遠回りの結果
「本当に何でもいい。言われないとわからない」
「そうでしょうね。わかっていらっしゃらないから、そのような事を仰せになれるのでしょうね」
「そのような事とは」
スティーヴンは何もわかっていなさそうである。ミラはあえて不機嫌そうな表情を作った。
「家族として一緒に生きていきたい、つまりスティーヴン様は現在私とジミーを家族と思っていらっしゃらないのですか」
「今まで家族らしい事を何もしていなかったのだから、私が家族と言うのは違う気がする」
「それではスティーヴン様にとって私とジミーは何なのですか」
ミラに問われ、スティーヴンは気まずそうな顔をした。
「最初に離婚について陛下に申し上げた際、この家を出るのは私だと言われた。それが納得出来なかったのだが、昨日戻ってきてから今日の午前中までミラは家の事をやっていたのに対し、私は何をしていいのかもわからなかった。生まれ育った家なのに居場所がないから、確かに出ていくのは私だと納得をした」
「馬鹿な事を仰せにならないで下さい。リスター侯爵家には所領がないのですから、スティーヴン様の給金でこの家は成り立っているのですよ」
「あぁ、給金があったか」
スティーヴンは本当にわかっていなさそうである。国王の側近ともなると給金も高く、それ故に為替で支払われ、本人ではなく屋敷に配送される。これは彼のような高給取りは仕事人間が多い為、屋敷の使用人に金の管理を任せているからだ。リスター侯爵家は執事ギルバートとミラの共同管理である。
「スティーヴン様は無償で勤められているとでも思っていらっしゃったのですか」
「すまない。深く考えた事もなかった」
家庭の金の流れがわからない人間が、国家の予算案など組んでいていいのかミラは不安になった。しかしエドワードがスティーヴンを信頼しているのは間違いないので、仕事は出来ているのだろうと、彼女は無理に納得した。
「家族がどういうものか深く考えもせず、陛下に言われて私に子供を望んだわけですね」
「それは断られると思っていたのだ」
「何故そう思われたのですか」
実際ミラは他の女性を宛がおうとさえしていたのだが、断られる前提という雰囲気は当時彼女は感じていなかった。
「十年何もない所から始めるのは気まずいだろう」
「えぇ、そうですね。正直どう対応していいか迷いました」
「それでも依頼したのは私だから、せめてミラに負担をかけないようにと努力をしたのだ。仕事以外で努力をしたのは初めてだった」
「義務感に駆られていたのなら、もう私を抱く必要はないのではないですか」
「それはミラが快楽に耐えていたというから、本来はどういう表情なのか知りたいと思ったのだ」
「快楽を素直に表現する他の女性を当たれば早いと思いますけれど」
「何故ミラ以外の女性とそのような事をしなければいけないのだ。他は興味がない」
相変わらずスティーヴンは無表情である。一方ミラは喜ぶべきなのか怒るべきなのか、どうしたらいいのかわからない。
「つまりスティーヴン様にとって私は何なのですか」
「妻以外の何だというのだ」
「妻なら家族ではないですか」
「ミラが家族だと認めてくれるのなら嬉しい」
「私がいつ家族でないと言いましたか。夫と思っていない人間を支えるほど、私は出来た人間ではありません」
「つまり私を家族だと」
ミラはスティーヴンとの会話が噛み合ってない気がして、少し苛立ってきた。
「今日は何の話し合いなのですか。私は自分の勝手に生きると宣言する為にここへ来たのですが」
「自分の勝手とは何だ。離婚はしないと言ったはずだが」
「えぇ、離婚はしません。リスター侯爵夫人の肩書がないと困りますから。ただ、もう陰でスティーヴン様を支えるのは辞めようと思います」
ミラはきっぱりと言い切った。夫の為ではなく自分の為に生きると彼女は決心したのだ。しかしスティーヴンはそれをうまく汲み取れなかった。
「つまりどういう事だ」
「スティーヴン様の為に何をしているのか、恩着せがましく何でも言います。そしてたまには私の我儘にも付き合って下さいませ」
「我儘とは」
「交流会の時に困らないように、流行りの演劇を鑑賞したいです」
演劇鑑賞はよくある趣味だ。女性同士で行く事もあるが、既婚女性の場合は夫婦で出かけるのが基本である。ミラは一度も演劇を鑑賞した事がない。スティーヴンも流石にその趣味は把握していた。
「あぁ、付き合おう」
「それと私を抱きたいのでしたら、雰囲気をもって誘って下さいね」
「雰囲気? どういう事だ。ジミーに弟をという話ではなかったのか」
「息子の願いは叶えたいと思いますが、私も願いを叶えて欲しいのですよ」
スティーヴンは困惑した表情を浮かべる。
「嫌なら結構です」
「嫌ではない。私しか見られないミラの表情がとても気になっているのだ」
「スティーヴン様しか見られないとはどういう事でしょうか。離婚をしないとは申しましたが、浮気をしないとは約束しておりません」
