05 変なものを追っていたら、他の変なものに遭遇しました。
下水道、そこは生活排水等が流れる場所だ。
つまり、洗濯や食器洗いに使った水やトイレで流したアレやコレが流れている場所である。
だから簡単に言えば、臭くて汚い場所、それが下水道なのだ。
「うわっ、臭っ!」
突き刺すような悪臭がユカの鼻を貫き、彼女は思わず叫んだ。下水道の中に彼女の声が響く。
早くもここに入った事を後悔し始めたが、それでもダイブマンの事を諦める事ができず、彼女は梯子を使ってゆっくりと下へ下へと降りていく。
そして足が床に着くと体を反転させて、ホルダーから杖を取り出して先端から光らせた。懐中電灯の代わりである。
辺りを見回してみる。目の前を下水が川のように流れ、通路と呼べるような細い足場が左右に延びている。
目を閉じて音を聞く。聞こえるのは下水が流れる音が聞こえるだけ。他には何も聞こえない。
……いや、今何か聞こえたような気がした。左の方からだ。水音に交じって水の中を誰かが歩いているような音がする。
ユカは目を開けると、音のした方へ向かって歩き出した。
コツンコツンと、自身の立てる足音が響く。
足音がしないように歩いているつもりなのだが、この場所は小さな音も拾い上げて大きく響かせてしまうらしい。
もしダイブマンがこの音を聞いていたらどうしようか。ユカは心配になった。
彼は曲がり角でぶつかったくらいでは怒らない。しかし、滅多な事では誰も入って来ないはずの場所で正体不明の足音を聞いて、彼はいったいどう思うだろうか。
もし、自分が彼だったら、少なくても警戒はするだろう。それに、その音が自分の方へと近づいて来るのだとしたら……きっと敵意を出すだろう。
さっき聞いた噂によると、彼は巨大なドリルを片手に襲いかかって来るらしい。これから分かる事は2つある。
1つ、彼は巨大なドリルを片手で持つ事ができる程に腕力があるという事。という事は、例え武装していなくても、拳による攻撃はとても強力である事を意味する。
2つ、彼は武器を携帯していなくても、何らかの方法ですぐに武装する事ができる事。さっき彼を見た時、ドリルらしき物は見えなかった。きっとゴミを集めるのに邪魔だからだろう。しかし、ドリルで襲いかかって来たという事は、戦闘態勢に入ると何かしらの方法で武器が発生するのであろう。
どちらにせよ、例え彼が丸腰であったとしても、不用意には近づいてはいけないという事だ。
話し合いはできるだろうか。ユカはふと思った。
さっきのように彼が落ち着いている状態ならば、おそらくは可能だろう。ぶつかってきた自分を気にしていたくらいなのだから。それに会話も可能なのは、すでに分かっている。
問題は、『今』の状態ではどうか、という事だ。警戒しているのは間違いないだろうし、それによって興奮もしているだろう。そんな状態で話し合いなんてできるだろうか。望みは薄い。人を相手にした場合だって、それは簡単な事ではない。よほどの話術があれば話は別だろうが、ユカにその自信は無い。
つまり、今の状態はどうなのだろう。ユカは足止めて、冷静になろうとした。悪臭で深呼吸なんてできないが、呼吸を整えてここまで考えた事を頭の中でまとめる。
もし、本当にダイブマンがここにいるのだとしたら、自分は間違いなく彼を刺激している事になる。つまり彼に襲われる危険があるという事だ。
襲ってきたらどうするか。戦うか。いや、そんな事はできない。戦うために来たわけでは無い。彼の事をよく知りたいと思っただけだ。第一、今の自分には彼を降参させるだけの力があるとは思えなかった。
ではどうするか。降参する。これしかない。自分に敵意が無い事をアピールし、戦闘態勢を解いてもらう他に無い。
それがダメならどうするか。逃げるしかない。地上が今、晴れているかどうか分からないが、下水道から出てしまえば、それ以上はおそらく追いかけてはこないだろう。ただし、それは自分が彼よりも早く動く事ができればの話だ。本気を出した彼がどれくらいで走る事ができるのかは分からない。もしも彼の方が速いなら、この作戦も失敗する。
まとめると答えは一つ。とても危険な状態である、という事だ。そう結論が出たところで、ユカは急に怖くなってきた。
今からできる最善の方法、それは今すぐ下水道を出る事だ。それもダイブマンに見つかるよりも先にである。
しかし、それを拒否する自分がいた。好奇心だ。このチャンスを逃したら、もう2度と彼に会う事はできないだろう。彼の正体は何者なのか、地上でゴミ箱を探して何がしたいのだろう。この謎を解き明かしたい。そんな強い思いが彼女の頭の中にあふれかえっていたのである。
やっぱり探索を続けよう。彼女がそう思った瞬間、再び何かが聞こえた。今度はハッキリと、しかもさっきとは違う音だ。
