お節介な夫の友人
「あー、それはフローラが悪い。ごめんね」
翌日の夕方。リスター侯爵家にリアンが訪ねてきた。昨夜フローラから話を聞いて、仕事帰りに寄ったのだ。ミラは妻の為に行動をするリアンを素直に素敵だと思っている。もしミラが何かしたとしても、スティーヴンはその行動さえ知る事はないだろう。勿論、ミラが夫に迷惑をかけるような行動はしない。
「いえ。勝手に離婚させないで頂けると助かります」
ミラも離婚するかもしれないと噂話が貴族社会で広まっては困る。彼女が離婚してもいいと口にするのは一部の人の前だけなのだ。スティーヴンが発したのも多分、エドワードとリアンの前だけだろうと予想していた。
「フローラの誤解は解いておくよ。でもさ、実際スティーヴンを見てて腹が立たない?」
「あの方は昔からそういう方です」
政略結婚と割り切って嫁いだ日に、子供は要らないから別に寝ると言われて、それは楽かもしれないとミラも受け入れた。
貴族は政略結婚が多いとはいえ、義務として跡継を出産する必要がある。出産しない事に対し腹を探られたり嫌味を言われたりしたものの、これは夫の希望だからと聞き流してきた。
スティーヴンは余所に女性を作る人ではないとミラもわかっている。仕事一筋、というかエドワードに全てを捧げているような人。公爵家嫡男が独身なのは色々と面倒だからと、同じ派閥に属している貴族の中で彼女が指名された。勿論彼自身の意見はそこに介在していない。彼女も別に望んで嫁いだわけではなかったので、それはお互い様だと思っている。
「でも情がなければジミーを産まなかったでしょ」
「リアン様が黙っていらっしゃったら出産しなかったと思います」
ミラはスティーヴンに子供が欲しいと言われた時、自分の耳を疑った。よくよく聞けばリアンとエドワードに、彼の跡継ぎが欲しいと言われたという話で納得をした。彼は誰よりもエドワードが優先だ。側近や従兄という言葉では補えないくらい忠誠を誓っている。エドワードの言葉には基本逆らわない。勿論、エドワードは無理難題を言う人ではない事は彼女も知っている。
ミラは話を聞いて悩んだものの、結婚を継続する以上出産は義務だと割り切る事にした。そうして彼女達は一緒に寝るようになって半年ほどで子供を授かった。
その時に夫婦として向き合えていれば話は変わっていたのかもしれないとミラは未だに思う。だが彼は彼女に興味がない。エドワードに関しては機嫌の善し悪しさえすぐわかるのに、彼女の機嫌など気にかけた事もない。そういう所は腹が立つ、と思ってリアンにはお見通しだったと彼女は気付いた。
「エディはナタリー様が王宮から消えても仕事は出来ると思う。でもスティーヴンは出来なくなると思うんだよね」
「まさか。スティーヴン様は陛下の為に仕事をされているのですよ」
「それはそうだけど。エディとスティーヴンの根本は似てると思う」
リアンの考察にミラは思わず笑ってしまった。いくら従兄弟でも似ていない。特にエドワードはナタリーに対して執着が目に余る。そのようなスティーヴンを彼女は想像出来ない。
「それなら試してみる? 暫くうちの別荘に匿ってあげるよ」
「スティーヴン様の評判を落とすような事は致しません。妻に逃げられたなど、外聞が宜しくありません」
リアンは大きなため息を吐いた。顔には明らかにつまらないと書かれている。彼の言動は思いやりなのか、悪戯心なのかわかり難いとミラは思った。
「ミラさんがこれほどスティーヴンの事を考えて行動しているのに、スティーヴンは本当に何もわかっていない」
「私は期待などしていません」
ミラは少し前に期待を捨ててしまっていた。ジェームズを授かったとわかってからまた別々で寝るようになり、出産後も再び二人で寝る事はなかった。だから彼女は勇気を振り絞って一度だけ聞いてみた事がある。息子に万が一の事があったら大変なので、もう一人要りませんかと。帰ってきた言葉は不要。とても冷たい言い方で、彼女はその時二度と同じ事は尋ねないと決めた。
あの時にミラは実感した。彼女はスティーヴンに抱かれて気持ちが動いたのに、彼は一切動かなかったのだと。今後一切動く事もないだろう。二度と抱かれる事もないのだと思うと、彼女は肌の手入れをするのも億劫になった。それでも侯爵夫人として恥じない程度は整えている。とにかくその時彼女はスティーヴンに対しての愛情をなくして、息子だけに注ぐと決めたのである。一年経った今も達成はしていないが。
「ミラさんはこのままでいいの? ミラさんの行動次第でスティーヴンは変わると思うけどなぁ」
「変わりません。私達は結婚して十五年ですよ」
今更何が変わるというのかと、ミラはリアンに冷めた視線を向ける。むしろ結婚十年を過ぎて男児を出産しただけでも上々だと彼女は思っている。世間体的にも男児を出産していれば白い目で見られる事はない。
「エディも心配して声を掛けているんだけど、スティーヴンが聞き流してるんだよね」
