第一話 《破滅のゾラス》(side:ナイアロトプ)
上次元界……ナイアロトプのいる、一面が白に覆われた空間。
「……まさか、ほんの些細な出来事から、異世界ロークロアがここまで追い込まれることになるなんてね」
ナイアロトプは一人そう零した。
ナイアロトプにはもう他に取れる手段がなかった。
ナイアロトプ達は神々へのエンターテインメントとして異世界ロークロアを運営している。
バランスブレイカーであり、今後どのような行動に出るか想像も付かないカナタとルナエールは、なんとしても排除しなければならなかった。
しかし、カナタ達に対して尽く悪手を打ち続け、ついには直属の手先ともいえる《神の見えざる手》の五人まで、カナタ達に取り込まれる形になってしまった。
こうなってしまえばまともな収拾などもう付けられない。
本来であればナイアロトプの上司はこの段階で異世界ロークロアを崩壊させて、全てをお終いにするつもりであった。
しかし、神の始祖であり王ともいえる最上位神あの御方が、異世界ロークロアの運営都合の半端な決着を嫌ったのだ。
彼からの勅命であった。
ともすれば、突然異世界ロークロアを消去してはいお終い、とするわけにはいかなくなった。
この世界を消去するためにも、カナタと何かしらの決着を付けねばならなくなったのだ。
故にロークロア運営は、後先考えずに過剰な干渉を行ってとにかくカナタを始末し、その後に理由を付けて異世界ロークロアを消去することを決定した。
そのためにナイアロトプは、かつてロークロアを崩壊間際に追い込んで封印されていた人物を復活させることにしたのだ。
「久遠の時を経て現れるがいい、《破滅のゾラス》よ」
ナイアロトプの言葉に答えるように、大きな魔法陣が展開される。
魔法陣の中央に一人の男が召喚された。
彼には上半身しかなく、宙に鎖で雁字搦めにされて固定されていた。
目は窪んでおり、虚ろな眼窩が広がっている。
腹部の断面は白くなり、古い彫像のように朽ちていた。
男の名はゾラスという。
太古、この異世界ロークロアには優れた魔法文明があった。
文明を率いるのはロダコフ王国。
その頂に君臨するのは、外法の秘技によって不老不死を得た王であった。
彼は何世代にも及んでその優れた頭脳により国政を担い、そして魔法技術の探求を重ねてきた。
絶対なる偉大な王としてロークロア中にその名を馳せており、民からの信頼も厚かったという。
――だが、ロダコフ帝国を数百年に渡って栄華を齎してきた王は、一夜にしてロダコフ王国を魔法の炎へと沈めた。
何が理由だったのかは記録に残されていない。ただの気紛れだったのか、ロダコフ王国はただの一人の男をまるで神かのように崇めてきたその代償を支払うことになった。
王の魔の手は世界へと及び、ついには上位存在が干渉する事態へとなった。
そして、その王の成れの果てこそが、ナイアロトプの目前にいるゾラスであった。
「何の用かな、上位存在。私の顔など、見たくもないはずだろうに」
ゾラスが僅かに首を持ち上げる。
「……なに、君にとっても悪くはない話さ」
ナイアロトプが指を鳴らす。
ゾラスの肉体があっという間に再生していき、急速に生気を取り戻していく。
手足に光の鎖が巻き付いているものの、拘束も明らかに軽くなっていた。
「ほう、これは何のつもりだ?」
物珍しそうに、ゾラスが自身の肉体を見回す。
「肉体を完全復活させた。このままロークロアに送ってあげるよ。行動は魔法の鎖で縛らせてもらうけど、君の目的と我々の目的は一致しているはずだ」
ナイアロトプはゾラスへ淡々と告げる。
「目障りな異世界転移者……カンバラ・カナタを殺してほしい。ついでに不死者ルナエールも仕留めて欲しいが、こちらはマストではない。異世界転移者でさえなければ、神々からの注目度も低い。こちらでなんとでもやりようはある。ただ、邪魔になるだろうことは覚えておくといい。その余波でロークロアを壊したって構わない」
「上位存在が私を頼るとはね。だが、憎きお前達に、わざわざ私が肩入れする見返りは?」
挑戦的にゾラスが笑う。その様子にナイアロトプは舌打ちをした。
「大好きだろう、世界を吹き飛ばすのは。今度は止めはしない、好きにやるといい。それで不足だというのならば、全てが終わった後に枷を外して他の世界へ転移させてやってもいい」
こんな男を送り込めば、その先の世界がどうなることか、わかったものではない。
しかし、それでも背に腹は代えられない。
なにせこれはもう異世界ロークロアだけの問題ではない。
あの御方が絡んでいる今、異世界ロークロアを運営している母体の系列コンテンツ全てに関わることだった。
カナタを仕留め損なうことは絶対に許されないのだ。
「太っ腹だな。とても魅力的な提案だ。だが、物足りない。上位存在、お前達の末席に私を加えろ」
「は、はぁ!?」
ゾラスの言葉に、ナイアロトプはついその慇懃な態度を崩した。
怒りのあまり、ナイアロトプの正体である、樹の化け物のような姿が表に出ていた。
「思い上がるなよ、下等生物が……!」
「思い上がってなどいない。むしろお前よりも、私の方が正当に状況を評価していると考えるが? 永劫の責め苦を味合わせてやると豪語していた私を、わざわざこうして呼びつけたのだ。もう、他に何の手もないんだろう? 他の世界を私に差し出すとあっさり口にした以上、もはやロークロア運営の上位神の信用が関わるため、ロークロア単一で収まる問題でもなくなってしまった。違うか? それを踏まえて考えれば、充分に対等な契約であるはずだが」
「貴様……!」
ナイアロトプは下位次元の相手から軽んじられるのが何よりも嫌いであった。
しかし、ゾラスの指摘通り、彼に断られるわけにはいかないのだ。
異世界ロークロアには既に《神の見えざる手》を大々的に動かし、挙げ句にゾラスのように捕えていた咎人も表立って嗾けている。
ここまで運営の介入が露骨になった以上、もうこのコンテンツの寿命は尽きてしまった。
今後存続するという選択はないのだ。世界の運営には莫大なリソースを要する。
だが、最上位神のあの御方が異世界ロークロアのカナタ騒動に注目しており、わざわざナイアロトプの上司を呼びつけてロークロアを名指しで期待していると宣言したのだ。
こうなった以上、ロークロアには何かしらの派手な決着が求められる。
管理者権限によって異世界ロークロアごとカナタを消去するという選択肢はなくなった。
ロークロア運営にとって『ゾラスがカナタを排除する』のはもう決定事項なのだ。
それ以外に取れる選択肢はない。
彼に断られれば、その時点でロークロア運営は完全に身動きが取れなくなってしまう。
「……認め、よう。カナタを殺した暁には……君を、神の末席に加えると」
ナイアロトプは歯噛みしながらそう口にした。
「上に確認は取らなくて大丈夫か? どうせまだお使いの身なのだろう?」
ゾラスが嘲るように口にする。
「……我々にはそれ以外手がない」
「契約を違えてくれるなよ、上位存在。それはお前達が最も尊んでいるもののはずだ。他の上位存在共が注目している中で契約を放棄すれば、お前はこの上位次元界での居場所を失うことになる」
ゾラスはそう言って目を細める。
「知っているだろう? このゾラスは、約束を違えられることを、何よりも嫌悪するのだと」
「……下位存在の虫けら如きが、この僕の足許を見るなど」
ナイアロトプは小声でそう吐き捨てた。
ゾラスは聞こえなかった振りをして、飄々とした笑みを浮かべている。