Solid State Silence
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気怠い感覚とともに目が覚めた。ベッドの上、隣では相棒が身体を起こし、スマホをいじっている。いじるなら私の全身をいじれよと思う。それくらい、私は性欲が旺盛だ。
「ねぇ、なにやってるの?」
「暇潰しだよ。ネットのニュース見てる」
「ネットニュースのほうが、私より大事?」
「んなこと言ってねーだろうが」
私は「うりゃっ」という掛け声とともに相棒に抱きついた。スマホが彼の手から弾んで飛んだ。「うげげっ」と声を上げたのはもちろん相棒。
「この野郎。俺のスマホ君はいまメチャクチャ嫌な音を立てやがったぞ」
「うん。画面にひびくらいは入っただろうね」
「ちくしょう。まったくなんなんだよ、テメーは」
「いつか壊れるんだよ、なんだって」
「なに言ってやがる」
「太陽だって、いつかはぶっ壊れるんだよ」
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夜。界隈でいっとうの市街地。言ってみれば私たちが警戒すべき区域の一つだ。おまわりさんも巡回しているのだけれど、彼らはマニュアルどおりの仕事しかしない――あるいは規律がきつきつでできないから、ウチでカバーをしてやろうというわけだ。犯罪の臭いを嗅ぎつけて路地に入っては怪しげな人影がないか探す。相棒はたいそう鼻が利くので結構な頻度で、ワルイヤツを見つけてくる。私はいつも言っている。「相手が鉄砲持ってるならまずは退きな」って。だけど相棒は単細胞の大馬鹿だから、真っ向から応戦する。ま、そういう向こう見ずなところが好きなんだけど。
今夜はちょっぴり色合いが違うとでも言うべきか。相棒に追われ逃げたチンピラがすぐそこの建物に飛び込むようにして逃げ込んだのだ。罠の可能性がある。誘い込まれたのかもしれない。相棒は危険なんて省みずに後を追う。私は「馬鹿っ!」と叫んだ。銃声、銃声。ちょっとヤバいんじゃないの? 私は警戒しながら、壁の陰から慎重に踏み込む格好で、建物の中を覗き込んだ。びっくりした。相棒がずたずただったからだ。
「阿保か! だから待てって言ったじゃない!」
「だいじょうぶだ。全部殺った。それでも不満なら殴り殺してくれ」
私は相棒に肩を貸し、よいしょと身を翻した、暗闇の裏路地を行く。
表情には自然と笑みが浮かび――私はやっぱり、こいつが大好きだ。
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タフな相棒のことだから、ろくに入院なんてせず、すぐさま仕事に復帰することはわかっていた。病院から出てきた相棒の腹に、私は思いきり右のボディブローを見舞ってやった。「いてーよ」と笑われた。ほんとうに痛いのだろうが、笑みでやり過ごすことがもっとも気が利いていることを、彼は知っている。
黄色い小さな車の中で、私は運転しながら、「ねぇ、相棒」と呼びかけた。車を高速に乗せる。暇なときはこうして車を流す。相棒はアシストグリップを握っている。ほんとうにいつもの光景。
「んだよ」
「とある小学六年生の男子が行方不明」
「ああん?」
「さらわれたって話。でもね、犯人からはなんの要求もないみたい」
「そんなんだったら、誘拐かどうかすらわかんねーだろうが」
私はパーラメントをくわえ、その先端に火を灯した。くわえたまま一息吐くとそこには天国がある。パーラメントは美味だ、最高。
「でも、子どもが一人消えたんだよ? 人攫い以外に考えられないよね?」
相棒は右手で後頭部をがしがし掻くと、アメスピのメンソールをくわえた。よくそんな臭い物を吸えるものだと思う。煙草の趣味だけは死んでも合わないと思っている。
「とにかく探せってんだな?」
「らしいよ」
「くだらねぇ仕事だ。そもそもウチのボスはどうしてそんなくそつまらねぇ案件を寄越してきたんだ?」
「わかんない」
「わかんねーのかよ」
私はアクセルを踏み込んでがぉんがぉんと前を行く車を抜き去る。「乱暴なこった」と言われても、とろい奴は追い抜くに限る。
「まずは被害者宅を覗いてみようかと思う」
「ガキの家をか? マジかよ。かったりぃなぁ」
「でも、そうあるべきでしょ?」
「そうかね。ウチの守備範囲じゃねーと思うけどな」
「あんた個人の思いは?」
「ああん?」
「本件、興味ない?」
相棒は「うるせーよ」とダルそうに言って、それから、「いいよ。話くらいは聞かなきゃな。ボスの指示ならなおさらだ」と言った。
