第十八話 聖都へ
「カナタ……そなたに任せたいのは、神聖都市ルーペルムにある《聖人の杖》の破壊だ。聖堂の地下深くにて管理されている」
ヴェランタが地図の一点を指で示す。
「危険な布石なんですか?」
「ああ、《聖人の杖》は二千年前に聖人ヨーナスの用いていたもので、彼の魂が宿っている。ヨーナスの教えはこの王国の国教の下地にもなっており、現在ではヨーナス教として形を変え、広くに知られている。信仰によって《聖人の杖》は生前よりも膨大な力を得ているはずだ。しかし、死に際の悲劇と……その後のあまりに長い年月の中で、高潔であった魂もとうに人格を失っている。悪意ある者の手に渡れば、何が起こるのかわからぬ代物だ。我もこうした事態にでもならなければ、下手に触りたくはなかった布石である。扱いの面倒な神器故に、管理ではなく破壊が必要だと考えている」
「他人事みたいに語っていますけれど……それも、あなたの仕組んだ人物なのですよね? グリードと同様に」
「全く関与していなかったといえば嘘になるが、我々も必死だったのだ。当時は今ほど上位存在共の間でロークロアの人気が安定していたわけではなかった。気を緩めれば、世界の消失が迫っていた。文句は全てが終わってからゆっくりと聞こう。我もヨーナスの教えがここまで広まるとは考えていなかった。どれだけレベルが膨れ上がっているのか想像も付かぬ故、上位存在の手先に押さえられては非常に厄介だ。急速に向かってもらいたい」
……今はヴェランタに文句を言っても仕方がない。
大人しくヴェランタの言葉通り、俺が《聖人の杖》の破壊に向かう他にないだろう。
「でも、レベルがどれだけ膨れ上がっているのかわからないのならば、ルナエールさんに任せた方がいいのでは……」
「《聖人の杖》自体の人格は既に損なわれている。扱いを誤らぬ限りは大事にはならんはずだ。……それに、そちらの不死者には、他に任せたい布石が複数ある故にな」
ヴェランタがちらりとルナエールの方へと目をやる。
「ルナエールさんじゃないと対処できそうにない布石が複数あるんですか!? あの、もしかしてあなた方が好き勝手に撒いた布石、ほとんど管理しきれてないんじゃ……」
「……上位存在の命令もあった上に、元々大量にばら撒くことが推奨されていた。定期的に事件を引き起こす必要があり、どの布石がどこまで育ってくれるのかはわからんかったからな」
「無茶苦茶だ……」
俺は頭を押さえ、溜め息を吐いた。
いや、そんな杜撰な状態だからこそ、俺達にも上位存在に付け入る隙があるかもしれないが。
「それに、この神聖都市ルーペルムが少々厄介でな。下手に《聖人の杖》の破壊を目論んでいることが広まれば、世界中を巻き込んだ混乱が起きるだろう。ある程度の慎重さと対人能力が求められる。そうした面で、地上に不慣れなそこの不死者は適さないと判断した」
「なるほど……」
……そういう理由であれば、俺としても正直否定はできない。
確かにルナエールには不向きだろう。
「でも、それって、俺達にヨーナス教と交渉しろってことですよね? そんなことはとてもできる気がしないのですが……」
「安心しなさい。ワーデル枢機卿を尋ねるといいわ」
《神の見えざる手》の一員らしいハイエルフの女……ソピアが口を挟んできた。
「ワーデル枢機卿……?」
「遊び歩いていて臆病で欲深い生臭坊主だけど、顔と生まれと物分かりだけはいい奴だから、話を聞いてくれるはずよ。髪の長い派手好きの美丈夫だから、すぐにわかるわ」
「なるほど……」
散々な言われようである。
正直、あまりワーデル枢機卿とやらに会いたくなくなってきた。
そんな奴相手に《聖人の杖》を譲ってもらえるように交渉しなければならないのか。
「実はワーデル枢機卿とは、ついこの間も会ったところなの。私が行った方がいいでしょうけれど……私は私で、私のソピア商会を動かして回収しないといけない布石があるから。手紙を書いてあげるから、それを使いなさい。ソピア商会の名前を出せば二つ返事で了承してくれるはずよ。大きな騒ぎにはならないように偽物と取り換えてもらいなさい。交渉でお金が必要でしょうから、一千億ゴールド渡しておいてあげるわ。もしそれでゴネられたら、商会から後で払うからとにかく渡せで押し切りなさい」
「い、一千億……」
……金銭感覚が化け物過ぎる。
