第十六話 《神の腕》
人類の踏み込まない、魔物の溢れた最果ての地にある、大きな腕を模した塔……《神の腕》。
その中に《神の見えざる手》の五人が並んでいた。
竜人の祖にして、竜人界の咎人である《空界の支配者ラムエル》。
鬼のような容貌と巨躯を誇る、異形の武人《第六天魔王ノブナガ》。
夥しい年数を生きる、美貌のハイエルフ《世界の記録者ソピア》。
黒い衣に身を包む、正体不明の人物《沈黙の虚無ゼロ》。
「ふむ、まさか我らが再び、ここへ一同に集うことになるとはな」
そして彼らの頭目である、丸仮面の男《世界王ヴェランタ》。
彼は自嘲気に、仮面の奥よりくぐもった笑い声を上げる。
……ノーブルミミックの口より、上半身を出した状態で。
「この期に及んで抵抗しようとは思わないでくださいね」
そして《神の見えざる手》の五人の前には、恐らくはヴェランタのものであったらしい豪奢な玉座の上に、ルナエールが座っていた。
「あれだけ完膚なきまでに叩き伏せられて今更抵抗などできるものか。我らの手の内も全て暴かれてしまった。もはや我らに、そなたらへの勝ち目はないだろう。第一、我ら自身が既に上位存在に見限られてしまっている。あれより何の交信もないのだからな。世界を調整する術を失くしたと判断した上位存在は、この世界に対して何かしらの攻撃に出てくると考えられる。馬鹿げた話だが、そなたらに加勢して上位存在を討ち取る他なくなってしまったというわけだ」
ヴェランタが疲れたように息を吐いた。
ノブナガとゼロの二人は、ルナエールが《神の腕》にて叩き伏せた後、彼らを特別な鎖で縛って、結界を張ってこの建物に閉じ込めていたらしい。
ラムエルはリドラの許可を得て引っ張ってきて、ソピアについては半ば《神の見えざる手》を脱退して放浪しており、ルナエールが直接捜しに出向いて連れてきたのだ。
俺はポメラ、フィリア、ロズモンドと共にルナエールの横に立って、ぼうっと《神の見えざる手》の五人の顔を眺めていた。
彼らについてはヴェランタからも改めて紹介を受けていた。
しかし、半数以上知らない顔だとは。
直接俺が戦ったのはラムエルだけで、後の四人はいつの間にかルナエールが倒していた。
何なら内の三人は面識さえない。
いつの間にか対立して、いつの間にか騒動が終わっていた。
この《神の腕》へと俺達が訪れたのは、上位存在を討伐するための人材集めのために、ここへルナエールが封じていたノブナガとゼロの回収に来たのだ。
《神の見えざる手》は上位存在と『交信』と呼ばれる手段で連絡を取っていた。
数少ない上位存在の情報源でもある。
「どの道、隙を見てリドラを適当に出し抜いて脱獄するつもりだったけれど、キヒヒヒ、まさかその必要さえなくなるなんてね。このボクにまで頼るなんて、その判断が凶と出なければいいねぇ」
ラムエルが宙に滞空しながら、口許を隠して笑った。
「なんなら五人集まってるんだ。ヴェランタ、日和ってないで、この場でそこのアマを叩き潰してやっても……」
「ラムエル、そなたはあの場にいなかったから軽々しくそんなことが言えるのだ」
ヴェランタが食い気味にラムエルの言葉を遮った。
「我々がルナエールに勝つには、情報戦で圧倒して有利な状況を作り出し、万全の状況で奇襲を仕掛ける必要があった。だが、そうはできなかったのだ。我々の手の内は暴かれ、こうして命を握られている。そもそも既に上位存在から切られている。完全にお手上げというわけだ」
ヴェランタがお手上げといったふうに、ノーブルミミックの口の中でひらひらと手を上げた。
「止めておけ、竜の小娘。そこの御仁は、貴様などにどうこうできる次元ではないわい」
ノブナガがラムエルへとそう言った。
「フン、ヤマトの暴君が随分と大人しくなったものだね」
