第六話 ゼロの誘拐
ロヴィスに騙されていたことを知って危うく彼を殺める一歩手前までいったルナエールだったが、どうにか落ち着かせることに成功した。
「すみません、少々取り乱してしまいました……」
「い、いえ」
「少々ダッタカ?」
ノーブルミミックが茶々を入れる。
俺は箱の側面を軽く肘で小突いた。
「ヴェランタの手助けもありましたし、カナタのレベルを上げた経験も私にはありますからね。現時点で、四人共レベルを千前後まで引き上げることに成功しました。特にコトネとミツルの二人は、レベル以上の働きをしてくれるはずだと考えています」
一転して冷静にルナエールはそう語る。
ただ、まだ仄かに頬は赤く、本当に落ち着いたというよりは、これ以上醜態は晒せないと必死に自制しているだけなのかもしれない。
元々ロヴィスを修行メンバーに入れたのは俺の知人であったため信頼できるということが大きな判断材料となったそうだが、正直彼をこれ以上ここに置いておいて本当にいいものなのだろうか。
もっとも中途半端にレベルを上げてしまったため、今から外してタイムロスを背負うデメリットの方が大きいかもしれないが……。
「カナタの持ってきた、上位存在の魔法を記した《ラヴィアモノリス》ですが……正直、解析の目途は立っていません。予想以上に複雑かつ高度なものだったようです。何より、もし解析ができても魔力不足でまともに行使はできない可能性が高いと考えています」
ルナエールが、やや気落ちした様子で俺へと告げる。
……元々、詳細不詳の魔法である。
上位存在の魔法を理解すれば何かに使えるのではないかと期待していたが、利用するのは難しいかもしれない。
残念ではあるが、これ以上解析に躍起になってもらう必要性も薄いのかもしれない。
「手掛かりになるかもしれないと思っていたのですが……難しそうですね」
「私はひとまず、彼らの修行を任されていますから。並行しての解析自体は難しくありません。意外な形で役に立つかもしれませんから、もう少し調べてみます」
ルナエールがそう言うのであれば、継続して調査しておいてもらった方がいいのだろうか。
「まあ、今は上位存在が動くを待つしかできませんもんね」
俺は言いながら、ヴェランタへと確認を取るため振り返った。
ヴェランタが小さく頷く。
「カナタよ。上位存在の尖兵……ルニマンは、自分のような存在が三人いると、そう口にしていたのだったな?」
「……はい」
ルニマンは最期にこう口にしていた。
『ロークロアに、呪いあれ! 願わくば、他の御二方が世界を滅ぼしてくださるよう、祈っておりますよ……!』
ルニマン、ルシファーに並ぶ、最後の奥の手をナイアロトプは持っているはずだ。
前の二人が恐ろしい人格破綻者であったため、最後の一人もきっとロクな人物ではないのだろう。
ルニマンもルシファーを、ロークロアを破壊しようとした大罪で、数千年に渡って異次元へ幽閉されていたようだった。
三人目もきっと同様の大罪人なのだろう。
「この世界に残された布石は全て回収するか、保管済みだ。上位存在はその三人目とやらを我々に直接ぶつけて、それで一連の騒動の幕引きにしようと画策するだろう。その三人目が来るまで、我々にできることは……」
そのとき、空間に小さな歪みが生じたかと思えば、小さな鳥の玩具のようなものが現れた。
頭部には、ヴェランタのものに似た仮面が付けられている。
「むっ……我の《からくり鳥》であるな。各地から情報を集める手段として放っていたもので、予想外の事態を察知すれば我に報告してくれるようになっている」
ヴェランタが腕を伸ばせば、《からくり鳥》がそこへと留まった。
これも《万能錬金》で造ったものだろうか。
「本当にその《神の祝福》、万能ですね……。俺が直接ぶつかる前にルナエールさんが蹴散らしてくれてよかったです」
「とはいえ、我のレベルはさして高くない。我自身がそなたとぶつかっても、逃げるのがせいぜいだったであろう。だが、ゼロであれば、そなた相手に後れを取ることは決してなかったはずだ」
