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境界守  作者: 琥珀猫
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- 始まりのはじまり - (6)

 音もなく色もない薄暗いぼんやりと曖昧で誰も見向きもしなくなっていた【境界】に、小さな小さな光が緩やかに明滅する。

 己らが孤独に飽き、退屈を紛らわせて造った道のほとんどを消滅させ、残った道には緩やかな風が吹き抜けている。

 いくつかの【魂】は、此岸に新しき生命になるために待っているのかあたりを漂い、【想】は好き勝手に現と夢を彷徨っている。

 【境界守】たちは独り静かに坐しながら、突然現れた光を眺めている。

 と、明滅が止まりぼぅっと灯ると、此岸から愉しげな声が響いてきた。

 ≪いかがですか?≫

 彼らは各々応えるが、その声は此岸から聴こえてくるものよりもいささか小さい。

 同胞の声が聴きにくいことを残念に思いながらも、冷え冷えとした声で応えを紡いだ。

 『いかがも何もだと思うがな、此岸の者よ』

 ≪まあ、確かにそうですね……。では、今後の在りようについて申しましょうか≫

 くつくつと笑いながらも、己が成したこと、新たに定めたことを一つ一つ【境界】に届けてきた。

 ≪まずは、【想】は絶えず動くものゆえに、これまでと変わらずそれぞれの【境界】から好き勝手に夢と現を彷徨わせてください。【境界】同士を繋ぐ道には迷い込めぬようにしてありますので、心配はいりません≫

 いつの間に、と驚きの声をあげれば、風を送り込んだときですと返された。

 ≪次に【魂】ですね。此岸への出入り口はすべての【境界】にありますので、そのまま時を止めたものを迎え入れ、新たな生命となったものを送り出してください。村の方々の出入口のみ光を置きましたが、これは後ほど申します。此岸から迎え入れたものは、一定の間留めておきます。そして、ここから先ですね≫

 ≪聖域の方々以外の【境界守】はより大きな【境界】、つまり村から町、町から国、国から聖域へ渡れる日になると、出入口に留めてある光が灯ります。今のような感じになります。そして灯ると同時に風が渡る【境界】に向かって流れますので、【魂】とともに渡ります。国の方々の【境界】には、一つに見えますが、四つの光が寄り添っています。道も同じようにしてあります。通れる道の光が灯り、その他は消えたままです≫

 確かにあちこちにあるよりは、すっきりしている。が。

 『む、常には光が灯らず、風も流れぬのか』

 ≪ええ、時の流れを表すために、渡る日のみです≫

 『我らは本当に渡ることができるのか?』

 ≪大丈夫ですよ。そのための風です≫

 別のものが不安そうに問うが、応えを聴きそれなればよいと、続きを促す。

 ≪渡った先の【境界】で連れてきた【魂】を引き渡すと、戻る出入口に留めてある光が明滅します。そして風が己の【境界】へと流れますので、此岸に送り出すものを受け取ってともに戻ります。つまり光が明滅するまでは、留まっていることができるのです。【境界】に戻ると光は消え、風もやみます≫

 『もし、戻りとうないとすれば、どうなる?』

 ≪さて、試してみなければわかりませんが、あなた方が坐す【境界】から離れすぎてしまえば、おそらくそのまま彼岸へ渡ることになるやもしれません≫

 無邪気に問いかけたが、返ってきた応えには震えあがった。

 『彼岸へ行くものと此岸に戻るものの区別はつくのか? 我にはわからぬぞ?』

 ≪あぁ、それも大丈夫です。引き連れる、引き受けるとは申していますが、【魂】は勝手に通っていきますので≫

 間違ってもう一度連れ帰ってしまう心配もないようだ。

 ≪では、迎える側ですね。国から聖域へ渡る道の出入口と同じように、村や町、国の数の光と出入口を寄り添わせています。渡ってくる【境界】の光が灯り、風が流れ込みます。戻る刻になると明滅し、風は道へと流れます。渡ってきたものが戻られると光は消え、風はやみます。そして次の出入口が同じようになります≫

 『同時には来てくれぬのか?』

 大勢の方がよりよいのにと不満そうに言えば、

 ≪さて、より【境界】や道に負荷がかかってどうなるかわかりませんが……。一度試してみましょうか?≫

 そんな物騒なことはやりたくもない。

 ≪すべての国から【魂】が渡ってきた聖域の方々は彼岸へ送り出した後、此岸に戻るものを受け入れてください。聖域以外からは彼岸へは渡れなくしましたので≫

 我らに関与できるならば、もともとあった道を消すことなどたやすいかと納得するなか、苛立つようながなり声があがった。

 『うむ! それでよい!! だが此岸の者よ。我はいつ、どのように使いを出せばそなたのもとに届くのだっ!!』

 さあ、教えろ、早く教えろといわんばかりの催促に、他の三人の聖域の【境界守】も同意した。

 ≪では、最後になりますが。彼岸へ送り出す【魂】がすべて渡ってきた頃、あなた方のもとにある小さな石が、光を帯びます。それを此岸に放り出してくだされば、わたしのもとに届きます。わたしがあなた方のもとへ向かう日、通らせていただく村と町、国の【境界】の出入口にある光が灯ります。そして束の間の時をともに愉しく過ごしましょう。石が光を帯びなくなるまで≫