相棒は元は所轄の刑事だったから、いろいろと人情味に溢れる部分も少なくなく、だから手を尽くそうとするのだろう。
「飛ばすよ」
「あいよ。つーか、パーラメントはくせーなぁ」
「アメスピよりマシだよ」
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被害者らしい少年宅に到着した。堂々と路駐をかましてやろうと思っていたのだけれど、ひときわ大きな家で、地下に駐車場があった。インターホン越しに身分を名乗ったところ、「近所のヒトに迷惑がかかるといけませんから」との答えが返ってきて、だから地下駐車場のゲストスペースにお邪魔したのだった。
やたらと広い居間へと通された――お手伝いさんと思しき割烹着姿の老婆にだ。洋風な屋敷にあって場違いなファッションに思えたけれど不思議と好感が持てた。相棒と並んでソファに座る。硬くもなく柔らかすぎず――金持ち、ここに極まれり。向かいの一人掛けに少年の母親らしき、茶色い髪が豊かで美しい、まだ若いであろう女が腰掛けた。私はドライビンググローブをはずしてジャケットのサイドポケットにおさめた。
相棒が「突然すみません。ただ、いくつか質問したかったんで」などとよそ行きの言葉を発した。さすが元は所轄の刑事殿。相手の緊張を和らげる術を知っている。私は相棒のこういったところを評価している。
「お母さまで、間違いありませんか?」
「はい。ですが、もうすべてお話ししたつもりですが……」
「俺は刑事じゃないんです」
「だったら、どなたなんですか?」
「なにもお伺いになっていない?」
すると母親は少し俯き、それから「いえ。とある組織の――ボスとおっしゃっていました。そんな方と直接お話しさせていただきました」
「老人の声だったでしょう? 彼はなんと?」
「できれば美人と美男の力になってやってほしい、と」
「美人と美男、ですか」
相棒は顔を歪めるように笑って、小さく肩をすくめてみせた。
「質問します。できるだけ、早く終わらせましょう」
「は、はい。ご協力します。お二人は信用できそうですから」
ありがたいですね。
そう言って、相棒、今度は朗らかに笑った。
だけど、すぐに表情を引き締め、そこに緊張感を漂わせて。
「ご子息が誘拐されたと伺いました」
「それは間違いない……はい、間違いないと思います」
「と、思います? あいまいな文言ですね」
「だって、おかしくありませんか? なにを要求する連絡もないのですから」
「それはどうしてでしょうか。なにか心当たりはありませんか?」
「そのへんについては、警察の方にも訊かれましたけれど……」
いろいろと質問したいことが湧いてくる私の脳。
でも、こういった事件については相棒のほうがずっと融通が利く。
よって黙り任せているわけだ。
「たとえばです、お母さん、ああ、お母さんで問題ありませんか?」
「はい、問題ありません。正直、少し照れますけれど……」
「たぶん、所轄の警察は誰も訊かなかっただろうから、俺が代表して質問することにします。ご子息、いなくなるのは今回が初めてじゃあないんじゃないですか?」
「えっ」
相棒がジャケットの内ポケットに手を入れ――だけどすぐに煙草を我慢したのがわかった。無意識の動作だ。私にも覚えがある、幾度も幾度も。
「け、刑事さん、どうしてそんなことがわかるんですか?」
「ですから、俺は刑事じゃありませんよ。でも、そうなんですね?」
「はい。夜遅くにまで連絡がつかなくなることが数度ありました。でも、きちんとその日のうちには帰ってきたんです」
だったら今回はイレギュラーかぁ。
のんびりとそんなふうに言って、相棒は鼻から息を漏らした。
「あなたにはなにかわかるんですか?」
「なんとなくは。たとえばスマホを持っているようであれば、足跡を辿ることはそう難しいことじゃあない」
「でも、警察の方は、なにも言ってきませんよ?」
「案じないでください。誰もサボっているわけじゃありませんから。ただ、俺なんかは、警察が踏み込むことを自重しているように思えます」
「自重?」
「誰も身内を失いたくないってことですよ。準備には時間が必要です」
お邪魔しました。
そう言って、相棒は席を立った。
だいたいの状況は、私にだって掴むことができた。
*****
近くのコンビニの駐車場を借りた。私が二人分のアイスコーヒーを両手に戻ると、相棒はどこぞに電話していた。内容からしてすぐにボスとの会話だと把握した。相棒は電話を切る。必要な情報は得られたのだろう。
ちっと舌打ちした相棒。
「なんだよ。ほとんどわかってんじゃねぇか。なのになんでこっちに情報寄越さねーんだよ」
相棒は不機嫌そうだ。