ミラはしれっと言い放った。貴族なら火遊びをする者もいる。しかしスティーヴンは焦りをあらわにした。
「私以外の子を産むのだけは勘弁してくれ」
「焦り過ぎではないでしょうか。別に珍しい話でもありません」
「珍しい話ではないからこそ困る。それだけは受け入れられない」
スティーヴンの脳裏には叔母がいるが、当然ミラはエドワードの母が何をしたのか知らない。
「あれは誰も幸せにならない。わかった、雰囲気とやらを考える」
「まるで誰かを不幸にしたような口ぶりですね」
ミラの指摘にスティーヴンは一瞬眉を顰めた。そして視線を伏せる。
「誰にも言わないなら言ってもいいが」
「まさか、スティーヴン様は人妻に手を出しておられたのですか?」
「そのような事はしていない。抱いたのはミラだけだ。娼婦さえ抱いた事がない」
スティーヴンの告白にミラはどう反応していいのかわからない。女性の影がないとは思っていたが、本当になかったらしい。
「私が言いたいのは叔母だ。亡きチャールズ殿下は陛下と父親が違う」
あまりの衝撃にミラは何と答えていいのかわからない。六年前に亡くなっているエドワードの弟であるチャールズが、王家の血を引いていないとは流石に思っていなかったのだ。
「これがレスター公爵家の弱みだった。叔母の愚かな行為のせいで、父は王家を乗っ取ろうとしたのだろう」
「それは確かに、誰も幸せになっていませんね」
ミラはこの話を墓場まで持っていこうと決めた。既にスティーヴンの叔母オルガもチャールズもこの世を去っており、レスター公爵家もなくなっている。今更蒸し返しても仕方のない話だ。
「あの叔母の行動で私は人を愛するという事が怖くなった。己の愛を貫けばどうなるか考えられない程愚かになるのは恐ろしい」
「それなら私を愛して下されば宜しいではないですか」
「何故そうなる」
「結婚相手を愛して何の問題があるのですか。陛下もリアン様も別段問題ないではありませんか」
「陛下は問題があると思うが」
「ナタリー様が相手なので問題ありません。スティーヴン様も相手が私ですので問題ありません」
ミラは笑顔を浮かべた。スティーヴンは困ったような表情を浮かべる。
「ミラはここまで物を言う女性だったのか。知らなかった」
「長らく夫に従順な妻をしていましたが、何の意味もなかったと悟りましたから辞めます」
「あぁ、そうだな。こうして言い合える方が楽しいかもしれない」
スティーヴンは僅かに表情を緩める。ミラもそれを見て微笑んだ。
「前途多難ですが、夫婦としてこれからも宜しくお願いします」
「あぁ、宜しく頼む」
翌年の初夏。ナタリーが第四子を出産後、初めての交流会が催された。それはいつもの五人である。
「ナタリー様、お久しぶりです。お身体の調子はいかがですか」
ミラはジェームズを連れて王宮を訪れていた。ナタリーも笑顔でミラを迎える。
「えぇ、乳母達がいるから大丈夫。ミラも元気そうで何よりだわ」
ジェームズはミラの手を離すと、他の子供達の輪に入っていく。先に来ていたライラ、エミリー、フローラに軽く挨拶をしてミラは席に座る。
「この五人で変わりなく集まれてよかったわ」
「ナタリー様。ミラ様は変わりましたのよ」
フローラが笑顔でミラを見つめる。ミラはまたリアンかと思いながら笑顔を浮かべる。
「少し夫との距離が縮まっただけです」
「少しではないではないですか」
フローラの態度は面倒臭いが、ナタリーも笑顔を浮かべている。これはエドワードからも漏れているなとミラは思った。
「愛がなくても妊娠は出来るのですよ」
「またそのような事を。最近はスティーヴン様の帰宅が早いとリアン様から聞いていますわ」
「やはりリスター卿も愛情を持っていたわけね」
「愛情かどうかはわかりかねますけれど」
ライラにミラは曖昧に微笑んだ。夫婦としての距離が縮まったのは間違いないが、ここにいる女性達のように夫に愛されているかと言われるとミラは確信が持てない。
「浮気しない宣言をされたのですから、愛されているのですよ」
エミリーが笑顔で言う。迷惑をかけたので事の成り行きをエミリーには報告していたのだが、ミラにはそうとは思えない。
「あれは他の女性と関わるのは面倒という話だと思います」
「素直に受けておけばいいではないですか。その方が胎教にもいいですよ」
胎教と言われるとミラも素直に頷くしか出来ない。そんなミラにナタリーは微笑む。
「そうよ。もう二度と離婚したいなんて言わない事ね」
「それはスティーヴン様が離婚はしないと仰せなので言いません」
「もう、素直ではないわね。いいわ、今日はゆっくり話を聞かせて頂戴」
ナタリーの言葉に他の三人も頷く。ミラは困ったように微笑みながらも幸せを感じていた。不本意ながら離婚しましょうと言葉にした時はどうなるかと思ったが、こうして過ごせているのだから必要な遠回りだったのだろう。彼女はこのような未来は想像していなかったと思いながら、交流会を楽しんだ。




