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導聞(ダオウェン)。  作者: ボルボ
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第一章 祥武堂〈8〉


 宮森森(ゴン・センセン)は、意味不明な動悸に襲われていた。


 別に心の臓を患っているわけではない。


 かといって、今現在行っている蹴り技の連続に疲労しているわけでもない。【刮脚】は蹴りの動きと呼吸の速度を完全に一致させるので、普通に蹴るよりも息が上がりにくい。かくいう森森は一時間連続で蹴り続けても息切れ一つしない。まだこの試合が始まってから十分とちょっとだ。


 相手は避けることしかできず、攻めあぐねている様子。


 ――だというのに、この意味の分からない胸騒ぎはなんだというのだ。


 まるで人食い虎の巣穴を目前に立ち止まっているような、その暗い洞穴の奥底から今にも腹を空かせた虎が出てきそうな、そんな原因不明の「ざわつき」が胸に巣食っていた。


 熟練した武術家の抱く「嫌な予感」「胸騒ぎ」というのは、楽観視してはいけないものだ。それは数々の修羅場をくぐり抜ける過程で養われた危機察知能力の警鐘であることが多いからだ。


 何かある。この男には、「何か」が。


 「何か」とは、絶招だろうか? それこそ、自分の今まで身につけた技術を総動員しても及ばないような。


 それを考えた途端、憤りのような気持ちが心の奥底で燃える。


 ――自分は、【刮脚】こそが最高の拳法だと信じているし、そう名乗るための努力は惜しまない。


 旗族(きぞく)という特権身分である以上、親の歩んだ道をなぞり書きしていれば、何不自由ない生活が待っている。森森は親に反発してソレを捨ててまで、【刮脚】に心身をささげたのだ。


 当然、親に逆らったツケは事実上の勘当という形で受けた。しかし、姓は未だなお自分の名にこびりついている。これは、兄夫婦との間に子供がいつまでも生まれなかった場合、自分に跡取りを産ませるための保険だろう。なんとも都合の良いことだ。


 そんな旗族社会のしがらみと戦いつつも、【刮脚】を磨き続けた。


 気が付けば、自分が亡き師父から引き継いだ『仙踪林』は「帝都有数の大勢力」などと呼ばれるようになっていた。それでも驕らず、己を研磨した。


 そんな長年に渡る修練で培われた自信を、あの亜麻色の髪の優男が放つ雰囲気だけに揺るがされた。


 まるで今までの努力を、あの男に言外に否定されたような気分がして腹が立った。


 無論、そんなものは勝手な思い込みだと分かっている。


 しかし今、どうしてもあの男の存在が許せなかった。


 森森は一度攻撃を休めると、左膝に意念を集中。そこへ全体重が集まる感覚を得た瞬間、左膝裏を右脚で蹴っ飛ばした。自分の五体が、蹴られた鞠のように垂直へ跳ね上がる。『飛陽脚』だ。


 それから何度も空中を跳ね、導聞の上空のあちこちを素早く飛び回る。空中を不規則に高速移動し、敵の目を翻弄するためだ。


 「外力」、すなわち外側からの力を加えられない限り、物体は空中で動くことは出来ないものだ。


 しかし、人はただの物体とは違う。動きのある生物だ。


 鳥は翼を羽ばたかせて、空圧という「外力」を作る。だからこそ飛べるのだ。


 人間には翼が無いため、羽ばたくことは出来ない。が、「脚」がある。


 自分の脚で自分自身の体重を蹴り、その勢いを利用して宙を舞う。それが奇術のごとき『飛陽脚』の術理である。


 無論、言うほど簡単なものではない。非常に精緻な呼吸と筋肉操作が求められるため、習得には時間がかかる。今のように縦横無尽に飛び回れるほどになるまでには、さらに長い期間の修行を要する。


 その修行の成果を遺憾無く発揮し、宙を蜂のごとく行き来する森森。


 やがて、行動に移した。


 不規則に飛び回った状態からいきなり導聞に向かって跳ねた。解き放たれた矢のごとく急降下し、その推進力を込めた『蹬脚』を走らせる。


 森森の靴裏が、導聞の薄皮一枚分の距離まで到達。


 当たる。そう疑わなかった。


 だが次の瞬間、




 導聞の姿が煙のごとく消失した。




「な——」


 森森が目を剥くと同時に、目標を失った靴裏が地面に直撃した。


 驚きたいのを我慢しつつ、周囲を素早く見回す。


 導聞を見つけた。


 見つけたのだが、森森は今度こそ驚きを禁じ得なくなった。


 導聞は、自分から遥か遠い位置へ離れていたのだ。


「馬鹿な……」そうこぼさずにはいられなかった。


 あの男が姿を消すのを見てから、まだ三秒も経っていない。にもかかわらず、その三秒以上の時間が必要なほどの距離まで遠ざかっている。


 高速移動の歩法を使ったのか。そう考えながらまばたきする。


 しかし目を閉じて開くと――導聞の姿が視界のほぼ全てを覆い尽くしていた。


 咄嗟に後ろへ跳んだが、間に合わず、勁力を込めた拳を胴体へ打ち込まれた。


「ぐっ……!?」


 直撃。体内の奥深くへ響きそうなほどの衝撃を受け、森森は歯を食いしばって耐えた。


 かと思えば、導聞は再び一瞬で間合いへ攻め入り、掌底。


 それはどうにか体をひねって避けることに成功。


 すかさず『蹬脚』。


 しかしまたしても導聞の立ち位置が、一瞬で遠くへ移動。


 かと思えば、森森の蹴り足が伸びきった瞬間、再び導聞が肉薄。肩口を先にして重心を激しく衝突させてきた。


 その靠撃を真っ向から浴びた森森の心中は、嵐のように荒れ狂っていた。痛覚より、混乱が先行していた。


 一体、何が起こっているのだろうか。


 ただ速く移動しているだけなら、こうまで動揺することはない。


 だが、先程から見せている導聞の歩法は、「素早く動いている」というより「立ち位置を入れ替えている」という表現の方が適切に思えた。


 高速移動ではなく、瞬間移動。


 だがそんな事は有り得ない。武術の技である以上、なんらかの術理が存在するだろう。けれどもそれは「過程を経ずに結果だけを得る」という、この世の絶対的な(ことわり)を否定するものにはなり得ない。それはもはや魔術や仙術の領域だ。


 地面に足を付いて踏ん張り、先ほどの発勁による勢いを殺す。


 一刻も早く術理を解くなり、対応策を練るなりしなければ。そう思い、思考を必死に巡らせる。


 けれども、現実はその暇を与えてくれない。


 視界の前方を、突発的に"現れた"導聞の姿が占める。


 しまった、と森森は思った。足は今なお慣性を潰している最中で、身動きが取れない状態だ。


 そんな森森に遠慮などするはずもなく、前足とともに掌を進ませてきた。


 避けられない。


 万事休すか、と腹をくくったその時だった。




「――――待ってください!!」




 突然、門の方から聞こえてきた少女の叫びによって救われたのは。


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