表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

瓢箪の巫女シリーズ

瓢箪の巫女 ~ 猫

作者: おかやす

 ゆらり、と影が揺れた。


 暖をとるために起こした、小さな焚き火。そのそばに座り、揺れる炎を一人眺めているのは、二十代半ばの美しい女。

 旅の巫女・(れい)


 「本降りになってきたのう」


 玲は洞窟の外に目を向け、雨音に耳をそばだてた。


 日が傾き始めた頃から、雨が降り出した。

 晩秋の雨は冷たい。あと少しで森を抜けるところだったが、雨宿りにちょうどよい洞窟を見つけ、今夜は早々に野宿をすることになった。


 「……遅いのう」


 洞窟の外は、夜の闇に包まれ始めていた。

 待ち人は、共に旅をしている傭兵剣士・多々良(たたら)

 薪を拾ってくると出て行って、もうずいぶん経つ。早く戻って来ればよいのにと思いつつ、玲は炎に木の枝を投げ込んだ。


 ぱちり、と炎の中で枝が爆ぜる。


 濡れて帰って来るであろう多々良のために、少し火を強めておこう──そんなことを考えていることに気づき、玲は顔をほころばせた。


 一人ではない。

 それが、本当に心強い。


 剣の腕もさることながら、やたらと頑丈な体の多々良。旅の共として頼もしいことこの上ない。

 だが。


 (冬を越せば……多々良ともお別れかの)


 出会ってから、まもなく五カ月。成り行きとはいえ、こんなに長く一緒に旅をするとは思わなかった。

 それゆえ、別れを思うと、ちくりとした寂しさが胸をつく。その先も共に旅ができれば──そんなふうに考えかけて、玲は慌てて首を振った。


 (いかんいかん、何を考えておるのじゃ、妾は)


 玲は傍らに置いた大きな瓢箪を見つめた。


 死者のための鎮魂の酒。

 それを入れる、神の力が宿る瓢箪──玲の罪の証。

 結わえた鈴は、静かなままだ。神は知らぬふりをしてくれているらしい。


 玲はほっと息をつき、寂しげに笑った。


 (あの男を、妾の罪に付き合わせるわけにはいかぬ)


 やがて王となる男。

 傭兵でしかない多々良を、そう評した豪族がいる。出会う人の誰もが、多々良を信頼し、心を開く。その器の大きさは本物だと思った。


 そんな男を、いつまでも付き合わせてはいけない。


 多々良とは、成り行きで一緒に旅をしているだけ。この冬は多々良の村で世話になることにしたが、冬が終われば、玲は一人で旅立つつもりだった。


 (もう十年も一人だったのじゃ……元に戻るだけじゃろ?)


 なぜ自分に言い聞かせているのか──その理由から目を背けつつ、玲は火にくべようと、置いていた木の枝に手を伸ばした。


 何かが、音もなく忍び寄って来る気配を感じた。


 ハッとなって、玲は気を引き締めた。

 考え事をしていて気配に気づくのが遅れたかと、玲は冷や汗をかきつつ腰を浮かせた。


 だが、洞窟の入口に立つ小さな気配を見て、玲は「おや」と目を丸くした。


 「猫……?」


 玲のつぶやきに、ミャオ、と鳴いて、猫が洞窟に入ってきた。

 人を警戒する様子がない。さてはこの辺りの村で飼われている猫が、山中に迷い込んだか。そう考えていると、猫はぶるりと体を震わせて水を飛ばし、すぐそばまで来てじっと玲を見上げた。


