夫の行動は前途多難
「妻が離婚を望みましたので、手続きに入ろうと思います」
国王の執務室へ入るなり淡々と告げるスティーヴンに対し、エドワードは冷めた視線を向けるとすぐに机の上に視線を戻した。
「私は話し合えと言ったはずだ」
「ですから話し合いました」
「本当に話し合ったのならその結論にはならない」
エドワードは右手を振ってスティーヴンに席へ着くように促す。スティーヴンは大人しく従った。向かいに座っているリアンは呆れた表情をしている。
「俺もミラさんが離婚するとは言い出さないと思うな」
「ミラが言ったのは間違いない」
「どうせ言わせたんでしょ。何で離婚したくないのに、わざわざ言わせるのか俺にはわからないけど」
「ミラが望むなら離婚をする」
「その前提がそもそもおかしいんだけどね」
建国当初のレヴィ王国は結婚も離婚も自由だった。しかしそれ故に昨日までの配偶者が、再婚をして今日の敵になっている事もあり得た。それはただ貴族同士の足の引っ張り合いになり、国を疲弊させ、人々の心も蝕んだ。そして今の王家になってから、結婚は自由だが離婚には国王の許可が必要になった。また、女性は一度離婚すると再婚が許されず、男性は継ぐ爵位がある者のみ再婚を許されると法律が変わったのだ。生家の駒として再婚を繰り返させない為の法律であるが、かといって離婚した女性が生きやすい環境は整っていない。すなわち、女性側が離婚を望むのは余程その家にいるのが苦痛という場合だけである。
「そもそも離婚してどうするつもりだ。ミラが居なければ何も出来ないだろう」
「仕事は出来ます」
「ジミーを育てられるのか」
「ジミーはミラが手放さないと言っていますので、彼女が連れて行くと思います」
「スティーヴンは子供と離れて暮らしても平気なの?」
「ジミーは私よりミラと一緒の方が幸せだろう」
リアンは理解出来ないという表情をスティーヴンに向けた。リアンとしては、二人が離婚をする理由が見当たらないのである。エドワードは少し考えた後、ため息を吐いた。
「理由がはっきりしなければ離婚は認められない。二人の間には男児が居て、ミラが浮気をした訳でも散財した訳でもない。結婚生活を続けられない理由を言え」
「ですからミラの希望です」
「だからそれは言わせたんでしょって言ってるじゃん。ミラさんは常識のある女性だから言わない。言わせるような風にスティーヴンが話したに決まってる」
エドワードとリアンに責められて、スティーヴンは言葉に詰まる。彼は離婚したいと思っていないので、ミラがそう言うように仕向けたつもりは一切ない。
「もし離婚するとしても、家から出ていくのはスティーヴンという事はわかっているのか」
エドワードの指摘にスティーヴンは眉を顰めた。
「何故ですか。あれは私の家です」
「あの家を管理出来るはずがない」
「家の管理は執事の仕事ではありませんか」
スティーヴンの言葉にエドワードは冷めた視線を送る。スティーヴンは家の事を執事に任せているつもりだが、実際の所取り仕切っているのはミラである。庭に植える花を庭師と相談し、料理人とどういう食事を出すか打ち合わせをし、商人からスティーヴンの身の回りの物を購入し、使用人達の労働環境に気を配り、そしてそれら全てをスティーヴンの見ていない所でこなしている。
「その執事の名前を言えるか?」
「名前など知らなくても問題ありません」
「執事さえも知らないの? 本気?」
リアンが信じられないものを見るような視線をスティーヴンに送る。一方エドワードは呆れていた。
「リスター侯爵家を束ねている執事だろう? しかも公爵家から子爵家になった時についてきた使用人ではないのか」
「さぁ。当時は家に寝る為に帰っていたので、使用人を覚えていないのです」
「うーわー。侯爵家当主を辞めたらいいと思う」
レスター公爵家が取り潰され、新たにリスター子爵家として再出発した当時、当然使用人達は自分達がどうなるのか困惑した。それを同じく困惑していたミラが察してスティーヴンに聞きに行った。好きにしていいという言葉を夫から引き出したミラは、残りたいと望む使用人全てを雇用する事、退職希望者には他家への奉公の交渉を引き受けると宣言をした。その時使用人は全て残り、スティーヴンではなくミラを主だと決めた。ミラがスティーヴンを夫として支えているので、使用人達はその健気な妻を支えているのである。
「リアンは言えるのか」
「リスター家の執事はギルバートだよ。俺が遊びに行った時にギルって呼び掛けてるじゃん」
「何故私の家の執事の名前が言えるのか」
「俺があの家に何年通ってると思ってるの。ちなみにギルは俺が通い始めてからずっといるから最低十五年は働いてるよ」
リアンにそう言われてもスティーヴンは確信が持てない。この数年執事が変わってないのは間違いないのだが、ずっと執事なのか途中で役職が変わっているのかがわからない。答えが出そうもないスティーブンに、エドワードはため息を吐く。
「何故祖母がミラを選んだか考えた方がいい」
二人の結婚を決めたのはスティーヴンの父方の祖母である。彼の母親は三男出産後に亡くなったが、彼の父親は息子が三人いれば十分と再婚をしなかった。仕方なく公爵家を彼の祖母が取り仕切り、そろそろ身体が持たないと思った所で孫に嫁を見繕った。ミラが嫁いですぐに彼の祖母は亡くなり、ミラは非常に苦労をしながらレスター公爵家を取り仕切った。その苦労を彼が知る由もない。
「ゴーラム侯爵家は帝国派でしたから」
「当時ハリスン公爵家が気に入らないという侯爵家は結構いた。だからレスター公爵家と縁を結びたいと望む結婚相手の候補はそれなりにいたはずだ。それを祖母はスティーヴンに相談なく決めた。しかもミラは望んでいなかったにもかかわらず」
この話に出てくる祖母はエドワードにとっても母方の祖母である。しかし母と距離のあったエドワードが祖母と接していたとはスティーヴンには思えない。
「陛下は祖母から何か聞いているのですか」
「私と祖母は直接話をする関係ではない。聞こえてきた話というだけだ」
聞こえてきたというのも語弊がある。エドワードが近衛兵に調べさせたに過ぎない。
「ミラが結婚を望んでいなかったのならば、離婚するのが正しいのではありませんか」
「だからあえてミラを選んだ理由を考えろと言っている。もうこの話は終わりだ。仕事を始めるぞ」
「えー。もう今日はスティーヴンを説教する日でいいんじゃないかな」
リアンが笑顔を浮かべる。それに対しエドワードはリアンを睨む。
「リアン、やる気がないなら宰相の所へ送り込むが、それでいいか」
「あー。やだやだ。やります、真面目にやりますー」
リアンは全く反省していない声色でそう言うと、机の上に積まれていた書類に手を伸ばした。エドワードもそれを確認して自分の仕事に戻る。
スティーヴンは祖母の考えなどわからない。しかしエドワードの許可なくして離婚は出来ない。彼はどうすればいいのかわからず、一旦それを横に置いて仕事を始める事にした。




