美味い話には裏があったけど、やっぱり美味かった②
白百合のように裾が広がったドレスを身に纏い、髪もサラの手で複雑に結われて、エファリューは再びアルクェスと対峙した。
寝室ではなく、応接間に移動した彼は、ようやくまともに視線を合わせる気になったようだ。優雅に頭を下げ、上から下までエファリューを眺め、感嘆の息を吐いた。
「……まさしくエメラダ様と瓜二つだ」
エメラダがどんな姫かエファリューは知らないが、自分と瓜二つなのだから、匂い立つような色気と、相反して子猫のように無邪気な可憐さを持ち合わせた、さぞ美しい顔貌の愛され姫なのだろうと勝手に頷いた。
勧められた椅子にどっかと腰掛けるエファリューを、アルクェスは何かを堪えるように拳を握って見つめた後、改めてこの身代わり契約の詳細と留意点を語り聞かせた。
「この城は、エメラダ様の居城です。わたしを初め、姫のお世話を仰せつかった者どもがともに暮らしております。
わたし、アルクェスは、エメラダ様に仕え、神学と礼儀作法の教育を担当しております。サラはわたし付きの侍女ですが、ともに行動することが多いので、姫様も彼女に信を置いております。後ほどご案内いたしますが、城内の者はこの身代わりについて承知しておりますので、彼らと話してエメラダ様との関係性を学ばれるのも良いでしょう。ただし神殿においては別です。あちらにおいでの神官らは何も知りませんので、エメラダ様と入れ替わったと気付かれぬよう、そこだけは注意を払ってください」
「はいはい」
エファリューは、サラに出されたスコーンを丸齧りし、ドレスにぼろぼろ雪を降らせる。もぐもぐ頬張って栗鼠のようになりながら、艶やかな口の端を歪めたアルクェスに問うた。
「で? そのエメラダには会わせてもらえないのかしら? 会わないことには真似することもできないし、そもそも……身代わりが必要な理由はなんなの?」
「そっ、それは……」
明らかに動揺して、アルクェスが視線を外す。
これは口を割るまで時を要しそうだと判じたエファリューは、身を乗り出した。彼の色白な耳元に唇を寄せて、まるで息を吹きかけるように囁く。
「お・し・え・な・さい?」
アルクェスは再び耳まで真っ赤に染め、椅子から転げ落ちん勢いで身を引いた。
悪趣味な脅しをかけてきた仕返しをしてやれた気分で、エファリューはおおよそ姫に似つかわしくない、下衆な笑みを浮かべた。
「エッ、エメラダ様は昨日より行方が知れないのです」
「あら、それって大変なんじゃないの?」
「ええ大変ですとも、一大事です! 城内が手薄なのも、姫様を探しに出払っているからです」
今のところは、月の障りで城に篭っていると神殿には伝えてあるという。エファリューは首を傾げた。
「神女様の一大事なのに、神殿の人間が知らないっておかしくない? ん? というか、身代わりを立てて誤魔化そうとしてるわよね? なんで?」
「それは……」
「アルクェスさ・ま?」
エファリューは口を尖らせ、ふぅっと息を吐く振りをする。
「はしたない真似はおよしなさい! はあ……。実は、エメラダ様は……」
ようやく口を割ったが、ごにょごにょしていて要領を得ない。うわごとのように呟かれる彼の話をまとめて、エファリューなりに噛み砕いた言葉で確かめた。
「つまり、厩番の男と駆け落ちしたってことでいい?」
「そんな下世話な言い方はおやめなさい! 姫様にはきっと崇高なるお考えあってのこと……」
「いや。『これからはただの娘として、この方と生きていきます』って書き置きがある時点で、ただの色惚けでしょう」
「拐かされたのかもしれないでしょう!?」
「さっきと言ってること違わない? 崇高な考えはどうしたのよ」
「くっ……!」
項垂れるアルクェスの様子から、駆け落ちしたと認めざるを得ない姫の秘めた想いを、彼が知っていたことが窺えた。
「それで? 自分が処罰されるのが怖くて、わたしをお姫様にしたいの?」
「いいえ! 罰ならいくらでも受けましょう。しかしこれはわたし一人が罰されて済む話ではないのです。神女様は国を照らす光。そこには一点の穢れもあってはなりません! 此度のことが明るみに出れば、国の根底である神の教えが揺らいでしまうのです」
「……へぇ〜」