ヴェランタがやや恨みがましげにルナエールへ目を向ける。
どうにもヴェランタは、ゼロに絶対の信頼を寄せていたらしい。
その肝心のゼロは、ルナエールとの戦いで開幕と同時にダッシュで逃げようとして、無事に彼女に捕捉されて瞬殺されたと聞いているが。
パクパクと《からくり鳥》が口を開く。
「《世界樹》ノ守護ニ当タッテイタ《沈黙の虚無ゼロ》ガ、襲撃者ニ敗北シタ」
「なっ!」
ヴェランタが大きく仰け反った。
「全然駄目じゃないですかゼロさん!」
俺は思わずヴェランタに食って掛かった。
「そ、そんなはずは……しかし……うぐ……」
ヴェランタが呻き声を上げて頭を抱える。
《世界樹》はこのロークロアの根幹に関わっているため、安易に破壊することもできなかった布石の一つである。
精霊界を守る役割を担っている巨大な樹だそうだ。
上位存在が《世界樹》を利用して悪さをしないようにゼロが守護に当たっていたわけだが、どうやらあっさり突破されてしまったらしい。
ゼロは《神の見えざる手》の中でも最も高いレベルを有し、死霊魔法や空間魔法、結界魔法の世界最高峰の達人であるという。
彼が敗北した以上、相手は先に話に出ていた例の三人目だと考えるべきだろう。
「……あの、ポメラ思ったんですけど、始祖竜の討伐に時間掛けたり、悠長に修行やってる余裕があるのなら、《世界樹》の守護を強化するべきだったんじゃないですか……?」
「う、うぐ……」
ポメラの残酷な呟きに、ヴェランタがびくりと肩を上下させた。
「し、始祖竜が想定上に力を付けている可能性もありましたから! ポメラさん、それは結果論ですよ、結果論!」
見ていて憐れになったので、フォローを入れた。
第一、ヴェランタがここに拠点を構えているのは、《地獄の穴》襲撃に対する牽制でもある。
それに《世界樹》と同程度の重要度を持つ、安易に破壊できない布石は複数存在する。
結果的に失策とはなったかもしれないが、上位存在はこちらの手札を確認してから次の手を打てる。
多少の裏目は織り込んでいくしかないだろう。
そもそもがヴェランタの指示を受け入れて動いていたのは俺達である。
ここでヴェランタを責めるべきではない。
「あの……《からくり鳥》さん、《世界樹》の被害は?」
俺が尋ねると、《からくり鳥》はパクパクと口を開く。
「《世界樹》ノ被害……無シ。襲撃者ハ既ニ精霊界ヲ去ッタ」
「あれ……?」
《世界樹》を利用して何かしらの戦力の準備に利用したり、世界に被害を齎すことが目的ではなかったのか?
相手が何のつもりかはわからないが、ひとまず《世界樹》は無事なようであった。
「……《からくり鳥》よ、ゼロはどうなった?」
ヴェランタが恐る恐るといったふうに尋ねる。
また《からくり鳥》が口を開く。
「襲撃者ハ《世界樹》ニテ《沈黙の虚無ゼロ》ヲ撃破シタ後、ソノ身体ヲ確保シテ精霊界ヨリ脱出シタ」
《からくり鳥》の言葉を聞いて、俺は首を傾げた。
言葉通りであれば、最初から襲撃者の狙いは《世界樹》ではなくゼロにあったようだ。
「な、なんだと!? ゼロを誘拐した!?」
ヴェランタが取り乱したらしく、大声でそう叫んだ。
「ヴェランタさん、落ち着いてください。心配なのはわかりますが、ゼロさんはまだ生きている。《世界樹》も奪われていない……最悪の状況ではないはずです」
「……そうではない、そうではないのだ」
ヴェランタが頭を押さえて首を振る。
「何が違うんですか?」
「ゼロは……我が最悪の場合に備えて造った、錬金生命体なのだ」
なるほど、ゼロの出自が不明だったが、ヴェランタの《万能錬金》で生み出した錬金生命体であったらしい。
「初耳ですが……それがどうしたというんですか?」
「我が世界の調整役となった際に、処分に困ったものがあった。制御不可能な災いや呪い、正体不明の力の塊……《地獄の穴》とはまた別に、そういったものを葬り去るための受け皿が必要となった。我は魔法で造った特異空間に、そうしたものを押し込めて封印することにしたのだ。しかし、その封印空間自体を処分することはできんかった。悩んだ末に我は、この封印自体に自己防衛のための人格を与えればよいのではないかと、そう思い至った」
