ぐうたらお嬢と言いなり執事
現実逃避みたいな形で書き上げたので変なミスがあるかもしれません。ご容赦ください。
その立ち振る舞いは常に洗練されていた。見るだけでハッとさせられるような美しさと、他人とは隔絶した、ある種の拒絶。或いは超越。
彼女は常に正しくあった。それは人として、問いとして。間違うことは一度としてない。
誰に対しても公正であった。品行方正を体現するならば、始めはどうであれ、最後には彼女に行き着くに違いない。彼女にとって正しくあることは、呼吸をすることに等しいくらいだから。
規範であり模範であった。生徒として、彼女は理想である。理想が彼女である。
頼られる存在であった。教員、先輩、後輩。誰からも信頼され、頼られていた。
そんな彼女が生徒会長に選ばれるのは必然だったのだろう。凛としたその一挙一動に魅了されたかのように、彼女に厚い信頼を寄せる生徒や教職員は増えていった。
異例の一年生の生徒会長。その事に不満を漏らす人は誰一人としていなかった。何よりも真剣に物事に取り組み、そして結果を出す。誰が彼女をバッシングなぞできようか。彼女の圧倒的な努力と才能の前では年齢など些細なことであると誰もが感じた。
高校生、二回目の入学式。彼女はまた壇上へ上がる。しかし、今度は新入生代表としてでなく。
「生徒代表挨拶。生徒会長、お願いします」
「はい」
カッカッカッと小気味良い音が体育館に鳴り響く。
闇夜のように艶めく彼女の髪が、音に付随するかのように揺らめくと視線が思わず引きつけられる。壇上へと上がると一度、彼女は横髪を耳にかけてから口を開いた。
「新入生の皆さん、入学、おめでとうございます。私、清水 澪が祝辞を述べさせていただきます」
生徒会長、清水 澪。彼女は完全無欠の完璧人間である。
◇ ◇ ◇
チッチッチッチッ……
リリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ…
カシャン。
意識が覚醒すると、毎朝一番にホットミルクを用意する。温まるのを待つ間で寝巻きから制服に着替えるのは、この一年で慣れてしまった。慣れた手つきで着替えを済ませ、ホットミルクをカップに注ぐと、部屋を出、少し…いや、かなり長い廊下を歩く。溢さないよう、気をつける。一つの部屋の前まで来ると、ホットミルクを乗せたカートを止め、三回だけノックする。そう言えばこのカートのようなものは何という名前なのだろうか?
「お嬢様、僕です。ホットミルクをお持ちしました」
「えぇ、入りなさい」
許可を得てからでも、部屋に入る時は少し待ってからでないといけない。なぜなら――
「あら、来たわね。早速なのだけど私の着替え一式を用意して貰えないかしら」
「かしこまりました…が、お嬢様はもう少し恥じらいというものを覚えた方がいい気がします」
広い、とても広い部屋の中、はだけた装いのままベッドの上に寝転んでいる少女が、戯けたようにニコニコしながらこちらをうかがう。僕は彼女から視線を外し、できる限り見ないようにしながら着替えを用意した。
どうやら今日は多少は気を使ってくれたらしい。装いもあつもより幾分かにはまともになっている。
「はい、良くできました。でも着替えるのも面倒なのだけど?」
「さすがにそれは…」
勘弁して下さい。そう目で語ると「それもそうね」と彼女はクスクス笑いながら、僕の持ってきたホットミルクに口をつける。
お嬢様がホットミルクを飲んでいる間も手を止める訳にはいかない。手早く布団を畳み、はだけたお嬢様の寝巻きを整える。ゴミ箱にゴミがあるようなら取り替える。あ、そうだ。今日は確かカーテンを清掃する日だったはず。取り外しておかないと。それにお嬢様の荷物も用意する必要がある。
いくら冗談だとしても、さっきのような類いの冗談は控えて欲しいものだ。僕の心臓にとても悪い。
