国王陛下は怒っている
スティーヴンは国王の執務室の自席に腰を掛けていた。部屋を出て帰宅には早いと思いながら王宮を歩き始めた所を、エドワードの近衛兵に捕まり連れてこられたのである。
「急ぎの案件でしょうか」
「あぁ。ミラとの会話を教えろ」
エドワードの言葉にスティーヴンは無表情のまま数回瞬きをした。今いる場所は執務室であって私室ではない。勿論、エドワードの私室でもこのような話をした事はないのだが。
「話せば離婚を認めて下さるという事でしょうか」
「まだ離婚する気なの?」
リアンは肘を机につき手で頬を支えながら口を挟む。
「執務室内でそのような態度は良くないと思うのだが」
「今日の仕事は片付いてるよ。そもそもスティーヴンがミラさんと一緒に帰ったなら、俺とエディも愛する家族の元へ戻ってたんだからね。いい親友を持って幸せだなと嬉し泣きする所だから」
リアンに不機嫌そうにそう言われてもスティーヴンは無表情だ。
「あぁ、やだやだ。エディも何か言って」
「離婚をするなら屋敷を出る覚悟だけでは足りない。使い物にならないから側近も罷免する」
エドワードの言葉にスティーヴンは眉を顰める。流石に仕事まで取り上げられるとは思っていなかったのだ。
「ナタリーがミラは侯爵夫人のままでいて欲しいと言う。故にスティーヴンは事故死、跡継ぎはジミーでリスター侯爵家は整う。未亡人の方が援助しやすい」
「事故死、ですか」
「流石に命までは奪わない。シェッド帝国で暮らせるように手配してやろう」
「エディってばやっさしぃ」
リアンの口調は軽いが、エドワードはそうでもない。冗談だと思っていたら本気だったという事もなくはない。スティーヴンは今の自分に対してのエドワードの対応を図り損ねていた。
「話さないと本気で帝国へ追放するぞ」
エドワードの表情は真剣だ。隣国へ追放など簡単に出来る事ではないが、エドワードはナタリーの母である皇妃アナスタシアと繋がっている。出来そうだから質が悪いとスティーヴンは小さくため息を吐く。スティーヴンは帝国語を話せるが、シェッド帝国でどう生きていいのかわからなかった。
「一緒に帰ろうと言いましたが、嫌だと断られました」
「理由は?」
「聞きましたが教えて貰えませんでした」
「違う。ミラにどういう理由をつけて帰ろうと言ったのかを聞いている」
エドワードの言葉にスティーヴンは何を聞かれているのかわからないというような表情を返す。それを見てリアンが盛大なため息を吐く。
「やっぱり無能だ。エディが台詞を考えて覚えさせたら良かったんじゃない?」
「いや、ミラなら気付くだろう。それにこういう話は自分の言葉で語らなければ、相手の心に響かない」
「あぁ、まぁね」
エドワードとリアンはわかったように話しているが、スティーヴンは話が見えない。自分の話なのに疎外感がある。
「ミラさんは何も言っていなかったの? 嫌だと断る以上、その前に何かあるよね」
リアンの指摘にスティーヴンは視線を伏せる。しかし二人の視線を感じて、無言を通すのも気まずかった。
「私に惚れていると聞こえたが、怒っているような口調で、どう捉えていいのかわからない」
「つまり怒らせるような事を言ったんだ」
「いや、怒らせるような事は言っていないと思う」
スティーヴンは先程のやり取りを思い出す。彼は思っていた事を口にしただけであり、怒らせるような事を言ったつもりはない。だが温度差があったのはわかる。
「スティーヴンは表面的なのが、たまに腹が立つんだよね」
「どういう意味だ」
「そのままだ。人間誰しも感情を持っている。スティーヴンのように淡々と生きてはいない。ミラはよくやっていると思う。何もしない夫の為に服装を整えて」
「衣服は使用人が用意した物です」
今日のスティーヴンの服装は濃紺の生地に灰色の糸で刺繍がされている。襟締も灰色で揃えてある。ここ数日単色を着ていたのが元に戻ったわけだが、残念な事に彼には伝わっていない。
「使用人は変わっていないのに用意される衣服が変わったのならば、昨日言っていたようにミラが使用人に手紙を書いたのだろう。多分使用人もわざとそうしたのだろうが」
「わざととはどういう事でしょうか」
「ミラは侯爵夫人としての自負がある。夫がおかしな服装をしているのは見過ごせない。ミラに戻ってきてほしいという気持ちを込めていたのだろう」
「あー。ギルならやるかもしれない」
リスター侯爵家の使用人達は、ミラが一向に帰ってこない所か手紙の一枚も届かない事に不安を募らせていた。しかし王宮へ使いを出せるはずもなく、かといってスティーヴンに手紙の依頼をするのも憚られ、考えたのがスティーヴンの服装を変える事である。そしてやっとミラから手紙が届いたと思ったら、スティーヴンの服装など諸事についての指示だけで、いつ戻るとは書かれておらず、使用人達は落胆したのだが、勿論スティーヴンの知る所ではない。
「スティーヴンはミラと離婚をしたいのか?」
「ミラが望むならします」
「そうではなく、スティーヴンはどうなのかと聞いている」
エドワードに真剣な表情で問われ、スティーヴンも真剣な表情を返す。
「私に離婚する理由はありません」
「まぁ、そりゃそうだよね。ミラさんの我慢の上に成り立ってる夫婦だもん。スティーヴンに離婚する気があったら驚きだよ」
「我慢?」
スティーヴンはミラが我慢をしていたとは思っていない。リアンはそれを察して姿勢を正してスティーヴンに向き合う。
「俺は好きな人に認められたい。褒めて欲しい。頼られたい。エディはたまに飴をくれるけど、スティーヴンは無なんだよね」
「無ではないと思うが」
「無だよ。無でないならミラさんを説得する時にどういう理由で一緒に帰りたいと伝えるはず。愛している、でなくてもいい。必要だから、で良かったんだよ」
「いや、しかし必要だけでは相手に不誠実ではないだろうか」
「スティーヴンを理解している人間なら必要だからだけで十分だよ。スティーヴンにとって必要なものがいかに少ないかわかっているからね」
リアンの言葉にスティーヴンは首を捻る。わかっていなさそうなスティーヴンにリアンは畳みかける。
「スティーヴンって欲がなさすぎるんだよ。俺は昔からあの家に通ってるけど何にも増えない。ミラさんも遠慮して何にも増やさない。だけどさ、ジミーが増えたのは良かったと思わない?」
「それは、そうだな」
「そのジミーには会えなくても平気という神経が俺にはわからない」
「ジミーはミラの側にいれば問題はない」
淡々としたスティーヴンの態度にリアンは文句を言おうとしたが、エドワードが手を上げて言葉を遮る。
「リアン、これ以上は無駄だ。私は時間を無駄にするのが一番嫌いだ。一晩必死に考えて明日こそミラを説得しろ。それが出来ないなら帝国に追放、いいな」
エドワードに不機嫌そうにそう言われ、スティーヴンは頷く事しか出来なかった。




