第三話 《神の見えざる手》の拠点
魔物対策で厚い城壁で覆われた《地獄の穴》の入り口近くに、白い巨大な円柱の建造物ができ上がっていた。
直径百メートル、高さは雲の高みにまで達している。
「すごい大きい!」
フィリアが無邪気に喜んでいる。
「……来る度にここの景観が変わっていますね」
こんな芸当ができるのは、流石に俺の知っている限りでも一人しかいない。
《神の祝福》である《万能錬金》の所有者、《神の見えざる手》の頭目である《世界王ヴェランタ》だろう。
現在、ヴェランタは《神の見えざる手》とその派生組織の指揮と、世界の布石の一つである《地獄の穴》の監視を同時に行うため、この辺りを拠点としている……ということは聞いていた。
しかし、まさかこんな建造物を拵えているとは夢にも思わなかった。
巨大な塔を見上げていると、黄金の門が俺達の目前へ展開された。
その中から、先程連想していた仮面の人物、ヴェランタが姿を現す。
「カナタ達か。無事に《古の神域》の布石は破壊できたか?」
「ええ、想定以上の相手ではありませんでしたから、あっさりしたものでしたよ」
「……一応、《始祖竜ドリグヴェシャ》は、この世界でも十の指に入るレベルの所持者なのだがな。まあ、そなたらが無事でよかった。もしカナタに倒れられでもしたら、あの不死者の女を説得した我が八つ裂きにされる。上位存在共に一矢報いるまで、我は死ぬわけにはいかんのでな」
ヴェランタがそう口にして肩を竦めた。
俺達が《古の神域》に向かうことになった際、ルナエールが万が一を想定して自身も同行するべきだと主張していたのである。
ヴェランタは『ルナエールには別に頼みたいことが山ほどある、それが結局カナタを助けることになるのだ』と再三説明し、彼女はそれを渋々了承したのだ。
ウチの師匠は少々心配性のところがある。
そこがまた愛らしいのだが。
「あの、この建造物は?」
俺が尋ねると、ヴェランタが軽く頷く。
「対上位存在のための要塞だ。そなたらが出発してから用意したのだ。中には我の《万能錬金》のアイテムの保管と管理の他、世界中から集めた戦力のレベルの底上げを行っている」
なるほど、いうならば《神の見えざる手》の新拠点といったところか。
「既にソピア商会の影響力を用いて、ロークロア全世界に上位存在共の実態とその悪事……そして我々《神の見えざる手》が、その先兵としてこれまでロークロアをコントロールしてきたことを告発した」
俺はヴェランタの言葉に息を呑んだ。
行動があまりに早い。
既にそんなことまで行っていたのか。
「それは前にもしなければならないと言っていましたが、さすがに尚早だったのでは……?」
上位存在の実態をありのままに全世界へ喧伝してしまえば、もはやこのロークロアの住民達は、箱庭の世界で生きていくということを受け入れられなくなってしまうだろう。
そして上位存在達にとってもロークロアとは、自身らの実態が明確でないことが前提のエンタメコンテンツであったはずだ。
こうなってしまった以上、ロークロアと上位存在の対立は避けられない。
ロークロアの住民達は、このまま上位存在の玩具であり続けて、彼らの身勝手のために大災厄を齎されるという現状など呑めるはずがない。
そして上位存在もまた、この状況を野放しにしておくことはできない。
ロークロアを放置してなあなあで騒動を誤魔化すという選択は、いよいよ取れなくなったはずだ。
これまで以上に苛烈に、大きな干渉による強引な解決を試みてくることが予想される。
或いは、全てを投げ出して、このロークロアの世界を消去するということだって、有り得ない話ではない。
「ロークロアの寿命を大幅に縮め得る一手でもあります」
「ふ、そなたがそれを口にするか。我々《神の見えざる手》がそなたらに敗北した時点で、元よりロークロアは上位存在と対立する他になかったのだ。世界の布石も回収した……連中の送り込んできた、ルニマンとルシファーも撃退した。決着を付ける以外にこの世界に救済がないことなど、とうに理解していると考えていたのだがな」
それはわかっていたつもりだったが、しかしこうして改めて完全に退路を断ったと聞けば動揺はある。
しかし、俺は半ば成り行きとはいえど、自身と親しい者達の平穏のため、このロークロアに真実を突きつけることを選んだ身なのだ。
そして、そのことに後悔はない。
ならば、この期に及んで俺がその自覚を持つことから逃げるわけにはいかない。
俺は呼吸を整えてから、ヴェランタへと視線を戻した。
「……すみません、確かに俺の考えが甘かった。ここまで来てロークロアと上位存在が対立しなくて済む余地を残したいなんて、ただの欺瞞ですよね」
「いい目だ。我も覚悟は済ませた。この塔はその表れでもある。見よ、地球の神話……神の世界に達するために建てられたバベルの塔を模したのだ」
ヴェランタがそう言い、円柱状の巨塔を振り返って仰ぎ見た。
