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導聞(ダオウェン)。  作者: ボルボ
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第一章 祥武堂〈7〉


 質量を持った突風が吹き荒れる。


 それは一度通過するたびに、その場所の空気を割き、地に爪痕を残した。


 その突風の正体は、宮森森(ゴン・センセン)の繰り出す蹴りの数々だった。


 【刮脚】とは、「蹴りの拳法」と呼ばれる門派。その呼び名の通り、技術の八割を蹴り技ないし足技が占める。


 しかし彼女の見せる蹴りは、「蹴り」と呼んで良いのかいささか疑問である。


「——(しっ)!」


 刃物の一振りのような気合とともに、刃物の一振りのような回し蹴りが疾る。それを導聞(ダオウェン)は後ろへ退がって紙一重で躱す。


 振り始めから振り抜きまでの過程がほとんど見えない。並の武術家であれば片足を上げたと思った時にはもう蹴られているだろう。


 森森は振り向きざま、持ち上げていた左脚で蹴りを放ってきた。脚を振るのではなく、靴裏で踏みつけるような蹴り。武術においては『蹬脚(とうきゃく)』と呼ばれている蹴り技だ。


 直撃すれば体の後ろまで突き抜けそうなその蹴りを、導聞は体の捻りだけで躱しつつ、滑るように森森の右隣へ踏み入った。そこから右足を蹴り出し、重心を左足に移すと同時に左掌を放った。


 当たると思った。相手は蹴り足を伸ばしたままで、重心を左足一本で支えている。普通に考えれば、回避などできる状態ではない。


 しかし、臨虎(リンフー)は言っていた。「この女は普通ではない」と。


 森森は重心の乗った右脚で跳び上がり、その膝を真上へ突き出し、導聞の掌底を下から上へ弾いたのだ。手根を針のように伝っていた勁は途絶し、導聞の右脇腹がガラ空きとなった。


 導聞は心中で感嘆した。まさかこんな奇抜な防御をやってのけるなんて。


 虚空を浮く森森は、右膝の屈曲を開放。こちらのドテっ腹へ『蹬脚』を叩き込んだ。


()ッ!!」


 導聞は直撃と同時に、呼吸法によって体内の空圧を急激に高めた。胴体が一瞬だが急膨張し、その強い張力が蹴りの衝撃から身を守る鎧代わりとなった。


 しかしそれでも威力を全ては削りきれず、ささいな鈍痛を味わいながら後方へ大きく滑らされた。


 森森は翡翠色の瞳でまっすぐこちらを見て、淡白に言った。


「良い反応だ。でかい口を叩くだけの事はあるらしい」

「そっちこそ、凄まじい脚の功夫ですよ」


 導聞も称賛を返す。


 【刮脚】の蹴り技がここまで強烈なのは、筋肉ではなく、それらをまとめて繋ぐ(すじ)を徹底的に鍛えるのだ。筋を張り詰めた【刮脚】の脚は鉄棒のように硬く、蹴り技に用いると恐ろしい破壊力を見せつける。


 再び森森が動く。


 それに合わせて導聞も前へ進む。


 両者の間合いが衝突した瞬間、台風のようなやり取りが始まった。


「セヤァァ!!」


 目にもとまらぬ速さで、あらゆる角度から蹴りが飛来してくる。


 導聞はそのことごとくを歩法で避け、手でさばいていく。全てが紙一重のやり取りで、少しでも読みを間違えたら直撃という綱渡り。


 防戦一方になっているように見えるが、導聞はその最中に相手の隙を探していた。無駄に攻めずに、こうして避けながら機を待つ。穴を見つけたら、そこを渾身の発勁を突き刺すつもりだった。


 やがて――非常に狭いが、森森の間合いの奥へ入り込めるだけの「隙」を見つけた。理屈ではない。長年培った経験によるカンで理解した。


 導聞はその「隙」へと体を滑り込ませた。放たれる蹴りを数発体にかすめながらも、間合いの奥底へと己が身をねじ込むことに成功。


 体重を勢いよく落下させるように強く踏み込み、その足に急激な捻じりを加える。震脚(しんきゃく)による沈墜勁が体重を倍加させ、その足底から生み出された螺旋勁が上半身へ巻きつくように駆け上がり、その螺旋の勢いに乗せる形で体を左右へ展開して十字勁を引き出し、その勢いに押された拳が一直線に突き進む。足から始まり拳で終わる、川と水車と(うす)の関係にも似た勁の流動。


