とある提案
レヴィ王宮はとても広い。王妃の交流会と言っても規模によって何処で催されるかが変わる。今日はナタリーに近しい者だけの交流会なので、子供達が庭で遊んでいるのを見ながら、母親達は室内で話に花を咲かせるという会である。
王妃であるナタリー、王弟ジョージの妻であるライラ、スミス公爵夫人フローラ、ハリスン公爵家当主の弟嫁エミリーとミラの五人。エミリーはライラの侍女だが、ハリスン卿が独身なので将来の公爵夫人が約束されている。
王族や貴族は政略結婚が普通だ。ナタリーとライラは政略結婚ではあるが、夫婦仲はとてもいい。フローラは恋愛結婚。エミリーは契約結婚だ。夫婦仲は良好だが、お互い仕えている主が一番と割り切っている。
王宮の庭には不似合いな縄が張られている。今日はその範囲内で追いかけっこをしていた。走り回れない小さい子供達は、乳母達と日向ぼっこをしている。ジェームズは楽しそうに走り回っている。
「子供が転ぶなんてよくある事だから、それほど見張らなくてもいいのに」
ナタリーの呆れたような声にミラは慌てて顔を戻した。また会話を聞き流しながらジェームズを目で追ってしまったと反省をする。息子に何かあったらと思うと、彼女は知らず知らずに意識が向いてしまうのだ。
「申し訳ありません」
「いいのよ。追いかけっこをしている中でジミーが一番小さいから、心配なのは仕方がないわ」
ナタリーが優しくミラに微笑むと、話しかける機会を窺っていたフローラが困惑の表情を浮かべて口を開く。
「ミラ様。例の件は本当なのですか?」
ミラは無表情をフローラに向けた。
「リアン様にはフローラ様の誤解を解いて頂くようにお願いしたのですけれど」
「それは聞きました。ですがミラ様から離婚を切り出されたとも聞きました」
フローラの言葉に、他の三人の視線もミラに向く。仲良くしている間柄とはいえ、子供の遊んでいる横で持ち出す会話ではないと彼女は思った。
「まだ何も決まっていません。確定しましたらご報告しますから」
「つまり、離婚を望まれた事は本当なのですね?」
昨夜も今朝もスティーヴンの態度は何の変化も感じられなかった。しかしフローラが知っているという事はリアンのいる前でエドワードに離婚したいと伝えたのだろう。ミラは知らぬ間に離婚が整いかねない恐怖を感じながらも、無表情でどう切り返すか考えていた。
「フローラ様。今日の御茶菓子はジョージ様お勧めの焼き菓子です。是非ご賞味下さい」
エミリーがフローラの前に焼き菓子の載った皿を薦めた。フローラは眉を顰めているが、エミリーは怯まず笑顔を浮かべている。
「折角の交流会です。楽しい話題以外はよしましょう。今日の耳飾りは初めて見ますけれどリアン様からの贈り物ですか? 宝石がリアン様の瞳の色と似ていて素敵ですね」
「えぇ、先日頂きましたの。リアン様に雰囲気が似ていて可愛らしいでしょう?」
リアンの名前を聞いて、フローラの興味がさっと移った。ミラはあまり自分を飾らないので、人の物への反応が鈍い。その点エミリーは侍女だからか、とても目敏く、褒めるのも上手だ。耳飾りの宝石とリアンの瞳の色味が似ていると言われてもミラにはわからないが、エミリーは笑顔で褒めている。話題もすっかり宝飾品へと変わったので、ミラは心の中でエミリーに感謝をした。
交流会がお開きとなり、フローラは子供達を連れて最初に辞していった。それからライラとエミリーが戻ろうとした所を、ナタリーがエミリーを呼び止め、ライラだけが乳母と子供と共に部屋を出ていった。
用事が終わるまで待つべきか、女官の話はまた後日にするべきかミラが迷っていると、ナタリーは笑顔を彼女に向けた。
「ミラ、少しだけ時間を貰えるかしら」
「えぇ、勿論です」
ナタリーは頷くと乳母達に子供達を連れて席を外すように命じる。エミリーも部屋を出ていき、部屋にはナタリーとミラの二人きりになった。ナタリーに薦められてミラは椅子に腰掛ける。ミラはどう切り出そうかと、少し緊張した。
「少し待っていてね。エミリーが紅茶の用意をして戻ってくるから」
「先程ハーブティーを頂きましたけれど」
子供達が遊んでいる横で母親達にはハーブティーが振る舞われていた。
