第二十五話 《逆さ男ルニマン》
聖堂の外に出たとき、ルーペルムの住人達が悲鳴を上げながら走っている姿が見えた。
何かから逃げているようであった。
ただ事ではない様子である。
「いったい何が……」
「この様子……宮殿の方から人が逃げて来ておる」
ワーデル枢機卿がそう口にした。
今日はヨーナスが亡くなった日であるらしい。
ルーペルムの住人達は彼の死に祈りを捧げるために宮殿前へと集まる習慣があると聞いていたが、この様子であると、宮殿に集まり始めていた人達が逃げてきているようだ。
「お、おい、見よ、カナタ! 宮殿の上部が吹き飛ばされておる! 馬鹿な……宮殿には常に《神伐騎士》を置いていたというのに、このような襲撃を許すなど!」
ワーデル枢機卿が、遠くに見える宮殿を指で示す。
このルーペルムで最も高い建物のようだが、頭の部分が吹き飛ばされている。
何かしらの魔法攻撃によるものらしい。
不味いことになった。
《聖人の杖》は宮殿に保管されているという話であった。
その宮殿が襲撃を受けたということは、既に目的であった《聖人の杖》は襲撃者に奪われている可能性が高い。
間に合っていたかもしれなかったのだが、ワーデル枢機卿の余計な企てのせいで完全に出遅れる形となった。
吹き飛ばされた宮殿上部を見ていると、暗い赤色のローブを纏った、痩せた男が目に入った。
体の一部には鎖が巻き付いており、手には枷が嵌められている。
そして宝石のあしらわれた、黄金の大きな杖を手にしている。
男は大騒ぎになっているルーペルムの街並みを満足げに見渡してた。
「赤ローブの男が立っている? 教会関係者には見えませんが……」
「赤ローブであると!? よりによって、我らヨーナス教会が忌み嫌う者の格好で、今日という日にこのルーペルムを襲撃するとは!」
ワーデル枢機卿が激昂する。
「赤ローブに何か問題があるのですか?」
「大有りである! なにせ赤ローブは、ヨーナス様の一番の弟子にして裏切り者……《逆さ男ルニマン》が、二千年前の今日にヨーナス様を殺したときの格好であったとされておるのだ! 我々を侮辱しているとしか思えぬわ!」
この世界の歴史や宗教には疎いのだが、聖人ヨーナスは自身の弟子によって命を奪われていたらしい。
「ルニマンは酷く身勝手で嘘吐きな上に、暴力的な男であったとされておる。村で泥棒を働き捕まり、元々嫌われ者であったことから殴り殺されそうになったところをヨーナス様に拾われたのだ。ヨーナス様と共に人助けと世直しの旅に出て自身の生来の性格を克服したかに見えたが、根っこの部分では変わっておらんかった。ある日、最愛の師であったはずのヨーナス様の命を奪い、行方を晦ましたのだ。何故凶行に及んだのかは、今日に至るまで誰も解明できたものはおらん。ヨーナス教ではルニマンといえば、それは裏切り者を示すのだ」
ルニマンは随分とヨーナス教の中では嫌われている人物のようだ。
確かにそのような人物の格好をして、ヨーナスの命日にこのルーペルムへ訪れるとは、とても真っ当だとは思えない。
「や、奴か……ああっ、見えたぞ! 手に《聖人の杖》を持っているではないか! あ、あいつがお前達の言っておった、《神の見えざる手》とは別の上位存在の差し金であるのか!」
俺は赤ローブの男へと意識を向け、ステータスの確認を行う。
もし男のレベルが桁外れに高ければ、上位存在の差し金であると考えて間違いないだろう。
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ルニマン・ルゲイエ
種族:ニンゲン
Lv :2643
HP :8457/8457
MP :8387/8457
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やはりレベルが高い。