「もしかして……」
「ああ、そうだ。ロークロアに存在してはならない不条理な概念の蠱毒……それそのものが《沈黙の虚無ゼロ》である。万が一ゼロの力が悪用されれば、この世界が刹那の内に消し飛ばされたとしても不思議ではない」
それを聞いて、俺も血の気が引いていくのを感じた。
思わずヴェランタの襟首を掴む。
「そそ、それって、明らかに《大竜穴》や《地獄の穴》、《世界樹》以上に重大な布石じゃないですか! なんでゼロをお使い感覚でその辺にほっぽり出してたんですか!」
「ゼ、ゼロが敗れることはないと考えていたのだ! ゼロが敗れるのであれば、我々に対抗策はないと……」
「ルナエールさんに一回ボロ負けしてるじゃないですか! ヴェランタさんにゼロさんを守り切れる自信がなくても、絶対ルナエールさんのいるこっちの塔に置いておくべきでしたよね!? 始祖竜だとかいう、ちょっと長生きしただけの爬虫類追ってる場合じゃなかったじゃないですか!」
「し、しかし、仮にゼロが拘束されたとしても、ゼロの封印を解いて悪用することなどできんはずだ! ゼロの力を封印する鎖は、我でも数年で外しきれるものではない!」
「……封印を解いて悪用する自信があったから、わざわざノーガードになった《世界樹》を放置してゼロさんを誘拐したのでは?」
「…………」
ヴェランタが沈黙した。
彼本人も、その可能性にはとっくに思い至ってはいたのだろう。
元々《世界樹》が荒らされなかったと聞いて、ゼロ自身が敵の目的であった可能性に気が付いたのはヴェランタなのだ。
「お、落ち着いてくださいカナタさん! それ以上絞めたら、ヴェランタさん死んじゃいますから! 結果論ですよ、結果論! ゼロさんより強くて、かつヴェランタさんより遥かに魔法に精通した人間が襲撃してくるかどうかなんて、わざわざ想定していられませんよ! ヴェランタさんに采配をお任せしたのは、ポメラ達なわけですし……!」
ポメラが俺の腕を押さえる。
「でも、最悪を想定して動くべきだったんじゃないかなと思います。すぐに誘拐された可能性に思い至るくらいなら、ゼロさんはいくら強くても戦力ではなく保護対象にするべきでした」
「……まぁ、はい、それはポメラも思いますが」
「上位存在に正面から喧嘩を売った以上、今更慎重になっても仕方がないと、少し気が大きくなり過ぎていたかもしれぬ。すまなかった……ゼロの配置は我のミスだ」
ヴェランタが首元を押さえて咳き込みながら、そう言った。
「ただ、我から言うのは烏滸がましいと理解しているが、こうなった以上、もはや内輪揉めしている猶予はない。襲撃者を捜し出して撃破し、ゼロを奪還する必要がある。その後であればあらゆる誹りも受け入れよう」
……ひとまず、朧げながらにナイアロトプの最後の刺客の輪郭が見えてきた。
少なくともゼロを圧倒でき、ゼロの力を悪用できるだけの魔法の知識を有している相手のようだ。
そしてそいつは、ゼロの力を利用して、この世界への攻撃を企てている。
「しかし、捜索するにしても戦力を分散することになる。面倒ですね。相手の居場所に手掛かりがあればいいのですが……」
俺の言葉に応じてか、また《からくり鳥》が口を開く。
「襲撃者ヨリ、伝言アリ。王都ニテ、カナタ・カンバラ殿ヲ、オ待チスル……ト」
「……余裕ですね。せっかく武器を手にしたのに、わざわざ自ら居場所を明かすなんて」
どうやら《からくり鳥》が無事に情報を持ち帰れたのは、襲撃者より見逃されていたからであったようだ。
しっかり捕まって、伝言まで残されている。
「上位存在の狙いは、あくまでカナタというわけだな。何にせよ、相手の余裕がありがたい。存分に戦力を一ヵ所に投入できる。何かしらの罠の可能性はあるが、それでも向かわないという選択はあるまい」