楽しむ事から始めましょう
ミラは王宮の一室で寝泊まりする事になった。ナタリーが手配をし、リスター家から使用人が荷物を持って来て、ミラとジェームズの世話をする為に留まった。スティーヴンにはこちらから伝えるから何もしないでとナタリーに言われて、ミラは手紙さえも書いていない。
「これから何をなさるおつもりなのでしょうか」
王宮に泊まった翌日の午前中。ミラの目の前には宝飾品と数えきれない布、既製品のワンピースなどが並んでいた。
昨夜は慣れないベッドだったが、ジェームズが初めての外泊を楽しんでいたので、ミラも不安にならずに眠る事が出来た。そして朝食後にエミリーが迎えに来て、この部屋に案内されたのである。部屋の奥ではエミリーの侍女と乳母が、エミリーとライラの息子の世話をしている。ちなみにジェームズはナタリーの息子リチャードと共に行動をしている。
「昨日ミラ様の使用人の方にお話を伺いました。ミラ様はご自分の買い物をあまりされないようですね。ナタリー様御用達の方々がご用意したものですから商品に間違いはありません」
「私は特に必要ありません」
「支払いはスティーヴン様の給金から差し引く話はついています。ですからライラ様ではなくナタリー様御用達なのです」
エミリーは笑顔だ。ライラ御用達ならジョージ、ナタリー御用達なら王家に請求書が回される。エドワードならこの請求分をスティーヴンの給金から差し引くのは造作もない。そしてスティーヴンはそれに気付かないとミラは確信している。スティーヴンは本当に仕事以外の事に興味がないのだ。
「審美眼はライラ様の右に出る者はそうそういませんから、楽しく選びましょう」
エミリーの横でライラも笑顔を浮かべている。ライラは赤鷲隊隊長夫人という肩書があるが執務は特にない。王族でも貴族でもないが、長年戦争をしていたガレス王国から休戦協定の一環で嫁いできた女性という特殊な立ち位置にいる。現在は休戦協定が和平条約に変わっており、ライラは人質でもなくなった。それ故に王宮で暮らす必要もないのだが、夫であるジョージが赤鷲隊隊長業務以外に内政を手伝っており、王宮内で暮らしている方が都合がいいという理由で残っている。
「ですから私は必要ありません」
「意地を張っていては何も手に入りませんよ」
エミリーの口調が強くなり、思わず彼女の顔をミラはまっすぐ捉える。するとエミリーは優しく微笑みを浮かべた。
「女性は何歳になっても女性です。綺麗になる事を放棄してはいけません。夫に愛されて幸せなナタリー様やフローラ様がいかにお綺麗か、身近にいるミラ様ならおわかりですよね」
エミリーの言葉にミラは納得せざるを得ない。特にナタリーはエドワードと向き合ってから雰囲気が変わった。よく笑うになり、今ではナタリーに憧れる貴族が男女関わらず増えている。
しかしあれは愛されているからだとミラは思う。片思いではなく、両思いだから綺麗でいられるのであり、夫に愛される可能性のない自分にはどうしても到達出来ない世界にしか思えない。
「まだ勝負をする気があるのでしたら諦めてはいけません。相手が強敵なら作戦が大切です。まずは綺麗に着飾り、気持ちを前向きにする事から始めましょう」
エミリーは読心術を心得ているのかもしれないとミラは身構えた。そんなミラにエミリーは微笑を崩さない。
「ミラ様は侯爵家のご出身で、公爵家に嫁がれたのですよね。着飾る事を諦めたのはいつからですか」
「嫁ぐ前も嫁いでからも着飾っていません」
エミリーが不思議そうな顔をする。しかしミラは嘘など吐いていない。
「私は実家ではあまり大切にされていませんでしたし、社交界に出る前に結婚が決まりました。レスター時代は多少自由にお金が使えましたが、公爵家の嫁として相応しいか否かの視点でしか選びませんでした」
ミラは自分に何が似合うかなんて考えなかった。無頓着なスティーヴンに似合うものを着せて、夜会では彼に合わせて自分の物を選ぶ。それだけだった。彼の事を意識し出してからもそれを悟られるのが嫌で、一時期身体だけ綺麗にしていたものの服装は変えなかった。
「それは勿体ないですよ。早速ミラ様に似合うものを選びましょう。既製品でもいい物はあります」
