第七話 不穏な風
「コトネさんが、俺を調べてる……?」
まぁ、有り得ない話ではないだろう。
向こうも俺を同郷だと踏んでいるのだろう。
コトネが異世界転移者なのは、以前にロズモンドから確認済みである。
久々に、少しは日本の話をしてみたいとでも考えているのかもしれない。
「そう心配しなくてもいいとは思いますけどね」
コトネが悪意を持って俺を探っているというのは、ロズモンドの考えすぎではなかろうか。
マザーの配下である四姉妹の一角が都市へ襲撃に来た際にも、コトネは身体を張って戦っていたと、ポメラからそう聞いていた。
同じ日本出身の彼女が俺に害意を持っているとは考えづらい。
「わからん奴だな。《軍神の手》は本当に人間嫌いなのだ」
ロズモンドが強く机を叩いた。
「純粋な力量では、まあ貴様らが勝っていようが……奴には何せ、あの得体の知れない能力がある。せいぜい不意打ちされんように気を付けることだ」
ロズモンドはフィリアをじろりと睨みながら口にする。
フィリアが首を傾げて見返すと、ロズモンドはぶるりと背を震わせた。
「とっ、とにかくだ、《軍神の手》は隠れてキナ臭いこともやっているという噂なのだ。向こうが好意を持って調べている、なんてお花畑な考えは止めておけ。冷酷で奔放な奴だ。狸爺が上手く制御しているが、それもいつまで持つのか怪しいところだ。せいぜい用心しておくがいい」
「……わかりました。ご忠告ありがとうございます、一応頭に入れておきますね」
同郷だから、と警戒を緩めていたかもしれない。
他の異世界転移者を手放しに信用するのは避けたほうがいいだろう。
何せ、全員《神の祝福》持ちなのだ。
コトネの《神の祝福》である《軍神の手》は、それが武器でさえあれば、呪われていようと、レベル制限があろうと、十全に力を引き出して使うことができるらしいと聞いている。
手に入れた武器次第ではとんでもないぶっ壊れスキルになる。
コトネを警戒する必要があるのは勿論のこと、他の異世界転移者も似たような《神の祝福》持ちだとすれば、気を抜くわけにはいかない。
ただ、コトネはマザーの配下に明らかに後れを取っていた、という話だ。
最大でもレベル1000以下なのは間違いない。
多分、今のポメラより少し上程度だろう。
「貴様とそっちの化け物は問題なくとも、ポメラ、貴様はそうではなかろう。気を付けることだ。《軍神の手》が害意を向けてくるとすれば、ポメラを人質に取りに来るかもしれんぞ」
「ポッ、ポメラですか?」
ポメラがあたふたと腕を動かす。
俺は息を呑んだ。
確かに、ポメラが単身でコトネに襲われれば、まだ太刀打ちはできないかもしれない。
「貴様が頑丈だからと言って、気を緩めんことだ。《軍神の手》が貴様に目をつけているとすれば、恐らくは武器であろう」
「……でも、ここ半年ほど、冒険者業からは離れていたんですよね? あまり好戦的な人ではない印象だったのですが」
「要するに臆病なのだろう。だが、臆病といってもそう可愛げのある女ではないぞ。慎重で保身的なのだ。あの手の奴は厄介だ。臆病で冷酷な者は、自身の身を守るためならばどんな手段でも取ってくる。マナラーク最強の冒険者という位置付けにも、それなりに美味しい思いをしてきていたはずだ。奴が警戒しているのは、カナタ、貴様よりもポメラかもしれんな」
「聖拳……」
ポメラが複雑そうな表情で呟いた。
「フンッ」
ロズモンドは、つい噴き出したというふうに笑った。
ポメラからジト目を向けられ、何食わぬ顔で表情を戻す。
ロズモンドは聖拳ポメラ誕生の瞬間に居合わせていたらしい。
一度フィリアに吹っ飛ばされたロズモンドは、真相に気が付いている様子であった。
今この都市最強の冒険者は、《軍神の手》のコトネから聖拳ポメラに変わっている。
しかし、コトネはそのことを妬むような人間なのだろうか?
