第三十一話 地獄の危惧
無事にルニマンを討伐し、目的であった《聖人の杖》を破壊することに成功した。
ルナエールもノルマであった布石の回収を全て終えてしまったようだ。
ルニマンはどうやら上位存在から直接ロークロアへと送り込まれてきたようであった。
いよいよナイアロトプも形振り構わずに仕掛けてきたといったところか。
ひとまずルニマンのことも含めて、一度ヴェランタの許へと戻って報告しに行った方がいいだろう。
「ただ、ヴェランタさんに報告しに行くのも一苦労ですね。あの人も今、布石の対応に追われているんですよね? 《神の腕》で待っていた方がいいんでしょうか?」
「その心配はありませんよ」
ルナエールはそう言うと、懐より金の水晶を取り出した。
「それは……?」
「《ティアマトの瞳》です。魔力は少しばかり嵩みますが、好きなときに、好きな場所の様子を確認することができるアイテムです。ソピアがくれたのです」
「あのハイエルフの商人が……? こんなもの《地獄の穴》にもなかったはずです。気軽に渡せるようなものだとは思えないのですが……降伏の証として、みたいなものでしょうか?」
「ただ、ソピアがこれを渡してくださったときは、私は彼女が《神の見えざる手》の一員であることをまだ知りませんでした。おまけに私と彼らが明確に対立していた時期です。結果的に私は、このアイテムのお陰で《神の見えざる手》の所在を暴くことができたんです。ソピアはソピアで《神の見えざる手》ではなく、何か自分の意図があって動いているのかもしれませんね」
……ソピアは《神の見えざる手》の一員でありながら、自身らと対立していたルナエールに《ティアマトの瞳》を渡した?
少しきな臭い話であった。
《神の見えざる手》は不老の化け物揃いだ。
ゼロについては何も聞いていないためわからないが、ヴェランタは錬金術で自身の身体を造り替えており、ラムエルは竜穴の影響で老いを忘れており、ノブナガは不老の魔物である鬼の血が流れている。
そしてソピアは長命のハイエルフの中でも始祖に近い存在であり、半永久的に寿命が訪れないそうだ。
彼らの中でもソピアがぶっちぎりで長命であり、一万歳前後であると聞いている。
そうした意味では、ヴェランタよりもこのロークロアの秘密を知っていてもおかしくはないのだ。
「《神の見えざる手》が俺達に敗北することを望んでいた……?」
「ええ、私もそう考えています。ソピアは、私達よりもずっと先の盤面が見えている」
《神の見えざる手》の連中は現在は含みなくこちらについてくれているのだと考えていたが、どうにもソピアは得体の知れない相手だ。
味方ならばいいのだが、一応警戒していた方がいいだろう。
心中を隠したまま状況を操っているのならば、腹に一物あってもおかしくはない。
「……主ニビビッテ、形振リ構ワズ逃ゲタダケジャネ?」
ノーブルミミックが口を挟む。
「ソピアは万の歳月を生きた世界の記録者ですよ。侮らない方がいいと思います」
ノーブルミミックはどうにも楽観的に考えすぎるところがある。
「充分有リ得ルト思ウガ……」
ノーブルミミックが不服そうにブツブツと呟く。
「ただ、ソピアについてはひとまず置いておきましょう。彼女に頼らざるを得ない状態ですしね。ルナエールさん、丁度いいタイミングで駆けつけて来てくれたと思ったら、その《ティアマトの瞳》でこちらの様子を見守っていてくれていたんですね」
「ひゃうっ!? い、いえ、別に私はそんな、ずっとカナタの様子を監視していたわけではありませんよ! ほ、本当です! 久々に少し苦しい連戦だったので、魔力もさすがに、そこまで余裕がありませんでしたから! 消耗が激しくて、私でもあまり長々と使えるものではないので! ノーブルに確認してもいいですから!」
ルナエールがあたふたと弁解する。
「いえ、そんなことは言っていませんが……。えっと、とにかくそのアイテムで、ヴェランタ達の様子を少し確認してみてください」
「え、ええ、任せてください」
ルナエールがそう言って、《ティアマトの瞳》に魔力を込める。
水晶に映し出されている景色が目まぐるしく変わっていく。
「《神の腕》には誰もいませんね。とすればヴェランタは、《地獄の穴》の守護の方に当たっているはず……なんでしょうか、これは?」
ルナエールが表情を曇らせる。
水晶を覗き込むと、大きな城壁が映っていた。
たくさんのゴーレムがおり、冒険者や王国兵らしき者達の姿も見える。
彼らは、大きな岩塊の魔物と戦っていた。
岩塊の魔物は全長五メートルはあり、体表に不気味な無数の眼球が浮かんでいた。
「ど、どこですか、これは? この魔物はいったい……」
「……座標は間違いなく《地獄の穴》です。この魔物もあそこで目にしたことがあります。見てください、城壁に囲われたこの大穴……恐らく、ここが《地獄の穴》に繋がっているのでしょう」
言われてみても、まるでピンと来なかった。
俺の知っている《地獄の穴》の入り口とは、全く別の場所になってしまっている。
見慣れない城壁が聳え立っていることもそうだが、《地獄の穴》の入り口周辺の木々が根こそぎなくなってしまっている。
また、《地獄の穴》の入り口も古い神殿で隠されていたのだが、その神殿もなくなってしまっていた。
「《地獄の穴》から魔物が溢れ出るようになって、周辺都市の冒険者がなんとか食い止めようとしている……?」
いや、それだけではさすがに対抗できないだろう。
《地獄の穴》の魔物はレベル千越えの個体がザラに存在する。
現地の冒険者は大半がレベル百足らずであるはずだ。
恐らくこの城壁やゴーレムはヴェランタの能力で生み出したものである。
ヴェランタのゴーレムが主戦力となって食い止めて、冒険者達がその補佐を行っている形だろう。
ただ、今はどうにかなってはいるようだが、いずれ限界が来る。
俺達もすぐに向かうべきだろう。
「俺達も《地獄の穴》へ向かいましょう」
「それがよさそうですね」
俺の言葉にルナエールが頷く。
しかし、《地獄の穴》はサタンが中の魔物達を管理していたはずだ。
いったい何故このようなことになってしまったのか。
「俺の召喚獣に乗って移動しましょう」
飛行速度はルナエールの方が速いだろうが、俺とポメラ、フィリアが彼女の身体にしがみついて移動するわけにもいかない。
全員でウルゾットルの背に乗った方がいい。
「召喚魔法第十八階位《霊獣死召狗》」
魔法陣が広がる。
その中央に、全長三メートルの、青い美しい毛を持つ巨大な獣が現れた。
「アオオオンッ!」
ウルゾットルの金色の瞳がルナエールを捉え、二又の尾がゆらゆらと揺れる。
「っと、すみませんルナエールさん! ウルは初対面の相手がいると、興奮して飛び掛かる癖が……!」
ウルゾットルはルナエールへと突進していき……彼女の目前で急停止して、ガバッと地面に伏せた。
尻尾が地面にだらりと垂れており、身体が小さく震えている。
「ク……クゥン……」
「……ウルさんが怯えているところ、初めて見ました」
ポメラが伏せているウルゾットルを見て、そう口にした。
フィリアも大きな目を瞬かせて、驚いた顔でウルゾットルを見つめている。
「……私は並行して飛んだ方がよさそうですね」
ルナエールが寂しげにそう言った。