 ≪さて、これで仕舞いですが……いかがでしょう?≫

 此岸の者の言葉が紡ぎ終えると同時に、小さな光はゆっくりと消えようとし、風もおさまろうとしていた。

 また独り静かに坐すことになるのかと名残惜しそうにしながらも、うむ、それでよい! とすべての【境界守】が応えるなか、己の手の内におさまっている闇を凝縮したようなくろき小さな石を見つめながら、氷雪が襲いかかりそうな低く重い声で一人目の聖域の【境界守】は呼び止めた。

 『のう、此岸の識者どの』

 今にも消えそうだった光が再び灯り、

 ≪識者、とはわたしのことですか?≫

 『いかにも。そなたは此岸に在していながら我らを認識できるだけでなく、見向きもしなくなって久しい神と同等かそれ以上のことができる者であろう。さもなくば我らのみならず、【境界】にこれほど関与することなどできなかろうに』

 ≪ふふっ、あなた方をる者だから識者ですか…。それで、なんでしょうか?≫

 『ふむ。そなたに敬意を表したいがゆえに、そう呼ばせてもらうよ。のう、此岸の識者どの。我らは【境界守】に坐して初めて心底から喜びを味わった。話すこと、聴くこと、見ること、先の時を思うこと。そのすべてをもたらしてくれた識者どのに心より礼を申そうぞ』

 そなたのお陰で、我らは狂うことも飽きることもなくなった。礼を申そうぞ。

 口々に応えるなか、ころり、ころりと指先で雲一つない蒼穹を練り固めたような蒼き小さい石を転がしながら、春の息吹のような軽やかな声で二人目の聖域の【境界守】は続けた。

 『先にそなたはこう申したがな此岸の識者どの。彼岸に渡っている間は代わりの者をよこすと。されど我は……いや我らは代わりの者など要らぬ。そなただけが来てくれればそれでよい。再び此岸に戻ってくるのを待つぐらい、これまでのつまらぬ時よりも短いであろうよ。ゆえに我らは識者どの以外には使いを出さぬよ』

 『然り!』

 かつて此岸でよく見ていた、燃えさかるような夕焼けを切り出したあかき小さい石を、ぽん、ぽんっと弾ませながら三人目の聖域の【境界守】は、夏の轟雷のようながなり声をあげた。

 『そなたが時を止め彼岸へ渡るとき、我らは【魂】となったそなたがわかるであろう。そのそなたを我らは丁重に送り出そう。ともに過ごした時を惜しみながら。そなたが来られぬ間、我らは待とう。再びまみえる日を愉しみながら。そなたが新しき生命となって此岸に戻る時、我らは寿ことほごう。幸多き時を過ごせるように!』

 『いずこかにいて、我らを認識している此岸の識者どの。我らは約定しよう。そなたの手を、そなたの心を、気高き魂を煩わせることなく、坐すことを狂わぬことを。我らの寿命が尽きるまで』

 そらから滴り落ちる雨雫のようなしろき小さな石を摘み上げ、いずこかを覗き込むようにしながら、木枯らしのような冷え冷えとした声で伝えた。

 彼らの声が響き終わると、光はいつしか消え、同胞たちの声も聴こえなくなった。これで仕舞いか……。

 ぱーんっ! ぱーんっ!

 力強く打たれる柏手が鳴り響いた。どこから? 此岸から……すべての【境界】にある此岸の出入口から!!

 ≪此岸に在り、彼岸にも在りし場所であり、現でありながら、夢を見ているようなあわいの地【境界】に、長きときを独り坐し、我らの核たる【魂】と【想】を見守りし、数多の【境界守】を奉り申し上げそうろう……≫

 高くもなく低くもない平坦で愉しげな心地よい響き。そして、おごそか……かつて此岸で崇められていたときよりも、【境界守】に撰されたときの祝詞よりもはるかに厳かな声は、歓喜に打ち震え、己の身の内から力が湧き出るほどのものであった。

 ≪我が身は終りのあるものなれど、我が魂は不変ゆえ、汝方身罷みまかりしときは見送り、新しき撰されし方を迎え入れ、御心を平安に満たすことを、此岸に在りしときは、常にこれを約定する。我が魂が終わりを迎えるとき、我はすべてをして御身と御身の坐す【境界】を滅することをここに約定するものなり――≫


 こうして、彼らは落ち着きを取り戻すどころか、己の寿命が尽きるまで愉しみを持つようになった。ただ一人の此岸の者によって。

 これが、長い付き合いの始まりである。いつまで……? それは誰にもわからない……。

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