。ファサは、透き通る瞳をしたこの女性に魅かれていた。年は自分より二回りは下であろうが、その落ち着いた態度と洞察力には感服せざるを得ない。そんな彼女が英雄達を疑っているのであれば、それはきっと真実なのであろう。
「わかりました。それで、私は何をすれば良いのでしょう?」ファサはシエラへ的確な質問を投げかけた。
「そうですね。もし私の予想が正しければ、裏切者は今夜ここに現れるでしょう。その時には、冷静にフィリアを守って欲しいのです、ファサさん。」シエラはそう告げた。
「本当に、これから英雄十傑の一人が聖女様の命を狙いに来るのですか?その話が本当なら、私にフィリア様を守り切れるでしょうか・・」ヴィヴァリス王国の英雄が裏切り、聖女様へ刃を向けるなど、考えるだけでも恐ろしいとファサは不安に押し潰れそうになる。
「聖女フィリアを襲う必要があるのかどうか、正直あたしにも良くわからない。でも、仮に聖女の力を抑えるのが目的だとしたら、フィリアをどうにかしないといけないのは確かだし、もし他にも何か目的があるとしたら・・・」
ズッズズ・・ズ・・
シエラが何か言いかけた瞬間、夜の帳に震えが走った。
場の空気が一変した。冷たく暗い何かが外の一面に重くのしかかってくる。
「来た。」
シエラが小さく呟いた。しかし、外の異変に気付けたのはシエラだけであった。
シエラはファサにフィリアの側にいるように伝えると、何があってもこのテントから外に出ないように念を押し、自らは影の如く一瞬で外の暗闇に溶け込み消え去った。
ファサはシエラが消え去った暗闇を暫く見つめていたが、ふわっと生暖かい暗黒大陸の風が前髪を揺らすと、我に返る。ファサはテントの入口を内側からしっかりと閉じ、その脇に正座し目を瞑ると、闇へと消えたシエラの無事を祈るのであった。
―第三幕―
前編 完
戦いの先にある、全ての希望と絶望が交錯するその場所ではどのようなドラマが繰り広げられるのでしょう。彼らの闘いの先に待ち受けているものは何なのか・・。
あまりにも長くなってしまったので第三幕はいくつかのパートに分かれる事になりました。
epi4では地球編過去の話からスタートとなり、そのまま異世界編となったので、読者の皆様も混乱するかもしれません。しかし、全てはひとつに繋がります。登場人物達の応援と、末永く最期までお付き合い宜しくお願い致します。今回も様々なキャラクターが登場し、物語を盛り上げてくれました。後編?では人類最強(異世界のお話)が登場する予定ですよ。(それでは皆様、次回投稿まで期待せずに待て!)
※この物語はフィクションです。