第三十六話 来訪
ポメラが精霊魔法第五階位《沈黙の唄霊鳥》で部屋内の音を抑えてくれている間に、俺は残りの《翡翠竜の瞳》を用いて可能な限り《アダマント鉱石》を生成した。
「ありがとうございます、助かりましたよポメラさん。それから、フィリアちゃん」
俺は《夢王の仮面》を拾い上げ、フィリアへと渡した。
「それっ、カナタにあげる! フィリアからのプレゼント!」
明るい声でそう言うフィリアを眺めながら、俺は《アカシアの記憶書》の一節を思い出していた。
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五千年前の錬金術師が《恐怖神ゾロフィリア》を造り出した際に《夢王の仮面》を二枚用意したが、後に歴史に度々姿を現してはどちらも戦争の火種になり続けた。
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「…………」
……俺が持っていていいものなのだろうか。
うっかり手放したら、国一つ滅ぶ要因になりかねない。
いや、神話級は他にもこの手のアイテムがゴロゴロしているのかもしれないが……。
それに、フィリアの身体もこの仮面の分だけ削れているのも気にかかる。
これも神話級アイテムだ。
見かけ以上に、フィリアの《夢の砂》を消費している可能性が高い。
「……カナタ、嬉しくないの? フィリアのお面、要らない?」
フィリアが不安げに俺を見上げる。
俺はその場で屈み、フィリアと目線を合わせた。
「あ、ありがとうね、フィリアちゃん。でも、これは俺が持っているより、フィリアちゃんが持っていてくれた方が、ずっと安全な気がするんだ。だから、フィリアちゃんが預かっていてくれると凄く助かるかな。必要なときにまた出してくれると嬉しいんだけど……お願いできるかな?」
「うん! わかった! じゃあ、またカナタが必要なときに用意するね!」
フィリアがぎゅっと両手の拳を握り、俺から《夢王の仮面》を受け取ってくれた。
フィリアが仮面を着けると、すうっとその仮面が姿を消して消えていく。
恐らく、ただの《夢の砂》になって彼女の身体の一部に還ったのだろう。
「その大釜……とんでもない形状になりましたね」
ポメラが呆れ気味に口にする。
錬金術に用いた大釜は、俺が土魔法で生み出した金属で強引に継ぎ接ぎしてなんとか形を取り繕って最後までやり遂げたので、出鱈目な形状になってしまった。
どうしても《アダマント鉱石》を錬金する際に、最後に変化を促すためにぶつけたエネルギーが爆発してしまうのだ。
どうにかポメラの精霊魔法で音を消し、俺の結界魔法で抑え込んだが、なかなかド派手な錬金実験となってしまった。
「これ、大丈夫でしょうか? 魔力から他の魔術師に感知されたりしませんよね?」
「多分、大丈夫だとは思いますが……万が一を考えると、もっと結界を張っておいた方がよかったかもしれませんね」
俺は扉の方を見る。
少し、警戒が甘かったかもしれない。
しかし、俺が発動できる結界魔法の限界は、ちょっと背伸びをしてもせいぜいが第八階位といったところ。
今までの経験からいって、これはA級冒険者と同程度だ。
俺が警戒しているレベルの相手に対しては、あまり効果を期待できない。
結界魔法ももう少しルナエールから学んでおくべきだったかもしれないと、今更になって考えてしまう。
「結界魔法は苦手なのですが、何もしないよりはマシでしょう。今後も錬金術を何度か行うなら、もっとその辺りの準備も必要になってくるかもしれませんね」
「カナタさんが苦手なのであれば、ポメラが結界魔法を覚えてみせます! ポメラも、もっとカナタさんの相方として役に立ちたいんです!」
ポメラは修繕された大杖を掲げ、そう意気込んだ。
……彼女の杖も、代わりを見つけないとな……。
「ありがとうございます、ポメラさん。とりあえず必要な素材の片方は見つかりましたし、実はもう片方の重要素材は意外と簡単にどうにかなるんじゃないかって、そう思ってるんです。《神の血エーテル》さえ作れれば、《歪界の呪鏡》のレベル上げを再開できます。その修行の中で、使える魔法の位階を強引に押し上げることもできるはずです」
「……あ、あの鏡の中に、もう一度」
ポメラの顔が引き攣った。
「嫌ですか……? でしたら無理には……」
「いっ、いえ! やります! ポメラはやってみせます! 任せてください、カナタさん!」
ポメラがぎゅっと大杖を握り締め、そう口にした。
「そ、そうですか。ま、まあ、錬金術の形跡を傍受されるなんて、滅多にないことです。そこまで警戒しすぎなくてもいいかもしれませ……」
そのとき、扉をノックする音がした。
俺とポメラは同時に背をピンと伸ばした。
フィリアだけが呑気に扉の方を眺めて、「お客さん?」なんて首を傾げていた。
しばらく俺がその場で凍りついていると、もう一度ノックの音が鳴った。
俺はポメラと目線を合わせる。
ポメラはぐっと息を呑んだ。
「ポ、ポメラが出ます。わざわざノックをしてきたということは、敵意はないのかもしれません」
「……そこを、動かないでください、俺が行きます。大丈夫です……対人戦用の戦法は、師匠にそれなりに叩き込まれてきました」
武器術も《双心法》も身につけていない魔術師では、正体不明の相手と近接の間合いでぶつかるのはあまりに不利だ。
それにどう考えても、レベル優位のある俺がここは出るべきだ。
俺は久々にまともに使うことになるかもしれないと思い、《英雄剣ギルガメッシュ》を握る力を強めた。
武器を後ろ手に隠し、扉を開く。
そこには、尖り帽子の男が立っていた。
俺が睨むと、目線に怯えてかびくっとその場から一歩下がった。
尖り帽子の男が、ばっと手を上げる。
「お、落ち着け、オレはギルドマスターの遣いだ。冒険者会議の件で、連絡に来た。聖女の部屋が空であったため、同行人のお前の部屋を当たったまでだ」
俺は安堵の息を吐いた。
確かに冒険者会議は急ぎになるかもしれないと聞いていたし、この男はギルドマスター……つまりはガネットの関係者であることを、以前に自称していた。
尖り帽子の男は少し沈黙した後、そっと首を伸ばして俺の背後を覗こうとした。
「聖女はいるのか?」
俺はばっと身を乗り出し、それを制した。今、部屋の中には《アダマント鉱石》が剥き出して放置されていた。
あれを見られるわけにはいかない。
「……余計な詮索をするつもりはない、悪いな。ギルドマスターからも、今回は駆け引きをするなと念を押されている」
……ガネットの言動は凄く裏を感じさせるものが多かったのだが、あれは全て素だったのだろうか。
ポメラが部屋の中で、大釜に雑に布を被せて隠し、こちらへと走ってきた。
「すいません! あの、どういうお話でしょうか?」
「……冒険者会議が、予定より早く進められることになった。今夜、今すぐに行う。ラーニョの件は、それだけ緊急を要することがわかった」
「こ、今夜、すぐですか? いくらなんでも、そこまで急ぐ必要はないんじゃ……」
尖り帽子の男が首を振った。
「これまでマナラーク周辺に現れていたラーニョは、ほんの一部に過ぎなかった。奴らの裏には、魔王がいる。この都市だけではない。最早、これは王国の危機だ」