12 罠でした。
部屋の中は真っ暗であった。窓が1つも無いのだから、それは想定内であった。
いや、正確に言うと完全には真っ暗ではなく、何かの装置のランプがあちこちで点滅し、モニターからは青い光が放たれていた。
「えっと、スイッチはコレかな?」
ヘイヤはそう言って入り口近くのレバーを下げる。すると、照明が一気に点灯し部屋の中を鮮明に映し出した。
ユカは急に明るくなったので目がくらんだ。そのまましばらく目を閉じて、ゆっくりと目を開ける。最初はぼんやりとしか見えなかったが、徐々に視力は戻り、中の様子がハッキリと見えるようになった。
最初に見えた景色は未来的な雰囲気の研究所であった。壁は無機質な金属製。家具類などは白を基調としていて、謎の機械が壁際に並んでいた。
そんな部屋の中央辺りにたくさんの物が山積みになっていた。食品類、何かの機械類、新聞、その他用途不明のガラクタだ。あの人造ヒューマン達がせっせと集めてきた物なのだろう。
誘拐された人達はどこにいるのだろう。パッと見た限り見つからなかったため、ユカは部屋の中をよく見て回った。
すると、謎の機械の中に全く同じ形をした物がいくつもある事に気がついた。それらはまるでカプセルのように見えた。
もしやと思い、そのうちの1つに近づくと窓になっているところから中を見てみた。その瞬間、ユカは息をのんだ。
カプセルの中にはズーマンが入っていた。眠っているのか、目を閉じたままじっとしている。
いや、よく見てみると様子がおかしかった。中の人の口や鼻からは白い煙が出ている。それに、体毛のあちこちに氷が付いてる。
もしかして、冷凍されているのか。ユカはふと思った。冷凍冬眠。名前だけならどこかで聞いた事がある。確かにこの方法なら、誘拐された人達を安全にかつ簡単に運ぶ事ができる。脱走される心配もない。実に合理的だ。
まさか、これらのカプセル全部にズーマンが入っているのか。そう思ったユカは、次々にカプセルの中を確かめていく。
やはり誰かが入っている。そしてその中にどこかで見た事がある人物もいた。コアラの男性。ヘイヤが探していたピーターさんだ。まだ海底都市へ連れて行かれる前であった。ユカは安堵の息を吐く。
しかし、すぐ彼女は頭を振って次の事を考えた。とにかく助けなくては。そう思い、カプセルの周りを調べてみる。
おそらく、このカプセルは輸送用の物だ。向こうに着いたら中身を取り出すだろう。そのための解除装置がどこかにあるはずだ。そう考えたのだ。
「ヘイヤさん、ちょっとこっちに――」
彼の知恵を借りようと思い、ユカが振り返ると、彼はパソコンと格闘中であった。
「うーん、困ったな。きっとこの中には機密情報が入っているはずなんだけど、パスワードが分からない……よし、こうなったハッキングして――」
そう言って彼は再びパンツを脱ぎ始める。その瞬間、ユカの体は自然にカプセルの方へと向き直った。
きっとさっきと同じ事をするに違いない。そしてそれを自分は絶対に見たくない。そう思ったのであった。
「ん? これは……」
ユカはふと、カプセルの中心部分に目を止めた。
レバーがある。下向きになっていて、近くには『ON』と書かれている。もしかして……そう思い少し上の方を見ると、思った通りそこには『OFF』と書かれていた。つまりこのレバーを上向きにする事で、冷凍冬眠は解除されて中の人を救出できるのではないか。そう思ったのであった。
やってみるしかない。ユカは覚悟を決めると、レバーを掴み上向きにした。レバーは少し重かったが、思い切り力を加えると簡単に動いた。すると警報のような音が響き、カプセルからアナウンスが流れた。
『冷凍冬眠を解除。扉が開きます。危険ですから離れてお待ちください』
ユカはそれを聞き、カプセルから離れた。すると、扉から冷気が漏れ出してゆっくりと上に開き始めた。そして扉が完全に開くと、中にいたピーターさんの体は少しずつ動き出し、ゆっくりと目を開けた。
「ここは? 私はいったい……」
カプセルから出ようとした彼はそのまま膝を付き倒れそうになった。そこをユカが支える。
「大丈夫ですか? 安心してください。助かりましたよ」
「君は? 大丈夫だと? ……ああ、そうだ。確か私は怪物に誘拐されて……」
彼女が優しく声をかけると、彼は咳き込みながら話し出した。
「チェッシャーさん。これらのカプセルに誘拐された人達が入ってます。レバーを上に向かせれば助ける事ができるので手伝ってください」
「よくやったよ、ユカ君。任せてくれたまえ」
彼は読んでいたファイルを懐にしまうと、言われたようにした。