 突き刺さった。


「ぐはっ――!!」


 途端、森森は空気を絞り出すように吐き出し、後ろから見えない紐で引っ張られるような勢いで吹っ飛んだ。


 しかし、足を踏みしめて立ち、地との摩擦力で勢いを殺す


 やっぱりか……導聞は思った。


 直撃した時、手ごたえがなかった。まるで布団を殴ったみたいに勁を飲み込まれたようだった。


 直撃と同時に足腰を柔らかく沈み込ませ、綿のように衝撃を吸収したのだ。【刮脚】には、そういった化勁(かけい)――相手の力を分解する技術――が伝わっていると聞いたことがある。


 とはいえ、森森の額には脂汗と深い皺が少しばかり見られた。さすがに無傷というわけにはいかなかったようだ。


「……威力を数割殺したとはいえ、結構効いたぞ」

「僕としては、もうやめたいのですが。こんなことを言うと怒るかもしれませんけど、女性を打つのはあんまり好きじゃないんです」

「気にすることはない。武術家の間に男女の差など無い。あるのは功夫の差だけだ。そして、貴公の功夫はかなりの水準にあるらしいな」


 じゃりっ、と靴底を鳴らす森森。その音は、素敵な獲物を前にした獣が舌なめずりするソレに似ている気がした。


「久しぶりに面白い相手だ。出し惜しみしていたら足元をすくわれかねん。……少しばかり本気を出そう」


 瞬間、その体が――蹴られた鞠のように上空へ跳ね上がった。


 首をかしげたくなる表現かもしれないが、そうとしか例えようがない。まるで羽のように軽くなった彼女の体が、見えない第三者の足で蹴り上げられたかのような、そんな前触れの無い突発的な跳躍。


 かと思えば、虚空にて上昇していた森森が——急激にこちらへ押し迫った。


「なっ!?」


 我が目を疑いながらも、迅速に立ち位置をズラして飛び膝蹴りから逃れる導聞。


 不自然な落下軌道だった。放物線の軌道で落ちてきたなら分かる。けれど今、彼女が刻んだ軌道は明らかに「直角」だった。


 いや、「落ちた」のではない。


 「跳ねた」のだ。


 誠に信じがたい話だが、彼女は足場の無い空中(・・・・・・・)で跳躍(・・・)してみせたのだ。そうとしか考えられない。


 虚空で跳躍する技、【刮脚】……それら二つの言葉を統合して考えた途端、導聞の持つ膨大な知識と経験の中から、答えとおぼしき『ある技』を探り当てることに成功した。


「……『飛陽脚(ひようきゃく)』ですね」


 森森のまなじりがピクリと跳ねる。


「知っているのか」

「名前と大雑把な情報だけなら。確か、自分の体重そのものを自分の脚で蹴っ飛ばすことで、足場の無い空中でも自由に跳ね回ることができるとか」

「ご明察だ。これは我が【刮脚】の秘伝に位置する技法でな、私もむやみやたらに見せることはしないはずだったが……そうも言っていられないようだ。貴公の功夫に敬意を表して【刮脚】の真髄を見せてくれよう——こうやってな!」


 バヒン! と空気の膜を打ち破る音とともに、森森が急迫。『飛陽脚』は空中移動だけでなく、地上における高速移動にも使えるようだ。


 飛び膝から身を脱する。すると森森は、今度は「自身の体重」を真上へと蹴り送って急跳躍し、そこからまた斜め下へと「跳躍」。


 ハヤブサが急降下して魚を踏みつける様子を彷彿とさせる飛び蹴りから、導聞は下がって脱した。蹴り足が激しく落下し、大地をドカンと震わせる。


 森森はなおも止まらない。こちらとの間隔を俊敏に潰して回し蹴り——と見せかけて再び『飛陽脚』で虚空へ跳ね、斧のような踵落とし。導聞はさらりと身を引いてから、すかさず勁力を込めた掌を疾らせた。


 しかし、またも直撃は叶わなかった。足技使いの美女は着地してすかさず導聞の掌を横へ蹴って弾き、そのままその足で『蹬脚』。


 恐ろしい速度でやってきた靴裏から逃れつつ、導聞は眉間にシワを寄せた。


 相手の行動の自由度が高過ぎる。陸だけでなく、空も飛べる(?)のだ。そこへ神技のような蹴りが加わるのだから、鬼に金棒どころではない。


 『飛陽脚』は、【刮脚】の『絶招(ぜっしょう)』……すなわち「奥の手」とも呼べる技だろう。


 それを惜しみなく使っている彼女に、舐めてかかってはいけないと思った。




 ——仕方がない。こっちも『アレ』を少し使おう。



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