13 つかの間の休息でした。
誘拐された人達を無事に帰した後、ユカ達は報告のためダイブマンの所へと戻った。
そして、拠点での出来事を話し終えると、彼は大声で笑った。
「じゃあ、何か? お前達はヤツらの拠点を潰したって事か?」
あまりに大きく笑ったために出てきた涙を拭いながら、彼は訊ねた。
「まあ、そういう事かな? 重要そうな記録は全部持ち出してさ。後は爆破しておいたよ。ね? チェッシャー」
「そうとも、ヘイヤ君。2人で一緒に部屋の中でたくさんオナラをしてね。で、着火したら、ドカーンと大爆発さ」
「まだ、お2人のオナラの臭いが鼻に残って……うぅ」
ユカはティッシュを1枚取り出すと、鼻をかんで臭いを追い出そうとした。
彼女は外で見ていただけだったのだが、爆発と共に漂って来た屁の臭いを誤って吸い込んでしまったのであった。
「コイツは前代未聞だ! 少なくても俺が知っている限りはな。拠点を完全に潰されただなんて話は聞いた事が無ぇ! ましてや、屁で爆破したとか……ヤツらの悔しがる顔が目に浮かぶぜ!」
よほどツボにはまったのか、ダイブマンは笑い転がった。
「これでラプチャー・サイエンスはここを諦めたかな?」
「さあな。だが、当分は近寄らないだろうよ。ここは危険地帯だって分かっただろうしな」
ダイブマンは笑い過ぎによって呼吸を荒くしながら答えた。
「そうか。なら、それでもいいよ。この街が安全になればそれで」
ヘイヤは小さく頷いた。
「ところで君、今夜アリス君の家でちょっとしたお祝いをするんだけど、一緒に来ないかい? 事件解決を祝って、彼女が何かごちそうを作るそうなんだが……」
「ふん……そうだな……」
チェッシャーの誘いにダイブマンは少し考え込んだ。そして、首を横に振った。
「いや、止めておこう。めでたいとは思うが、俺が行ったらあの子が、ダイナが俺の事を恋しがるだろう。それはダメだ。あの子はこれからズーマンの中で生きて欲しいんだ。そのためには……俺は邪魔だ」
彼は少し悲しそうな顔をした。本当は彼女に会いたいのだというのがユカには手に取るように分かった。
会いたい。しかし、会う事はこれから先、互いに別れるのがつらくなる。だから我慢する。そんな彼の思いを感じ取ったユカは目頭が熱くなった。
「そうだ!」
ダイブマンは何かを思いついたかのように大きな声を出すと、彼のそばに置いてあった、おもちゃの自動車を手に取り差し出してきた。
「これを代わりに持って行ってくれ!」
「これは?」
受け取りながらヘイヤは訊ねた。
「あの子が好きだったおもちゃだ。壊れて修理を頼まれてたんだが、さっきようやく直ったところでな」
ダイブマンは笑顔で答えた。
「俺とあの子を繋ぐ大事な物だ。これを俺の代わりにと思ってくれればそれでいい。ま、こんな所で直したんで多少は臭うと思うがな。嫌なら洗って構わない」
彼はそう言って笑った。
「分かった。必ず届けるよ」
ヘイヤは頷いた。もちろん、パンツの中にしまうような事はしない。そのくらいの配慮はできるらしい。
「来てはくれないのかい。残念だねぇ。……でも、君ならそう言うんじゃないかって思ったよ。だからほら、これを君のために買ってきたよ」
チェッシャーはそう言うと、さっきから後ろに隠していた酒瓶を取り出して彼に差し出した。
「これは?」
「捜査に協力してくれた、ほんのお礼だよ。ワインさ。たったの30年物だけどね」
ダイブマンは不思議そうな顔をして受け取った。この価値がよく分かっていないらしい。
30年物のワインと言えば高価な物だ。それをポンとプレゼントするのだから、彼の財力は凄いはず。ユカは彼がこれを買った時からそう思っていたのだが、果たしてどれほどの財力の持ち主なのか、全く見当がつかないでいた。
「よく分からんが、飲み物だというならありがたく貰っておこう。ふむ、お前達がお祝いをしている間に飲むのもいいかもしれんな」
