ターザン~異星の能力を獲得した少年
三、ヘビー級
虎三のトレーニングは日ごとに激しさをましていった。金城真一会長は最初こそ雑用に使っていたが、次第にトレーニング一本にしぼりはじめた。
「あいつは、ひょっとすると世界チャンピオンになるぞ」
と、馬飼野トレーナーに言う回数がふえはじめた。一年後、彼の身長は五センチのびて百九十五センチになり、体重は十キロふえて九十五キロになっていた。国内にヘビー級の強い選手がいないので、会長はアメリカで対戦相手をもとめる決心をした。十七才になったばかりの虎三をつれて渡米した金城会長は、ロサンジェルスの海べりにあるコンドミニアムを借りた。一年間で彼の世界ランキングは十三位にまで上がっていた。昨年まで海外から対戦相手をよんで試合をした結果であった。
自信をえた会長は本場のアメリカで、世界ランク五位のジェイソン・キングと戦う決心をしてやって来たのである。試合当日は、世界チャンピオンのモハメド・アリスンの試合の、前座をつとめることになっている。試合会場はロサンジェルスアリーナで、市の郊外にある。世界チャンピオン・アリスンは虎三のあこがれの的であった。「蝶のように舞って蜂のように刺す」、と自分で宣伝文句をつくりだしたアリスンを、彼は自分もかくありたいとおもって尊敬していた。
ジェイソン・キングをKOで倒せば、アリスンと戦うことができるかもしれない。キングは、ギリシャ彫刻のようなすばらしい肉体を武器に連戦連勝で、二十一歳のわかさで世界第五位までのぼりつめてきた選手である。前評判は圧倒的にキング有利の声であった。虎三のキャリアの浅さ、十七才という若さに対する懸念もふくめて、KO負けを予想するスポーツ紙が多かった。金城会長は虎三と二人で、キングの過去の試合をビデオで見ながら首をひねった。
「どこにも穴がない、どう戦えばいいんだろう」
と言ってため息をついた。虎三も考え込んでいた。今まで戦ったどの相手より強い。まるで、鋼鉄の鎧をきているみたいだ、と思った。アリスンのような軽快なフットワークはないが、敵のパンチをはね返すような強靭な筋肉を武器に、じりじりと迫ってくる迫力は重戦車を思わせる。まともに打ちあったら倒れるのは自分の方だ、と思う。どう戦えばいいのか。試合まであと二週間をきって、刻々と時間がせまってきた。ふと思いついて
「ヒットアンドアウェイも後ろに逃げたら敵につけ込まれるでしょうから、左右に跳んだらどうでしょうか?」
虎三は会長に提案してみた。
「お前の足の速さにジャンプを加えるわけだな。しかし、左右にステップする選手は沢山いるが、左右に飛び跳ねるボクサーは今まで見たことがないんだが」
虎三は自信ありげに、にっこり笑った。
「俊敏なボクサーを二人用意していただけませんか。強打はしませんから、ライトヘビー級の選手でもいいんですが」
「アメリカには重い階級のボクサーはごろごろいるから、早急に手配しよう」
会長が連れてきたのは、ジョン・フォールという名の十九才のヘビー級のボクサーで、アウトボクシングを得意にする六回戦ボーイと、二十三才のジム・アームストロングという名のライトヘビー級世界二十位の選手であった。虎三が最初に指名したのはジョンであった。グローブを交えると、ジョンは軽快なフットワークで、軽やかにジャブをくりだしてきた。虎三は普段とちがってべた足で強打者を装った。様子を見ていたジョンは二分をすぎると、虎三のすきを見いだして、強烈な右ストレートをくり出した。その瞬間彼はひらりと左へ跳んだ。今までのべた足からは想像もつかないほどの軽さであった。ジョンは腰の入った右ストレートが空をきって、一瞬ガードが空いた。その瞬間、虎三の左ストレートが顔面に襲いかかった。ジョンはその一打でリングに転がった。会長がテンカウントを数えたが、ジョンは立てなかった。
