第二十八話 浄化
フィリアの化けたドラゴンが、ルーペルムの上空を飛び回る。
「ポメラ達も、可能な限りその男の気を引いてみせます!」
ドラゴンの頭に乗るポメラがそう叫んだ。
「ポメラさん、フィリアちゃん……ありがとうございます」
確かにポメラのレベルも、フィリアのレベルも、《歪界の呪鏡》での修行のお陰でそれなりにはなっている。
彼女達の攻撃は、ヨーナスの霊体にとっても決して無視できるダメージではないはずだ。
それに、フィリアはレベル以上にタフなのだ。
かつてゾロフィリアと戦った俺だからこそわかる。
死霊魔法の腐食から一瞬で立ち直ってみせたように、《夢の砂》のお陰で身体を作り変え、ダメージを帳消しにすることができる。
相応にMPは消耗するが、MPが尽きるまではフィリアが命を落とすことはない。
レベル五千を相手にポメラ達を巻き込みたくはなかったが、そんな格好を付けたことを言っていられる余裕が今はない。
俺が負ければ、ルナエールも、このロークロアも、どうなるかわかったものではない。
上位存在と戦うと決めた以上、俺に敗北は絶対に許されない。
「羽虫が図に乗らないことですな……死霊魔法第十六階位《貪王の槍》!」
ルニマンが杖を構えて叫ぶ。
上空のドラゴン目掛けて、黄金の巨大な槍が一直線に飛来していった。
ドラゴンは身体を捩って躱そうとしたが、肩を抉られていた。
ドラゴンの傷口に虹色の光が走ったが、肩の怪我は回復しなかった。
翼の根元を抉られる形になったドラゴンは、飛行能力が不安定になり、大きくその高度を落としていた。
「フィリアちゃんの《夢の砂》が作用しない……!?」
「形ではなく魂を穿ち、対象を呪う悪魔の槍……。容易く治癒できることは思わないことですな」
俺は息を呑む。
翼がもうまともに機能しないのであれば、上空を飛び回って戦うことはもうできない。
ルニマンは純粋に魔法の技量が高く、対応力がある。
フィリアがタフとはいえ、長々と戦いながら隙を探る、というのは危険過ぎる。
それに持久戦勝負になれば、一番この場でレベルの高いヨーナスを味方に付けているルニマンに軍配が上がる。
どうにかルニマンの手から《聖人の杖》を奪う方法を考えなければならない。
ただ、どう攻撃してもヨーナスにガードされる。
おまけに素早く強力な攻撃手段を複数所持しているため、決定的な隙を見せない。
「《超重力爆弾》!」
俺はルニマンへと剣を構える。
ルニマンの周囲へと黒い光が広がった。
無暗に撃ってもMPの無駄なのだが、俺の放った魔法の中で一番効果があったのはこの魔法であった。
少なくとも当たれば数秒は動きを止められる。
フィリアが体勢を整えるくらいの時間は充分稼げるはずだ。
「《短距離転移》!」
ルニマンとヨーナスの姿が消え、別の座標へと姿を現した。
《超重力爆弾》は不発に終わった。
「本命の爆発の遅さを、重力による拘束で補っている……。わたくしめは、その魔法はもうくらいませんとも!」
ルニマンが歯茎を剥き出しにして笑みを作る。
「ちっ……!」
無駄撃ちさせられた。
ルニマンは狂気に駆られているようで、目的のための過程の行動自体は慎重だ。
レベルの優位性があることはルニマンも気づいているはずだ。
しかし、彼はそこに甘えず、一手一手、こちらの弱点を突くように対応してきて、決して無理はしない。
笑ったり嘆いたりしていても、その癖ルニマンはどこか淡々としているのだ。
こんな相手から、どうやって隙を引き出せばいいのか。
建物の屋根の上にドラゴンが墜落したのが見えた。
その瞬間、ドラゴンの姿が消え、肩から血を流すフィリアへと変わった。
その傍にはポメラも立っている。
やはりルニマンの《貪王の槍》を受けた肩の傷が再生できないのだ。
「フィ、フィリアちゃん! すぐにポメラが白魔法で治癒を……!」
「大丈夫、ポメラ。フィリア、まだ戦える」
フィリアは呼吸を整えると、その身体が虹色の光へと包まれる。
次の瞬間、彼女の身体が、長髪の背の高い男の姿へと変わった。
手には《聖人の杖》に似た、大きな杖を持っている。
「なんだ、あの姿……?」
いったい誰を模しているのか。
しかし、誰かは思い出せないが、なんとなくどこかで見たような気がした。