ダイブマンは嬉しそうな顔をして言った。
「じゃあ、帰りま――」
「あ、ちょっと待って!」
ユカの言葉を遮るようにヘイヤは少し大きな声を出した。
「ん? どうした?」
「ダイブマン、ちょっとコレを見て欲しいんだ」
ヘイヤはそう言うと、パンツの中から懐中電灯を取り出して電源を入れ、そのまま口に咥えた。
すると懐中電灯の光が彼の中を通って目から光が放たれた。そしてプロジェクターのように壁に何かが映し出される。
「これは!」
「拠点で見つけたパソコンから回収したデータの一部さ。この辺がどうも君に関係ありそうな内容でさ」
驚くダイブマンに、ヘイヤは懐中電灯を咥えたまま、モゴモゴと説明した。
『――脱走したダイバー・57962号、及びシスター・欠陥個体の早期回収を――』
映し出された文章にはこの前後の事もしっかりと書かれていたが、ユカにはこの一文しか目に入らなかった。
「……なんてこった」
ダイブマンは明らかに落胆した様子であった。
「ヤツらはまだ俺達を諦めてはいなかったのか……」
彼は何度も首を横に振った。
どうやら、『ダイバー・57962号』とはダイブマンの事であり、『シスター・欠陥個体』とはダイナの事であるらしかった。とすると、ラプチャー・サイエンスは彼らを回収、つまり連れ帰すつもりらしい。いったい何故。ユカには分からなかった。
すると、その疑問に答えるように、ダイブマンは語りだした。
「俺もあの子も、ラプチャー・サイエンスの技術によって開発された。その技術を外部の者に知られないようにするためだろう。いや、それだけじゃないな。俺が自我を持ったのはあの子との接触によるもの。ヤツらはそう考えているだろう。きっとヤツらは、俺とあの子の因果関係を調べたいに違いない」
「……そうなったらどうなるんですか?」
ユカは恐る恐る訊ねてみた。
「研究材料として俺達を扱うだろう。何をどうするかまでは全く見当もつかないが、……最悪の場合、解体して解析しようとするかもしれないな」
「そんな!」
ユカは大きな声を出してしまった。解体。それは2人の死を意味する。いや、たとえ解体されなくても、死ぬよりももっと酷い目に遭うかもしれない。そんな事、絶対にあってはいけない。そう思えた。
「……大丈夫。僕達が必ず守ってみせるから」
投影するのを止めたヘイヤは落ち着いた声で言った。
「僕はこの街を守りたい。そして君達はもう、街の一部だ。だから守る。約束するよ」
「……ありがたい事だ。だが、守るのはあの子だけでいい。俺の命は長くない。先の短い俺の事は放っておいて、あの子を守る事に徹してくれ」
「ダイブマン……」
「重要な話を教えてくれてありがたい。恩に着るよ。さあ、もう行った方がいいだろう。お前達のためにごちそうを作って待っているヤツがいるんだろう? 早く帰ってやらないと心配するぞ」
ダイブマンはそう言ってユカ達に背を向けた。
せっかく手に入れたと思った自由。しかし、本当はまだ追われている身であった。色々と思う事があるのだろう。ここは1人にしてあげるべきだ。そう思ったユカはヘイヤとチェッシャーを引っ張って下水道の出口を目指した。
◆◆◆
「はーい。これがロングラウンド国名物、『月見パイ』よ」
アリスは笑顔でメインディッシュをテーブルの上に置いた。それを見た瞬間、ユカは開いた口が塞がらなかった。
月見パイは名前の通りパイ料理であった。しかしその見た目は、少なくてもユカにとってはとても異常なものであった。何と言っても、パイから丸ごとの魚が何匹も、まるで中から突き破ったかのように飛び出しているのだ。この衝撃的な見た目に、ユカは言葉を失った。
「おお。これだよ、これ。僕ちんはこれを待ってたのさ!」
チェッシャーは喜びの声を上げる。
「すごーい!」
ダイナは目を輝かせながら、パイを見つめた。
「魚だけはアナタ達3人で食べなさいよ。それ以外の部分は私とヘイヤも食べるから少し多めに残しておきなさい」