「正面から、あれほど綺麗に叩き伏せられてはな。強者の傘下に入り、従うのは当然のことよ。これまで儂が散々、そうやって刃向かって来た者を服従させてきたようにな。それに、世界のバランス取りなど、つまらん役割を被せられたと不満であったのだ。興が乗るではないか……神殺し!」
ノブナガはその凶相を歪めて、不気味な笑みを浮かべた。
「ヴェランタ、上位存在は今後、何を仕掛けてくると思いますか?」
俺はヴェランタへと尋ねた。
「皆目見当もつかないな。その気になればこの世界丸ごと、指一つ鳴らせば消せるかもしれぬような連中だ。せいぜいそうならないよう祈りながら、相手の動き方を窺うしかないが……いや、しかし、アレの回収くらいはしておいた方がいいかもしれぬ。元々上位存在と対立したのならば、残しておく意味もないだろう」
「アレとは、何のことですか?」
「布石だ」
ヴェランタは短く、そう答えた。
「布石……?」
「我々《神の見えざる手》は、これまで散々、各地に事件の種をばら撒いてきた。上位存在の命令に応じて、好きなときに派手な事件を引き起こせるようにな。我とは別の代の上位存在の代行者が用意したものもあるし、古い物は上位存在が直接用意したものもあるであろう。『大商公グリード』なんかがその一つだといえば、そなたにはわかりやすいか」
「おじちゃん……」
フィリアがそう呟いて、ヴェランタを睨み付けた。
「元を辿れば、我も、そして《恐怖神ゾロフィリア》……そなた自身も、上位存在の用意した布石の一つ。いや、もっと広い範囲でいえば、上位存在の玩具という面ではこの世界そのものがそうなのだ。だからといって恨むのが筋違いとはいわんが、今は我々で対立していても仕方があるまい」
ヴェランタがフィリアへとそう口にした。
「……それで、布石を回収するとはどういう意味ですか?」
「布石とはいうなれば爆弾のようなものだ。上位存在が好きなタイミングで破裂させて、ロークロアという舞台を派手に彩るためのな。上位存在が今後ロークロアに干渉するならば、何らかの形で布石を利用してくる可能性が高い。我が設置したものもあるが、上位存在と対立した以上は残していても仕方がない。小粒のものは追い切れんが、レベル千以上になり得るものは潰して回るべきだろう」
なるほど、理解はできた。
上位存在は布石を武器にロークロアを攻撃してくる可能性が高い。
そこさえ断ってしまえば、上位存在がロークロアに干渉する手段が大きく減るというわけだ。
「上位存在からしても、ロークロアへ干渉する数少ない残された手段である。急速に布石の確保に入ってくるはずだ。うかうかしていれば、強引に危険人物を強化して纏め上げて、次の《神の見えざる手》を作る可能性もあるというわけだ。布石の回収は、速さの戦いになる」
「つまり、自分達を野放しにして布石の回収をさせておいた方がいい、と。……信じて大丈夫なんですか? また隠れて、上位存在と交信を行う可能性も……」
俺はルナエールへとそう問いかけた。
ルナエールが答えるより先に、ヴェランタが口を開く。
「それはできない。我の強みだった《万能錬金》のアイテムも、ほとんどがそこのルナエールに巻き上げられてしまったからな。その気になれば複製はできるが、この《神の祝福》の限界が大体知られてしまった」
ヴェランタはそう言うと、他の《神の見えざる手》の方を振り返る。
「そこのソピアも、ノブナガも、ゼロも、心が折れてしまっている。まだそなたらに勝てるつもりでいるのは、レベルもさして高くなく、特別な能力も持たないラムエルだけだ」
「あん?」
ラムエルが殺気立った目をヴェランタへ向ける。
人手や情報が必要なのは確かだ。
《神の見えざる手》の協力は不可欠である。
ひとまずは彼らを信用する他ないだろう。