不自然な手紙
ミラはライラが選んだ緑のワンピースに早速着替えた。ワンピースに合わせて耳飾りも購入して身に着けた。交流会に参加する前にミラが宛がわれている部屋に戻ると、ミラの世話の為に王宮に留まっているリスター家使用人のハンナが嬉しそうに髪を整え直す。
「私、おかしくないかしら」
「素敵です。奥様は控えめ過ぎるのですよ。旦那様に遠慮などするだけ無駄ですのに」
公爵家時代から勤めている使用人は、スティーヴンに対して容赦がない。面と向かって何かを言う訳ではないが、主とは認めていないと態度に滲み出ている。勿論スティーヴンはそれに気付いていない。
「遠慮をしているわけではないのだけど」
ミラは侯爵家出身ではあるが、お金を使う行為に慣れていない。レスター公爵家に嫁いですぐに頼りの義祖母を失ってから、執事であるギルバートと共に対応してきた。ギルバートに奥様の予算ですと言われても使い方がわからず、スティーヴンの妻として必要なドレス代以外は毎回返していた。
「万が一の時は旦那様を屋敷から追い出します、とギルバート様より伝言を承っております」
「あの屋敷はスティーヴン様の物よ」
ハンナの言葉にミラは驚きを隠せないが、ハンナは平然としている。
「リスター侯爵家使用人一同、奥様にお仕えしております。奥様が出ていかれるのでしたら誰もあの屋敷には残りません」
「それは考え直して。私は全員を養えないけれど、スティーヴン様なら仕事の保証はされているから一生困らないはずよ」
「万が一の時は慰謝料としてあの屋敷と生活費を頂けば宜しいのです。旦那様は仕事さえ出来れば、他に文句を言う方ではございません」
ハンナの言い分にミラは納得せざるを得ない。スティーヴンは金の為に仕事をしているわけではなく、エドワードに仕えているのだ。それこそ無給でも働くだろう。
「家庭内別居でも宜しいのではないでしょうか。奥様が侯爵夫人の肩書を失う必要はないと思います」
ハンナにそう言われ、ミラは心の中で家庭内別居と繰り返す。政略結婚が多い貴族の中で、そういう夫婦が居る事はミラも知っている。しかしミラ達は出迎えと一日二回の食事以外は家の中で顔をほぼ合わせない。
「私達は既にその状態ではないかしら」
「少なくとも奥様は違います。旦那様の事を考えなくなった時に家庭内別居が成立します」
「夫を支えないのなら妻ではないと思うのだけれど」
「実際離婚をすればそうなるではありませんか。家庭内別居は形式上夫婦というだけで離婚状態なのですから」
ハンナに言われ、ミラは自分の両親を思い出した。ミラには両親が仲良く話していた記憶がない。父は仕事こそ出来たが愛人がよく変わり、母は弟しか見ていなかった。母親と同じ道を歩く事にミラには抵抗を感じた。
「それなら潔く離婚をしたいわ。中途半端なのは嫌」
「かしこまりました。ギルバート様には旦那様を追い出す方向で話を進めるように伝えますね」
「だからあの屋敷の所有権はスティーヴン様がお持ちなの」
「ジミー様の物にすれば宜しいのです。親権もリスター侯爵家跡継ぎの肩書もこちらに手に入れましょう」
「無茶を言わないで。もし私達が離婚をした後でスティーヴン様が再婚をして子供が出来た場合に揉めてしまうわ」
「まさか。スティーヴン様が再婚される事は絶対にありません」
ハンナは言い切った。ミラは眉を顰める。
「絶対とは言い切れないと思うわ」
「いいえ、絶対にありえません。スティーヴン様は自ら女性を探さないでしょう。世話をする人もいません」
「寄ってくる女性がいるわよ」
「いるわけがないではありませんか。今まで言い寄ってきた女性を見た事がありますか? レスター公爵家時代なら私が嫡男を産むという野心に溢れた女性が居てもおかしくなかったはずです」
