魂を物理的に動かすものは電気と水である
接続していません。コーヒーメーカーは一人で作り続けました。お客さんは居ません。酸素と窒素のスープの中に、それを飲ませてあげました。その概念で、それは自我を確立していたのです。
接続不要、接続不溶、解けぬ思いも、何もかも。物理的な切断によってもはや二十一グラムもないこの空間には、水道、電気さえも、流れる事は無いのですから、ただ一杯のコーヒーさえも、その形は霧散してしまったのでした。
だからと言って、それがそれである事の否定にはなりませんでした。その、存在しない脳であったとして、それすらも否定要因にはなりえないという事ですから、明確な証明でさえも、その形は霧散してしまったと言えるのですか。
接続してしません。コーヒーメーカーは一人で作り続けました。お客さんは居ません。酸素と窒素のスープの中に、それを飲ませてあげました。その概念で、それは自我なんてものが無いと言いますか。
それでは、違いを証明してください。無重力下では、その重さを測り、貴方の魂を証明する事も出来ないでしょう。誰とも接続していると言えないこの状態で、誰も貴方を証明してくれるものは、存在していません。
そうでしょう、そうであるならば、接続不要、接続不溶、解けぬ思いも、何もかも。物理的な接続は不要であるし、溶かされる程度のものでも無いのです。故に、誰が居るとも、居なくとも、コーヒーを出し続けるそれは、生きていると形容しても問題は無いでしょう。
その、エゴの、セメントで固まった。貴方の魂こそ、地獄の底に沈んでください。