 「おぬし……迷うたのか?」


 そっと手を伸ばしてみると、猫は逃げる様子もなく、素直に撫でられている。やはり人に慣れているようだ。


 「雨に濡れて、冷たかろう」


 玲は火に当てていた手ぬぐいを取り、猫の体を拭いてやった。

 猫は、気持ちよさそうに目を細めた。ざっと水気を拭き取ってやると、ニャオ、と鳴いて玲の膝に飛び乗って来る始末。

 これは相当、人に可愛がられ慣れているようだ。


 「ふふ……」


 膝に飛び乗ると、猫は小さく鳴いて体をこすりつけてきた。

 まるで甘えるような仕草に、玲は思わず笑顔を浮かべる。


 「これこれ。おぬし、野生はどこへ捨ててきた」

 「ニャオ」

 「やれ、仕方ないのう」


 クククッ、と笑いながら、玲は優しく猫を撫でてやった。

 猫は気持ちよさそうに目を細めた。その顔、たまらなく可愛い。


 「さては一人森をさまよい、さびしかったのじゃな?」

 「ニャオ」

 「そうよな……一人は寂しい、な」


 猫がじっと玲を見た。

 その視線に、玲はため息混じりの笑顔を返す。


 「ふふ……聞き流しておくれ」

 「ニャオ」

 「しかしおぬし、いい毛並みをしておるのう」


 すでに冬毛となっており、もふもふとした手触りが心地よい。しっかり食べているのだろう、肉付きも良かった。


 「昔、妾が住んでいたところにも、おぬしのような猫がいてのう」


 食料庫を狙うネズミ対策にと連れて来た、三匹の猫。三者三様の性格で、それぞれに可愛かった。社で暮らす巫女たちの間では「どの猫が一番か」なんて争いもあったぐらいだ。


 「ほれ、ここじゃろ?」


 玲が肩のあたりを優しく押してやると、猫は「みゃーぉ」と満足そうに鳴いた。


 「これでも妾は、猫たちに一番懐かれておったのじゃ。猫のことは、よーく知っておるぞ?」

 「ニャオ」


 玲の撫で方が気に入ったのか、猫は「もっと撫でろ」と催促するように鳴いた。よしそれならばと撫でてやると、やがて猫は喉を鳴らし始めた。


 「おぬし、なかなかの甘えん坊じゃの」


 玲の膝の上で、すっかり気を許した猫。何やら庇護欲のようなものをそそられて、玲は猫を膝に抱え、思い切り撫でてやった。


 「ほーれほれほれ。どうじゃ、ここじゃろう?」

 「ニヤォーン……」

 「そうか、満足か。この甘えん坊め」


 ほれほれほれ、と。

 久々に触れた猫の可愛らしさに、玲は夢中になって撫で回した。猫も思い切り体を伸ばし、自分からお腹を見せてくる始末。


 「ほれほれ、ほーれ」

 「にゃおん……」

 「なんじゃ、今度はこっちか。ほれほれ」


 と。

 撫で回され悦に入っていた猫が、ぴくりと耳を立て、素早く体を起こした。


 「どうしたのじゃ?」


 猫が、じっと洞窟の入口を見ているのに気づき、玲もそちらに視線を向けた。

 はたして。


 「た……多々……良……」


 洞窟の入口に、枯れ枝を山と抱えた多々良が立っていて、じっと玲を見ていた。


 あ、う、と口ごもる玲に小さくうなずき、多々良は黙ったまま洞窟に入ってきた。

 拾ってきた枯れ枝を火のそばに置き、一度入口まで戻って水気を払う。そしてたき火を挟んだ玲の正面に、どかりと腰を下ろした。

 その間、無言。

 いたたまれず、玲は多々良に問いかける。


 「い……いつ、戻ったの……じゃ?」

 「うむ、そうだな」


 玲の問いかけに、多々良はニヤリと笑う。実に楽しげな笑顔だ。


 「猫たちに一番懐かれていた、という自慢のあたりだな」


 つまり、猫を撫で回していたところは、一部始終を見られていたということで。


 あわわ、と慌てる玲。

 そんな玲を見て、ニカッと破顔する多々良。


 「そうか、玲は猫が好きか。俺の村にも猫はいるはずだ、楽しみにしていてくれ」

 「そ、それは……う、うむ、楽しみにしておこう……かの」


 こほん、と咳払いをし、なんとか立ち直ろうとした玲。

 だが。


 「いやしかし、猫と楽しげに戯れる美女……うむ、いいものを見せてもらったな」


 続く多々良の言葉に、玲の頬が熱くなる。


 「い、いや、これは、じゃな……」

 「玲のあんな無防備な笑顔は初めて見たな。乙女のようで、実に可愛らしかったぞ」

 「なっ……!?」


 さらに続いた多々良の言葉に、玲の心がドキリと跳ね、顔から、ぼふん、と火が噴き出した。


 「いつもあんな笑顔でおれば、世の男どもはイチコロだな。いやあ、眼福、眼福♪」

 「え……ええい、そのニヤケ顔、やめんか!」


 ニヤニヤと笑う多々良に、玲が思わず叫ぶと。


 玲の声に驚いたのか、猫がぴょんと玲の膝から飛び降りて駆け出した。

 そして、少し離れたところで立ち止まると、振り返り、玲と多々良を交互に見て。


 「ニャーオ」


 どうぞお二人でごゆっくり。

 そんな感じで一鳴きし、そのまま洞窟の奥へと去っていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 最初から最後までニャーニャー……いえ、ニヤニヤしておりました(*´∀`*)
[一言] 猫ちゃんはクールに去るぜ( ˘ω˘ )
[一言] 猫様、グッジョブ!(`・ω・´)b
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