正直、エファリューは神の教えとか、どうでもいい。願い事をする時だけ、都合よく祈ってみたりはするが、信仰しているかと訊かれれば胸を張って「いいえ」だ。絶対的な何かを信じるということは心の慰みにはなるかもしれないが、敬虔に信仰したって施しをくれるわけでもないし、死後の安寧なんて言われても、エファリューは死んだこともないからピンと来ない。
それに神話に描かれた、だいたいの奇跡は、魔法でどうにかなることだ。だからエファリューは神を必要としていない。そういう意味では、彼女が信じているのは彼女自身だけだ。
「ねぇ、神女様の役目って、本当は相当きついんじゃないの?」
何不自由ないはずの豊かな暮らしを捨てて、厩番と逃げ出すくらいだ。エファリューは些かの不安を覚えた。しかしアルクェスは柔らかに首を振る。
「そのようなことは、ないと思われます」
神女は日が昇ってから起き出し、季節の花を浮かべた湯で身を清めてから、彩り豊かな朝食を摂る。その後、アルクェスと馬を並べ、神殿に出仕する。馬車もあるが、エメラダ姫は近頃乗馬を楽しんでいたようだ──おそらく厩番の彼の影響だろう、アルクェスの苦い顔から察せられた。
神殿では、祭壇の奥に設えられた座に着き、礼拝者を眺めているだけでいい。
「時に、告解や、救いを求め訴える者もありますが、神女様はただ穏やかに聴いていればいいのです」
「それだけ? お告げとか、神の奇跡とか起こさなくていいの?」
「ええ、それは神女様の仕事ではありません」
意味深長に聞こえたが、アルクェスがすらすらと言葉を並べるので、エファリューは問い質す機を逸した。
「そして時折り、礼拝者に微笑みかけるなどすると、人々は幸福な顔で神殿を出ていきます」
そりゃあそうだ、こんなに美しく可憐な姫様に微笑まれたらたまらないはずだと、エファリューはまたも鼻を高くして勝手に頷いた。
「これをうまくこなせたら、毎月の報酬を約束しましょう」
「はあ、そこは働かないとってことなのね」
「そして日が傾く前に神殿を出て、城に戻ります」
「え!!」
エファリューは、壁に寄り添っている立派な彫刻の施された時計の針を、目でぐるぐると回した。朝から晩までみっちり働く人間と比較したら、その半分くらいしか神殿にいない。
その上、帰城したら自由時間だという。おやつも夕食も、広々とした浴場もふかふかの寝具も、全部が姫様のもので、好きなだけぐうたらしていいという。
(それなら、退屈な神殿での拘束時間も堪えられるかしら? うふふ、エメラダ。駆け落ちだなんて、いっときの気の迷いでこんな楽な人生を捨ててしまうだなんて、お馬鹿ちゃんね。だけど、ありがとう! 貴女のおかげで、わたしはこれから一生の大半をぐうたらしていけるの!)
だが一抹の不安も残る。
「一応、第一王女ってことは……その親がいるわよね? 国のドてっぺんに」
「ええ。もし、謁見をご杞憂されているのでしたら、心配には及びません。第一王女は生まれた時より王家を離れ、この城で神女として育てられます。特別な沙汰がない限り、王宮に参上することはないと思っていただいて良いでしょう。現に、エメラダ様もこの数年、陛下に拝謁されておりません」
「ということは、面倒な派閥争いも陰謀渦巻く政略結婚も、わたしには無縁ってことね!?」
「貴女は王宮をなんだと思っているんですか。ですが、そうですね……そういったしがらみはございません。神女様は政には干渉いたしませんし、性質上ご結婚されることもございません」
「駆け落ちはしたけどね」
「くっ……!」
そこまで聞いてエファリューは、一切の迷いを断ち切った。
煩わしいお付き合いはなし、ぐうたら保証、おまけに毎月報酬あり。姫と聞いて身構えたが、最初にちゃんと話を聞いていれば、子竜を人質に取られなくてもエファリューは前のめりで承諾したに違いない。
エファリューは、こほんと咳払い一つ。彼女ができ得る最も優美な微笑みをたたえて、アルクェスに手を差し出す。
「ふふ、よろしくお願いしますわね。アルクェス様」
「ご理解のほど、感謝いたします。これ以後……どうぞ、わたしのことはアル、とお呼びください」
流れる水の如き動作で跪き、彼はエファリューの小さな手を取った。まるでそのまま口づけでも落とさんばかりに、指先をじっと見つめ、彼は厳かに口を開いた。
「では、これより約五日……いいえ、大事を取って十日。エメラダ様の障りが明け、神殿に出仕する日まで……」
「好きほどぐうたらしていいのね!?」
「貴女には神女としてではなく、根本的な淑女としての教育を施します!」
「なっ、なんですってええええ!?」