アリスの言葉を聞いて、ユカは『自分もこの魚を食べなきゃダメなのか』と思い、落ち込んだ。魚は嫌いでは無いが、こういう出し方をされると食欲は失せた。
「ほら、君の分だよ」
余計な親切心を効かせて、ヘイヤはユカの分のパイを取り皿に盛った。魚が2匹入ったパイ、いやパイ付きの焼き魚2匹が彼女の皿の上に乗る。彼女は思わずため息をついた。
「名前の由来を知っているかい? パイを突き破って出た魚が、まるでお月様を見ているかのように見えたかららしいよ」
「へー!」
チェッシャーは魚にかぶりつきながらダイナに教えていた。彼女は食べながら、興奮した様子で一生懸命頷く。
「どうしたの? 全然手をつけてないみたいだけど」
ユカがしばらくパイを見つめていると、アリスが声をかけてきた。
「いえ……その……」
『まずそうだ』なんて口が裂けても言えるはずもなく、ユカは口ごもる。しかし、このまま見つめていても何も変わるはずもなく、仕方なしに彼女は目の前の料理に手を伸ばした。
とりあえず一口だけ魚を食べる。そして、深くため息を吐く。作った人が草食なので、魚の調理が下手であろう事は覚悟していた。しかし、それでも思わずにはいられなかった。『マズい』と。
具体的にはとても生臭かった。何の魚を使ったのかは分からないが、間違い無く魚の正しい調理方法を知らないで作ったであろう事だけは分かった。
「どう? 美味しいでしょ?」
アリスは笑顔で訊ねる。もちろん正直に答えられるわけがなく、『最高です』と大嘘をついた。そして同時に、平気な顔をして食べているチェッシャーとダイナの味覚を疑った。
「あ、あの……この国の料理って何ていうか……独特ですよね……私、昨日は腎臓パイを食べたんですけど――」
「おお! ユカ君! 君、腎臓パイを食べたのかい?」
ユカがかなり遠まわしに『この国の料理ってマズいですね』と言おうとしたところで、チェッシャーが話に食いついてきた。
「どうだった? 素晴らしい味だったろう? ああ、あの臭いや味! まるで便器を舐めているかのような錯覚を覚えるくらいだよ!」
彼はまるで演劇かミュージカルのようなオーバーなリアクションで腎臓パイを褒め称えた。その様子を見て、やはり彼の味覚は異常なのだとユカは確信した。
この中でまともなのは自分1人だ。彼女は思った。しかし、多数決の原理で言えば、自分だけが異常である。だから彼らに上手く合わせるしかないのだと絶望を感じながら思った。
とりあえず手始めに目の前の激マズ料理をいかにも美味しそうに食べてみせる事にした。美味しい。美味しい。これは美味しい物だ。そう何度も自分に言い聞かせて食べ続ける。
しかし、この方法ではすぐに限界が来た。別な方法、他の何かに集中する事で舌を誤魔化す事にした。
例えばアリスだ。彼女は胸がとても大きい。どうしたらそんなに大きくなれるのか今度聞いてみようかと考える。すぐに限界が来た。次の人に目線を移動させる。
ダイナ。彼女はとても美味しそうに魚を食べている。が、口から結構こぼれている。……いや、こぼれているのは魚ではない。細い何か……毛だ。体毛がどんどん抜けていく。そして耳が引っ込んでいき……あっという間に彼女はヒューマンの姿に戻ってしまった。
「おや、時間切れかい」
チェッシャーはダイナの様子を見るなり、そう呟いた。
「『時間切れ』?」
ユカは訊ねた。
「そうとも。彼女にかけた魔法は簡易的なものだから制限時間付きでね。その時間を過ぎたから元に戻ってしまったのさ。まあ、もう1度やればいいだけなんだがね」
「あら、それは困るわ。今後は彼女とお出かけとかするつもりなのよ。街中で元に戻ったら大騒ぎになるわ」
「なるほど。それならもっと高度な魔法が必要だね。もしくは何か魔法の道具を使うとか。とにかく、時間で解除されないような方法を考えないとねぇ」
アリスとチェッシャーの会話を聞きながら、ユカはヒューマンに戻ったダイナを見つめた。