確かに、冒険者会議で見たときは、理知的であったが、無表情で冷たい印象があった。
そこまで危険な人だとは思っていなかったが、長くこのマナラークにいるロズモンドが言うのだ。
気を付けておいて損はない。
「霊薬の完成も近いし、ポメラさんのレベリングを急がないと……」
俺が呟くと、ポメラがぴくっと肩を動かした。
何とも言えない表情を浮かべながら、大杖に抱き着いていた。
「ロズモンドさん、ポメラさんが気になって忠告しに来てくれたんですね。ありがとうございます」
俺が言うと、ポメラはきょとんとした表情で自分を指差した。
「ポ、ポメラですか?」
ロズモンドは腕を組み、舌打ちを鳴らして顔を逸らす。
「チッ、以前同行した縁だ。それに貴様らのためではない。我が苛ついて、依頼に集中できんからだ」
な、なんだこの人、善意の塊か。
「コトネの件だけではない。貴様らがギルドに顔を出さずに遊んでいる間に、キナ臭い噂がいくつも出ている。冒険者ならば、もっと情報に貪欲になれ間抜けが」
「す、すいません……」
そういえばロズモンドは、コトネとは別にマナラークに不穏な風が再び吹き始めていると、そう口にしていた。
「それは、一体?」
「そこまで面倒を見切れるか。そんな義理もない、勝手に調べるがいい」
ロズモンドは呆れたふうに言う。
「で、ですよね……。なんにせよ、ありがとうございました。確かに冒険者としての心得だとか、警戒心だとか、最近薄れ気味だったかもしれません」
言葉はぶっきらぼうだが、俺達をあまり甘やかすのもどうかと思ったのかもしれない。
冒険者ならば、自分で必要な情報は勝ち取れ、ということだろう。
単に面倒臭くなったのかもしれないが。
「……昨日、妙な連中が都市に来たそうだ。武器を持っているが、冒険者の登録さえない。内一人は、旅人狩りとして手配書が出回っている男と似ていたと言う」
お、教えてくれるのか……。
今の前置きはなんだったんだ。
本当に俺達が情報を拾えるのか、不安になったのかもしれない。
「冒険者でさえないゴロツキが、わざわざ目立つように群れて、武器を携えて都市を歩き回るなど、異常なのだ。よほど頭が悪いのでなければ、この都市で騒ぎを起こすつもりで、そのタイミングを見計らっているとしか思えん」
……確かに、それはキナ臭い。
その噂が真実であれば、コトネよりもよっぽど警戒するべきだろう。
「その手配書の男は、レベル何百くらいなんですか?」
「……知らんが、三、四十くらいではないか? あのな、レベル50を超えている犯罪者に似た男が出歩いていれば、もっと大騒ぎになるぞ」
「なるほど……」
ま、まあ、そんなものか……。
S級冒険者のいる都市にわざわざ入り込んでくるのだから、もっと大物なのかと思ったのだが。
「薄っすら気づいておったが、貴様らは変な感覚のズレを持っておるな」
ロズモンドが息を吐いた。
「……やっぱり、そうですか?」
多分ずっと《地獄の穴》でレベル上げをしていたせいだろう。
最近は矯正できてきていると思っていたが、まだ擦り合わせ切れてはいないようだ。
「ポ、ポメラも、纏められた……」
ポメラがやや心外といった表情を浮かべていた。
「不吉な噂はそれだけではない。また別件なのだが、どうやらこのマナラークの教会堂で、大きな事故が起こったそうだ」
「大きな事故……?」
「この街にはドアールという司祭がおるのだ。凄腕の白魔法使いで見聞が広く、出世と金に関心の薄い、そんな男だ。フン、陳腐な言葉だが、聖人という奴であるな。まあ、我は宗教ごとには疎いのだが、そんな我でもドアールはそれなりには尊敬してやっておるつもりだ」
「そのドアールさんの身に何かあったんですか?」
ロズモンドが頷く。
「実はマナラーク内で恐ろしい呪いを帯びたアイテムが見つかり、ドアールが極秘で解呪に当たっていたらしい。だが、解呪に失敗し、教会堂の一部が吹き飛んだそうだ。その際に何か恐ろしいことが起こったらしく、ドアールは教会堂奥に引きこもって震えているそうだ」
「な、何が起こったんですか……?」
「わからん。本当だとすれば、都市に何らかの災厄が撒かれたのかもしれん。混乱を起こさないために情報を規制しているのか、それ以上の話はさっぱりだ。しかし、ドアールのいる教会堂の一部が突然吹き飛び、それについて教会が口を噤んでいる、これは間違いようのない事実なのだ」
確かに、こうも様々な暗い噂が流れているのは異様だ。
何かの機会を待つように武器を携えて徘徊する犯罪者に、防ぐことのできなかった呪いの暴発。
このマナラークに何か、悪い風が吹き荒れようとしているのかもしれない。