プロローグ
嘉夢羅 紗螺という人間はどこまでいっても凡庸である。
それは、本人が一番良く理解している。
理解、しているけれども。
それでも目の前のこの“子供”を見てしまえばその考えも少し改める必要があるだろう。
もしもこの“子供”をもってして“天才”だなんていう呼称を用いるのであれば、この世界には今まできっと天才だなんていう生き物は存在していなかったのだろうとさえ思う。
それほどまでに、規格外。
見ているだけでわかる。
話してしまえば理解してしまう。
踏み込めば、恐怖する。
レベルが違うーー次元が違う。
入海 入鹿という子供は、それほどまでに桁違いの存在であった。
『犯人は物語の序盤に登場していなければならない』
『超自然能力な探偵方法を用いてはならない』
『犯行現場に秘密の部屋や通路が二つ以上あってはならない』
『未知の毒薬や難解な科学的説明を要する装置を犯行に用いてはならない』
『不思議な東洋人を物語に登場させてはならない』
『偶然や第六感に頼って事件を解決してはならない』
『探偵役が犯人であってはならない』
『読者に提示されていない手がかりを使って解決してはならない』
『ワトソン役は自分の思考を読者に隠してはならない』
『双子や一人二役の存在は予めフェアに提示さていなければならない』
「ーー以上、十のルールが俗に言うノックスの十戒。1928年に推理作家のロナルド・ノックスが提言した推理小説を書く際に作家が基準とするルール・・・って言われてるけど実際にはノックス本人が「本当かよ(超意訳)」って言ってるし気にしすぎずに参考にするくらいが一番いいだろうな」
ーーそんな事を、入鹿はスラスラと言ってのけた。
もちろん、何も見ずに。
暗記していらっしゃるらしい。
そもそも俗に言う何て言われても紗螺はその言葉自体を初めて聞いたくらいだ。
恥ずかしながらノックスの十戒どころかロナルド・ノックスという名前自体初めて聞いた。
海外の推理作家なんてアーサー・コナン・ドイルくらいしかわからないし、世界一有名な探偵シリーズすら読んだことがない。
「好きなジャンルは人それぞれだからね。そもそも今はそんな本を読む人は少ないか」
「君にとってはミステリといえばノックスよりも西尾維新とかの方が耳馴染みがいいか。物語シリーズとか好きでしょう」
ぐうの音もでない。
好きです。
何で判断したのかは怖くて聞けないが、紗螺の好みまで把握しているらしい。
頭のいい人間は洞察力まで優れているのか。
ーーそれこそ、シャーロック・ホームズみたいに。
「さすがにそれは持ち上げすぎだし、そういうこと言うとシャーロキアンに叩かれて炎上しそうだからお口にチャックね」
「あと、オレは薬物はやらない」
何時の時代も愛は過激だ。
というか、これだけ過去の偉人の話を展開してきて行き着く先は現代病だというのだから時代というものは恐ろしい。
付け加えられた豆知識については・・・聞かなかったことにしたい。
「そもそもなんで推理小説の話になったかって?」
「例の”聖旋”についての報告書をあげなきゃいけないから知恵を貸して欲しいって言ってきたのは紗螺の方でしょう。・・・まさか事実を全て洗いざらい吐いて書くつもり?」
「だろうね。オレもそれはおすすめしない。というか反対する。悪いことは言わないからやめた方がいいよ。自分のためにもーー残ってる【十二星座】達のためにも、ね」
【十二星座】。
”あの世界”で紗螺が出会った不思議な異能者達。
「ノックスの言う不思議な東洋人はーー単に中国人と表記されることもあるけどーー当時のミステリにおいて「超人的な中国拳法」とか「中国由来の不可思議な秘薬」なんかが多用されてたことに対する皮肉みたいなものだよ。なにも異能全般が駄目と言うわけじゃあないし、なによりも【十二星座】の【神技】は不思議でもなんでもないただの”技術”だから大丈夫。そもそもそれを隠した報告書をあげるっていうのはサッカーの試合でボールを使わないようなものでしょう」
無理、だと言うことらしい。
どう見ても入鹿がサッカー少年なイメージは沸かないので、多分紗螺のことを気遣って分かりやすい例えとして出してくれたのだろうとは思うが。
・・・きっと、やったらやったでトップランクの実力を発揮するのだろうが。
もしも。
「もしも、なんてのは考えない方がいい。考えたからと言ってどうこうなるわけでもないし、終わってしまった物語にたいして外野からあれこれ言うのは完璧にマナー違反だ」
「一緒に終わることが許されなかった人間にできるのは、それをどう伝えるかーーどこまで伝えるかを考えることだけ。ただ、それだけ」
きっと、そうなんだろう。
入鹿の言っていることは正しい。
だから、紗螺は考える。
考えて、考えて・・・思い、だす。
終わってしまった、あの戦いを。
【十二星座】の美しい、天体観測を。
ーー美しい、モノを見させてもらった。