02 変質者は『深み』のある人物でした。
「それじゃあ、改めて自己紹介しようか。僕の名前はヘイヤ・ハタ。私立探偵だよ」
ヘイヤはそう言うと、パンツの中から名刺を取り出して差し出した。
ユカは素手で触りたくなかったので、テーブルの上にあった紙ナプキンを一枚取ると、それで挟んで受け取った。
『どんな案件もハーブボイルドに解決します。 イームズ探偵事務所 所長 ヘイヤ・ハタ』
ユカは名刺に書いてある文章を読み上げる。そして首を傾げた。
「『ハーブボイルド』?」
彼女は聞きなれない言葉を繰り返す。
ハー『ド』ボイルドなら聞いた事がある。しかし、ハー『ブ』ボイルドというのは今まで聞いた事が無かった。
「あ、ハーブボイルドというのはね『まるでハーブをキメたかのような狂気と共にあり、どんな問題も跳ね除ける』っていう生き方の事だよ」
「……へぇ」
ヘイヤは親切に教えてくれたが、ユカにはあまりピンとはこなかった。ただ、やはり異常者である事は間違いないとだけは理解できた。
「あの……実際のところ、どうなんです? やっぱりハーブか何かやってるんですか?」
「いやいや、とんでもない。僕はそういう物には興味は無いよ。まあ、かなり昔の話だけど、東の国から輸入されたクスリが人々の間で流行っていた事はあるけどさ」
「あ、それは知ってます。世界史の授業で習いましたから」
「あ……そう……なんだ……いやぁ、自分の国の事を外国はどう見ているかって知るのは怖いなぁ……」
ヘイヤは少しだけバツの悪い顔をして、頬を掻いた。
それを見たユカは、なんとなく罪悪感を感じ、慌てて別な話題に切り替えた。
「と、ところで、名刺には『所長』って書いてありますけど……」
「え? あ、うん。僕一人でやってるからね。必然的に僕が所長なのさ」
「へー! 私とそんなに歳が離れて無さそうなのに、凄いですね! ……あれ? でもチェッシャーさんは?」
「ああ、彼は興味本位とか好奇心で手伝ってくれているだけさ。教授として学生に色々と教えているのが本来の姿なのさ」
ヘイヤは微笑んだ。
「本当、彼には何度助けてもらったか分からないよ。彼がいなかったら、僕はいつまで経っても半人前のままだったから……」
「大事なパートナーなんですね」
「パートナー……か。いや、それ以上かな?」
「え?」
「あ、いや、何でもないよ。それより、君の観光案内をしなきゃいけないんだ。早く食べて出発しよう」
ヘイヤは慌てた様子で残ったサンドウィッチや紅茶に手をつけた。
ユカはその様子を怪しんだが、これから案内してもらう以上、あまり深く詮索して彼の機嫌を損なう事が無いようにしておこうと思い、彼の言う通りにした。
◆◆◆
二人がカフェを出発してから約一時間後、最初の観光地へと到着した。
「ほら、見てごらん! アレがあの有名な『ディック・ベン』だよ」
ヘイヤが指したその先にあったのは、明らかに男性器を模した巨大な塔であった。
「凄く……大きいですね……」
写真やテレビ等で見た事があるユカであったが、実際にこの目で見ると、その迫力は全く異なり、彼女は思わず生唾を飲んだ。
「えー、たぶん知っているとは思うけど、一応案内する者としての責任もあるし、簡単に説明するね」
ヘイヤは軽く咳払いをすると説明を始めた。
「ディック・ベンはカニーネ教の教会に付属する時計台の愛称さ。正式名称は『カニーネ塔』。『この街が末永く繁栄するように』と願いを込められていて、実際に文字盤の下の所に古代文字でそういう意味の言葉が刻まれているよ。ちなみに愛称の由来は諸説あるけど、これを設計した人の名前が『ベン』だからっていうのが有名だね」
彼が言い終わるや否や、正午を告げる鐘の音が時計台から響いた。
カニーネ教は生命や繁栄を司る善良な神、カニーネ神を信仰する宗教である。その権能から男性器をシンボルマークとしている。
そのため、ディック・ベンは単なる下ネタなどではなく、非常に神聖な建造物なのである。……少なくともカニーネ教の信者から見ればだが。
「近くにお土産屋さんがあるけど行く? ディック・ベンに関係するグッズが色々あるよ。お勧めは『1/1000スケールのミニチュア』かな? 何故か女性に大人気なんだ」
「えっと……興味はあるけど、止めときます……持ち合わせがちょっと……」
「あ、そうだね。まずは住む場所を確保しないといけないしね。じゃあ、それはまた今度ということで……」
ヘイヤはそう言って移動を開始した。その後を追うユカは心の中でホッと胸をなでおろす。本当は、興味なんてなかったからだ。
カニーネ教ではない彼女にはディック・ベンは卑猥な物にしか見えなかった。その卑猥な物を取り扱う店に立ち寄るだなんてもってのほかであった。だから、それらしい理由を言って断ったのである。
「あの……次はどこに行くんですか?」
