第十六話 大商公への謁見(side:ウォンツ)
メルが魔導雑貨店《妖精の羽音》を再開してから三日後、グリード商会の本部にて。
グリード商会の重鎮であるウォンツは、商会長の許を訪れていた。
「ウォンツ君……キミからの報告にはなかったが、どうやら随分と面白いことになっているようではないか」
商会長グリード。
この商業都市ポロロックの領主でもある。
やや肥えており、そのためか皺が少なく、かなりの高齢のはずだが歳の割にはまだ若く見える。
気品ある燕尾服を着ており、頭には黒い帽子があった。
狡猾そうな糸目が、じっとウォンツの顔を見つめる。
「さ、さぁ……何のことか。あ、ああ……もしや、《妖精の羽音》の件では?」
ウォンツは媚びたような笑顔を浮かべ、そう答える。
「キミが嵌めようとした子の店が、転移者を雇って随分奮っているらしいじゃないか。その余波で、彼女を潰そうと方針を合わせさせていたキミのグループの店の客足が遠のき、ちょっとした損失が出そうだとも聞いたよ。おまけに相手に力がないからとこれまで散々グレー行為で嫌がらせしてきたのが、彼女の店に注目が集まったせいで表に出てしまいそうだともね」
ウォンツとしては、あまり触れて欲しくはない一件であった。
金銭的な損失は将来を見込んでもさして大きくはないが、面子を潰された、大きな恥だと彼は感じていた。
「はは……大した問題ではありませんよ、グリード様。報告するまでもないことかと考えていました。ちょっと小遣い稼ぎをしようとして、野良犬に噛まれたというだけのことです。あそこの土地を回収できないのは痛いですが、まあ何とでも、どうにかしますよ」
グリードは黙って、じっとウォンツの顔を見つめている。
ウォンツは生きた心地がしなかった。
ウォンツはグリードの下についてそれなりに長いが、彼の地雷がどこにあるのかさっぱりわからないのだ。
おまけに短気で、一度激怒すれば何をするのかわかったものではない。
加えて冷酷で残酷な人物である。
この都市の絶対的な権力者であり、街中で堂々と人を殺しても事件を揉み消せるとまで噂されている。
グリードが暗黒区の犯罪組織と繋がりがあることは、グリード商会上層部では暗黙の了解となっている。
特に彼の側近の一人であるウォンツは、暗黒区はグリードが後ろ暗い商売を行う隠れ蓑にするために、破産者を追い込んで計画的に治安を悪化させた区域であることも知っていた。
この都市でグリードに目を付けられれば無事では済まない。
「か、仮に土地が回収できずとも……結局あの店主……メルは、商会の規則で雁字搦めにしている身ですからね。この都市の契約や取り決めは複雑で、とても外の人間に扱い切れるものじゃない。彼女の利益は色々な形で吸い上げられ、最終的に私の許へ入ってくる。痛手といえば痛手でしたが、まあ、大したことではありませんよ。元々一店舗のどうこうなんて、私達からすればほんのお遊びでしかありませんしね」
ウォンツは早口でそう語る。
実際、グリード商会の仕組みはかなり複雑であり、外部の商人が成功しても、その額に比例してどんどんと利益を巻き上げられる形になっている。
ルールがしっかりとわかっていれば、申請や手続きで減額できる手段が無数にあるのだが、外の人間が少し勉強したからといって容易に掻い潜れるものではない。
外部のメルにポロロックの一等地を占領され、周囲の店舗グループの景気を悪化させられたのは確かに痛手ではあったが、ウォンツにとってこれはさして大きな敗北ではなかった。
口にした通り、野良犬に少し噛まれた程度の災難だ。
気は悪いが、大したことではない。
「ああ、そうだな。大したことではない。で……その野良犬は、いつ駆除するのだね、ウォンツ君」
「い、いえ、そう焦らなくても……」
「相手はたかが犬っころなのだろう? キミはキミの管轄地の顔として、その野良犬を添えるつもりかね? 大した問題ではないというのなら、早くどうにかしたまえよ」
「しかし、別にその、金額でいえばほんの些細なもので、これ以上躍起になる意味はあまり……」
「ウォンツ君、吾輩は、負け癖のついたクズは部下にいらんぞ。もう一度言おう、大した問題ではないというのなら、早くどうにかしたまえ」
「は、はい、グリード様がそう仰るのであれば、すぐにでも連中を潰す手筈を整えます!」
ウォンツはぺこぺことグリードへ頭を下げる。
「ウォンツ君、吾輩がキミを重宝していた理由がわかるかね?」
「理由ですか……? 私がポロロックで大きな敗北を喫さなかったから、ですか?」
「それも勿論あるが、一番の理由ではない」
グリードが首を左右に振り、それから顔に邪悪な笑みを浮かべた。
「吾輩は見たいのだ。身に余る欲望を抱え、醜く争い、もがき、そうして苦しみながら破滅していく、滑稽で哀れなニンゲン共をな。キミの人を人とは思わぬ小遣い稼ぎは吾輩の心を躍らせてくれたが、田舎の小娘の成功物語など退屈で仕方ない」
グリードの言葉には強烈な悪意があった。
前に立つウォンツは、身体の芯から汗が溢れてくるのを感じていた。
「あ、あの小娘は、どのような手を使ってでも、必ず私が潰します。勿論あんな小さい店、潰そうと思えば簡単に潰せますよ。ただ、割に合わないと言っていただけでして……。グリード様がそのおつもりであれば、ご安心ください、数日の内に叩き潰してやりますよ、ええ」
「うむ、期待しているぞウォンツ君」
グリードがニマリと笑みを浮かべる。
不気味な笑いであった。
ウォンツは思わず息を呑む。
ウォンツは長い付き合いではあるが、グリードと話していると、気が気ではなかった。
グリードは真っ当ではない。
まるで人間ではない、何か巨大な、悪意の化け物と対峙しているかのような気にさせられるのだ。
老いて枯れ、若さに嫉妬し憎悪する怪人め。
ウォンツは心中で毒づきながらグリードへと頭を下げ、身を翻した。
「ウォンツ君。吾輩は欲に塗れたニンゲンが破滅するところが見たいとは言ったが、別にそれは、田舎の小娘でなくとも、キミでも構わんのだよ」
ウォンツはびくりと身体を震わせ、グリードを振り返る。
「クク……冗談である。せいぜい頑張ってくれたまえ、ウォンツ君。次の報告を楽しみにしている」
ウォンツは顔が引き攣るのを感じながらも、懸命に作り笑いを浮かべた。