《神の見えざる手》の一員であったラムエルよりもずっと高いので、上位存在からの刺客だと断定して問題なさそうだ。
ヴェランタが見当を付けていた通り、奴らは《聖人の杖》の回収に出てきた。
俺よりもレベルが一回り下だったのはありがたいが、問題は既に相手に《聖人の杖》を回収されているということである。
それに……更に気掛かりなことが一つある。
「一応お尋ねしておきたいのですが……ルニマンのフルネームって、ルニマン・ルゲイエですか?」
「む……ヨーナス教について何も知らんのかと思っておったが、知っておったのか?」
「知っていたというよりは、今知ったというのが適切ですね」
どうにも赤ローブの男は、二千年前にヨーナスを暗殺したルニマン本人で間違いないらしい。
ここまでレベルの高い人間は歴代で見てもさほど多くはないだろうが、それにしてもとんでもない相手を引き連れて来てくれたものである。
「ど、どうしますか、カナタさん?」
ポメラが杖を握り締めてそう口にする。
「……幸いあの男だけならどうにかなりそうですが、杖の方が厄介ですね。元々俺達が任されたのは、簡単な交渉で済むとソピアが想定していたからです。悪意ある者の手に渡った時点で、《聖人の杖》の危険度が跳ね上がったと考えるべきでしょう」
一度撤退して応援を呼ぶことも視野だ。
全員他の布石の回収に大忙しのはずではあるが、焦って俺が敗れては意味がない。
ヴェランタかノブナガに来てもらえば大きな戦力になるだろうし、ルナエールが呼べるのであればそれに越したことはない。
「おお、おお……逃げ惑いなされ。無力で憐れな、迷い子達よ。我が師ヨーナス様は、人の弱さをお許しになられるでしょう」
赤ローブの男が大杖を掲げる。
「死霊魔法第十五階位《鼠と死の街》!」
巨大な魔法陣が展開され、周囲に光が広がる。
宮殿付近にいた数百という人の群れが一瞬にして消えたかと思えば、黒い鼠の群れへと変わっていた。
「な、なな、何だ今のは……何が起きたのだ!」
ワーデル枢機卿が呆然と呟き、その場に膝を突く。
俺も目前の悍ましい光景に凍り付いていた。
こんな魔法を何の躊躇いもなく行使できる外道がいるのか。
「おほほほほ! 我が師は、わたくしめの愚かさもお許しになられるでしょう! そうですよね? そうでしょう? ヨーナス様よ!」
ルニマンが気色の悪い笑い声を上げ、自身の手にしている大杖を愛おしげに抱き締める。
俺は宮殿の上のルニマンを睨む。
悠長に撤退している猶予はなさそうだ。
ここで俺が逃げれば、ルニマンはこの地で更なる厄災を撒き散らし続けるだろう。
いや、このルーペルムだけで済むとは思えない。
こんな人間を送り込んでくるなんて、上位存在は本格的にロークロアに被害が及ぶことを許容し始めたようだ。
ナイアロトプの狙いが俺にあるならばこそ、俺がここで安全策を取って逃げるわけには行かない。
「あんな規模の魔法、有り得ぬ……。ただ一撃で、こんな……お、終わりである、もうこの都市は……いや、世界は! わ、儂が上位存在に刃を向けようとした、天罰であるというのか?」
ワーデル枢機卿は震えながらその場に崩れ、頭を抱えた姿勢で動かなくなってしまった。
こんな状況であるから仕方がないが、臆病な性格は案外五十年前から変わっていなかったのかもしれない。
「教皇を説得する手間は省けたみたいですね。あの男を倒して、そのまま《聖人の杖》も回収させていていただきます。構いませんね、ワーデル枢機卿」
俺は宮殿へと一歩大きく踏み出すと、剣を鞘より抜いて構える。
「召喚魔法第十八階位《霊獣死召狗》」
魔法陣が広がる。
青い美しい毛を持つ巨大な獣、ウルゾットルが現れた。
「手を貸してください、ウル」
「アオオオオォン!」
ウルが空を見上げて鳴き声を上げた。