いや、世界全体に根を張る巨大宗教の聖遺物なのだから、金で解決できるものなら安いのかもしれないが。
真っ先にルナエールとの戦いから降りて長らく《神の見えざる手》より行方を晦ましていたと聞いていたため正直ただの小物だとしか思っていなかったのだが、この人が一番危険だったのかもしれない。
「で、でも、気が重いですね……そんなものを回収しに向かうなんて。一歩間違えたらポメラ達、大犯罪者ですよね?」
ポメラが不安げに口にする。
「……他の布石も厄介そうなものばかりなので、こればかりは仕方ないですね」
俺は溜め息を吐いた。
ヴェランタが説明してくれた危険な布石一覧の中で役割分担を考えれば、確かに俺が《聖人の杖》を引き受けるのが一番妥当なのだ。
対象物こそ危険でどの程度の物なのかも想像が付かないが、実際に《聖人の杖》が暴走を起こす可能性は低い。
最悪世界中を敵に回す大罪人になるというのも、他の布石も似たようなものなのだ。
そもそも《神の見えざる手》の連中自体が、ドラゴンの世界から疎まれているラムエルを筆頭に、支配者なのか犯罪者なのかわからない者達ばかりなのだから。
「や、やっぱり私も、カナタに同行しておいた方がいいのでは? 聞けば聞くほど、危険なように思えます」
ルナエールが諦め悪く、ヴェランタへと食い下がっていた。
「そなたにはそれよりも、もっと厄介な布石の回収をお願いしたい。《竜の宝珠》も《飢餓の巨人》も《破滅の書》も《世界獣》も、そなたでなければ手に余る。まずはこちらの処分から頼みたい。こちらも世界の命運を懸けてそなたらに付いた以上、最低限協力してもらわねば困る」
ヴェランタが申し訳なさそうに頭を下げる。
ついこの間まで敵の頭目だった相手から、滅茶苦茶大人に諭されている。
「主、コノ期ニ及ンデ、余計ナ我ガ儘ハ……」
「わかりました……」
ルナエールががっくりと肩を落とす。
「わかってくれたならばそれでよい」
「速攻で四つ片付けてからカナタの補佐に入ります」
「いや、そんな軽い気持ちで挑まれては困るのだが……。そなたに任せた四つの布石は、下手に触って失敗したら何が起こるかわかったものではないのが」
ヴェランタは困惑したように答えてから、助けを求めるように俺の方を見た。
俺はそっと目線を外した。
◆
上次元界……ナイアロトプのいる、一面が白に覆われた空間。
そこに二人の人物が召喚されていた。
二人共鎖に全身を縛られており、手と足には枷を嵌められていた。
一人は暗い赤色のローブに身を包んだ痩せ細った長身の男で、酷く陰鬱な目をしていた。
もう一人は反対に大柄な体格をしていた。
灰色の皮膚に、背から伸びる黒い翼、鋭い牙に長い角と、明らかに人外の容貌であった。
「来たようだね……ロークロアの生み出した三人の忌み子の二人、《逆さ男ルニマン》に、《堕天使ルシファー》」
ナイアロトプが二人へと告げる。
「テメェ、ナイアロトプゥ! この俺様をあんな何もない空間に、自我のあるまま一万年近く封じ込めやがって! 頭おかしいじゃねぇのか! ぶっ殺してやるぞ!」
ルシファーと呼ばれた灰色の男が、牙を剥きだしにしてナイアロトプへと吠え付く。
ルシファーの身体の拘束具が輝きを増しすと、彼の身体が急激に重みを増し、その場に倒れ込むことになった。
「この野郎がァア! 俺様に好きにあの世界を管理させるって言ってたクセによォ、なァ! 邪魔になったからって、こんな仕打ちをしやがって! 許さねぇぞォオ!」
ルシファーが血走った目で吠える。
「そろそろイカれたんじゃないかと思っていたが、変わりないようで安心したよ」
ナイアロトプが呆れたように息を吐く。
かつてロークロアを本気で滅ぼそうとした者が三人いた。
彼らはロークロア運営が罠に掛けて捕らえ、死すら生温い罪として、その魂を別次元の空間へと封じ込めていたのだ。
ロークロア運営は彼らのことを《久遠の咎人》と呼んでいる。
これまでロークロア運営は他の神々に対して《久遠の咎人》の存在をひた隠しにしてきたが、カナタ騒動に綺麗な決着を付けるために、彼らをロークロアへと呼び戻すことにしたのだ。
ルニマンとルシファーは、その三人の内の二人である。
ルシファーは元々ナイアロトプより世界の調整を託された悪魔であったが、その権限を好き勝手に用いて上位存在の目を盗んで自身のレベルアップに励んだ上に、身勝手な理由で世界の大幅な改変を幾度となく引き起こし、最終的にはこの世界そのものを破滅させようとしたのだ。