「エミリーが淹れる紅茶は格別なのよ。リデルというガレス王国の茶葉なのだけれど」
「聞いた事はございます。確かライラ様のご実家の領地の有名な茶葉ですよね」
「えぇ、そうよ。ミラは本当に色々な事に詳しいわね」
ノックの音が響き、エミリーがカートを押して部屋へ入ってきた。そして手際よく紅茶を注いでいく。エミリーがライラの侍女だとミラは知っているが、エミリーが社交の場に出てくる場合はハリスン公爵家を背負っているので、その雰囲気はない。紅茶を淹れる姿を見て、侍女らしいなとぼんやり思っていた。
「私は特殊ですよ。ほぼ平民ですから」
ミラの顔に心の声でも浮かんでいたのか、エミリーはそう言いながら笑顔でティーカップをテーブルに三脚置く。しかしほぼ平民とは言い方が雑である。エミリーの夫は公爵家の三男で現在は騎士であるし、エミリーもガレス王国の伯爵家出身と聞いているので、どう考えても貴族だろうとミラは思った。ミラはエミリーの本当の出自については知らない。
「エミリーの事はいいのよ。まずは紅茶を飲んで落ち着きましょう」
ナタリーは微笑むと紅茶を口に運ぶ。エミリーもナタリーの隣に腰掛けた。リデルの茶葉は希少で市場には滅多に出回らないと有名だ。これが手に入るのはライラが実家と未だに縁が続いているという事だろう。噂通りカップからいい香りが立っていて、ミラは期待をしながら紅茶を口に運んだ。
「美味しい」
思わず言葉が先に出てしまい、慌ててですねとミラは続けた。ナタリーとエミリーはそんな彼女を見て微笑む。
「本当はライラのいない場所では淹れてくれないのよ。今日は王妃権限を使ってしまったわ」
ナタリーは楽しそうだ。彼女は普段、必要な場以外では王妃の肩書を表に出そうとしない。
「王妃殿下権限ではなく国王陛下権限ではないですか。誰も逆らえません」
エミリーの声色には多少の棘が混じっていた。ナタリーは申し訳なさそうに微笑む。
「ごめんなさい。私も陛下に頼まれると断れないの。他人が口出ししない方がいいとは言ったのだけれど、陛下が他人ではなく従兄弟だと引き下がらなくて」
エドワードの従兄弟ならスティーヴンの話、つまり離婚話で間違いないとミラは判断をした。交流会の場ではなく、こうして三人なのがせめてもの救いである。フローラとライラは夫婦仲が順調すぎて、自分の気持ちを理解してもらえない事は彼女もわかっている。
「それでも私だけでは難しいと思ったからエミリーに同席をお願いしたの。先程も言っていたけれど、彼女は色々と特殊だから」
エミリーは王都に立派な屋敷があるにもかかわらず、王宮で生活をしている。それはライラの侍女を続ける事が結婚の条件だったからだ。貴族令嬢が侍女を務めるのは行儀見習いという側面もあり、結婚したら辞めるのが慣例。それを出産してもなお続けているのは多分エミリーくらいだろう。ハリスン公爵家は当主が男性なのに化粧をしているが、性別不祥で綺麗な顔に似合わず宰相として手厳しいと評判である。ハリスン公爵家は役目さえ果たせば他は何でもありなのかもしれないとミラは思った。
「陛下は何と仰せだったのでしょうか」
「離婚を考え直してほしいそうよ。ミラも本気で離婚したいわけではないわよね」
ナタリーの問いかけにミラは視線を伏せる。ミラは夫に未練があるものの、このまま何事もなかったかのように夫婦を継続するのは違う気がしていた。
「スティーヴン様は私が居なくても生きていけます。必要とされていない人の妻として生きていく事に疑問を持ってしまうと、どう生きていけばいいのかわからなくなりました」
「陛下はミラが居なければスティーヴンは生きていけないと言っていたけれど」
「リアン様も同じような事を仰せでした。ですがそのような事はないと思います」
「それでは一旦別居期間を設けてはいかがでしょうか」
エミリーは二人の会話に笑顔で割って入った。ミラは困惑を隠せない。別居をすれば離婚すると言っているようなものなのだ。口から出た言葉は戻らないとはいえ、ミラは自ら離婚に向けて積極的に動く気はない。しかしここで嫌だというと離婚したくないと言っているような気がして、ミラは何と答えるべきなのか迷った。




