第四十六話 不死者の延期計画(side:ルナエール)
廃教会堂の中に入ったルナエールは、暗色の《穢れ封じのローブ》のフードを手で掴んで外し、顔を晒した。
白い絹のような髪を指で掻き上げ、ふうと小さく溜め息を吐く。
「ノーブル、戻りました」
廃教会堂奥から、眩いばかりに宝石を鏤められた、ノーブルミミックが姿を現す。
「…………」
ノーブルミミックは胡乱気にルナエールを見上げる。
ルナエールはノーブルミミックに顔を向け、静かに目を閉じて小さく頷いた。
「その……今回は、仕方ありませんでした」
「マダ何モ言ッテイナイガ!?」
ノーブルミミックが宝箱の姿を開閉させて怒りを露にする。
「だ、だって、どうせ駄目だったんだろうと言わんばかりにノーブルが睨んでくるから……。わ、私だって、今回はしっかりとカナタに声を掛けるつもりだったのです。……本当に、もう、すぐそこまで行っていたのです」
「ヤリ切ッタ感出シテ、白々シク溜メ息マデ吐キヤガッテ! ワカッタ、主、コノママ延バシ続ケテ、会ワナイツモリダナ!?」
「……そういえば、マナラークで流行りのお菓子をお土産に買ってきてあげました。食べていいですよ」
ルナエールは近くの机へと、可愛らしい小袋を置いた。
小袋には《マナラークの地中豆パイ》と書かれている。
地中豆を潰して、その油分を抽出してバターにして生地に練り込んだ、マナラークの特産パイである。
握りこぶし程度の大きさをしており食べやすいことと、地中豆の独特の甘みを活かした味わいが売りである。
可愛らしい見かけと甘みでマナラークの若い女性を中心に支持を得ている。
また、地中豆のバターの栄養価が高いため、手軽な食事としても採用でき、疲労回復にもいいとされている。
パイの可愛らしい外見に照れを覚えながらも、こっそりと愛食している冒険者も多い。
「オレノ機嫌ヲ取ロウトスルッテコトハ、失敗シタッテワカッテルジャナイカ! ナァ、主、オレニ怒ラレナイタメニ、カナタニ会イニ行クノカ?」
「ち、違います! 今回ばかりは、本当に間が悪かったのです!」
「……一応聞クガ」
ノーブルミミックが、口の部分から大きく息を吐き出した。
「ええ、聞けばノーブルも、仕方なかったと思ってくれるはずです」
「マア、間ガ悪イコトモ、確カニアルカ」
ノーブルミミックは蓋でこくこくと頷いて見せた。
どうにもルナエールの言動が言い訳臭くて攻撃的に出てしまったが、ルナエールとて馬鹿ではない。
永い年月を生きる最高位のリッチである。
世界の書物を全て合わせてもルナエールの知識には及ばないほどである。
慣れない色恋沙汰に翻弄されてしばし奇行に走っていたこともあったが、いい加減彼女も学んできたはずである。
ノーブルミミックも、これまでで彼女に自分から言えることは全て言ったつもりであった。
もしもこれで駄目だったのならば、本格的に着ける薬がない。
「カナタが、なんだか忙しそうだったのです。今声を掛けるのはとても迷惑かもしれないと思い、今回は諦めることにしました」
「ワカッタ、実ハ主、会イタクナインダナ。ソロソロ《地獄の穴》ニ帰ルカ」
「そんなわけありません。怒りますよ、ノーブル」
ルナエールがムッとした顔でノーブルミミックを睨みつける。
「怒リタイノハ、オレノ方ナンダガ……。端カラ動ク気モナイノニ、勝手ニ宣言シテ勝手ニ落チ込マレテモ、一度目ハ励マソウトハ思エルガ、二度、三度続クト……」
「そ、そういうふうに言うのはやめてください。だ、だって、仕方ないではありませんか」
「ダッテ禁止ナ」
「理由を話そうとしているだけです、茶化さないでください。ただでさえ気軽に声を掛けられない状況なのに、そういう障害があると、ハードルが一気に上がるものなのですよ。ノーブルは、自分が当事者でないから好きに言えるだけです。知ったように、上から目線で語らないでください」
「ワカッタ、ジャア当事者ニナルカ。オレガ、アイツニ話シテヤル」
ノーブルミミックが頭部を傾かせて頷いた。
「え……」
ノーブルミミックは困惑するルナエールの横を通り過ぎて、廃教会堂の外へと向かう。
「シッカリ伝エテヤル。主ガ、オ前恋シサニ建前破ッテ出テキタクセニ、直前デ駄々捏ネ始メテ迷惑シテル。面倒見テヤッテクレッテナ」
「《超重力爆弾》!」
ルナエールが素早く扉の方へと指を向ける。
扉を黒い光が包んだかと思えば、光とともに扉が、その場の空間が中心へと圧縮されていく。