黒猫の時もとても可愛いかったが、ヒューマンのままでも十分可愛い。確かにズーマンから見れば異形の存在だが、ヒューマンにはヒューマンの良さがある。
ヒューマンが『悪魔』だなんてきっと嘘なのだろう。ズーマンだって良い人もいれば悪い人もいる。同じように、ヒューマンについては悪い人ばかりが話しに出るが、きっと中には良い人だっていたはずである。ユカは何となくそう思った。
ヒューマンもズーマンも同じように人だ。その差は見た目ぐらいなものだろう。その見た目さえ乗り越える事ができれば、お互いに仲良くできるはずだ。もちろん、他にも違いはあるのだろうが、それもお互いに理解すれば何とかなるはずだ。もしもダイナみたいにヒューマンが、それもたくさん蘇ったら、今度は共存共栄していきたい。そんな世界を作りたい。ふと、そんな事を考えた。
と、ダイナがうつらうつらと舟をこぎ始めた。アリスの話だと、今日は彼女のお手伝いをたくさんやったらしい。きっとそれで疲れたのだろう。そう思ったユカは席を立つと、彼女を抱きかかえてリビングへ移動し、ソファーの上に寝かせた。そして彼女のポケットからダイブマンからの贈り物であるおもちゃの自動車を取り出して、彼女の手に握らせた。
ダイブマンはこのおもちゃの事を『自分の代わり』と言っていた。どうか彼女が夢でダイブマンと会えますように。そう願いを込めて、ユカは彼女の頭を撫でた。
台所に戻ったユカは食事の続きをした。相変わらず魚はマズいが、ダイナの寝顔を思い出すと我慢する事ができた。
そうして完食まで後少し、といったところで急にアリスが話しかけてきた。
「ところでユカ。アナタ、荷物の準備は大丈夫なの?」
「え?」
何の話か分からず、ユカは首を傾げた。
「……ちょっと! アナタ、大丈夫? 確か明日、帰国するんでしょ! そう言ってたじゃない! 違うの?」
「……あ!」
アリスに言われて、ユカは自分の立場を思い出した。
ユカはこの国には観光目的で来た事になっている。今回来た理由は留学のために住む場所を確保する事であり、それが決まった後は思い切り観光を楽しもうと思っていたからだ。
そして入国する際に申告した滞在期間は明日で終わりとなっている。それ以上の滞在は不法扱いとなる。だから、何があっても明日中にはこの国を去らなくてはいけない。
「さっさと食べて、帰る支度して、そして寝なさい! 明日は忙しいんだから」
「……はい」
アリスに言われ、ユカは急いで残ったパイ、いや魚を食べ終えると、すぐに自室へと入っていった。そして、荷物をスーツケースにしまい始めた。
短い間だったけど、本当に色んな事があった。体を動かしながら、この国での出来事を彼女は思い出した。するとそうしているうちに少しだけ、ふと不安が頭をよぎった。
それはダイブマンとダイナの事だ。彼らはまだ追われている身だ。はたしてラプチャー・サイエンスから完全に逃げ切る事はできるのだろうか。そう思うと、嫌な胸騒ぎがしてきた。
まさか、すぐ近くまで迫っているのか。そう考えだすと、もう荷物の整理なんてやってられなくなった。帰る支度なんて明日早く起きて終わらせればいい。そう思ったユカはすぐにベッドに横になり、毛布に包まった。
今日は色々あって疲れたから、きっと不安になるような事ばかり考えてしまうのだろう。だから今日はもう寝る。そう考え、目をつぶる。
すぐに意識が遠くなってきた。やはり疲れているらしい。そう思ったところで彼女は眠りの世界へと落ちた。
次に目が覚めたのは同じ日の真夜中であった。何か外が騒がしい。そう思った彼女は、半分寝ぼけた状態で起きると自然に台所へと進み始めた。
そして台所へ着くと、そこにはヘイヤとチェッシャー、そしてアリスいて、ただならぬ雰囲気を出していた。
何かあったのだとすぐに分かった。そしてその何かとは彼女の想像を超えた事件であったのだった。