でも、毎朝似たようなことを繰り返しているような気がするのは決して気のせいではないだろう。
「でも、気が変わったらいつでも言ってちょうだいね」
ホットミルクの入ったカップを僕に渡すと、お嬢様はようやくベッドの上から降りてきた。手入れのよく行き届いた黒髪が、僕の顔前をくすぐる。
よくもまぁ、そんな台詞がスラスラと出てくるものだと、一周まわって感心する。そんな事をしようものなら、一瞬で豚箱行きにされるに違いない。彼女はこんな風に人をからかって、面白がってるだけなのである。
「そんな時は永遠に来て欲しくないですけど…」
「ふーん、お堅いわね。ご苦労様」
「はい、失礼致します」
断ったと同時にお嬢様がぶすっと不貞腐れた顔をする。ほら見たことか。つまらない奴だと目が語っている。その手には乗りませんから。僕だって学習するんです。
再びカートのようなものにカップを置いて、僕は退出した。後はいつものように、女性の召使いの方に着替えさせてもらって、シェフのみなさんが用意する朝食を食べて出発されるのだろう。
僕も急ぐ必要がある。僕は少し小走りにカートを戻しに行った。
「ちょっと、君!」
「はい?なんでしょうか」
しばらく通路を歩いていると、唐突に先輩に引き止められた。あまり一緒に仕事をすることは多くないが、使用人として働いてもう数年のベテランのメイドさんだと聞いている。でもなんだろう、心底嫌な予感がする。
「お嬢様が呼んでるわ!早く行ってちょうだい!」
はぁ、ほら言ったことか。
◇ ◇ ◇
呼ばれているという洗面所へ向かうと、お嬢様がポツンと一人で佇んでいた。やけに広い洗面所の中でただ一人、自分の毛先を指に巻き付けクルクルしている様子は、とても退屈そうに見える。てか、アレをしてる人初めて見たな。
「お呼びでしょうか、お嬢様」
僕は出来るだけお嬢様を驚かせないように、少々離れたところから声をかけた。彼女はまだ僕が来たことに気がついていないみたいだった。余程毛先を弄るのに熱中していたのだろう。
「ん?あぁ、やっと来てくれたのね。頼みたいことがあったの」
「はい、なんでしょうか」
「普段の日課をこなそうと思ったのに、君が居ないから驚いてしまったわ」
「日課…ですか」
そこはかとなく嫌な予感がする。馬鹿な、アレはもうしないって、昨日話がついたじゃないか。
「それで…朝の支度を頼みたいのだけど」
あぁ、気の所為だったのか。いや、違わないけど違うんだろうな。
僕のことを、何も知らないかのような双眸が見つめる。僕も見かえすと、まるで吸い込まれていく気がして…
「……かしこまりました」
根負けである。罵りたければ罵ればいい。そもそも、僕に拒否権がないのは分かっているし、知っている。ならば長いものに巻かれようやろうじゃないか。
半ばやけくそになった僕は、備え付けられたソファーの上に座る。もちろん端に寄るのも忘れない。
「それじゃあ、お願いね」
言うが早いか、彼女はソファーに身を預けた。ちょうどお嬢様の頭が僕の膝の上に乗るように。
所謂、「膝枕」である。
そして今、僕が手に持つのは歯ブラシ。
下を見れば小さく口を開けたお嬢様。
「…始めます」
シャカシャカと小気味良い音が洗面所の中で響き渡る。僕は一体何のプレイをしているのだろうか。下を向けば、無防備に僕に身を委ねるお嬢様が。やはり旦那様には、お嬢様に警戒心とはなんたるかをしっかりと教えてもらいたいものだ。
「んん…」
それにしてもお嬢様の歯磨きをするたびに思うのだが、お嬢様の口の中はとても綺麗だ。歯でさえ白すぎて、輝いている様に感じる程に。とてもじゃないが歯磨きをする必要なんてないんじゃないか、なんて考えたことも数知れず。それでも頼まれたからには、しっかりとこなさなければいけない。従者というのは、自分が思っていたものよりはるかに融通がきかないと、この仕事を始めてすぐに思い知らされた。