「私たちのこと、試してるんじゃない? そういうところ、彼にはあるでしょ?」
「ヒトの命がかかってる場合もあるんだよ。感心できたこっちゃねーよ」
「まあ、それはそうとして。コーヒー、飲む? っていうか、飲んでもらわないと困るんだけど」
寄越せと言って、相棒はひったくるようにしてコーヒーを受け取ってくれた。それからジャケットの内ポケットに右手を突っ込み、煙草を取り出した。
「待って」
そう言って、私も懐から煙草を取り出し、くわえた。
相棒がジッポライターで点けた火を、顔と唇を寄せ合い共有した。
*****
いまの座標を送るよ。
ボスから電話でそう言われ、相棒は文字どおり、対象の座標を受け取ったらしい。
いま、私たち二人はいつもの歓楽街――夜にいる。
「普段の場所じゃない。ほんとうにその男の子はこんなところにいるの?」
「いるんだろ。現状、情報を疑う余地はねーよ」
「じゃあ、行こっか」
「いや、テメーはここにいろ」
「えー、なんでぇ?」
「危なそうだからだよ」
胸がきゅんとした――ような気がする。
でも――。
「ねぇ、相棒、あんたより私のほうがずっと修羅場を潜り抜けてるんだわ」
「わかってるよ。だけどおまえは女だろうが」
……つくづく馬鹿なんだこいつは。
*****
周囲のチンピラ――あるいは暴力団の構成員であろう連中をやっつけるところまでは同席させてもらった。その後、真っ先に暴力団の事務所に乗り込んだのは相棒だ。私にはやっぱり「ここでじっとしてろ」とだけ言い残して押し入ったのだ。言われたとおり、黙っているしかない。そこには信用がある。信頼関係というものがある。
私は拳銃をぶら提げたまま、腐った水の臭いがする路地裏で警戒している。事務所から逃げ出してくるような奴がいれば警告なしに発砲してやるつもりだ。そのような事態に晒されることもなく、もう十分もが経過した。だから私は建物の壁に背をつけ、事務所の中を窺った。いくつもヒトが転がっている。その中にあって相棒は前に拳銃を向けていた。広い空間。デスクすらない。ほんとうに事務所? なんだかんだ言っても、そうなのだろう。銃口の先には車椅子に乗っている男。髪は白く、老人のようで、緑色のベレー帽をかぶっている。そして、車椅子を押しているのは少年だ。それはそう。小学生の高学年くらいだろう。彼が失踪の届けが出されている男子ではないか。直感的に、そんなふうに思わされた。
暗い一室。相棒が車椅子の男に銃を向けたまま、「小僧、こっちに来い!」と強い口調で呼び掛けた。「俺はおまえを助けに来た!」と続けた。車椅子の男はまるで動かない。どうしてだ? 車椅子の男、あんたはなにがしたい? 少年だってそうだ。きみはなにを考えている?
すると、腰の後ろとズボンのあいだに挟んでいたのだろう、少年が拳銃を取り出し、その銃口を相棒に向けた。大きな舌打ちが音のない空間に響き渡り、そこには相棒の怒りの程が窺えた。
「こんのクソガキ、なんのつもりだ?」
「あなたは勘が良さそうだ。といっても、さすがに情報が少なすぎるかな」
「銃を引け。ガキが持っていいもんじゃねーよ」
「どうあれいつかはこんな日が来ると思っていたんです」
「だから、テメーはなにを――」
少年が左手に持った銃を一発、相棒に向けて放った。
弾丸は相棒の左の頬を掠めた。
だけど、相棒は微動だにしない。
むしろ拳銃を左の懐に引っ込めた。
わざわざ両手を広げて見せるのは、無抵抗を気取ってのことだろう。
だからこそ、私は照準を外すことができない。
少年、そして車椅子の男。
私はどちらもすぐに沈められる。
少年が顎を使って、車椅子の上の男性を指した。
「彼は僕の父親です」
私は少なからず目を見開いた。つい「それは冗談でしょう?」と訊いてしまうくらい驚いた。
「嘘ではありません。ここにいる彼が僕のほんとうのお父さんなんですよ」
相棒は馬鹿正直に突っ立ったまま、少年に向けて「わかったよ」と言い、「その可能性もまるきり否定はできねーよ」などと続けた。
「きちっと話せよ」
「父は母に見放されたんです。ヤクザの若頭という立場を知っていて一緒になったというのに……。刑事さん、あなたは母に会われましたか」
「フツウの中年ババアだったように思うが?」
「ああ見えて殺したいくらいに父を憎むようになったんです。父と一緒になったことをひどく後悔したんです。無条件にヒステリックなんです。結果的に母は父を撃ち、弾丸は脳を掠めました。それでも生きている。なかば植物状態ながらも、生きながらえているんです」
「警察はなにも言わなかったのか?」
「母の不倫相手は『業界』の実力者なので。警察に対しても暴力団に対しても、顔が利く立場です。なにかを揉み消すことなんてわけがなかったんです」