始めに見せられたのが卑猥な物だっただけに、また変な所に連れていかれるのではないかと心配になったユカは訊ねてみた。
「うーん、そうだね……観光名所ならいっぱいあるけど、とりあえずは杖屋に行こうか。ちょっと歩くけど、僕が一番自信を持って紹介できる店があるんだ」
歩きながらヘイヤは答えた。
「杖屋?」
ユカは聞き返す。
「魔法使いになりたいんでしょ? それなら魔法の杖の一本くらい持ってなきゃ……あれ? もう持ってる?」
「いいえ、まだです」
「良かった。あそこの店のは少し高いけど、かなり質が良いんだ。きっと気に入ると思うよ……あ、そうだ。ついでに僕の杖のメンテナンスをお願いしようかな?」
「え? ヘイヤさんも魔法使いなんですか?」
ユカは目を丸くして訊ねた。さっきの捕り物で、魔法らしいものは一切使っていなかったからだ。
「まあね、魔術学校だったら落第生レベルだけど、一応使えるよ」
ヘイヤはユカの方を見た。苦笑している。
「本当はちゃんと魔術学校で魔法に関するアレコレを学んだ方が良かったんだけどさ。僕の場合、ちょっと事情が事情だから独学で学ぶしか無くて……」
「事情って?」
ユカは思わず訊ねてしまった。失礼な事を聞いてしまったかと思い、慌てて両手で口を塞ぐがもう遅い。
しかし、彼は怒る様子も悲しむ様子も無く、さらりと答えた。
「僕って孤児院育ちだからさ、義務教育しか習わずに社会に出たんだ」
「そう……だったんですか……」
「それに就職してから仕事が忙しくてさ、学校に通う余裕が無かったってのもあるんだ」
「就職って……もしかして……」
「うん。探偵さ」
ヘイヤは嬉しそうに答えた。
「確か、仕事を探していた時だったかな? たまたまひったくりの現場を見ちゃったんだ。それで、気づいたら追いかけててさ。結局僕は捕まえられなかったんだけど、代わりにカッコイイおじさんが捕まえたんだ」
「もしかしてその人って……」
「うん。僕の師匠さ。『根性だけはあるな』って褒められて、弟子にならないかって言われたから『なりたい』ってすぐに答えてさ」
「へぇ」
「仕事では厳しかったけど、いい人だったよ。この街の事を誰よりも愛していてさ、とても正義感が強くて、悪い奴を何度も捕まえてきたんだ」
ヘイヤは懐かしむ様子で話を続ける。
「一回聞いた事があるんだ。『悪い奴が許せないなら、どうして警察官にならなかったんですか?』って」
「そしたら何て?」
「『俺ははみ出し者なのさ。群れの中にいるのは窮屈で仕方が無い。だから俺は俺が指示をして、俺がそれに従う生き方を選んだ』ってね」
「孤高の人なんですね」
「うん。……本当に惜しい人を失くしたよ」
「え?」
ユカは思わず足を止めた。ヘイヤが過去形で話すのでもしやとは思っていたが、やはりすでに故人となっていたのには少しショックであった。
「元々持病を抱えてたみたいでさ、それが原因で死んじゃったんだ。今思えば、厳しかったのは僕に託したかったからかもしれないね」
ヘイヤも足を止め、少し寂しそうな顔をしてユカを見た。
「『ルシアン・イームズ』。それが師匠の名前さ。僕は師匠の名前が入った事務所を守りたいと思った。とてもお世話になったしね。それに、親がいない僕からしてみれば……父さんみたいな存在だったからさ」
「『父さんみたいな存在』……」
ユカは繰り返した。
彼女には両親がいる。だから、孤児院育ちがどんなものなのかよく分からない。しかし、今まで一人で頑張ってきたところに、自分を支えてくれる人が現れた。それがどれだけ嬉しいかは少しは分かる。
「あ、そうか!」
「え?」
「いや、さっきの夢や目標の話さ。君がチェッシャーに色々言われている間に、自分はどうかって考えてたんだ。分かったよ。僕の夢は師匠の夢を叶える事さ。僕は師匠からたくさんの事を引き継いだ。だから、師匠の代わりに街を守る。そして、いつか弟子ができた時には、今度は僕が全てを託す。こうして師匠の思いはずっと続くんだ」
ヘイヤは自分の言った事に頷いた。
「ねえ、ユカ」
「はい?」
「改めて聞くけど、君は何で魔法使いになろうって思ったの?」
「それは……人の役に立ちたいから……」
「どうしてそう思ったの?」
「えっと……学校で時々いじめられている人がいたの。でも私は助けるだけの力が無い。だから、力が欲しいって思ったの。そしたら、部活に『魔術部』ってのがあったから、思い切って入部してみたの」
「それでどうだった?」
「残念だけど、欲しい力は手に入らなかったわ。でも、魔法を使ったり、勉強するのは楽しいっていうのは分かったの。だから、もっと学びたいって思って……」
ユカは真っ直ぐにヘイヤを見た。
「そっか……じゃあ、夢は少しはハッキリしたんじゃない?」
「え?」
ヘイヤが何を言っているのか分からず、ユカは首を傾げた。
「君の夢の根底にあるのは困っている人を助けたいという思いさ。後はそれを魔法でどうやって実現するか考えればいいだけさ」
