我儘のすすめ
「手紙が紛れるなんてまずないので、陛下かリアン様の差し金でしょうね」
エミリーは封筒を見るなり呆れた顔をしていた。ミラも何となく、そうではないかと思っていた。
「一緒にお持ちしましょうか」
「いえ、私は正式に女官になったわけではないので、不要な場所は歩かない方がいいと思います」
ミラは一応ナタリーの女官手伝いとして王宮に留まっているが、王宮を不用意に歩かない方がいい事は弁えている。エミリーなら王宮内のどこを歩いても平気な許可を持っている事も知っていた。
「ミラ様なら咎める者はいないと思います。リスター侯爵夫人は出来た女性で通っていますから」
「そのような社交辞令を本気にしてはいけません」
「社交辞令ではありませんよ」
ミラはエミリーの言葉を信用しかねた。確かにミラはスティーヴンが仕事に集中出来るように色々と整えていたが、それは妻であれば当然だと思っている。
「私も本来なら陛下の執務室へは気軽に行ける立場ではないのですけれどね」
エミリーの腕には赤色の腕章がある。これはジョージの従者と同等の権利を表している。王弟であり総司令官であるジョージの使いなら王宮内のどこへでも行けるのだ。それでもこの行動は不自然である。ミラは決してエミリーに迷惑をかけたいわけではないので、自分の行動を後悔した。
「短慮でした。これはナタリー様にお願いして女官の誰かに戻してもらいましょう」
「いえ、一緒に行きましょう。どちらの差し金でもミラ様が顔を出さない限り同じ事を繰り返す気がするのです」
確かにそうかもしれないとミラも思った。リアンは昔からお節介で諦めも悪い。エドワードは淡々としていた気がするが、ナタリーと向き合うようになってから変わったのは事実だ。昔のままならスティーヴンに跡取りをなどと言うはずがない。
「今日は偶然にもライラ様が外出中で手が空いていますから」
エミリーはライラの侍女なので、常にライラに侍っている。今日はどうしたのかとミラが尋ねると、ジョージと共に王都視察との事。ミラはライラの自由さが少し羨ましく思えた。
「ライラ様とジョージ様は王族や貴族の型とは違いますが、とてもいい夫婦です。ミラ様は柵を捨ててみるのも宜しいのではありませんか」
「難しい事を言われますね」
「凝り固まった思考は視野を狭くします。ミラ様も以前はスティーヴン様の妻でなければ生きていけないと思い込んでいらっしゃったでしょうが、今は如何ですか。ナタリー様の女官としても生きていけそうだとは思いませんか」
確かにミラはそう感じていた。今は手伝いだが、伊達に十五年も貴族社会に関わって生きてきていない。しかもそのうち十年は公爵家の者として振舞っていたのだ。レスター公爵家の派閥はなくなってしまったが、人脈が切れたわけではない。
それに今はジェームズもリチャードと共に行動をしている。幼いながら既に王太子としての教育が始まっているリチャードと同じ環境を与えられて、ミラは感謝していた。ジェームズを連れて離婚した場合の息子の将来を憂いていたが、このまま王太子の学友として共に成長させてもらえれば心配は何もない。
「そうですね。少し視野が広がったかもしれません」
「ミラ様は我儘も覚えられたら如何でしょうか」
エミリーの話が突拍子もなく感じ、ミラは困惑する。何故視野が広がったら我儘を言う事になるのか、ミラにはわからない。
「男性は女性に頼られるのを好む方が多いです。少なくとも陛下とジョージ様はそうですね」
「ジョージ様もそうなのですか?」
エドワードならばミラも同意見だ。しかしジョージは総司令官であるし、昔から女嫌いの噂があった。そういう面倒な女性は嫌いなのだろうと彼女は勝手に思っていた。
「あぁ、言い方を間違えました。好きな女性に頼られたいのです。ジョージ様は好意を持っていない女性には冷たい方ですから」
「でしたらスティーヴン様は私に好意を持っていらっしゃらないので意味がありません」
ミラは言いながら虚しくなった。スティーヴンが誰も愛さない事など前から知っているのだが、言葉にすると思ったより心を抉ったのだ。
「それでは試してみましょう。あの扉が陛下の執務室になります」
二人が小声で話しているうちに、エドワードの執務の部屋の前に辿り着いた。エミリーは手に持っていた封筒をミラに差し出す。
「エミリーさんも一緒に行って頂けませんか」
「これはミラ様がお持ちする事に意味があります。扉まではご一緒しますから」
確かに同じ事をもうしないでほしいと言外で伝える為にも自分一人で渡した方がいいだろうと、ミラは封筒を受け取った。扉の前には近衛兵が二人立っている。そのうち一人に見覚えがあったので、彼女はその近衛兵に近付いた。
「こちらが王妃殿下の手紙の中に紛れていたので、陛下に渡して頂きたいのですけれども」
