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導聞(ダオウェン)。  作者: ボルボ
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第一章 祥武堂〈5〉


 臨虎(リンフー)が『祥武堂』を後にしたのは、夕方になってからだった。


 修業が終わったのは午前中だが、その後も導聞(ダオウェン)といろいろ話をしていたのだ。武術談義は言うに及ばず、今まで生きてきた中で印象に残ったこと、などといったとりとめの無い内容まで。


 とにかく、彼のことが知りたかったのだ。


 まるで数々の死線をくぐり抜けた歴戦の将のごとく落ち着き払った物腰。穏やかそうな瞳の中は、深淵のように深く底が知れない。そんな謎めいた気配はするものの、気味悪い感じは全くしない。それどころか、どんどん引き込まれるような謎の魅力がある。


 何より凄まじいのがその功夫だった。立ち合いで彼の勁を食らった瞬間、まるで体が真っ二つになりそうなほどの衝撃と痛覚が襲い、一瞬だが気を失った。気が付くと自分は地にうつ伏せに倒れており、それでようやく負けたという事実を認識した。彼の功夫に心の底から心服した自分は、気が付いた時には弟子入りを求めていた。


 最初はその強さに惹かれたが、今はそれだけではない。


 ただ強いだけの人物なら、探せばいくらでもいるだろう。


 指導に厳格だが、それを嫌だと感じさせない心遣いが彼にはある気がする。昼間「百錬成鋼」と書かれた薪木を蹴って寄越したのも、「焦らず、長く修練すればいつか習得できる」という励ましを言外に告げたのかもしれない。


 明日も彼のもとで学べるのだと考えると、帰路を歩む歩調が自然と弾んだものとなる。


 臨虎は今、南東の小道を通っていた。東と南の大通りの間に血管よろしく広がっている細い道の一本だ。


 夕日はすでに没しかけ、街中には沈殿したように夜闇が降りていた。そんな街路を、端々に軒を連ねる建物が放つ煌々たる光がほの明るく照らしていた。


 いずれも、『晶灯(しょうとう)』の放つ光だ。


 『鴛鴦石(えんおうせき)』と呼ばれる鉱物がある。それは「雄石(おいし)」と「雌石(めいし)」の二種類があり、それらは接触すると互いに同じ色の燐光を発する。その原理を利用した照明器具が『晶灯』だ。


 『鴛鴦石』は自然からの産出量に限りがあるため、一昔前は特権階級しか使っていなかった。しかし人工的に作れることが可能になってからは庶民にも手が届く身近な道具となった。


 火による灯りより目に優しく、明度の高い光だ。この時代に生まれて良かったと思いかけて、そうでもないかと思考を改める。


 隣国である『覆国(ふっこく)』との小規模な武力衝突が頻繁するようになったのは、ここ数年のことだ。「かつて分裂した二国を一国に統一する」などと、覆国の指導者は吐かしているらしい。


 おまけに『真世(しんせい)』とかいう過激派組織が世俗の裏で暗躍している。連中はエゲツないやり口で有名で、煌国で時折物騒な事件を起こしている。十一年前にも戦争孤児を多数誘拐し、非道な実験を行ってほぼ全員殺したという噂だ。


 百年以上も平和な世を維持してきたこの国にも、大乱の影がちらついている。


 臨虎は武術を好むが、いたずらに争いを好むわけではない。武術家同士のケンカならまだしも、無駄な争いが起きて欲しいなどとは微塵も思ってはいない。


 しかし、願いなど聞き入れる事なく、世間では無駄な争いの種が蒔かれる。


 今のように。




「――やめてくださいっ」




 拒絶の意思のこもった女の声は、今まさに通り過ぎようとしていた細い脇道からか細く聴こえてきた。


 『晶灯』の灯りに包まれた表とは違い、光源一つ無く薄暗い道だった。その奥には、壁を背にして立つ少女と、それを三方から取り囲む三人の男たち。


 肩の辺りまで伸びた短めの髪に、やや幼さが残るあどけない顔立ち。全体的にほっそりとした体型で、少し力を入れれば簡単に手折れてしまえそうな儚さを感じる。硝子(ガラス)でできた躑躅(ツツジ)の髪飾りが、『晶灯』の光を反射して輝く。


 歳が自分と近いくらいの少女は不安げだった。


 対し、男たちには下品な笑みが貼りついている。


 場所の選び方がいかにもな感じだ。しかも逃げられないような位置で立っている。


 何より、先程の「やめてください」という声。


 それらの構図から見れば、男たちがあの少女に無理矢理絡んでいるという事実は火を見るよりも明らかだ。


 気がつくと、臨虎はその細い道の奥へと進んでいた。我ながら単純な性格である。


「貴様ら、何をやっている?」


 非難の意で張り詰めた声でそう言い放つ。


 四人は一斉にこちらを振り向く。


 男たち三人はその下品な笑みを維持しながら、


「なんだい、お嬢さん。まさかナンパか?」

「誰がお嬢さんだ! ボクは男だ!」


 そう告げると、男たちは手のひらを返して鬱陶しげな顔となり、舌打ち。


「んだよ、チビ。俺らに何か用かよ」

「離れろ」

「あ?」

「今すぐその女から離れろ。ボクは『祥武堂』の一番弟子、臨虎だ。痛い目にあいたくなければとっとと失せろ」


 そう告げると、三人は一度顔を見合わせる。


 一瞬の間を置いてから、品のない爆笑をぶちまけた。


「ギャハハハハハハハ!! 『祥武堂』だぁ!? 知らねぇーよそんな武館! 俺らは天下の『仙踪林(せんそうりん)』様だぜ? 消えるのはオメーだよクソ門派が!」


 それを聞いた瞬間、頭まで熱が競り上がってくる感じがした。『仙踪館』という武館の事は良く知っていたが、それについての詳しい情報を振り返る心理的余裕は、今の臨虎には無かった。