ユカはヘイヤにも頼もうとしたが、目の端で親指を咥えて悶えているのが見えたので止めた。そして今見えたものを記憶の奥へと封印した。
『冷凍冬眠を解除――』
『冷凍冬眠を解除――』
『冷凍冬眠を解除――』
ユカとチェッシャーが次々とカプセルを解放したため、たくさんのアナウンスが部屋の中に響く。そして次々と中に入っていた人々は外へと出て行く。
こうして2人は誘拐された人達全てを助け出す事に成功した。
「……ふぅ。データでお腹の中がパンパンだよ」
2人が助けた人を介抱していると、パンツを履き直したヘイヤがポッコリさせた腹部をさすりながらこっちにやって来た。
「いやぁ。ハッキングに成功したと思ったら、重要そうなデータがたくさんあってね。全部コピーさせてもらったよ」
「……そうですか」
どうやってコピーしたとか、そんな事を聞くと余計な事、それも知りたくないような事まで言い出しそうな気がしたので、ユカはさらりと流した。
「よし! じゃあ、脱出しよう!」
「そうしよう。さあ、諸君。こっちだよ」
ヘイヤを先頭に助けた人達は出口へと歩き出した。チェッシャーとユカは彼らの誘導を行なう。
が、突然列は動きを止めた。何か嫌な予感がする。そう思ったユカは人々をかき分けて先頭に急いだ。チェッシャーも同じ事を考えたのか、同じく前に出る。
先頭に立った瞬間、何故動きを止めたのか、その理由を嫌という程知らされた。
人造ヒューマン達が行く手を塞いでいたのであった。それも凄い数である。もしかすると、残った部隊全員がここに集結しているのではないか。そう思わずにはいられないくらいであった。
「なんて数だ……アレ全部を相手にしなきゃいけないのか……」
ヘイヤは緊張した顔をして呟いた。
「なんて事は無いさ。ちょっと面倒くさいだけだよ」
チェッシャーはのんびりとした口調で言う。
「それはどうかな?」
聞き覚えの無い男の声が聞こえたと思うと、ユカの後頭部に何か硬い物が押し付けられた。
いったい何が。ユカは振り返ろうとしたが、硬い物でつつかれて前を向きなおした。『振り返るな』、いや『動くな』。相手からのそのメッセージが伝わったからである。
ユカはゆっくりと両手を上に上げた。自分の身に何が起きているのか、それを把握したからだ。自分は今……銃を突き付けられている。
「お前達、動くな。さもなくば、コイツの命は無い」
銃の持ち主は恐ろしい程冷たい声で言った。
「ふふん。なるほど、連れ去った人達に混じってカプセルの中で待ち伏せしていたのかい」
チェッシャーは感心した声で聞く。
「そうだ。お前達はきっとここを探し出そうとするだろうと思って、わざとここまで連れて来たのだ」
声の持ち主は答えた。
「なるほど、全てそっちが仕掛けた罠だったって事ね。……カプセルの中で待っているのは寒かっただろうに、風邪をひかないようにね」
「あいにく私には風邪をひく機能は無い」
「あら、そう。ラプチャー・サイエンスの技術ってのもたいした事無いねぇ」
チェッシャーは大きく欠伸をした。
彼らの話からユカは、銃を突き付けているのは例の人造ズーマンであると分かった。確かにダイブマンが言っていた通り、全く見分けがつかなかった。
「お喋りはここまでにしようか。こっちは早く本題に入りたいものでね」
「はいはい、言う通りにしましょ」
「兎と猫、お前達をラプチャー・サイエンスに連行する。お前達の体がどうなっているのか、マスター達が非常に興味をお持ちだ」
「いやん。僕ちん達の体に興味があるなんて……エッチ!」
チェッシャーは体をくねらせて言った。
そんな彼の事を無視し、ユカは考えた。こっちがどう動くか知られていた。そしてヘイヤとチェッシャーが不死身であると知っていた。方法は分からないが、かなり高い情報収集能力を彼らは持っているらしい。
そして自分が2人の弱点になっている事もよく分かっていた。確かに自分は2人に比べれば弱い。そして不死身ではない。自分を押さえれば2人は言う事を聞かざるを得ないと分析されていた。
そう考えたユカは自分が情けなくなってきた。足を引っ張らないと約束したのに、それを破ってしまった。そのせいで、2人はラプチャー・サイエンスに連れて行かれる。この街を救える者はいなくなってしまう。アリスもきっと悲しむだろう。きっと自分を恨むだろう。
ユカの目から自然に涙が流れた。やはり家にいるべきだった。無理をしてついて行ったからこんな事になった。全て自分のせいだ。彼女は自身を責めた。
自分は誰も助ける事ができない。それどころか、誰かを巻き込み事を大きくする。生きていたって仕方の無い奴だ。死んだ方が人のためになる。そう思えた。