つぎはジムがリングに上がった。ライトヘビー級のランキングボクサーだけあって、ジムは見事なアウトボクシングを展開して、虎三の誘いにはのって来なかった。そこで虎三は本来の軽快なフットワークにもどって、積極的に動き回ってジムをコーナーに追い込んだ。防戦一方に追い込まれたジムは、強打で立ち直ろうと、フックとアッパーを放ってきた。虎三は右へ跳ぶとみせて左へふわっと跳んで、左のフックをジムの顔面にたたき込んだ。パンチをはなった瞬間の両足はリングをはなれて、宙に浮いた状態であったが、ジムは音を立ててリングに転がった。
二人のボクサーに謝礼を支払って帰したあと、会長は満足そうな笑みを浮かべて話しかけた。
「素晴らしい出来だった。これならキングといい勝負ができるだろう。リング中を走りまわって、奴のあせりを誘うことだな。それを待って仕留めることだ。キングはクレバーだから、最初のチャンスをものにしなくちゃならん」
「キングをKOしたいですね」
虎三が相槌をうった。
試合当日は快晴であった。ロサンジェルスの港は漁船とレジャー用のヨットが所狭しと軒をならべていた。漁船には大きなペリカンが、人をおそれる風もなく舳先にとまっていた。早朝虎三は会長と一緒にジョギングをしながら、日本ではめったに見られないペリカンに見とれて足を止めた。近くによって話しかけてみた。
「漁師のおじさんたちは優しくしてくれるの?」
「みんな優しいよ」
ペリカンは大きな口をあけて答えた。
「漁からもどってきて、売り物にならない小魚を分けてくれるんだ」
それをきいて彼は笑顔でうなずいた。会長が不審そうに彼の横顔をのぞきこんだ。
「おい、お前ペリカンと話ができるのか?」
「ええ、どの動物とでも話ができると思います」
「へーっ、お前はそんな特技をもっていたのか、驚いたな。テレビ局に売り込んだら、金がとれるな」
「いや、それだけは勘弁してください。以前、テレビに出たことはあるんですが、今はボクシング一筋で行きたいと思いますので」
「アッハッハ、冗談だよ。ボクシングで食えなくなったらの話だよ。とにかく今夜の試合に集中しなくちゃ。あとでジェイソン・キングの様子を偵察に行ってくるよ」
「偵察なんかできるのですか?」
「ああ、あめりかじんはにほんじんとちがって割合フランクだからな。ㇵローって行けば、ジェイソンを隠すようなことはしないだろう」
「そういうものですか」
「朝飯を食ったら、行ってくるよ」
会長はそう言うと、虎三をうながしてジョギングをつづけた。昼前にもどってきた会長は開口一番
「お前は勝てるぞ!」
と、大声でどなるように叫んだ。
「どうしたんですか?」
とききかえす彼に会長は笑顔をむけた。
「ジェイソンの奴は守りに入ってる、と見たんだ。モハメド・アリスンと戦う前のおまえとの試合は、通過点くらいにしか考えていないようだ。だから、ガードを固めて十七才の若僧になにもさせないで、無傷で勝ちきるつもりでいる、と見たんだ。そんな奴には負けないさ。肉をきらせて骨を断つの気概がなくちゃ、勝負は勝てるものじゃない。いいか、お前は負けてもともとの気でぶつかるんだ。この気迫の差が勝利をもたらすんだ」
会長はそう云って彼の肩をたたいた。試合経験のあさい虎三に自信をもたせるための、会長一流の激励ではあったが、彼は百万の援軍をえたように気分が高揚するのをおぼえた。試合は夜七時からはじまった。ノンタイトル戦のため十ラウンドである。グローブを合せてみると、キングの黒光りのする筋力のたくましさに圧倒されそうになる自分を感じた。かろやかにステップを踏む虎三に対して、相手は歩調を合わせながら,隙あらば初回から強打をくりだそうと目を光らせているのがわかった。寸分の隙もないかまえをみて、あらためて世界第五位の強敵を認識した。