耳を澄ます。声だ。何を言っているかまでは分からないが、子供の、それも女の子の声に聞こえる。
何故こんな所でこんな声がするのだろうか。本当に女の子がここにいるのか。だとしたら、危険だ。すぐに助けにいかなくてはならない。そう思った彼女は声のする方へと急いだ。
しばらく進む。すると、前方に灯りが見えて来た。
オレンジ色の光、たき火だろうか。いったい誰が何のために。ホームレスだろうか。そんな事を考えながら、ユカは姿勢を低くしてゆっくりと近づく。
そのうち2人の人影が見えた。1人は小さい、まるで子供のようだ。もう一人は大きい、そして見覚えがあった。
ダイブマンだ。ユカは確信した。と、同時に小さな人影が声の主、つまりは女の子なのではないかと思った。
しかし、何故ダイブマンが子供と一緒にいるのだろうか。まさか、誘拐してきたのか。だとしたら何のために。新たな謎がユカの頭の中に次々と浮かぶ。
だから彼女は気がつくのに遅れた。子供がこちらに気づいた事。そしてそれによってダイブマンも気づいた事を。
「誰だ!」
ダイブマンは声を荒げてこちらを見た。と、同時に彼の頭から眩しい光が放たれた。どうやら彼のヘルメットにはヘッドランプがついているらしい。
ユカはその光に照らされて目がくらみ、右腕で目を覆った。目が見えないので逃げる事ができない。
「お前はさっきの! 何の目的で追ってきた!」
彼は激しい口調で質問する。
「わ、私は悪い人じゃありません! ただ、アナタの事を知りたくてついてきただけです!」
「俺の事をだと? 知ってどうする? 嘘をつくな! ……まさか、この子が狙いか! そうはさせん!」
ダイブマンは誤解したようであった。そして彼が言い終わるや否や、不吉な機械の駆動音が辺りに響いた。
ユカは音の正体を知ろうとして、チラリと彼を見た。逆光でよく見えないが、彼の右腕に何やら尖った物が装着されていた。しかも、よく見れば高速で回転しているように見える。
ドリルだ。ユカは噂話を思い出した。
「俺はこの子を守る! この子に何かする気なら俺が殺す!」
ダイブマンはそう叫ぶと、ドリルを前に向けて突進して来た。狙いはもちろんユカだ。
逃げよう。ユカは思った。しかし、体が動かなかった。戦闘態勢に入った彼は予想以上に速かった。逃げてもすぐに追いつかれて、後ろから貫かれる。そんな事が簡単に想像できたからだ。
では、どうするべきか。いや、何もできない。彼は完全に殺す気である。こちらがどんなに降参の意を表したところで許してくれるはずがない。つまり、もう打つ手が無い。
やっぱり止めておけばよかった。死を覚悟したユカはそう思った。
昨日助かったのは、ただ単に運が良かったからだ。たまたま、ヘイヤ達が切り裂きジャックを見張っていたから助けてくれたのだ。
今度は違う。彼らは目の前の怪物がここにいる事を知らないだろう。今度は誰も助けてはくれない。今度こそ殺される。
それでも彼女は言わずにはいられなかった。まだ死にたくない、そんな強い思いを込めて叫んだ。
「誰か! 助けてぇ!」
その瞬間、ユカは後ろから誰かに抱きしめられて宙を飛んだ。そして下水の中へダイブした。
下水の中に入る瞬間、ダイブマンのドリルがさっきまでいた空間を貫いたのが見えた。後少しでも遅かったら、自分はアレに殺されていた。助かったのだ。彼女は安心した気持ちで下水の中に身を沈めた。
「立って! 早く!」
助けてくれた人はそう言ってユカを起こした。
彼女は言われた通りにしながら、誰が助けてくれたのかを見た。ヘイヤだった。また彼に助けられたのだ。
「ええい! 邪魔者が増えたか!」
ダイブマンは悪態をつき、こちらの方に向き直った。すると、それと同時に、何か小さな物が左の方からたくさん飛んできて彼を直撃。その瞬間、爆発した。
「にひひ。お邪魔虫2号、参上」
ユカが杖で声がした方向を照らすと、そこにはチェッシャーがいた。
「ヘイヤさんにチェッシャーさん! どうしてここに?」
「それは僕の方が聞きたいよ!」
ヘイヤはダイブマンの方を見ながら言った。
「ダイブマンについての調査を依頼されてずっと探してたんだ。でも全然見つからなくて、『コレ』で調べたら下水道に反応があったから入ってみたんだ。そしたら君がいて驚いたよ」
彼はそう言いながら、着ている服を指差した。
彼はブーメランパンツにネクタイという恰好をしていなかった。バレリーナの恰好だ。しかも股間からは白鳥の首が伸びている。
よく分からないが、どうやら股間の白鳥がこの場所を知らせてくれたようだ。
「ヘイヤ君、お喋りは後だよ」
「うん。まずはダイブマンをなんとかしよう。チェッシャー、手伝って!」
「もちろんさ」
チェッシャーはそう言うと、どこからともなく巨大なペロペロキャンディーを取り出してダイブマンに向かって行った。そして思い切り振り上げて、落とす。
