第二十三話 万死に一生(side:ロヴィス)
ロヴィスは多少は身体の震えが収まったが、まだ呼吸が上手くできないでいた。
思考が纏まらない。
ただ頭を垂れたまま硬直していた。
ルナエールの近づいてくる足音は、まるで断頭台の上げる軋みのようであった。
「な、何か、俺にご用でしょうか……?」
いきなり自身から十数回斬りかかった相手に向けるには、あまりに不相応で頓珍漢な言葉を発するのが、今のロヴィスの限界であった。
だが、本来、こんな神のような相手が、自身の動向に関心を向けるとは思えないのだ。
もしかしたらこのまま見逃されるかもしれない、そんな期待がロヴィスの中にあった。
「人里を嬉々として襲撃する悪党共に、用などありませんよ」
ルナエールの言葉には、明らかに冷たい殺意が込められていた。
明らかにルナエールはロヴィスを殺すつもりでいるようだった。
「人を害することでしか愉楽を得られないとは、哀れな方達です」
ルナエールがまた一歩、ロヴィスへと近づく。
ロヴィスは迷いない動きで、頭を地面へと着けた。
「み、見逃してください……! 我々は《血の盃》とは、元々深い関りではないのです。俺は聖女と称されるポメラと一戦交えたかっただけで、ここでは人一人、誓って害しておりません。そうだ、連中の狙いもお話しましょう!」
「やり辛い……」
ルナエールは困惑したように眉を寄せる。
「ロ、ロヴィス様、以前のことは、本当に例外なのだと、あれほど仰られていたのに……!」
ヨザクラが、ロヴィスの躊躇いない土下座を目にし、ついそう零す。
ロヴィスは歯茎を見せ、ヨザクラを睨んだ。
「どう考えても今回こそ例外だろう! 何故理解しない! 見たのか? 今の動きを! この御方は、仙人か、現人神か、その領域に達しているぞ! お前らも頭を下げろ! 頭が高いぞ! ポメラッ、お前もだ! どういう立ち位置できたのか、全く想像もつかない。何が災いするのかわからないんだから、お前もとりあえず頭を下げろ! 早くしろ! 俺達を巻き添えにするつもりか!」
ポメラは床にへたり込んで折れた大杖を抱き締めた姿勢のまま、ぽかんと口を開けていた。
確かに目前の人物が異様であることは、疑いようがなかった。
だが、それにしても、ロヴィスの変わり身があまりに早すぎるのだ。
いっそ気持ちがいいくらいであった。
瞬時に別人と入れ替わったのではなかろうかと、そう考えてしまうくらいであった。
「あれ……?」
ポメラは記憶に引っ掛かりを感じ、首を傾げた。
何か、違和感があったのだ。それによって生じた、特に打算のない、純粋な疑問であった。
「早くしろポメラ! お前とて、どうなるかわからないぞ!」
「……あの、貴方、二人、害してましたよね?」
ロヴィスは誰も害していないと、そう訴えていた。
だが、ロヴィスはポメラとの交戦前に、自身の大鎌で《血の盃》の怪人兄弟の首を落としている。
あまりにも自然に発した嘘だったため気が付くのが遅れたが、明らかに矛盾していた。
ロヴィスが拳で床を叩く。
「この場合、無辜の民のことだろうが! つまらん揚げ足を取るな!」
ロヴィスは唾を飛ばしながら叫んだ。
それから素早くルナエールへと向き直ってまた頭を下げ、媚びるような猫撫で声を出す。
「誓って俺は、この都市の民を害してはおりません! むしろ略奪者側の二人を始末しただけなのです!」
「さらっと訂正した……」
ポメラはロヴィスの図太さに、むしろ感心させられそうになる勢いだった。
ルナエールは困った表情のまま、ポメラへと目を向けた。
「その、そこの貴女」
「え……ポ、ポメラ、ですか?」
「この御方、どう思いますか?」
「……最初にここに乗り込んできたとき、明らかにここにいた負傷者を殺すつもりだったみたいでした。そうでなければ、ポメラも戦うことはありませんでしたから」
ルナエールは静かにロヴィスへ向き直った。
「ちっ、違います! 俺は確かに口ではそのようなことを言ったかもしれませんが、取るにたらない雑魚……ではなく、戦士でもない人間をわざわざ手に掛けることはありません!」
ルナエールの目は、虫を見る目になっていた。
ロヴィスの顔は真っ蒼に染まった。
このままだと、どう転んでも最終的には殺される流れにしかならない。
「ロヴィス様……」
ヨザクラがロヴィスへと呼び掛ける。
ロヴィスは縋るような目で、ヨザクラを見た。
「無理ですよ、もう。諦めましょう、ロヴィス様……これ以上、生き恥を晒さないでください。このヨザクラ、《黒の死神》の幹部として、地獄までお供いたします」
ヨザクラは逆に落ち着いた声調で、刀を抜いて静かにそう口にした。
「前も言っただろう! こういうのは事故なのだ! お前もダミアも、ああいう御方をただ人間の延長のような扱いで見ているから、そういう齟齬を引き起こすのだ! あれだけ言ったのに、何故わからない! お前はこの状況で、まだ戦えというのか!」
ヨザクラは首を振った。
「いえ、介錯いたします。私もすぐ後を追わせていただきますのでご安心ください」
余談ではあるが、ヨザクラの出身地には切腹の文化があった。
「……憐れな御方です。残念ですが、今の事態に、悪人の言い分をゆっくりと聞いてあげられる猶予はありません。ただ、言い遺す言葉があれば、それを聞いておいて差し上げましょう」
ルナエールは淡々と、ロヴィスへ死刑宣告を行った。
ロヴィスは頭を下げながら、必死に多方面へと思考を巡らせる。
なぜ、こんなことになったのか。
本来このようなことは、外出したら隕石に当たるくらいにはあり得ない、警戒していればキリのない、そういう類の珍事であるはずなのだ。
なのに以前、カナタに喧嘩を売って返り討ちに遭い、それから数ヵ月と経たぬうちに、唐突に現れた少女に手も足も出ない状態に追い込まれている。
二人共、明らかにレベル2000を超えている。
巨大隕石が二つ、立て続けに落ちてきたような感覚であった。
そこでハッと、ロヴィスは気が付いた。
そう、こんな偶然、本来起こり得るはずがないのだ。
ならばそこには、何らかの必然性が隠れている。
「もしや貴女様は、カナタ様のお知り合いで……?」
ロヴィスの言葉に、ルナエールは目を大きく開いた。
困惑したように口を曲げる。冷たい死人のような青白い頬に、熱を持った朱が差した。
「あ、貴方、どうしてカナタを知っているの?」
ロヴィスは自身の身体で隠しながら、ぐっと握り拳を作った。
九死に一生、いや万死に一生を得るような、奇跡的な活路を得た。