第二十二話 枢機卿の正義
ワーデル枢機卿に続き、聖堂地下の暗い通路を歩む。
「この奥に《聖人の杖》が保管されておる」
「ご協力ありがとうございます、ワーデル枢機卿。ソピアからはあまり聞かされていないのですが、ワーデル枢機卿は商会とはどのような関係で?」
「昔、似たようなことを頼まれたのだ。そのときはソピア殿より直接な。上位存在の意思であるから、従え……と。フフ、何があったのかは聞かないでもらいたい。今回程ではないにせよ、ヨーナス教会の意義の根幹に関わるものであった」
ワーデル枢機卿はそう口にすると、肩を落とした。
「あの頃の儂は、我が身可愛さでソピア殿との契約を呑んだ。あのときの儂の愚かしさを嘆かない日はこれまでなかった。……もっとも、結局儂に選択肢などなかったわけであるがな。修行を重ね、様々な経験を経て五十年……儂は、あのときと同く、ヨーナス教会の誇りを売って平穏を買おうとしている。筋や意思を通すにも力が必要なのだ。高潔さは決してそれを補ってはくれぬ」
ワーデル枢機卿は悲しそうな様子であった。
なんだか軽々しい気持ちで来てしまったかもしれない。
それが最も無難な手段であるとはいえ、俺達はヨーナス教会の誇りを取り上げようとしているのだ。
しかし、どれだけ力を持っているのかわからない《聖人の杖》の守護を、教会騎士達に任せているわけには行かない。
彼らではこの先、上位存在の干渉から《聖人の杖》は守れない。
ワーデル枢機卿の言った通り、高潔さは力不足を補ってくれはしないのだ。
「上位存在のこともご存知だったのですね。そこまで聞いていたとは知りませんでした」
「……ああ、儂は知っておる。ヨーナス教会の信仰する奇跡や神が、上位存在の演出に過ぎないということもな。滑稽だと思うかね、ソピア商会の遣いよ。舞台裏を突きつけられた儂が、今なおその幻想の維持にしがみついていることを! しかし、こんな歪な世界だからこそ、人々には絶対的な救いが必要であるはずだ! 儂は考えておるのだ!」
ワーデル枢機卿が握り拳を作り、声を震わせて語る。
「いえ、素晴らしい考えだと思います」
このロークロアがあんな下品な上位存在共のお遊びで作られたものでしかないと知ったところで、誰の足しにもならないだろう。
わざわざそんな残酷な真実を広める必要はない。
「しかし、ここまでワーデル枢機卿が別人になっているとは思いませんでした」
臆病で責任感のない遊び人だと聞いていたのに、現在では正反対である。
「頭もつるつるになってる!」
「フィッ、フィリアちゃん、失礼ですよ! す、すみません、枢機卿様!」
ポメラがフィリアの口をさっと塞ぎ、ワーデル枢機卿へと頭を下げる。
……確かに一番正反対なのは髪型かもしれない。
長髪の美丈夫だと聞いていたが、まさか禿げ頭の老人になっていたとは。
「先の短い老人の儚い願いを静かに聞いてくれたこと……感謝する。失礼だが、名をまだ聞いておらんかった。そちらのお嬢さんがフィリア殿……魔術師の方がポメラ殿……して、貴殿は?」
先を歩くワーデル枢機卿が、足を止める。
「カナタと申します」
「そうか……カナタ、か。貴殿のことは嫌いではなかったが、このような出会いであったこと……儂はとても不幸に思う」
ワーデル枢機卿がこちらを振り返った。
深い皺の浮き出たその表情は、悪意に歪んでいた。
「ワーデル枢機卿……?」
ふと、そのとき、何者かが天井より接近してくるのを感じた。
咄嗟に俺は背後へと退いた。
俺達とワーデル枢機卿の間に、黒い鎧姿の二人組が降り立った。
「おいおい、こんなチンケなのが《神の見えざる手》の尖兵か? 身構えてて損した気分だぜオレは」
「一定以上の超越者はむしろ見掛けに寄らないものよ」
長身の男と、背の低い女であった。
男の方は大きく無骨な剣を、女の方は細長いレイピアを手にしていた。
二人共冷酷な顔つきをしており、闇の中でもその双眸が赤々と輝いていた。
「……ワーデル枢機卿、どういうおつもりですか?」
俺は黒鎧の二人組越しに、ワーデル枢機卿へと声を掛ける。
「ガハハハ! 貴様ら上位存在の言いなりにはならんというわけだ! こやつらは儂が生涯を費やして、手段を問わずに呪術や霊薬を用いて育て上げた、対上位存在用の闇の教会騎士……《神伐騎士》である! いつかまた、あの上位存在の犬の長耳共が干渉してくると思っておったぞ!」
ワーデル枢機卿が両腕を広げ、狂ったように笑い始める。
上位存在に諂う素振りを見せて聖堂地下へと誘導し、《神伐騎士》とやらを用いて俺達を叩くのが目的であったらしい。
今となっては《神の見えざる手》は上位存在の傘下ではないというのに。
どうせ説明しきれないと、黙っていたのが痛手になった。
今から説得しても、とても聞き入れてもらえそうにない。
「言ったであろう? 力がなければ意志を通すことなどできんと! 儂はそれを手に入れたのだよ馬鹿者が! この儂が大人しく《聖人の杖》を差し出すと思っておったのならば大間違いであるぞ! ヨーナス様よ、見ていてくだされ! 儂は舞台装置の魔人共を打ち倒し……この世界に真の信仰と救済を齎す! そのための第一歩として、儂の《神伐騎士》が貴様ら《神の見えざる手》に通用するのか否か、試させてもらうぞ!」
どうやら教会騎士リゼルを俺達に嗾けたのも、ただの信仰心から来る悪足搔きではなく、俺達が本当に《神の見えざる手》の戦力であるのかどうかの確証を得ておきたかったようだ。
「物分かりがいいところまで正反対に変わっていたようで、残念ですよワーデル枢機卿……!」
俺は剣を抜き、《神伐騎士》の二人へと構えた。