丁寧に、けれど素早く。痛みのないように歯磨きを済ませて終わり…ではない。次は髪の手入れがある。お嬢様は基本的にはロングストレートを好まれるが、小さくポイントで編み込んだりする時もあれば、整えるだけの時もある。
「お嬢様、何かお望みの髪型はありますか?」
「うーん、今日はそこそこでいいわ」
そこそこ…か。
お嬢様ももうちょっとでいいから分かりやすく具体的に提示してくれてもいいんじゃないか。好意的に受け取るなら、信頼してもらってるとも取れる訳だけど…。
「承知致しました」
決めた。今日は少しチャレンジしてみよう。
僕自身、そこまで髪型に詳しい訳じゃない。この仕事を頼まれると、いつも失敗しまいかドキドキしながらやっているほどだ。
手入れをするたびに、艶めく黒髪に惹きつけられる。シルクなんて、僕が触ったことはあるはずないけど、もしも触ることができるなら、きっとこんな肌触りなのだろうと夢想する。この艶は天性のものなのだろうか。それとも、努力によって支えられているのだろうか。おそらく両方なのだろう。だからこそこんなにも、他の人を惹きつけるのだと考えると、自分も多少は貢献しているのかな、なんて思う。
そんな無駄なことを考えている間にも手は休める訳にはいかない。
「よし、お嬢様、こちらでいかがでしょうか?」
ヘアメイクが終わり、お嬢様へと問いかける。彼女はしばらくの間黙って鏡を見ていたが、ふと振り返ると、「似合う?」とだけ僕に聞いた。
「えぇ、とってもお似合いですよ」
「…どれくらい?」
「え?」
「どれくらい似合うのかって、私は聞いているわ」
どのくらい…と聞かれても、大抵の場合彼女に似合ってしまう、というのが本音だったりする。今回も、ハーフアップシニヨンに三つ編みを加えたアレンジをやってはみたものの、髪型よりも彼女のほうに視線が行ってしまうぐらいだ。
「そう、ですね…大抵の男なら堕とせるレベルでお似合いです」
「………ふぅん。そう」
曖昧に答えたのがお気に召さなかったのだろうか。お嬢様は「つんっ」とそっぽを向くと、それ以降話してはくれなかった。
◇ ◇ ◇
「「「「「いってらっしゃいませ、お嬢様」」」」」
リムジン、というものが実在するのだと、この仕事を始めてから知った。お嬢様はそのリムジンに乗り込むと、軽く使用人たちに手を振ってから出発される。
使用人たちのなかでも、自分が異様に浮いているのはいつものことだから、そう気にしてはいられない。もちろん、早く馴染みたいとは思ってはいるのだが、色々とあって、馴染めていない。とにかく、自分自身も早く出発しないといけないので、急いで裏口にまわる。「行ってきます」誰もいない裏口でつぶやくと、急ぎ目に駆け出した。
「いってらっしゃい」
誰かがいた気がして振り返ったが誰もいない。少し疲れているのかもしれない。幻聴だと考えると虚しくなるので、僕は何も考えずに再び走り出した。
◇ ◇ ◇
ギリギリだった。今日も危うく遅刻してしまうところだった。教室に滑り込むと同時に鳴り響くチャイムの音が、やけにうるさい。
教室ではほとんどの人が席に着いていたからか、遅刻寸前で滑り込んできた僕が、さらに目立ってしまった。
「また遅刻ギリギリなのですか?しっかりしてください」
床に座り込んだ僕の目の前に一人の少女が現れる。
艶やかに輝きを放つ黒髪。ぱっちりと開かれた眼。この学校で彼女のことを知らない人は、誰一人としていないだろう。
今朝見た姿とは全く別人。しかし確かに同じ人物が、ヤレヤレと言わんばかりに首を竦めてそこにいた。
「はい、おじょう――清水さん」
彼女の名前は「清水 澪」
この学校の生徒会長であり…僕の雇い人だ。