従弟の願い
スティーヴンは自室で水を飲みながら、以前エドワードに貰った冊子を手にしていた。長らく眠らせた後、開く羽目になった四年前の会話を思い出す。
「課題が無事解決したようで安心致しました」
黄昏時のエドワードの執務室。今日は家族で夕食の日だからとリアンは仕事が終わり次第早々に帰っていった。エドワードは平生を装っていたものの、スティーヴンには従弟が帝国派を追い出してから落ち着かない様子である事など筒抜けだ。そして最近は終始機嫌がいい。無事にナタリーと夫婦として向き合えたのだとスティーヴンは確信していた。
しかしエドワードは真剣な表情をスティーヴンに向けた。
「解決はしていない。この世を去るまで一生悩み続けるだろう」
あまりにも真剣なエドワードにスティーヴンは何と返せばいいのかわからない。その反応に、エドワードはわざとらしくため息を吐いた。
「お互いが向き合えば解決なわけがないだろう。最期までお互いが無理する事なく向き合い続ける為にどうすればいいのか、常に考え続けなければいけない」
「大袈裟ではないですか」
「大袈裟なものか。ナタリーは元々欲がない。貪欲に私を求めて欲しいのに」
スティーヴンは表情を無にした。エドワードは恋愛について今まで言葉にした事はない。ただどう思っているのか、スティーヴンが察していただけだ。だが、こうして面と向かって言葉にされると反応に困ってしまった。
「スティーヴンはいつも私を馬鹿にしたような視線を送ってきたが、恋愛感情を知らずにその態度が出来るのは感心する」
「私はただ殿下が素直になれば丸く収まると思っていただけです」
「自分の気持ちだけを伝えればいいというものではない」
真っ当な言葉だが、スティーヴンは腑に落ちなかった。ただ拗らせていたエドワードが問題を先延ばしにしていただけのように見えていたのだ。勿論、シェッド帝国との関係性を清算する必要はあったので、逃げていたと非難する事は出来ない。
「そもそもスティーヴンはどうするのだ」
「何のお話でしょうか」
「結婚を継続するかに決まっているだろう。ミラの実家も帝国派だから実刑は免れない。ミラ自身は実家の指図を受けていない所か、スティーヴンの妻として動いていたのは私も調べているが」
エドワードが色々な情報を集めている事はスティーヴンも知っているが、まさか自分の妻の事まで調べているとは思っていなかった。そもそもスティーヴン達は政略結婚で、白い結婚に同意しているのである。
「好きにしていいと伝えた所、残ると言うので継続します」
「既に政略もないのに、冷めた関係を継続するのか?」
「ミラが実家に帰り難いのは理解しています。私も他に誰かと結婚する気もありませんので」
「前から気になっていたのだが、スティーヴンは本当に誰にも好意を抱いた事がないのか?」
「仕事以外の事を考える時間は必要ありません」
スティーヴンは言い切った。実際彼は仕事人間であり、趣味さえも持っていない。エドワードはスティーヴンが仕事人間であるからこそ、信用をしてシェッド帝国を黙らせる計画の協力者に選んだのだ。
「ちなみにミラを抱けるか?」
「はい?」
スティーヴンは思いがけないエドワードの言葉に間抜けな声を返した。自分達が仮面夫婦である事など、エドワードなら理解していると思っていたのだ。
「以前リアンが言っていただろう。私達と同じ環境を息子達にも与えたいと。私も息子に仕えるスティーヴンの息子が欲しい」
「ナタリー様との間にはアリス姫しかいないではありませんか」
「今はそうだが、数年もすれば生まれるだろう。正直リアンの息子だけでは不安なのだ。他の公爵家にはいい年頃の子供が居ない。他から探すとなると頭が痛い」
レスター公爵家がなくなった為、レヴィ王国の公爵家は四家になった。スミス家には男児が二人いるものの、ハリスン家の嫡男グレンは子供がいないまま亡くなり弟二人は未婚。クラーク家は男児を亡くしており断絶目前。モリス家の嫡男は婚約者もいない。一方侯爵家と伯爵家は合わせて百以上あり、その中から苦情が出ないように人選するのはなかなかに難しい。
「私は現在子爵なのですが」
「頃合いを見て侯爵に格上げする」
「レスターの血を残すのは如何かと思うのですが」
「その発言は受け付けない」