そうだ。死のう。ユカはついにそんな事を考えた。自分という人質がいなければ、2人は自由に動く事ができる。そうすれば、助けた人みんなが助かる。
人を助ける事ができるなら、自分は死んだって構わない。これが最初で最後の人助けだ。覚悟を決めたユカは動いた。
彼女は急に振り返り、銃を掴んで自分の額に押し付ける。絶対に外さないように、絶対に死ぬように。
しかし、それで死ぬ事は無かった。銃を持っていたライオン、人造ズーマンは明らかに動揺した様子であった。引き金を引こうとする素振りさえ見せない。
「アメっこちゃん、どーん!」
チェッシャーはこの隙を見逃さなかった。どこからともなく棍棒のような巨大なロリポップ・キャンディーを取り出すと、勢いよく人造ズーマンの顔面を殴った。
この攻撃により、人造ズーマンの頭部はもぎ取られて床の上に転がった。そして胴体は硬直したままの状態で仰向けに倒れた。
と、同時にヘイヤも動き出した。ユカの背後に立つと、人造ヒューマン達に向けて尻を突きだし、パンツを少し脱いで尻を丸出しにする。
何気なく彼の動きを目で追ったユカは何をする気なのかと思った。するとその瞬間、衝撃的な光景を目の当たりにした。
「屁ル・ファイヤー!」
彼が叫ぶと同時に、凄まじい屁の音と共にジェットエンジンを思わせる程の火炎が尻から放たれた。
火炎は人造ヒューマン達を直撃、一瞬にして黒コゲにした。彼らは一斉に倒れる。ダイブマンの話が本当ならば、彼らの中身はこんがりと焼けたに違いない。
「ふふっ、とっておきの技はこういう時に使うものさ」
ヘイヤはパンツを履き直すと、自慢げな表情で呟いた。
それを見ていたユカは無意識のうちに息を止めていた。もちろん、この辺にまだ漂っているであろう屁の臭いを嗅がないようにするためだ。
「よくやったよ、ユカ君。でも、やけっぱちと勇気は別かな?」
チェッシャーはユカの頭を撫でながら褒めた。
彼女は彼の方を向くとキョトンとした顔をした。何故自分は殺されずに済んだのか。その理由がさっぱり分からなかったからだ。
すると彼はその考えを読み取ったように、説明を始めた。
「何故殺されなかったかって? それは簡単さ、君が死んでしまうと困るからさ」
「困る?」
「そう。彼は機械だ。つまり考える事は常に論理的さ。僕ちん達を捕獲する事は不可能と判断した彼は、君という人質を取る事によって僕ちん達に言う事を聞かせようと、つまり交渉のための道具にしていたのさ。ところが、交渉のためには君には生きていてもらわないと意味が無い。君が死んでしまえば交渉のための唯一のカードを失う事になる。だから彼は撃てなかったのさ」
「つまり論理的に考えると、私を殺す事は初めから不可能だったというわけですね?」
「まあ、そういう事。でも、正直言って、君があんな風に動くとは思わなかったよ。本来は僕ちんが彼の反応速度を超えた動きをして倒すつもりだったからね」
「機械の反応速度を超えた動きをですか!」
とんでもない事をさらりと言ったチェッシャーに対し、ユカは目を丸くし口を大きく開けた。
「できるとも。だって僕ちんだもん」
「そう……ですよね」
今の言葉に変な説得力があったため、彼女はそれで納得する事にした。
「ところで、いつまでそれを握っている気だい?」
「え?」
チェッシャーに言われてユカが自分の両手を見てみると、拳銃が握りしめられていた。さっき人造ズーマンが破壊された時に手を離した結果、自分の手元に残ったらしい。
「わ、わあぁ!」
ユカは慌てて手を離した。すると、地面に落下する前にチェッシャーが受け止めて、そのまま口に入れて飲み込んでしまった。
「今日の鉄分補給、完了!」
彼はそう言うと何事も無かったかのように、誘拐された人達を再び誘導し始めた。ヘイヤも同じ事をする。
ちょうど霧が晴れてきたところだ。夕焼けの空と赤い海が見え、爽やかな潮風が吹く。
ユカはヘイヤ達の手伝いをしながら、この美しい光景を楽しんだ。
生きていてよかった。彼女は心からそう思った。
確かに自分は2人の足手まといなのかもしれない。しかし、だからといって簡単に諦めようとはせず、今の自分にできる最大の事をしていこうと思った。
これからも2人に同行しよう。そしてもっと学ぶのだ。人を助けるために自分にはいったい何ができるのかを。そう考えた。
この国に来てからはトラブル続きだ。しかし、そのトラブルが自分に力を与えている事に彼女自身少し思うところがあった。
まだ留学する前の段階だというのに、すでにここでたくさんの事を学んでいる。そう考えると、彼女はなんだかおかしく思えて来て、顔が自然と笑顔になったのであった。