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乙女 10


 執事長にゲイルの今日の予定を確認したルリアは、朝食後、ゲイルの執務室の前にいた。


 ノックをしようとしては躊躇い、手を強く握りしめてはため息をつく。幾度か繰り返していた。

お腹の底から迫りだしてくる重い何かと、息苦しさと、頭に響く心臓の音で、ぐらぐらと揺らぎそうな視界に堪えながら、もう一度握った手に力を込めた。

ノックの後、部屋の奥から


「どうぞ」


と聞こえてくる。

耳に馴染んだその声はルリアの喉の奥を一層締め付けた。

息苦しさを外に逃がす様に、ゆっくりと吸った息を深く吐いて、震える手で扉を開けた。

自分の気持ちを悟られない様にと、毅然と前を向いて執務机に進むルリアの瞳に、まだ話をしていないにも関わらず、明らかに不機嫌そうなゲイルが写った。


私の顔を見るのすら嫌なのかと、ルリアは握り締めていた手に更に力を込めた。

ここ数十日、二人に会話らしい会話はなく、ここ数日に至っては挨拶のみとなっていた。広い屋敷内では意図しない限り会う事はない。ルリアがわざわざ避けようとしなくても会う事はほとんどなかった。むしろ、自分から会いに行かなければ、ゲイルには会わないという事実を突き付けられた。


耐えきれず目を伏せたルリアの耳に、執務椅子から立ち上がり、近づいてくるゲイルの足音が響く。

話をしなくては、と思うが、顔すら上げられない。話の内容ではなく、話す事、言葉を交わす事が、今のルリアにとっては苦痛でしかなかった。

ルリアの側でゲイルの足音が止まる。部屋の中には静寂と緊張が広がっている。

ルリアは、浅くしか出来ない呼吸で言葉を絞り出そうとぎゅっと目を閉じた。

口を開きかけたルリアの言葉よりも先にゲイルの声が響いた。


「宝石商でネックレスを購入したそうだね。

君が?

一人で?

いつもは二人で購入していたはずだ。」


ゲイルの声には明らかな苛立ちが含まれていた。

ゲイルの手がルリアのほほに触れる。

びくりとルリアの身体は硬直した。

ルリアの様子を気にする素振りもなく、ゲイルの指先はそのままルリアの首を伝い、ネックレスへと移動した。

洋服の下に隠れたネックレスのトップがゲイルによって引き出される。


青と赤


ゲイルが眉間に皺を寄せる。ゲイルの緑の瞳には明らかな怒りが浮かんでいた。


予想外の行動に思わず顔を上げてしまったルリアの瞳に、ゲイルの苛立った様子が写る。ルリアの中にある怒りが関を切って溢れだした。


「何か問題でも?!

私が好んで身に付けている物です!

離して!」


ネックレスが何なのか。オースティンがきてからは、目をみて話す事も、ましてやこんなに近い距離に立つことすらもしていなかった。ルリアは一歩、後ずさりながら、ゲイルの手を払おうと、左手を挙げるが、ゲイルの腕はピクリともしない。


「昔、君が私に言った事だ。

お互いの瞳の色のネックレスをしているとずっと一緒にいられると。ジンクスだとはわかっているがいつも身に付けていようと。

それ以降、君の青と私の緑、同じ形の物を、必ず一緒に購入していたはずだが。」


ネックレスを掴んだゲイルの手に明らかに力が入っている。

ルリアは口を引き結んだ。

それは私がお互いの事が好きだと勘違いしてた時の話だ。私の勝手な思い込みで、彼にとってそれが意味をなしていない事も、むしろ迷惑であったかもしれないなどとは微塵も思っていなかった時の話だ。あなたにとって不要なものだったのでしょう。と言いたいのに、喉の奥に言葉が詰まってでてこない。

目元が熱くなっていく。



「君の想い人は青い瞳か」


怒りを含んだいつもより低い声が、更に重さを増して響いた。


ルリアはゲイルの言葉を数回反芻し、理解出来ない言葉をようやく理解した。

自身の浮気が疑われている。

自分の浮気は棚上げし、まさかの私の浮気をでっち上げる気かと、怒りが頭の中を支配する。同時にお腹の底に押し込めていた黒い何か(感情)も抑えられず、一気にせり上がってきた。


「なっ!んでそんな事!