「わざわざありがとうございます。どうぞ、直接お渡し下さい」
「いえ、執務の邪魔をするわけにはいきませんから」
「陛下よりミラ様はお通しするようにと命を受けています」
ミラは一瞬でこれがエドワードの策略だと悟った。自分の顔を知っている近衛兵をあえてここに置き、中へ入るように誘導する。だが彼女は国王の命を無視出来る権限など持っていない。
ミラがエドワードに苛立っている間に近衛兵は扉を叩いて開けてしまった。彼女は仕方なく、平然とした表情を作ってから部屋に足を踏み入れた。
エドワードが部屋の奥の机に腰掛けていて、その前にリアンとスティーヴンがいる。本当に三人で仕事をしているのかとミラは少し驚いていた。ナタリーの女官は四人いたのである。
「ミラさん、どうしたの?」
リアンが優しくミラに声をかける。彼女はそれに返事をしないといけないと思うのに、どうしてもスティーヴンの服装が気になって仕方がない。使用人は家に居るのだからまともな服に着替えられるはずなのに、身に着けているのは普段着回していない物だ。
スティーヴンが服装に興味ないのはミラも承知しているが、全身黒はありえない。葬式に参列するつもりなのだろうか。それともスティーヴンは全身黒が趣味なのだろうか。
「ミラさん?」
「申し訳ございません。こちらが王妃殿下の所に紛れていたのでお持ち致しました」
これ以上リアンを無視するわけにもいかず、ミラは大人しくエドワードに近付いて手紙を差し出した。
「わざわざ悪かったね。ついでにそこの黒い塊を連れて帰って」
「遠慮させて頂きます」
手紙を受け取ったエドワードは笑顔だ。ミラも余所向けの笑顔で対抗する。一応髪は金髪で肌が白いのだから黒い塊は言い過ぎだと、彼女は視線に文句を乗せる。エドワードは困ったように微笑んだ。
「ここ数日仕事に集中出来ていないようで困っている」
「左様でございますか」
使用人達がいるのだから生活には困らないはずなのだが、もしかして彼等は職場放棄でもしたのだろうかとミラは不安になった。嫁いでから家を空けたのは初めての事なので、使用人達がどう動くか彼女には想像が出来ない。
「えー。ミラさん、何だか冷たくない?」
「私は元々温かい人間ではありませんけれど」
リアンの言葉にミラは冷めた声で返す。流石にエドワードの前では立場を弁えたいのだが、リアンはそのような事などお構いなしである。そしてスティーヴンは机の上の書類から視線を外さない。
「温かくない人間ならスティーヴンと十五年も付き合えないよ」
「屋敷の者に指示を致します。それでは失礼致します」
ミラは一礼をして逃げるように踵を返す。エドワードとリアンに挟まれてはミラに勝ち目がない。そもそも今は執務中であり、彼女はその手を止めるのも嫌だった。
ミラが部屋を出るとエミリーが扉の前で待っていて、笑顔で彼女を迎えてくれた。
「どうでしたか」
「ただ陛下に手紙を渡しただけです。用は済みましたので戻りましょう」
エミリーは腑に落ちないような表情をしているが、それをあえて無視してミラは来た道を戻る。ここから直接ナタリーの執務室に戻ればいいのだが、一旦エミリーの部屋を経由したのでミラには最短の道がわからない。
「時間からしてスティーヴン様とは話していませんよね」
「えぇ」
「視線は合わせましたか」
「いえ」
「それではいけません。陛下なら同じ事を繰り返しかねませんよ」
エミリーは手紙を紛らわせた人物がエドワードだと確信している口ぶりだ。ミラはそれが不思議で問うような視線を送る。
「国王の執務室前にいるのは近衛兵です。彼等は陛下の指示しか受けません。ミラ様が室内に入れたという事は陛下の差し金で間違いありません」
「事情に詳しいのですね」
「将来アレックス様の就かれる職業ですから色々と情報は集めています」
アレックスとはライラの息子アレクサンダーの事である。赤鷲隊隊長の息子は必ず近衛兵になると決まっている。エミリーがライラ至上主義なのは有名な話だが、子供の心配までしているとはミラは思っていなかった。
「子供の将来を考えるのは親として当然です。私はアレックス様の乳母でもありますから。今は一旦王妃殿下の執務室へ戻りましょうか」
エミリーは微笑み、ナタリーの執務室へと足を向けた。ミラも大人しくついていく。歩きながらミラはジェームズの将来を考えるなら離婚は良くないかもしれないと思い始めた。いくら学友になれても、やはり侯爵家嫡男の肩書がなければ肩身が狭い。
「ミラ様、我儘になってもいいのですよ。諦めるのではなく、譲れないなら絶対に譲らない、その気持ちが大切です」
「譲らない、ですか」
「えぇ。ジミー様と我が子が力を合わせてリチャード殿下を支えられたら素敵ですね」
エミリーは微笑む。瞬時に母親の顔になったエミリーにミラも微笑み返した。