彼女の細い指先ほどの一点に縮込められた空間は、直後轟音と共に爆発を引き起こす。
壁が崩れ、柱が倒れる。
それだけに留まらず、教会堂全体に罅が入って悲鳴を上げていた。
古い教会堂が、《超重力爆弾》の余波に耐えられなかったのだ。
「アッ、主ィィイイイイイ!」
ノーブルミミックが叫び声を上げる。
「時空魔法第二十二階位《物の記憶》」
周囲に青い光が走り、瓦礫が空中で止まる。
そのまま瓦礫は持ち上がり、割れた壁や床は再びくっ付いて修繕されていく。
色褪せていた壁のシミが消え、塗料がどこからともなく滲み出てくる。
ルナエールの使った魔法、《物の記憶》は物に宿っている記憶を頼りに、因果を逆行させる魔法であった。
崩壊しかかっていた教会堂はあっという間に元通りになり、ばかりか建ったばかりのように輝きを取り戻していた。
「……少し、戻しすぎましたか」
ルナエールは息を荒げながら額を拭った。
「……カ、カナタに、余計なことを吹き込もうとしないでください。もしも本当にそんなことをしたら、私は絶対にノーブルを永遠に許しませんからね」
「カ、軽イ冗談ダロウヨ、オレガ街ヲ歩イタラ騒ギニナッチマウ」
「私の前で、カナタの冗談を口にしたノーブルも悪いですよ。カナタの前で、私に恥を掻かせないでください。カナタは私を凄い魔術師だと憧れてくれているのに、失望させてしまいます。……そうなったら、今度こそもう、私は彼と合わせる顔がありません」
ルナエールは暗い顔で俯き、瞳に涙を薄く滲ませた。
「イヤ、ソレニツイテハ、ボロ出マクッテルト思ウガ……。ソウヤッテ、格好付ケタイ、ヨク見ラレタイト見栄ヲ張ッテルカラ、会エナクナルンダロ……」
ノーブルミミックはいそいそと教会堂奥へ移動する。
これ以上この方面でからかえば、次は《超重力爆弾》の直撃を受けかねない。
一般にはかなりの高レベルの魔物であるノーブルミミックも、ルナエールの魔法をまともにくらえばただでは済まない。
最悪一撃で命を持っていかれる。
「……ジャア、今カラモウ一回行ッテコイ」
「え? し、しかし……」
「カナタハ、二十四時間忙シイノカ?」
「どうやら都市を少し離れるようでした。事態が落ち着くまで、様子を見た方が……」
「ソウヤッテ、言イ訳探シテ、後回シニシテルカラ会エナクナルンダロウガッ!」
「そ、そこまで言わなくてもいいではありませんか! だっ……え、えっと」
ルナエールはだってと言いそうになり、そっと言葉を濁した。
「その、流石に今は、後にした方がいいに決まっています!」
「全部ガ全部、万全ナ状態ダナンテ来ルワケナイダロ! 次ノ理由ハ、天気、体調当タリカ? コジツケレバ何デモ出テクルゾ!」
「そ、そうかもしれませんが……」
「ポメラ、ダッタカ? コンナンジャ、アノ女ニ持ッテイカレテモ知ラナイゾ」
「そ、その子の話は、必要以上に気にしても仕方ないと、ノーブルも言っていたではありませんか」
「主ノ話ジャ、ホトンド一緒ニイルンダロ? ズット好意向ケラレテリャ、一切意識シナイ奴ノガ珍シイダロ。今ハ知ラナイガ、コンナ茶番繰リ返シテル間ニ、手遅レニナッテモ、オカシクナイト思ウガ」
「…………」
「マァ、ドウセ主ハソウナッテモ声掛ケナイダロウシ、イインジャナイノカ?」
ノーブルミミックは、わざとらしくルナエールに背を見せて深い息を吐いた。
この方面から攻めるのが、ルナエールを焦らせるには丁度いいと考えたのだ。
だが、少し間が開いても一向に返事がない。
ノーブルミミックはちらりとルナエールを振り返った。
「…………あのハーフエルフ、私にはカナタしかいないのに、どうしてこんな酷いことを」
ルナエールは自身の指の、関節当たりを噛んでいた。
彼女の白い皮膚が破れ、鮮血が流れていた。
「イヤ、ソコマデ思イ詰メロトハ言ッテナイガ……」
ルナエールは覚束ない足取りで、ふらふらと教会堂の外へと出て行った。
「もう一度、カナタに会ってきます」
「主、事件ハ起コスナヨ」
ルナエールは振り返らず、頷くこともなく、そのまま教会堂を出て行った。
「……悪イ、顔モ知ラナイ、ハーフエルフヨ」
一体残されたノーブルミミックは、小さくポメラへと謝罪を口にした。
しばらくノーブルミミックはルナエールが去っていった扉を見つめていたが、ふと机の上にある小袋が目についた。
舌を伸ばして絡め取り、《マナラークの地中豆パイ》を袋ごと口の中に放り込んだ。
「美味イナ、コレ。マタ買ッテキテモラウカ」
ノーブルミミックは呟いた。