想い人?いませんわ!いませんけど、仮にいたとして、あなたにとやかく言われる筋合いはありませんわ!あなただって好きな方がいるのでしょう!なぜ私だけが責められるのですか!ご自身の行動は棚上げですの?!それとも、何も気付かず愛されていると思っていた私を見て、笑ってらしたの?!

とにかく、邪魔な私は領地に行きます!!

もちろん、私は浮気なんてしておりませんので、1人で行きますわ!!

あなたは王都であなたの愛する方とお過ごしになればよろしいのですわ!」


怒りに任せ、睨むようにして矢継ぎ早に言い切り、その勢いのまま部屋を出ていこうと身体を反転させた。


ブチッと千切れる音がして、首に痛みが走る。

勢いよく動いたせいでネックレスが千切れてしまったのだ。


ルリアの脳裏にリリアーナの顔が浮かぶ。


千切れてしまった。


ルリアの瞳からせきをきったように涙が溢れ出した。

限界だった。

胃の底に押さえつけていた悲しみが、溢れ出してしまった思いが、涙と一緒に零れて止まらない。ボロボロと落ちる涙は拭うこともできず、それよりも、千切れたネックレスを取り返してこの場を離れたい気持ちが優先された。

ルリアはゲイルの顔を睨み付けると、

ゲイルの手に握られたネックレスを取ろうと手を伸ばし、逆にゲイルに腕を捕まれた。


「領地に行く?愛する人?君は何を言っているんだ?」


ほとんど泣く事がないルリアの涙に、ゲイルの怒りは動揺と困惑に変わる。


何かがおかしい。


ゲイルは、口を引き結んで睨み付けてくるルリアの腕を掴んだまま、一歩ルリアに近づいて、ぐっと腰を引き寄せた。

ルリアは一瞬身体を強ばらせたが、眼前に迫った胸に、反射的に両手を突き出す様にして腕を張った。しかし、ゲイルの力に敵う筈もなく、ゲイルの腕の中から逃がれられるはずもない。


「私の愛する人は君だ。

だが、君は違うのだろう?

君が領地に行きたいのは、そのネックレスの片方を持っているやつと過ごすためか?」


「.......っ?」


ゲイルの言葉に驚いて顔を上げたルリアの瞳には、困惑した顔のゲイルが映っている。ルリアの顔もゲイル以上に困惑していた。


「.......何かがおかしい。きちんと話そう。」


ゲイルは優しくそういうと、今にも逃げ出しそうなルリアを抱き上げて、ソファーへと移動した。


予想外の事に思考が追い付かないルリアはされるがままだ。


愛してるのは私?じゃあ、


「オースティンの母親は?浮気?遊び?それはそれで許せないわ!責任持って!その人にも誠実であるべきだわ。」


何がどうなっているのか。

ルリアの頭の中が混乱しているためか、思った事がそのまま口をついて出てしまう。


「待て、オースティンの母親?オースティンの両親は亡くなっている。浮気?どういう事だ?」


「オースティンの両親?両親?

えっ?父親はあなたではないの?」


「私がオースティンの?

違う、彼の父親はアレクだ。」


「アレク?アレクって・・・?

あなたではないの?」


「何故、私がオースティンの父親になるんだ。ありえない。

オースティンの父親はアレクだ。君も何度か会っただろう?遠縁ではあるが、私とそっくりだと言って、何度か会っただろう?

彼が隣国に留学中に恋に落ちた人がオースティンの母親だよ。

身分違いで認められず、逃げる様にしてこちらに戻ってきた後は、二人で街で暮らしていた。

かなり前にアレクが流行り病に倒れて。後を追うようにして、母親も同じ病で亡くなった。色々厄介な事があってすぐには引き取れなかったが、ようやくオースティンをこちらで引き取れた。

オースティンの母親の身分が隣国の侯爵令嬢だから、余計な揉め事が起きない様に、内密に話を進めはしたが、君にはアレクの子供を引き取ると話していたはずだ。」


「.......オースティンはゲイルの子供ではない........?」


ルリアは小さく呟いた。























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