「おまえの母ちゃんはそこまで魅力的なババアだったかね」
「僕もそこまではわかりません。ただ、男を狂わすなにかを持ち合わせているのだとは思います」
まだ銃を手放さない少年。
私も少年から照準を動かさない。
「いいよ、クソガキ、もういいからよ、とっとと銃を下ろせ」
「いいえ、お断りします」
「そりゃどうしてだ?」
「お父さんとの時間が心地いいからですよ」
「その心地良さは間違った心地良さだ」
「どうしてそう言えると?」
「ただ言ってんじゃねーよ。言い切ってるんだ」
少年の左手の人差し指がトリガーを引く瞬間が確かに見えた。私は「馬鹿! 屈め!」と叫んだ。相棒はなんとか弾丸を掻い潜った。私はまた叫ぶ。少年に向け、「銃を捨てな!」と。
するとだ、車椅子の上の「お父さん」が立ち上がり――植物状態だと聞かされたのに――懐から抜き払った拳銃を使って発砲してきた。相棒はもう容赦しなかった。すぐに駆け、「お父さん」を殴り飛ばして、少年の額に銃口を突きつけた。
「もういい。遊びはしまいだ、小僧」
「固形のようであり、固形のようでしかない。ほんとうの沈黙とは、そういうものではありませんか? 僕は本質的にただひたすらに沈黙に浸りたいんです。もうなにも見たくない、もうなにも聞きたくない、そしてもうなにも知りたくない」
「残念だな。俺はそういう頭でっかちの発言には吐き気を催すんだよ。ただ、おまえに伝えておいてやることくらいはある。
「それは?」
「おまえの母ちゃんも、おまえの父ちゃんも、おまえのいまの父ちゃんも、きっとおまえがかわいいんだよ。ぶっ潰しといてなんだけど、ヤクザを継ぐのか継がないのかは、ゆっくり考えりゃいい。ヤクザの流儀は知ってる。ヤクザの厳しさとか過酷さなんかも知ってるつもりだ。ま、小僧、おまえみたいな奴なら、なんにでもなれるだろうさ。前見て暮らせよ」
少年は目をぱちくりさせた。
「妙なことを言う刑事さんですね」
「だから、刑事じゃないから、妙なことを言うんだよ」
「とりあえずは刑務所でしょうか」
「さあな。そこまでは与り知らねーよ」
「うん。わかりました。ありがとう」
「背ぇ正してしっかり生きろ。人生の先輩からのアドバイスだ」
「うん、ありがとう……」
少年は涙を流し、相棒の身体に抱きついた。
相棒は少年の頭を撫でもせず、ただアメスピを吸い、天井を眺めたのだった。
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今日は相棒が私の愛車を転がしている。最近、むしゃくしゃさせられることが多かったからだろうか。気分転換に車を走らせたいときなんかは、私の小さな黄色い車は最適だ。とってもきびきび走るから。
相棒のスマホに着信らしい。ジャケットの左ポケットから取り出すと、発信者を見て、それから私に寄越してきた。ディスプレイには大きく「ボス」とあった。
『あれ? きみなのかい?』
「相棒は運転中」
『いいじゃないか、ながらスマホ』
「切るよ」
『いや、ごめんごめん』
「なんの用事?」
『先日の話さ。例の少年、よく助け出してくれたね』
「いいよ、そんな連絡なんて。報告書は出したでしょ?」
『一応、労いの言葉を、ってね』
相棒がステアリングを握ったまま、前を向いたまま、「ガキはどうなった? それだけ訊いてくれ」と言った。私はそのまま伝えた。
『扱いは少々難しい。彼は一般人ではないけれど、まるきりヤクザというわけでもない。そもそも誰も傷つけていない。お父さんと一緒にいたかっただけなんだからね』
「それはそれで問題だと思うけれど?」
『後は警察に引き継ぐ。僕たちの仕事はおしまいだ。よくやってくれたね、二人とも。また関係各所に自慢できちゃうよ。ところで、これからセックスかい?』
「なに、いきなり。尊い行いも、ボスが言うと無粋に聞こえるね」
『いやいや。ただ羨ましいなぁ、と思ってね』
「切るよ」
『うん。またなにかあったら連絡する』
私は通話を切ると、相棒のジャケットのポケットにスマホを入れてやった。
「思ったぜ、相棒」
「なによ、相棒」
「やっぱ肉親ってのは、大切だよな」
「そんなのあたりまえじゃない。いっそこのまま、おたくのご両親にご挨拶に出向いて差し上げましょうか?」
相棒は「はっはっ!」と心底おかしそうに笑った。
「そんな日が来たらほんと、笑えるぜ」
「いまの私にとって、それは夢だね」
「冗談はよせよ」
「本気だよ」
私はパーラメントに火をつける。
相棒はアメスピに火をつける。
日が傾くには、まだ時間がありそうだ。
でも、早いとこセックスはしたい。