ここでこわがってはいけない、と自分を鼓舞しながらジャブを連打した。キングは目をらんらんと光らせながらじりじりと間合いをつめてきたが、三回まではアウトボクシングで、敵の手の内を見極めるよう会長に指示されていたので、虎三は打ち合いをさけて、フットワークを使ってリングをところ狭しと跳びまわった。第四ラウンドに入ると、虎三の幼さをのこした表情をみて、キングは少し優勢を意識したように積極的な攻勢に転じてきた。ころは良し、と見た虎三は左ストレートから右フックを放った。バックステップでキングは彼のパンチをかわした後、がぜん攻勢に転じた。得意の左アッパーを放ってきた瞬間、虎三はひらりと右に跳んで、空中で右ストレートを敵の左頬にたたきこんだ。キングはガクッと右ひざからマットに倒れ込んだ。四回一分十五秒であった。カウントエイトで立ち上がった彼は、ファイティングポーズをとった。コーナーで待機していた虎三はレフェリーの合図をまってダッシュした。迎えうつキングは豪腕をふるって反撃をこころみた。勢いにのって攻めこんだ虎三の左瞼が切れて、わずかな出血を見た。この反撃にあって我にかえった彼は、ふたたびアウトボクシングに戻った。キングの死に物狂いの反撃に手をやいて、時間を浪費してしまったが、四回終了の二十秒前に虎三の左フックがきまってキングはマットに沈んだ。
世界第五位の強敵に、KO勝ちした十七才の新鋭は一躍人気者になった。世界チャンピオンのモハメド・アリスンの注目するところとなり、日本国内では一躍脚光をあびる存在になった。日本からは、ヘビー級の世界ランカーは未だかってでたことがなく、世界挑戦は夢のまた夢であっただけに、マスコミのもて囃しようは大変なものであった。テレビのコマーシャルも三本入って、虎三の年収は億単位になった。
六月に、世界第一位のジョージ・フォアマンダーとのノンタイトル十回戦が組まれた。十八戦全勝(十八KO勝ち)の記録をもつ二十二才の新鋭である。東京ドームで行われる、とあって重量級の試合に飢えていたファンがおしかけて、たちまち前売り券は完売であった。フォアマンダーはサウスポーの強打者として有名で、左が当たればかならずKOという定評をつくり上げていた。
「フォアマンダーに左を打たせないためには、フットワークしかないんだが、どう戦う?」
金城会長がむずかしい顔で話しかけた。
「顔面をねらって左を打ってきたら、後ろに反ることと、ボディーを打ってくるなら、さらに反ることでいなしたいと思います」
「お前の柔らかさはわかっているが、それで大丈夫かな?」
会長はミドル級のサウスポーの選手をつれてきた。日本には重量級の選手がすくないため、ミドル級の選手で代用しようという訳だった。
「お前は打つなよ、ウエイトがちがうと怪我をさせるからな」
虎三はうなずいてリングに上がった。有村という名のミドル級の選手は俊敏に動きまわって、ストレート、フック、アッパーと多彩なパンチをくりだしてきたが、虎三はもっぱら防戦一方の役まわりであった。強烈なパンチが顔面にとんでくると、やわらかい体を生かして一瞬のけぞるように上体を反らしてよけ、次にボディーをねらって打ってくると、リンボーダンスのように低く上体を反らせてよけた。さらに相手がひくい位置の虎三にのしかかるように打ってくると、リングに背中がくっつく位まで上体をそらせた。相手はリングに寝た状態の敵をせめることができずに、あきれてレフェリーをつとめる馬飼野トレーナーの顔を見た。その瞬間、虎三はバネ仕掛けの人形のようにはねおきた。
両者がふたたびグローブをまじえると、今度は強烈なフックの攻撃に、虎三はふわっと跳びさがった。さがるとすぐに前にでる。すかさず敵は左ストレートをボディーめがけてくり出したが、また後ろにふわっと跳んだ。にげる虎三にあせりを感じながら、敵はふみこんで連続パンチを繰りだしてきたが、虎三はさらに後ろに跳んでのがれた。なおも追い打ちをかけようとふみこんだ敵に、彼は今度は右にひらりと跳んで、右ストレートを敵の左頬にかるくあてた。軽くあてたつもりだったが、有村は声もなく倒れてリングに横たわった。虎三と馬飼野が同時にかけよった。すると有村は
「大丈夫です」
と言って起きあがったので、リング下の会長もふくめて皆がホッとため息をもらした。虎三は平謝りにあやまった。
「軽くパンチをあてる真似をするつもりだったのです、申し訳ありません」