「スティーヴン様が陛下のお話を聞き流す事もあるのですね」
「ミラさん関係だけね。だからこそ何かあるのかなと思っているんだけど」
「それは国政に関係ないからではないですか。陛下の話は基本国政に関わってきますよね」
エドワードが即位してからまだ日が浅い。それでも王太子時代から国政に関わってきた。隣国シェッド帝国との件も独断で対応したのだとミラは聞いている。そしてその対応の要がスティーヴンだ。一時期のスティーヴンは多忙を極めていて、寝る為だけに家に帰ってきていた。
「そう、国政に影響が出るからエディはスティーヴンに言い続けてる。つまりミラさんと離婚騒動になれば仕事に手がつかなくなるとエディは判断してると思う」
名推理でしょ、と言わんばかりの自信満々の顔をリアンは向けるが、ミラは困るだけだ。そもそも国王をエディと気軽に呼んでしまう彼に、公爵家嫡男という政略結婚をする立場でありながら恋愛結婚をした彼に、一体何がわかるのだろうかとさえ思う。
「スティーヴンは言い方が卑怯だと思った事はない?」
リアンの問いかけにミラが一瞬表情を強張らせる。彼は彼女の一瞬を見逃さず、笑顔を浮かべた。それを見て彼女は内心愕然とする。公爵家当主とは思えない気軽さで心の中に入ってくるから慎重に対応しなければ、と彼女は常に思っているのだがどうにも負ける事が多い。
「スティーヴンは相手を立てるような言い方をする。だけどそれは相手を思いやっての事じゃない。自分が責任を取らなくていいように逃げているだけ」
リアンは幼い頃からの付き合いなので、ミラよりもスティーヴンを知っている。そして十五年妻をしてきた彼女も同意見なので大人しく頷く。
「ミラにはミラの人生があるのだから、離婚したいと言われれば対応する。つまり自分は何もしない。卑怯だよね。ミラさんが離婚したいとは言い出さないとも思ってる」
「実際、離婚したいとは思っていませんから」
ミラは元々実家とは仲が良くなかった。以前スティーヴンが王家乗っ取りを企んでいた実父を訴えた際に、彼女の父もその計画に関わっていて連座している。本来なら彼女達の政略結婚はあの時点で終わっていた。だからその時彼女は彼に尋ねたのだ。私はどうしたらいいのかと。当時は子供もいなかったので結婚を続ける必要性などなかった。だが彼女には帰る家もなく、彼が好きにしていいと言うので残る事にした。この時も彼は卑怯な物言いをしていたと彼女は思い出した。
「ミラさんの気持ちもわかるよ。スティーヴンに本心を晒すのは嫌だよね。だけど晒さないと気付かない」
「勝手に私の気持ちを決めつけないで下さい」
ミラはどうして自分がスティーヴンを愛している前提で皆が話してくるのかがわからない。彼女は自分の気持ちは漏れていないと思っている。
「スティーヴンは俺に対しても素直じゃないよ。面倒具合はエディを超えるね」
「陛下と比べないで下さい」
「一度離婚したいと言ってみたらいいと思う。このままだと辛いだろうから」
「それで離婚になったら私の人生をどうしてくれるのですか」
ミラはスティーヴンの妻であるリスター侯爵夫人の肩書で今の生活がある。それを失ってしまえば彼女には生きていく術がない。息子とも別れなければならない。それが嫌だから現状維持を選んでいるのに酷い事を言うと彼女はリアンを睨んだ。
「流石にそれはないと思うけど。万が一そうなったらナタリー様の女官になったらいいと思うよ」
「他人事だと思って軽く言わないで下さい」
王妃の女官になれば衣食住は確保される。それでも離婚をした女性が就いた例はない。現状王妃の女官は独身女性か未亡人しかいないのだ。
「ミラさん、離婚したくないとはっきり言ってるけど建前はどうしたの?」
リアンの言葉でミラは我に返った。しかし、にやにやしている彼の表情を見ているとため息しか出ない。彼女も彼の口の堅さはわかっているので、つい本音が零れてしまったのだろう。
「ミラさんが隠したがっているのは知っているけど、フローラとナタリー様とエディには筒抜けだからね」
「筒抜けとはどういう意味でしょうか」
「そのままだよ。言葉の裏側と態度に出てる。スティーヴンが気付いていないから、そこはかなり慎重になっているんだろうけど」
リアンの言葉にミラは眉を顰めた。そもそも確信をもって話してくるのだから、彼に筒抜けなのは彼女も認めざるを得ない。しかしどこまで筒抜けなのかが不安で仕方がなかった。気持ちを押し殺そうと努力しているのに一向に消せない事まで筒抜けなら、もう誰とも顔を合わせたくないとさえ彼女は思った。
「一人で抱えていても解決しないよ。フローラは頼りないかもしれないけど、俺ならいつでも話を聞く。ナタリー様も聞いて下さると思う。少し考えてみて」
リアンは笑顔を浮かべ、スティーヴンが帰ってくる前に帰るねと言って部屋を出ていった。ミラは暫く閉まった扉を見つめていた。