ふと、ルーペルムで見た彫像の中に、似たような顔の人物がいたことを思い出した。
「もしかしてヨーナスなのか……?」
フィリアは自身よりもレベルの高い相手の姿に化ければ、その恩恵を受けて自身のレベルを幾つか変動させることができるのだ。
翼が使えなくなった以上、ドラゴンよりもヨーナスの姿を借りた方がいいと考えたのだろう。
「死霊魔法第十五階位《唾棄されし亡者》!」
ヨーナスの姿を借りたフィリアが、杖を掲げて叫ぶ。
無数の髑髏がルニマンへと飛来していき、ヨーナスの骸の腕がそれを払い除けていく。
対象の劣化になるとはいえ、ヨーナスの魔力をコピーできた上に、追尾機能のある《唾棄されし亡者》を使えるようになったのは大きい。
これでルニマンの動きを少しは制限できるはずだ。
「ふざけやがってあのガキ……なんだあの姿は? 全く我が師に、似てもいないではないか! ヘタクソがァ、ごっこ遊びでェ、ヨーナス様のお姿を奪うなァ! 死ね!」
ルニマンが顔を真っ赤にして吠えた。
明らかに平静を失っている。
意識がフィリアの方へと固定されていた。
フィリアの狙いは、単純に飛行に頼らない戦闘スタイルを持った、高レベルの者の姿を借りることだったのだろう。
だが、そのお陰でルニマンに思わぬ隙ができた。
「ウル!」
「アオッ!」
俺の呼び掛けにウルゾットルは即座に応じ、ルニマンの死角へ入り込むように接近する。
同時に俺は、剣を構えて魔法陣を紡ぐ。
この魔法は射程が短く、発動に時間も掛かるが、主の気が削がれている、今のヨーナスにならば当てられるはずだ。
「……何か企んでおいでのようですな。この程度の小細工で、わたくしめの動揺を誘えるとでも?」
ルニマンの首が、ぐるりと百八十度回転して俺の方を向いた。
ヨーナスの骸の腕が俺へと伸びる。
駄目だ、一瞬間に合わなかった。
そのときヨーナスの背に、雷の獣が体当たりした。
これはポメラの精霊魔法、《雷霊犬の突進》である。
衝撃でヨーナスの腕の照準がズレて、俺の頭を掠めた。
「ぬぐっ……!?」
ルニマンが表情を顰める。
フィリアの死霊魔法への対応に、彼女がヨーナスの姿を取ったことへの動揺。
そして背後より接近する俺で、さすがにルニマンの認識が追い付き切らなくなり、ポメラの精霊魔法が完全に意識の外になっていたようだ。
「時空魔法第二十階位《因果破断》!」
俺の展開した魔法陣が強い白の輝きを帯びる。
その光はヨーナスの全身を包み込んだ。
因果に干渉して対象の強化魔法や呪いを切り離すと同時に、聖なる光で対象を攻撃する魔法だ。
「よりによって《因果破断》とは、厄介な魔法を……! 杖よりヨーナス様の魂を解放しようと目論んでおるのだな! だが、お前程度の魔力で、神となったヨーナス様を浄化できると……!」
ヨーナスの霊体に亀裂が走ったかと思えば、その頭蓋が粉々になり、骸の両手が弾け飛んだ。
《聖人の杖》に細かい罅が入ったかと思えば、砂になって消え去っていった。
「ば、馬鹿な……こんな! どうして、何故……!」
ルニマンが手から零れ落ちる砂を必死に手繰り寄せようとしたが、それが叶うわけもなく、風に流されて消えていった。
「ヨーナスが心から抵抗していれば、耐えきられたかもしれないな。だが、お前の師はそれを望んでいない」
「有り得ぬ……ヨーナス様の精神は、わたくしめが呪いで破壊したのだ! それも、二千年も前に! 今残っているのは、信仰の受け皿となる傀儡に過ぎぬはずだ! ヨーナス様が、自身の意志で魔法を受け入れるなど……!」
そのとき一陣の風が吹いた。
散っていったヨーナスの霊体の光が集い、骸ではない、ヨーナスの肉体を形作った。
「わ、我が師……?」
ルニマンがヨーナスへとよろめきながら歩み寄る。
『お前に、人並みの幸せを与えてやりたかった。だが、それはついに叶わなかったようだ。せめて安らかに眠るがいい』
ヨーナスのものらしき声が響く。
「我が師よ……! 何故、何故あなたまでもがわたくしめの信仰を邪魔するかァッ!」
ルニマンがヨーナスへ掴み掛かる。
ヨーナスの身体はすり抜け、ルニマンはその場で派手にひっくり返った。
思いの外手間取ったが、《聖人の杖》は破壊した。