第一話 観測者の計略(side:ナイアロトプ)
白い空間の中……黒い礼服を身に包む、緑色の髪をした男が立っていた。
彼はカナタを異世界ロークロアに招いた張本人、上位存在の一人であるナイアロトプである。
「……ええ、抜かりありませんとも。ついに《神の見えざる手》の上位三人が本格的に動き始めます。カナタが《第六天魔王ノブナガ》に勝てるとは思えませんし、最悪の場合は《沈黙の虚無》という保険もあります。こうなった以上、カナタ・カンバラに対抗手段はありません。ここまで長引いたカナタ・カンバラの問題にも、ついに終止符が打たれるということです」
ナイアロトプは自身の主である上位神と交信し、異世界ロークロアの現状について報告を行っていた。
「頭目である《世界王ヴェランタ》もカナタの処分は難しくないと判断しています。彼は既にカナタを処分した後を見据えて行動している。リッチの小娘の精神を追い詰め、再び《地獄の穴》へと幽閉する策を練っているようです」
「うむ、御苦労……我が眷属よ。此度の失態ではお前に大きく失望していたが、ついにはこの馬鹿げた騒動も終わるというわけだ」
「此度の失態……失望……ですか、どの口が」
ナイアロトプは思わず表情を歪め、吐き捨てるようにそう漏らした。
ナイアロトプとしては今回のナイアロトプの主である上位神の対応には不満があった。
確かに発端であるミスを起こしたのはナイアロトプである。
異世界ロークロアの運営が順調に進んでいたが故の驕りから出た管理不足が全ての元凶である。
それは無論ナイアロトプも把握している。
しかし、上位神は『異世界ロークロアがエンターテイメントとして成立するために運営の干渉は最低限に抑えて解決しろ』との無理難題をナイアロトプへと押し付けてきたのだ。
中途半端な下策を打ったために異世界ロークロアの運営の醜態が表に晒され続け、また事が長引いたことによって余計に汚名が広がり続けていた。
純粋にエンターテイメントとして楽しむために異世界ロークロアを見る神々は減少し、運営が苦心して築き上げてきた世界をカナタが打ち壊していく様を楽しむ神々ばかりが集まってきていた。
それによって結果的に異世界ロークロアの神々からの注目度こそ高まったものの、異世界ロークロアの神々のエンターテイメントとしての価値と寿命を大きく擦り減らすことになっていた。
そこまで自体が悪化してようやく異世界ロークロアの理を守護する《神の見えざる手》を用いたカナタの直接的な排除が認められたのだが、そこにも裏があった。
ナイアロトプの主は、ナイアロトプの干渉権限を引き上げると共に、その対立構造を公にしてエンターテイメントとして着色し、『カナタVS下位神ナイアロトプ』として売り出し始めたのだ。
今回の失態で『管理不足で炎上した異世界ロークロアの無能監督』として他の神々より好奇の目を向けられたナイアロトプの主がそれを嫌い、現場のナイアロトプにそうした矛先が向くように仕掛けたのである。
ナイアロトプの主の思惑通り、神々の好奇の目は今、ナイアロトプへと向けられている。
他の運営が大きな嘲笑や批難を負うことは避けられていた。
「何か言いたげだな、我が眷属よ」
主の声に、ナイアロトプは目を細めて歯を喰いしばり、怒りを露にする。
「ええ……言いたいことなら、いくらでもありますとも! あなたにも責任がなかったとは言わせませんよ! あんな下等生物、強引に干渉して早期に潰しておけばよかったんだ! 僕は最初からそう言っていたのに! そうしていたらこんなことにはならなかったのに!」
「はぁ……いいか、お前が矢面に立つことになったのは、お前が焦ってカナタ・カンバラを魔法で直接攻撃したことが最大の要因だ。異世界ロークロアは我々の干渉を最小限に抑えるのが売りであったのに、お前の軽率な行動がそれを無為にした。そのため運営の意向として干渉を許容しているわけではなく、あくまで責任を取らされた下っ端の暴走であったと示す必要があったのだ」
「言い訳です! 確かにその側面もあったのでしょうが……僕を笑いものにすることで、他の神々の関心を自分から逸らす目論みだってあったはずだ!」
「総合的に見て、そうすることが一番都合がよかったというだけだ。無事に全てが片付けば、今回の件で傷が付いたお前の名誉の回復にも便宜を図ってやる」
「本当ですか? 甘い言葉で釣って発破を掛けて、適当に切り捨てようとは思っていませんよね?」
「神は信用は全てなのだ。我がつまらぬ約束を違えたことがあるか? 確かにお前が指摘した通り、運営自体を守るためにお前を道化にしたという側面がないわけではない。お前の杜撰な管理を見逃していた我にも責はある。お前がきっちりと役割を熟して今回の問題を鎮めれば、我も相応の埋め合わせくらいは行うつもりでいる」
「わ、わかりました。では、カナタ・カンバラを葬った暁には、よろしくお願いいたしますよ! 見捨てないでくださいね?」
「だが、我がその埋め合わせを行うのは……あくまで、お前がカナタ・カンバラの問題を解決できた場合のみだ」
ナイアロトプの主は、低い声で、脅しを掛けるようにそう口にした。
「え、ええ、理解しておりますとも。しかし、問題ないでしょう、だって《神の見えざる手》が……!」
「《神の見えざる手》はロークロアの最後の砦だ。もしものことが起きた際には……ロークロアも、お前も、終わりだと覚悟しておけ」
「わわ、わかっていますよ……はい、それは……」
ナイアロトプがしどろもどろにそう口にしたとき、ナイアロトプの主の気配がぷつりと途絶えた。
どうやら主はナイアロトプから意識を逸らしたようであった。
ナイアロトプは簡単に深呼吸して息を整えた後、宙へと指先を向ける。
空間が歪んで渦が生じる。
そこには《神の見えざる手》の頭目である、仮面の男が映っていた。
「万が一つにも仕損じてくれるなよ、《世界王ヴェランタ》……! 僕は異世界ロークロアの運営で、神界の間で注目を集め……華々しく出世していくはずだったんだ。あんなクズのために、僕の地位が、未来が脅かされるなんてこと、あっていいわけがないんだ……!」