「あ……そうか。……なんでさっきは分からなかったんだろう?」
「ズーマンだもの。色々な思いが絡まって、自分自身ですら真実が見えない事だってあるさ。そして、それを解消するのも探偵の仕事だと思うんだ」
「それは……どうも……」
ユカは会釈した。
「どういたしまして。じゃ、行こうか」
「……はい」
二人は再び歩き出した。
そしてしばらくしてヘイヤは口を開いた。
「『力が欲しい』……か。僕もそう思った時期があったな」
「え? そうなんですか?」
ユカはヘイヤの体を見ながら訊ねた。ボディビルダーのような筋肉質な体。とてもそんな時期があったようには思えなかった。
「うん。僕は師匠からたくさんの事を引き継いだけど、当時は……今もだけど、半人前の僕にはどうしてもこぼれ落としてしまう物もたくさんあったんだ。その一つが悪と戦う力さ」
「『悪と戦う力』……」
ユカは復唱する。
「師匠はとても強かった。大勢の相手に囲まれても、一人で全員倒すくらいにね。でも僕は、タイマンでも苦戦するくらい弱かった」
「それで体を鍛えたんですか?」
「まあ、それもあるかな? でも、一番はチェッシャーのおかげさ」
「チェッシャーさんの?」
ユカはあまりピンと来なかった。
「チェッシャーが何の教授か覚えてる?」
「えっと……魔道エネルギー学?」
「うん。それで、どんな事を研究しているか分かる?」
「いえ、全然」
ユカは首を横に振った。
「実は僕もよく分からないんだけど、以前彼から例え話をされたよ」
「どんな話です?」
「『火を灯すにはどうすればいいか?』って」
「『火を灯す』?」
「例えば、火はどうやって発生させるか。木の棒をこすって摩擦熱で火をつける方法もあるし、マッチやライターを使う方法もあるよね? そういうが魔法の術式なんだ。つまり魔法を使うための手段」
「……はぁ」
「そして火を発生させるためには、燃料が必要だよね? おが屑や薪だったり、ガスやガソリンなんてのもある。これが魔道エネルギー学なんだって。魔法を使うためにはエネルギーが必要で、どんなエネルギーが魔法にどう影響力を及ぼすかを研究しているらしいよ」
「えっと……今の話がどう繋がるんですか?」
よく分からなかったユカは答えを急いだ。
「チェッシャーには魔法に使えるエネルギーを研究する中で、最も熱心に研究している物があるんだ」
「何です?」
「『狂気』さ」
「『狂気』?」
ユカは復唱しながら、ふとさっきのハーブボイルドの説明を思い出した。
「彼の話によると、狂気には無限の可能性があるんだって。常識を無効化する力があるかららしいよ」
「もしかしてヘイヤさんがハーブボイルドな理由って……」
「うん。狂気、つまり頭のおかしな事をする事で、あらゆる危険を無力化し、どんな難問も突破するためさ」
ヘイヤは頷いた。
「最初は恥ずかしかったよ。でも、続けているうちに楽しくなってきたんだ。それにおかしな事をしている間は、どんな大怪我を負ってもギャグになるから死ぬ事も無いしね。この力に何度助けられたか、もう分からないや」
彼は照れくさそうに頬を掻く。
「だからそんな変……おかしな恰好をしてるんですね」
ユカは疑問が解けたような気がした。
「まあね。でも、僕の狂気なんてまだまださ。ついつい常識的な事をしちゃうし、悪い人と戦う中で素に戻ちゃってピンチになっちゃう事も少なくないしね。もっと精進しないと」
「……私は今くらいがちょうどいいと思いますよ。それ以上は、単なるサイコパスになっちゃうと思いますし……」
「え? そうかな?」
ヘイヤはキョトンとした顔をしてユカの方を見た。
「何事もバランスが大事ですよ。道を究めるのも大事だとは思いますけど、そのために人として失格になったら元も子もありませんよ」
「……そっか、そうかもね。……でも、後ちょっとだけ狂気を高めたいかな? 飲み物は鼻から飲むとか、ファッションを見直すとかさ」
「ああ……そうですか……」
ユカは呆れて、それ以上の事は言えなかった。
そのまましばらく、二人は何も言わずに歩き続けた。
すると、一軒の店の近くでヘイヤは足を止めた。ユカもつられて足を止める。
「あ、着いたよ」
「え? ここがヘイヤさんが言っていた杖屋ですか?」
ヘイヤが指した先を見たユカは驚きの声を上げた。
そこは一見して廃屋のような外観だったからだ。教えてもらわなかったら、とっくの昔に廃業したと思っただろう。
「うん。ここの店主は本当に腕が良くてね。ズーマン国宝になってないのが不思議なくらいなんだ。さ、入るよ」
ヘイヤはそう言って、さっさと中へと入って行った。
ユカはその場にポツンと取り残された。中へと入る勇気が湧かなかったからである。
本当に大丈夫なのだろうか。そう思った彼女は一歩前へ進むのにもだいぶ時間がかかったのであった。