「私は不自由していませんから」
「ご自身を褒める所から始めましょう。自分がいいと思わないものを他人に褒めてもらおうなんて傲慢です。愛されたいと思っていらっしゃるのなら、まずご自身を愛する必要があります」
ミラはエミリーの言葉が意外で驚きを隠せなかった。自分を愛するなんて事は考えた事もなかったのだ。
ミラは両親からの愛情を感じられず、結婚してからも夫の愛情はなく、誰も愛してくれないのだと心のどこかで諦めていた。しかし、それがそもそも間違っていたのだろうか。不安そうな彼女に、エミリーは笑顔を向ける。
「ライラ様は昔からお綺麗でしたけれど、化粧は嫌いな方でした。ですがジョージ様に綺麗だと思われたいと、今では毎日化粧をします。幸せな女性は努力を怠らないものです」
「ちょっと、私の話はしなくてもいいでしょう?」
大人しく座っていたライラが不満気な表情をエミリーに向ける。だがエミリーはそれを笑顔で受け流した。
「エミリーさんも、ですか」
「私達夫婦はジョージ様とライラ様を支える事が第一です。それでも努力はしていますよ。義兄が美に対して非常に煩いですから、手を抜くと怖いのです」
エミリーは肩をすくめた。ウォーレンは美しくない者に厳しい。リアンは平凡な顔というだけで決して醜くはないのだが目の敵にされているという愚痴を、ミラは飽きるほど聞かされていた。
「つまり今の私はハリスン卿に説教をされるのですね」
「えぇ。もしかするとスティーヴン様は既に何か言われているかもしれません」
「スティーヴン様はそのような事に無関心ですから、全く響かないでしょう」
「無関心から関心を持たせるのは大変ですが、関心さえ持たせれば勝利は見えてきます。さぁ、選びましょう」
ミラとエミリーはそれほど仲良くはないのだが、なぜこれ程自分の為に色々としてくれるのかミラにはわからない。そういえばエミリーはスティーヴンの弟であるブラッドリーの結婚相手を世話した人だとミラは思い出した。お節介な人に逆らい続けるのは無駄だと悟ったミラは、エミリーに従う事にした。
「ミラ様には緋色が似合いそうな気がします。エミリー、それを取って」
ライラが指したワンピースをエミリーは手に取るとミラに当てる。それを見てライラは楽しそうに微笑む。
「良くお似合いです」
「私には少々派手ではないでしょうか。若くもありませんから」
「緋色なら年齢を選びません。それに明るい色の方が気持ちも明るくなりますよ」
ライラの言葉にエミリーも頷く。ミラはワンピースを見つめる。袖口や首元にレースがさりげなくあしらわれていて、落ち着いた印象を受けた。
「あの緑のワンピースも綺麗だと思いませんか。総レースで裾の仕上げが素敵です」
エミリーは緋色のワンピースを一旦置いて、ライラが指した緑のワンピースを持ち上げる。こちらは緑のワンピースの上に緑のレースワンピースが重ねられているもので、一見しただけで高そうだというのがわかる。
「侯爵夫人なのですから、これくらい普通ですよ」
またエミリーに心の中を読まれたとミラは困惑する。しかしエミリーは気にせず微笑む。
「先程も申しましたように、全てスティーヴン様の給金から差し引かれます。今まで妻として支えてきた代金だと思えば宜しいのですよ」
「妻として支えてきた代金、ですか」
「えぇ。十五年夫を支えてきた苦労を金額にした場合、ここにある商品全てを購入しても足りないくらいだとは思いませんか」
「妻が夫を支えるのは当然の事です」
「まさか。妻は夫の使用人ではありません。いえ、むしろ使用人は給金を貰っているのです。愛情も労いの言葉もないのなら、使用人以下ではありませんか。それは異常です」
エミリーの言葉にミラは目を見開いた。今まで使用人以下だとは考えた事もなかったのだ。だが、確かに彼女は夫の給金を自由に出来る立場にあっても使っていない。無償で夫を支えるのは貴族の妻なら当然だと思い込んでいたのだ。
「さぁ、金額など気にせず楽しく選びましょう」
エミリーに笑顔でそう言われ、ミラは微笑みながら頷いた。最初は不安だったのだが、楽しめそうな気がしてきたのだ。
こうして三人は色々と話しながらミラに似合うものを選んでいった。