スティーヴンの叔母がエドワードの母である。たとえエドワードが母から愛されていなかったとしても、親子である事は揺るがない。エドワードの子孫を残すならば自然とレスターの血が繋がってしまう。スティーヴンは口を噤むしかなかった。
「私の結婚祝いは活用しなかったのか」
「必要がありませんでしたので」
「私は三人に同じものを送った。グレンは無反応だったが、リアンは役に立ったと言っていた。捨てたのなら再度渡そう」
「本棚の奥に眠っていますから結構です」
スティーヴンは内心呆れていた。エドワードから結婚祝いに貰ったものは閨事の手引書である。まさかそれを側近三人に送っていたとは思いもしなかった。王太子が側近に送るような代物ではないので、従兄として揶揄われたのだろうとスティーヴンは思っていたのだ。
「サマンサがミラはナタリーの側に必要だと言っていた。離婚する気がないのなら、子供の件を前向きに考えて欲しい」
「サマンサ殿下が?」
「あぁ。サマンサは多くの貴族と接点を持っている。フローラはやや難があるが、ミラと一緒なら問題ないと。多分フローラにとってもミラは必要なのだろう」
自分の妻の態度に不安があったリアンはスティーヴンに妻同士の交流を依頼したのだ。表向きは帝国派と公国派であるのに仲良くするのはどうかと渋ったスティーヴンに対してリアンは譲らなかった。最終的にリアンがミラを説得すればいいと、スティーヴンは匙を投げたがそこはリアンである。ミラを易々と丸め込み、フローラと友人にしてしまった。スティーヴンはたまにミラからフローラの話を聞かされる派目になったわけだが、断り切れなかった自分が悪いので一応耳は傾けている。
「話を聞いている限り彼女が将来スミス公爵夫人になれるとは思えません」
「それはリアンもわかっているが、惚れた弱みなのだろう。私もナタリーが望んでいないとわかっていて王妃の座を押し付ける側だ」
「ナタリー様は見込みがありそうですが」
「だがあの性格で上に立つのは辛かろう。サマンサを側に置き続けたいが父は国外へ嫁がせる気だ。ガレスの姫君は期待出来そうだが、彼女は立場が違う。ここはミラの力を借りたい」
「私の妻を買いかぶり過ぎではありませんか」
「益にならない政略結婚を公爵家がするとは思えない。祖母は熟慮したはずだ。伯父をしっかり育てられなかった罪滅ぼしも含めて、な」
エドワードは嘆息した。スティーヴンも祖母の厳しい教育を受けたが、何故父が売国奴のような行動を起こしたのか納得は出来ない。同じ公爵家でありながらハリスン家にどうにも勝てない事が気に入らなかったのかもしれないが、手を組む相手が悪すぎた。
「とにかくミラと結婚を続けるのなら考えてみてくれ。出産するなら離婚だとなるようなら、無理強いはしない」
「かしこまりました」
スティーヴンは冊子を目的もなく捲る。条件はあったものの提案を受け入れてくれたミラに、せめて苦痛を与えないようにと彼は冊子を読み込んだ。回数を重ねる毎に耐えるような表情になる妻の苦痛を取り除く為、答えを必死で探したのである。流石に結婚して十年も経っているのに彼は周囲に聞けなかった。そもそも彼が世間話をする相手はエドワードかリアンしかおらず、その二人に聞くには抵抗があり過ぎたのだ。
しかしミラの口から快楽に耐えていたと聞いた時、スティーヴンは安堵した。今まで気付きもしなかったが、何か心に抱えていたようだ。必死で探した答えが正しかったというのは思いのほか嬉しかった。
「必要だから、か」
スティーヴンはリアンに言われた言葉を声に出して反芻する。そして冊子を閉じて机の上に置いていた書類に目をやる。それはこれだけの事が滞っている為ミラに戻ってきてほしいという嘆願書であり、しびれを切らしたギルバートが彼に渡したものだ。それを見てエドワードが言っていた、屋敷に必要なのはミラだという言葉が腑に落ちた。この屋敷は随分と前からミラが動かしていたとやっと理解したのである。仕事以外一切興味のない自分を文句のひとつも言わずに支える女性、祖母が選んだ理由もこれなのだろうと彼は思った。
スティーヴンは冊子を本棚の奥に仕舞い込むと、ベッドに身体を預けた。明日説得に失敗したら全てを失う。それを回避する為に彼は目を閉じながら最適解を考え始めた。