その言葉に俺は違和感を覚えた。
「地球の神話をご存知なんですね?」
「当然だ。我は元々……地球から来た転移者なのだからな。だから転移者しか持たぬ《神の祝福》を有している。我は《万能錬金》で不老を実現しているため、ここに来たのは幾千年前だ。もっとも時空の歪みがあるため、地球で生まれた年代でいえばそなたとそう大きくは変わらんはずだがな」
「なっ……!」
とんでもないカミングアウトが行われた。
「た、ただ、異世界転移者の様子は上位世界よりその様子をエンタメコンテンツとして公開されているはずです。ナイアロトプのような運営連中は、転移者が世界の管理側に接触することなど好まないのでは? ましてやその頭目を引き受けるなんて……」
「当時はロークロアを盛り上げるための仕掛けと、文明や住民の保護を両立させるためのノウハウがまともになかった。今よりも遥かに世界の調和が乱れており、常に人類文明は全滅の危機にあった。我は転移者として当時の大魔王を打ち倒したが……それでロークロアが救われるわけでないことを知っていた。だから我は、ナイアロトプと契約したのだ。死を偽装して顔や姿を変えて正体を隠し、ロークロアを内側から管理することをな。それがそもそも《神の見えざる手》の始まりであった」
ヴェランタはぽつぽつと話しながら、自身の仮面を手で押さえた。
この男はロークロアを守りたいがために、上位存在の手先の汚名を背負い、数千年の時を孤独に戦い続けてきたのか。
俺はヴェランタのことを少し軽く見ていたかもしれない。
「……まぁ、我のことはよいのだ。《古の神域》の始祖竜討伐、見事であった。これで撃破してどうにかなる類の布石は全て回収し終えたと考えてよいだろう。今はしばし、この塔の中で身を休めるがいい」
「ルナエールさんはどちらに? 心配していただいていたようですから、直接顔を見せに行こうと思います」
「現在はこの塔の地下にいる。重要戦力のレベリングと《ラヴィアモノリス》の解析を並行して行っている最中だ」
俺は《古の神域》へ向かう前に、ルナエールへと《歪界の呪鏡》を返却していた。
何に使うのかと思っていたが、どうやら重要戦力のレベリングに用いていたようだ。
「レベリングを……あはは、なるほど……」
自分の顔が引き攣るのを感じる。
俺は鏡の悪魔との戦闘を強いられている冒険者達を思い浮かべ、彼らへと同情した。
ルナエールの修行はなかなか厳しいものがあった。
確かに彼女が本気で修行を行えば短期間で世界有数の強者へ仕上げられるだろうが……。
「鬼教官のカナタさんが怯えてるなんて……あの人、とんでもなく厳しい方なんですね」
ポメラが俺の顔を見てそんなことを言う。俺が鬼教官だという言葉にも疑問が残るが、それよりも後者の方が聞き逃せなかった。
「ルナエールさんは優しい御方ですよ。……ただ、その、ちょっと一般人の感覚や限界というか、限度がわかっていないだけで」
「……優しいけれど、人の限界や限度がわかっていない。それを聞いただけで、カナタさんの師匠ということが、ポメラにもよくよく伝わってきました」
「……フィリアも」
何故かポメラとフィリアは身を寄せ合ってぶるりと震え上がり、揃ってそんなことを口にする。
ポメラ達の言いたいことはよくはわからないが、何にせよルナエールと一緒にされたことは喜ばしいことだ。
しかし、重要戦力のレベリングと、《ラヴィアモノリス》の解析……か。
《ラヴィアモノリス》は俺が桃竜郷で、竜王リドラから褒美という形でいただいたものだ。
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【ラヴィアモノリス】《価値:伝説級》
魔法の本質を見抜く力を有した転移者の少女が、上位存在の使った魔法の解析をし、それを賢者ラヴィアが石板に残したもの。
ただし、賢者ラヴィアもそれらの魔法について正確に理解することはできず、自身が理解できた情報についてもまた正確に記録することはできなかった。
それを行うには、人の寿命ではあまりに短すぎたのだ。
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上位存在の魔法について記された、恐らくはロークロア唯一の記録媒体である。
上手く使えば彼らに対する大きな武器になるはずだ。
《ラヴィアモノリス》はロークロア最強の魔術師であるルナエールでさえ、読み解くのにどれだけ時間が掛かるのかわからないといっていた代物である。
全体的に人手不足な上に下手に戦力を分散させたくはない状況ではあるが、しかし《ラヴィアモノリス》の解析はルナエールに任せざるを得ないだろう。
「あの不死者がいるのは塔の地下深くだ。我が案内しよう」
「では、お言葉に甘えてお願いします」
ヴェランタが宙へと手を向ける。手の先にいつもの黄金の門が現れる。
ヴェランタが扉を潜ったのに続き、俺達も黄金の門の中へと入った。