第十話 破談と対立
「ふぅ……わからない人ですね、ロズモンドさん。別に私は、メルちゃんと敵対しているわけではないのですよ。彼女の損失を抑えようと、この提案をさせていただいているのです。それに結果的に上手くは行きませんでしたが、元々この契約もメルちゃんが納得して受けたのですよ。夢や成功の裏側には、常に敗北や喪失があるものです。メルちゃんが上手く行かなかった理由を私に求めるのは、むしろ彼女の覚悟を蔑ろにしているのだとおわかりですか? 戦った結果の責任を求められないのは、最初から何一つ信用されていない者だけなのですよ」
ウォンツが饒舌に語る。
彼が言葉を重ねる度に、ロズモンドの背後でメルが顔を青くしてどんどん萎縮していっていた。
「まぁ、彼女のご友人として、私を悪役にでっち上げたいのは理解できますとも、ええ。それで貴女方の気が済むなら、別に私はそれでも一向に構いませんよ。ただ、そんな気持ちの問題よりも、今はメルちゃんの今後を考えて、傷を浅く済ませるのが第一でしょう? そう熱くならないで、冷静に損得で考えてください」
「話はそれまでか? とっとと帰るがよい。本当にメルを思っての提案であるならば、改めて書面をもってきて、署名を急かさずに考える時間を与えるのであるな。我がたっぷり粗探ししてやるぞ」
「参りましたね……私は敵ではないと言っているのですが。あまりこの契約も、悠長に構えていられる程時間はないのですよ。私も忙しい身ですから、正直あまり無意味に時間を取らせないで欲しいものです。良かれと思ってやっているのでしょうが、自分の行いがメルちゃんの首を絞めることに繋がっているのだと理解していますか?」
ウォンツは溜め息を吐き、コツコツと、指で自身の額を叩く。
思い通りになりそうにないロズモンドの様子に苛立っているようだ。
「どうにも貴女は、グリード商会やこの私について、何か大きな誤解をされているようだ。いいでしょう、そうも頑なになる程に疑問があるのならば、私が答えてあげても構いませんよ。ただ……貴女の利益になることでもないでしょうに、流れの冒険者が、何をそう必死になっているのか」
「ハッ、貴様らのような、不愉快な連中が気に喰わんのがそんなに不思議か? 理由などそれで充分であろう。金金金と、金銭ばかりでしか物事を捉えられん、賢しいつもりの愚物が。腐れ縁だが、我は狸爺……マナラークの傑物ガネットとも繋がりがある。このロズモンドを、田舎の夢見がちな小娘と一緒にしてくれるなよ? 聞こえのいい、適当な戯言で誤魔化せるとは思わんことだ。貴様がその気であるならば、きっちりと説明してもらおうか」
ウォンツの額に青筋が浮かぶ。
「しつこい上に、失礼で下品な女だ。冒険者の猿一匹誑かすのに手間取るつもりはありませんが、気が変わりましたよ。今更私を挑発して、どうにかなると思っているのですか? 事情が変わったから、とっととこの土地を返せと言っているのです」
「ロ、ロズモンドさん……これ以上は巻き込めませんよぅ……。この人……本当にその、おっかない人なんです。目を付けられたらどうなることか……」
メルが声量を落とし、ロズモンドへとそう口にする。
「無意味に揉めても金にならないと、せっかくこちらが穏やかに済ませてあげようとしていたのに。そうまで敵意を向けられては、これ以上は無駄な気遣いのようだ。確かにこの話を受けたからといって安全は保障しませんが、この私に楯突けば、より酷い結末しか待っていないというのに」
ウォンツの紳士的な表情が一変、冷酷な顔付きへと変わった。
ロズモンドの頑なな態度を前に、善良な仮面を被り続けるのが面倒になったらしい。
見下している相手から見透かされたように話され、小馬鹿にされたのが利いたのか。
「この期に及んで今更足掻いたからといって何の意味もないことだ。はぁ……考えなしの猿め。それともまさか、この私とポロロックで戦って、本気で勝てるとお思いで? 貴女のやっていることは、後先を考えない、何の意味もない感情的な暴走だ。馬鹿が相手だと、お互い損をするから困る……」
「思っておる」
「うん?」
「潰し甲斐のある悪党で満足したわい。我は貴様のような奴が一番嫌いなのだ。首を洗って待っておれ、ウォンツ。貴様らのホームグラウンドで、貴様らのルールに則って、完膚なきまでに叩き潰してくれるわ」
「これはこれは、随分と威勢のいい猿です。ですが、気が合いますね、私も貴女のような馬鹿が一番嫌いなんですよ。虫けらのように踏み潰して差し上げましょう」
ウォンツは護衛のジュドを振り返る。
「今日のところは引き上げるぞ」
そのまま俺達に背を向け、二人して《妖精の羽音》から出ていった。
「覚悟しておくといい……あなた方が思っているより遥かに深いのですよ、このポロロックの闇は」
ウォンツは、最後にそう呟いた。
「ロズモンドさぁぁん! ウチ……凄く怖かったんですけど、滅茶苦茶嬉しかったですぅ! 胸も、凄くすっとして……本当……もう、いっぱいいっぱいありがとうございます! 一緒に戦ってくれるんですね、ロズモンドさん! ウチもそのっ……本気で、命懸けで戦います! もう、絶対に諦めたり、絆されてたりしません! 負けたら内臓売られる覚悟で踏ん張ります!」
メルは感極まったらしく、号泣しながらロズモンドへと抱き着いた。
ただ彼女とは反対に、ロズモンドは表情の失せた顔で棒立ちしていた。
「ロズモンドさん?」
俺が尋ねると、ロズモンドはそうっと俺を振り返った。
「……少し感情的になっておったかもしれん。カナタよ、この戦い、勝算があると思うか? 正直に教えてくれ」
「ロズモンドさぁあん!?」
メルが大口を開け、悲鳴のような声を上げる。
「だ、大丈夫であるぞ、メルよ! 我も正面切って喧嘩を売った以上、その、責任は取る。冒険者の中では稼いでいる方であるし……い、いざというときは、我が狸爺に口利きしてどうにかしてやる」
……あれだけ威勢よく突っかかっていたのに、敗戦処理の話になってしまっている。
どの道ウォンツはメルを潰す気満々だっただろうが、下手に喧嘩を売って互いに退けなくするよりは、和解の芽を残してなあなあで済ませる道を探るのが無難であったといえばそうなのかもしれない。
ウォンツを怒らせさえしなければ、抵抗する姿勢を見せた後で、条件の軟化を迫る形の交渉はできたかもしれない。
「まぁ……その、自分も腹は立っていましたので、ロズモンドさんの気持ちはわかりますよ。俺も知識不足で自信はありませんでしたが……使い方次第では盤面をひっくり返せるだけの手札は持っているつもりです。いいじゃないですか、相手のホームグラウンドで、相手のルールに則って、きっちり叩き潰してやりましょう。血の気の多い方ではありませんが、その気持ちは俺も同感です」