赤ローブの男……ルニマンは、元々はただの人間であった。
ただ、心の奥に闇を抱えていた。
内に秘めた狂気を抑えるために聖職者となり、信仰深く、慎ましく暮らしていた。
しかし、上位存在がただ道楽のためにロークロアを運営していると知り、ルニマンの信仰心が裏返った。
彼は常人では理解できない修行を重ね、あらゆる手を用いて力を付け、当時の《神の見えざる手》を出し抜いて世界を破滅寸前へと追い込んだ。
その果てに、強引に上位存在の干渉によって、ロークロアより隔離されることとなったのだ。
「落ち着かれては……魔の者よ?」
ルニマンがルシファーへと声を掛ける。
「あァ? なんだテメェ?」
「我々の全ては上位存在に握られているのです。わざわざ彼らが招いていたということは、わたくしめらにとっても悪くない話があるということ……まずは話を聞かれては? 逆らっても何一つとして益はないでしょう」
「テメェ、俺様と同じ立場だろ? なに眠たいこと言ってんだ?」
「いえ……わたくしめのときは、上位存在は邪魔になった者をあらゆる手を駆使して排除し、重い罰を与えるという前例をいくつか知っていました。あの無間地獄のことも知っていたのです」
ルニマンが手を合わせる。
「意味がわかんねぇな。テメェ、まるでわざとあの牢獄に入ってきたとでも言いたげじゃねぇか」
「瞑想の修行に、あれほどよい場所は他にない」
ルニマンは大きく裂けた口端を上げ、不気味な笑みを浮かべた。
その言葉に、ルシファーだけでなく、ナイアロトプも表情を歪める。
「本当は知っておりますよ、上位存在。自分の手ではどうにもならない、異世界転移者が現れたのでしょう? そして今……ロークロアは、崩壊の危機にある。違いますか?」
「ルニマン、君のあらゆる力は封じているはずだがね」
「ふふ、いえ、最初からわかっておりました……わたしめには。そうした事態以外で、我々に声を掛けるはずもない。無間地獄におれば、必ずや世界の最期に招かれることになると。わたくしめは、それを自身の眼で見たかったのです」
「そ、そうか……ならば話が早いが」
ナイアロトプは頭を押さえながら口にした。
それから表情を戻し、ルニマンとルシファーを睨む。
「君達の呪縛を緩めよう。僕の意思の範囲内での自由を認めよう。刃向かえば身体が重くなり、朽ち果てることになるけれどね。それがお望みなら、勝手にそうするといい」
ナイアロトプが腕を掲げて魔法陣を浮かべると、ルニマンとルシファーの身体を拘束する鎖の一部が砕け落ちた。
「君達に命じることはただ一つ……この僕に、神に刃向かうニンゲンは全て殺せ。そのためのあらゆる犠牲を許容する」
「ほう……またテメェらの手足にされるのはごめんだが、ロークロアをぶっ壊していいっていうのは太っ腹じゃねぇか。ハハハ、いよいよ運営に火が回ったらしいな! いいぜ、ただ消されるよりは、その祭りに参加してやろうじゃねぇか」
ルシファーが舌舐めずりをする。
「上位存在……あなた方がそうお命じになられる日を、このルニマンは心待ちにしておりました」
「特にルニマン……君は、神聖都市ルーペルムに向かうといい」
「ほほう? それはどのような地で」
「君の師の墓がある。目障りな異世界転移者が、丁度そこへ墓暴きに向かったところだ」
「それはそれは……話の早いことで。では幾千の時を超え……師へ、会いにゆこうではございませんか」
ルニマンが割けた口の両端を大きく吊り上げて笑みを作る。
【書籍情報】
不死者の弟子第六巻、本日8月25日に発売いたします!
上位存在の手先《神の見えざる手》へ襲撃を仕掛ける不死者ルナエール!
物語は(主人公不在のまま)クライマックスへ……!
追い詰められた上位存在の最後の手段、それはロークロア世界の崩壊であった。
今回の書き下ろし短編小説は『再臨、黒の死神ロヴィス』です!
上位存在により、世界規模の災厄に見舞われるロークロア。
その渦中において、災厄を利用して急激に力を得た男がいた。
「待ってろ……ソピア……ルナエール……カナタ、そして、この世界を支配するという理不尽な神々共よ! 俺は、俺を虚仮にした全てを
破壊してやる!」
(2022/8/25)