「貴様ら……今何と言ったっ! もう一度その汚い口で吐かしてみろっ!!」


 憤激をそのまま吐き出したような怒号を発する。


 対し、男の一人がことさら煽るようにはやし立てた。


「もう一度どころかもう十回言ってやんよ。クソ門派クソ門派クソ門派クソ門派クソ門派クソ門派クソ門派クソ門派クソ門派クソ門派ぁ!」


 ずだん! と重々しく前へ踏み出す臨虎。


「貴様らぁっ……!!」


 熱しやすいのが自分の欠点だとは自覚している。けれど尊敬する師の拳を侮辱されることは我慢ならない。


 男たちもまた、じゃりっ、と一歩前へ出る。ニヤついた声で、


「んだよ、やる気か? こっちは三人だぜ?」

烏合(うごう)の集など一人にも劣る」

「あ?」


 臨虎の物言いにムカついたようで、三人はかんばせに敵意を表す。


 これで勝負の条件は揃った。


 あとは爆発するのみ。


 爆発。


「イヤァァーー!!」


 男の一人が、気合いの雄叫びをともなって駆け出した。途中で跳躍し、左右の脚で交互に前蹴りを放つ。


 臨虎は横へ移動しそれを回避。蹴りを空振った男が放物線の軌道で臨虎の後方へ着地。


 避けることは出来たが、前後を塞がれた。このままだと袋小路で叩きのめされる。前方にいる残り二人を押し退けて奥へ行けば、挟まれた位置関係から脱する事ができるだろう。しかしそうすると、あの少女をこのケンカに巻き込んでしまいかねない。それは避けるべきだろう。


 よって、臨虎はその場で留まる選択肢を取った。


 前から二人、後ろから一人向かってくる。


 一番到達が速かったのは後ろの男だった。回転し、振り向きざまに鎌のような回し蹴りを放とうとしてくるが、


「うわ!?」


 円弧で振った蹴り足は、途中で壁にガズッ、と引っかかってしまった。


 馬鹿かこいつ。こんな狭い場所で大振りの技を使うなんて。


 マヌケな失敗で出来た隙を突く形で、臨虎は間合いの奥へ入る。後足で大地を思い切り蹴り込み、斜め下へ潜り込むように重心を移動。その動きに掌の推進を付随させることで、衝勁(しょうけい)沈墜(ちんつい)勁を同時に込めた重い掌底を男の脇腹へ叩き込む。【虎形把】の一手、『虎撲』。


 男は直撃箇所から体を前へ曲げたかと思うと、勢いよく吹っ飛んだ。


「野郎!」


 仲間がやられた事で、残った二人も憤慨して近づいてくる。


 しかし、この幅の狭い路地裏で行える攻撃は限られてくる。その上二人横並びでやって来たのだからさらに技を出しにくくなる。本当に頭が悪い。


 連中は揃って前蹴りを振り出す。


(ハイ)還還還還還還還還還還ッ!!」


 臨虎は虎爪手をあらゆる方向に振り乱す。やってくる蹴りをかき分けたりさばいたりしながら、敵の間合いへ強引に立ち位置をねじ込んでいく。


 やがて、臨虎の手が届く距離まで男二人に接近できた。右手、左手の延長線上にそれぞれ一人ずつといった位置だ。


(ボン)ッ!!」


 腰を急激に沈め、両の拳で男二人を同時に突いた。重心を勢いよく落下させたことで大地から力が跳ね返り、稲妻に等しい速度で両の拳に伝達。重々しい勁を宿らせた。【虎形把】の一技法、『馬歩双撃架(まほそうげきか)』。


 小柄な少年の拳によって派手に吹っ飛ぶ、二人の男。


 三人全員の沈黙を確認後、壁の隅っこで体を縮めていた少女に歩み寄る。


「おい、あんた、大丈夫か。怪我とかしていないか?」

「えっ? は、はい、大丈夫です」

「そうか。だったらこいつらが復活する前に早く帰るんだ。後をつけられたら仕返しされるかもしれないぞ」

「わ、分かりました。その……ありがとうございました」


 気にするな、と臨虎が言うと、少女はとてとてと脇道から出て、こちらへペコリと頭を下げてから曲がり角の向こうへ消えた。


 臨虎は打たれた箇所を押さえながらのた打ち回る三人へ目を向ける。自分もこいつらが回復する前に帰った方が良さげだ。


 そう考えて脇道から出ようと動き始めた瞬間、思い出した。


 こいつらが口にしていた、『仙踪林』という単語。


 蹴り技主体の拳法【刮脚(かっきゃく)】を教えている場所であり、この帝都有数の勢力を誇る武館であった。


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