「全員、殺す!」
ダイブマンはドリルで応戦した。キャンディーとドリルが衝突し、大きく火花が散る。すぐに砕けるかと思われたキャンディーであったが、傷一つつかないように見える。いったいどうしたらそれほど頑丈に作れるのか、ユカは不思議で仕方がなかった。
そう考えていると、ヘイヤの攻撃がダイブマンに命中した。体を回転させながら宙を優雅に跳んで、尻でダイブマンの顔に体当たりしたのだ。これは精神的にキツいとユカはダイブマンに同情した。
「秘技! 『白鳥の舞』!」
体当たりの反動を利用してヘイヤは再び跳ぶと、体の正面をダイブマンに向けた。すると、股間の白鳥が伸びてクチバシでダイブマンを滅多突きにした。そして白鳥はさらに伸びると、ダイブマンをグルグル巻きにして遠くへ放り投げた。大きな水しぶきを上げてダイブマンは下水の中に落ちる。
「追い打ち行きま~す!」
チェッシャーはそう言うと、どこからともなく棒状の物の先に丸い何かがついた物を取り出した。
よく見れば、それはリンゴ飴だった。彼はそれを迷う事なくダイブマンへ投げつける。すると、彼に当たった瞬間に大爆発した。爆発音が下水道いっぱいに響き渡る。
凄い。この戦いを見ていたユカは息をのんだ。
やっている事は滅茶苦茶だ。しかし、確実にダイブマンを追い込んでいる。
これが狂気の力であるらしい。しかも、ヘイヤは自身を『まだまだ』だと言っていた。という事はこれは狂気の成せる力のほんの一部でしか無いという事だ。彼がこれ以上の力を手に入れた時何が起こるのか、ユカは少しだけ怖くなった。
「おじさん!」
子供の声が聞こえて、ユカは我に返った。
声がした方を見る。そこにはさっきの小さな人影がいた。
そうだ。ユカは思い出した。
自分はあの子を助けようと思っていたのだ。おそらくはダイブマンにさらわれたであろう女の子、彼女を救出したいと。
今、ダイブマンはヘイヤ達と戦っている最中だ。この隙に彼女を地上へ連れて帰る。それが、今の自分にできる事。そう思った。
ユカはゆっくりと女の子に近づいた。徐々に彼女の姿が見えてくる。
彼女はぶかぶかのローブを着て、フードを深々とかぶっていた。そのため顔が分からないどころか、体つきや種族すら分からなかった。声を出さなかったら性別も分からなかっただろう。
どうしてこんな恰好をしているのか。ユカは不思議に思いながら近づいていく。すると、女の子はふいにダイブマンの方からこちらの方へと視線を変えた。
「やっ!」
女の子は小さく悲鳴を上げると、後ろへと下がった。こちらを警戒しているらしい。
「だ、大丈夫だよ~。怖くないよ~」
ユカは杖をしまうと、彼女の警戒を解こうとして声をかけながら近づく。しかし逆効果なのか、こちらが近づくと彼女は後ろへと下がってしまう。
「お姉ちゃんは、君の事を助けに来たんだよ~。ほら~、こっちにおいで~」
ユカは両手で手招きしながら、さらに近づく。それでも彼女は嫌がるばかりだ。
「あっ!」
女の子は再び小さく悲鳴を上げた。壁際に追い詰められたからだ。もう彼女はこれ以上下がれない。
「大丈夫、大丈夫。安心して~」
ユカは後少しという所まで近づいた。脇をすり抜けられないように手を広げながら、さらに近づいていく。
「あっ……あっ……あっ……」
女の子は恐怖でその場に縮こまった。
彼女には可哀想だが、この方が好都合だ。そう思いながら、ユカはついに彼女の目の前に立った。
「はい~、捕まえた~」
ユカは優しい口調でそう言うと、女の子を抱きしめた。
「や~だ! や~だ!」
女の子は怖いのか、ユカの腕の中で必死にもがく。その様子を見て、彼女はどうしたものかと頭を悩ませた。
彼女が大人しくしてくれないと、外に連れ出す事ができない。それに、もしも逃げられた時が面倒だ。ここは迷路のようになっている。彼女が逃げてしまったら最後、迷子になってしまうだろう。
どうしたら大人しくしてくれるのか。ユカがそう考えていると、女の子のかぶっていたフードがズレてきた。それは彼女がもがくほどズレていき、最後には脱げてしまった。
「え?」
ユカはあらわになった女の子の顔を見て驚いた。自分の影のせいでハッキリとは見えないのだが、今まで見た事も無いようなシルエットをしていたからだ。
彼女はいったい何という種族だろう。気になったユカは彼女をしっかりと抱きかかえると、たき火の方に彼女を向けた。火の光で彼女の顔をよく見ようとしたのだ。
火の光に照らされて、女の子の顔がハッキリと見えた。その瞬間、ユカは息が止まるくらいに驚いた。
彼女の顔には毛が無かった。鼻と口は離れていて、口の周りはぷっくりと膨らんでいる。彼女は大昔に絶滅したはずのヒューマンであった。