「いや、ダメージはありません。ただ、タイミングが良すぎたのです。痛みはありませんし、なぜ倒れたのか、よくわからないんです」
と、有村は笑顔をつくって言った。馬飼野もホッとした表情で言った。
「虎のパンチをまともに食ったら、脳震盪をおこす心配があるんだ。まあ軽くてよかった。それにしても、虎の体はやわらかいな、まるで豹みたいだ」
リングの下で見ていた金城会長は、相手をつとめた有村をねぎらった後、虎三に言った。
「お前の体がやわらかいことは良くわかっていたつもりだが、これほどとは思わなかった。あと二週間だ、この調子で練習をつづけてくれ」
試合当日は、東京ドームに満員の観客をむかえて、夜八時からメインイベントが始まった。フォアマンダーは精悍な表情に、闘志を全身にみなぎらせて登場した。みごとな筋肉を身にまとった重戦車のようだ、と虎三は思った。力はあるだろうけど、筋肉がすくない方が動きが軽くなるのに、と余計なことを考えていたが、試合がはじまってみるとフォアマンダ~の動きは意外なほど軽かった。虎三がヘビー級とは思えないほど、軽やかなステップから左ジャブを繰り出すと、フォアマンダーは、はやくも打ち合いをもとめて踏み込んできた。虎三はそれには相手にならずに、足をつかって逃げまわった。
こんなラウンドが三回続くと、フォアマンダーはすこし焦りはじめた。第四ラウンドが始まると、彼はふとい腕でしっかりガードをかためて肉薄してきた。虎三も打ち合いに応じる態度をみせて、足をとめてひくく構えた。フォアマンダーは打撃戦をもとめて、右のするどいジャブから、得意の左ストレートを顔面めがけて叩きこんできた。虎三はその瞬間、上体を大きく反らせてかわした。この時、フォアマンダーの目が光った。一気に倒すべく踏みこんで、右ジャブから左フック、さらに左アッパーの連続攻撃をしかけてきた。虎三は先程とおなじように柔らかなウイービングで避けたが、フォアマンダーはそれは承知の上とばかりに、強烈な左ストレートをボディーに叩きこんできた。その時、虎三の上体はおおきく沈んで、リンボーダンスのように低くなった。フォアマンダーは背をかがめてさらにそのボディーを打とうとしたが、虎三の上体は膝をまげたままリングに寝てしまった。
すなわち、ダウンの状態になったのである。レフェリーはカウントを数えはじめた。虎三はカウントスリーではね起きた。レフェリーは彼が打たれていないことを確認すると、立ちあがった虎三にカウントを数えることをやめた。スリップダウンではなかったが、スリップと同じあつかいにした。試合はすぐ再開された。フォアマンダーは自分の打撃が相手に一発も届いていないことに苛立っていた。彼は左のパンチに絶対の自信をもっていたから、一発当たれば倒せる、と信じておもわず肩に力が入ってしまった。その一瞬を虎三は見逃さなかった。右にひらりと跳んで、空中で右のフックを放つと、フォアマンダ~はぐらっと傾いて、尻餅をついた。彼は気力をふりしぼってカウントエイトで立ち上がった。しかし、足がもつれてふたたびリングに倒れ込んで、二度と立ち上がれなかった。四回二分二十五秒、虎三の見事なKO勝ちであった。
世界第五位と第一位の選手にKO勝ちした彼は、世界第一位にランクされた。金城会長は電話で、WBT公認の世界チャンピオン・モハメド・アリスンとのタイトルマッチの交渉に入った。十二月に、ラスベガスでタイトルマッチをやることだけはすぐ決まったが、日時と両者の取り分は、スポンサーの問題もあってなかなか決まりそうもなかった。負けをしらないアリスンサイドは強気で、タイトルマッチをやらしてやる式の傲慢な態度であった。配分は九対一からはじまったが、一ヶ月かかってもそれ以上の進展がなかった。らちがあかないとみて、会長は単身渡米することを決心した。なにしろ、百億単位の大金がうごくヘビー級のタイトルマッチである。WBTの幹部を動かして、アリスンサイドを説得してもらうことが狙いである。