第十五話 観測者と最後の好機(side:ナイアロトプ)
「あ、主様……! これまで何を!」
ナイアロトプが非難するように主へとそう口にする。
「此度の《神の見えざる手》の敗北……我は、異世界ロークロアを終わらせるつもりだった。お前を矢面に立たせても、これ以上の介入は限界だ。露骨な手出しを繰り返して恥を無駄に広げるよりは、綺麗に畳む方法を模索した方がいい……とな」
「なっ……!」
主からの無慈悲な宣告に、ナイアロトプは言葉を失う。
元々、《神の見えざる手》が敗れれば後がないというのは、散々脅されてきたことであった。
しかしナイアロトプには、まだどうにかなるのではないかという希望があった。
異世界ロークロアが消去されるかもしれないということに対して、どこか現実味を持てないでいたのだ。
「ふ、ふざけるなよ……! どう取り繕ったって、こんな騒動が発端になって逃げるように異世界ロークロアを畳んだら、ロークロアの顔役になっている僕は神として完全にお終いだ! あ、あんな虫けら共のせいで、この僕が終わるというんですか!」
ナイアロトプは懸命に、主の声がする方向へと叫んで抗議を行った。
「……だが、状況が変わった。実は異世界ロークロアの件で、あの御方に呼び出されていたのだ。お前にとっては……はぁ、幸いなことにな。我にとってはその限りではないが」
「あ、あの御方に!?」
ナイアロトプは驚きのあまり、大きく表情を歪めた。
神界においてあの御方といえば、それが示す存在は一つであった。
全ての始まりとされる、最上位に位置する神のことである。
高度な魔法技術によりあらゆる問題が解決されて名誉と娯楽が全てとなった神々の間では、人間社会よりも娯楽の地位は遥かに高い。
故に、権力者が一つの娯楽の展開に口出しすることもある。
「異世界ロークロアを……カナタ・カンバラの行く末を楽しみにしている、とな。運営都合でつまらない決着を付けてくれるなと釘を刺された。我も適当な理由を付けて世界を消去して逃げることはできなくなってしまったというわけだ」
「つ、つまり……まだチャンスをいただけるというわけですか?」
「お前からしてみれば、首が繋がった形になったな。我からしてみれば……はぁ、不要な延長戦を強いられたわけだが。とはいえ、仮にも神の端くれであるお前が直接乗り込むわけにもいかん。《神の見えざる手》は滅んだが……まだ使える手駒がいるだろう?」
「まだ使える手駒……?」
ナイアロトプは訝しげに尋ねる。
カナタはともかく、ルナエールよりレベルの高い存在は、ナイアロトプの知る限りあのロークロアにはいないのだ。
策を弄せば可能性があった《神の見えざる手》は、戦力を分散した挙げ句に奇襲を受けて壊滅することになった。
まだ使える手駒など、ナイアロトプの知る限りではもう存在しない。
「あの三人ならば、ルナエールやカナタが相手でも確実に葬ってくれるだろう」
「あの三人……まさか、あの異次元に封じた罪人達を動かせと!?」
ナイアロトプは顔を青くした。
ロークロアには過去に三人、世界のパワーバランスを崩壊させた現地人が存在した。
彼らは《神の見えざる手》のように運営側に立つことも拒否し、その圧倒的な力で世界を破滅に追い込むことを望んだのだ。
ただ、ロークロアの世界は、異世界転移者の動向を追うエンターテイメントである。
ナイアロトプ達は世界への干渉を最低限しか行わないとは謳ってはいるが、異世界転移者と関わりの薄い現地人であれば、隠れて陰で処分できる余地があった。
ナイアロトプはその三人をロークロアの世界をエンターテイメントとして楽しんでいる神々の目を盗み、異次元へと封じることで強引に世界のパワーバランスを保っていた。
「確かに殺さず封じていましたが……彼らを動かすのは、過去にも散々干渉してきていたことを自ら暴露するようなものです! それに奴らを動かせば、異世界ロークロアは無事では済まないでしょう」
三人共、とても制御できるような人物ではないのだ。
カナタを始末するだけで終わるはずがない。
そもそもが運営が隠れて厄介な現地人を封じていたことを明かして、かつそれを表立って運営都合で放流するのだ。
ロークロアの運営不干渉の建前は完全に崩れ去る。
そうなればエンターテイメントとしてのロークロアはお終いである。
「ああ、奴らを動かせば最後……結局異世界ロークロアは台無しになるだろう。いうまでもなく過干渉であるし、それで異世界ロークロアを存続できなくなるならばカナタを排除する意味がないのだが……あの御方が派手な決着を望まれている。どうせ今更ロークロアの制御など不可能だ。今はあの御方を楽しませることだけを考えろ」
「し、しかし、異世界ロークロアが潰えるのであれば、あなたは結局、僕を処分するおつもりなのでは? もしそのおつもりであるのならば、これ以上ロークロアなんかのせいで無為に恥を被るような真似はごめんですよ!」
「安心しろ。異世界ロークロアが存続できなくなるにしろ、あの御方さえ満足させられれば、それは大変名誉なことだ。別に汚名返上の機会も設けてやろう」
ナイアロトプの主は約束は違わない。
神々の間では信用が重要だからだ。
主が救うといった以上は、ナイアロトプが相応の働きさえすれば、異世界ロークロア共々処分されることは避けられるはずであった。
「わ、わかりました。そういうことでしたら、最後までやり切ってみせますよ。それに……散々僕のキャリアに泥を塗ってくれたカナタの死は、やっぱり僕が直接指揮してやりたいですからね」
「異世界ロークロアごとカナタ・カンバラを叩き潰し……あの御方に、最高のバッドエンドをお届けする。神に刃向かい……世界諸共散っていく憐れな異世界転移者の悲恋を、お前が最高の形で演出しろ」
「ええ、お任せを。あの罪人ならば、ルナエールにも負けはしないでしょう。カナタ・カンバラに、この上ない地獄を叩きつけてやりますよ。散々この僕を虚仮にしてくれたのですからね……!」
ナイアロトプは顔に、悪意と怒りを滲ませ、仄暗い笑みを浮かべた。
「しかし……わかっているな? もしこれでカナタ・カンバラが勝利すれば、我々はどうすることもできなくなる。ロークロアに介入する手段を完全に失う上に、あの御方が見ている手前、理由を付けてロークロアごとカナタを消去して終わりにしました……などという、つまらない決着を付けるわけにもいかなくなる。しかし、だからといって放置するわけにもいかない」
「介入も、消去も、続行もできなくなる……? つまり、そのときはどうするおつもりなのですか?」
「どうにもできない、完全な八方塞がりの出来上がりだ。そんな事態には絶対に追い込んでくれるなよ。そこまでくれば、上位神である我自身も、お前だけに責任を被せて逃げることさえできなくなる。他の神々から呆れられるだけでなく、あの御方の不興を買うことにもなるだろう」