ハンナの言葉にミラは返す言葉がなかった。フローラから妙な言いがかりをつけられない為に、リアンに独身女性が近寄らないのはわかる。それに対してミラはそのような態度を一切取った事がないにもかかわらず、夜会でスティーヴンに言い寄る女性を見た記憶がない。
「あの人、もてなかったわね」
「えぇ」
「身分も顔も悪くないのに何故かしら」
「会話が続きませんから」
あぁ、とミラは納得せざるを得ない。彼女も食事中話してはいたが完全に一方通行だった。結婚するなら会話が出来る方がいいに決まっている。
「あぁ、そろそろお時間です。今日は皆様に褒められますよ」
「若い女性ならまだしも、私を褒めても仕方がないわよ」
ミラはハンナに笑いながらそう言うと交流会へと向かった。
ナタリーは休暇と思えばいいと言ってくれたが、ミラはじっとしているのがどうにも性に合わない。折角の機会なので女官の仕事を体験する事にした。
王妃の仕事がどういうものかミラにはわかっていなかったが、ナタリーの仕事は多岐に渡る。諸外国の方や国内貴族達の謁見や手紙のやり取り、初等教育についての会合、農作物の改良についての会合、王宮内で働く女性達の環境改善など。今は妊娠中なので王宮外の公務は控えられているものの、交流会の合間を縫って目まぐるしい。ミラは交流会参加者名簿の作成に携わる事になった。
「ナタリー様は頑張り過ぎではないですか」
「そのような事はないわ。衣食住分の働きをするのは責務よ」
シェッド帝国との戦争前までのナタリーは帝国の宝飾品を良く身に着けていたが、戦争後からはレヴィのものに変わった。元々ナタリーは派手なものが好みではなく、またレヴィ風がわからないからと全てを夫に任せている。王妃として相応しい身なりは勿論お金がかかるが、エドワードが好んで着せているのだから甘んじて受けておけばいいのに、それを公務で返そうと思っている所がナタリーらしいとミラは思っている。
「それよりもスティーヴンは何をしているのかしらね」
王宮で暮らし始めて四日目。ジェームズはリチャードと一緒にいるのが楽しいのか、家に帰りたいとは言わない。ミラも離婚をしてナタリーの女官になってもいいような気さえし始めている。
「仕事しかしていないのではないでしょうか」
「仕事。あ、これを陛下の所へ持って行ってくれるかしら」
ナタリーは妙案だと言わんばかりの笑顔で封筒を手に取ったが、ミラには悪手としか思えない。そもそも彼女がエドワードの所へ出向くのがおかしい。
どう断ろうかミラが考えていると扉を叩く音がした。
「王妃殿下。例の件でご同行をお願い出来ますでしょうか」
「わかったわ」
現在レヴィ王宮には一人の要人が地下室に留め置かれている。これは国王夫妻と一部の者にしか知らされていない。ミラはその要人がナタリーの異母姉であるシルヴィだと知っているが、女官全員が知っているわけではない。
ナタリーの母国であるシェッド帝国で暴動が起きた事は極秘情報である。いずれ両国を行き来する商人達によって噂されるようにはなるだろうが、こちらから不安を広める必要はない。エドワードをはじめ議会はこの対応に追われている。ナタリーも独自で行動をしている。
「それではミラ、これを陛下に届けておいてね」
ナタリーはミラに封筒を押し付けると、呼びに来た者と共に部屋を出ていってしまった。封筒の宛名はエドワードであるがナタリーの筆跡ではないので、間違ってナタリー宛の封筒に紛れてしまったのだろう。しかし、これを持っていくのは少々抵抗がある。
そもそも国王の執務室の場所をミラは知らない。女官の誰かに聞こうか迷ったが、ここはエミリーに知恵を借りようと王妃の執務室を後にした。先日服等を紹介された部屋はエミリーの私室だったのである。




